年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

衆議院憲政記念館特別展から

2009年11月09日 | 福神漬
衆議院憲政記念館特別展
激動の明治国家建設
明治10年の西南戦争から明治憲法発布・国会開設までの文献が系統だって実物を展示してあって、行く価値がある。
 福神漬の誕生と拡販の行方は明治という時代に翻弄された食べ物でもあったと感じる。最初は簡単な調べごとだったが今ではその奥の深さが感じてきて戸惑いを覚える。
 福神漬が命名された時期が丁度自由民権運動が過激になって自滅する時期で下谷の人々の中の非薩長・旧幕臣の人達の憤懣が感じられる。松方デフレによって農民層が困窮し、都市労働者が誕生し、西洋から新しい思想が下谷の人達から広まってゆく過程が同時についてくる。
 明治初期10年頃までは築地・銀座・新橋が東京の中枢だった。しかし隅田川の土砂の堆積で築地に直接船を着けることが困難だった事と新橋ー横浜間の鉄道が開設され、築地の外国人居留地から横浜に移転する人が多くなり、築地はさびれた。明治10年代に繁盛したのが上野・神田・銀座だった。このような時代背景があり福神漬という名称が旧幕臣戯作者よって付けられ上野池之端から誕生したのである。
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