年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

玉乃世履(たまのせいり)

2009年11月08日 | 宅老のグチ
玉乃世履(たまのせいり)
山口県岩国の吉岡達生医師の著書を読むため国会図書館に向う。この人物は今ではまったく歴史書に無視されている人物だが谷中霊園の中では最大級の大きな墓石であるという。
谷中墓地甲9・17側
 山口県岩国の人だが明治16年福島事件の高等法院の裁判長であった。政府の裁判干渉と無罪に出来ない事情があって、明治19年に自殺したというのでどの様なことか調べることとなった。吉岡達生医師によると玉乃自身が糖尿病になり、岩国の人の期待を裏切ることが出来ず(裁判官を辞職すること)ウツになって自殺したとのことである。当時の高等法院(今の最高裁判所)の裁判官には定年という制度がなかったためである。また岩国の人にとって明治政府にツテを求める人物が彼しかいなかったという。
 なぜこの人物が気になったかというと先日台東区中央図書館で内田魯庵全集を何気なく読んでいたら、福島事件のことが書いてあった。この事件の裁判が明治16年夏のことなので内田魯庵16歳のことである。彼はこの裁判記録を読んでいた。今ではネットでこの福島事件の裁判記録を読むことが出来るがかなり難しい文章である。名裁判官であったという。
 30回の裁判で125人分の傍聴席は満席で、傍聴券するため夜中から並んだ人のため食事を出す業者も現れたという。中での花香恭次郎は一番若く演説が巧みだったので女性に人気があったという。
福島事件の被告2名が(田母野・花香)同じ谷中墓地に眠っている。裁判官と被告が同じ墓地で眠っていて玉乃は彼らに冤罪をわびているのだろうか。
コメント
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