明治42年11月5日大阪朝日新聞
日本醤油の運命
兼ねてからよからぬ風聞の絶え間なかった日本醤油醸造株式会社はついに大失態をおこし株主はじめ一般需要者に向かって謝罪する状態に至った。とにかく会社製品の信用は地に落ち、もし内務省がこの際柔軟な処置に出ても一度落ちた製品の信用は容易に回復することは出来ず、従って現在の製法はある程度変更せざるを得ない。聞くところによると甘味を付加する点においてサッカリンに代わるには砂糖またはブドウ糖を使用すれば格別問題がないのに経済性のため使用したものである。同社の今日の損害は百万円以上(表面的にはまだ発表されていない)、主として醸造上及び販売上から起こるもので、資本回転上、普通醸造法のように六ヶ月以上の期間を延ばすことはできず、さらに醸造法を変更しても失墜した信用を回復する策に出ても切迫している会社の運転資金を如何にすべきか、目下大阪市内にて同社の無担保手形では僅かにしかならない。ただ田島社長の裏書にて事情を知らない某銀行より融資を受けた借入金も遠からず返済期限が到来するので、この際未払込株金を払い込ませる方法もあるがそのためには対株主の醸造法への信頼を得るしかない。会社内外の欠損金を隠蔽している今日姑息な手段では会社の運命も維持することも出来ない。この際大英断を持って会社内部の大改革を施し公衆に謝罪するほか策がないだろうと関係者は語っていた。
明治42年11月6日大阪朝日新聞
日本醤油会社の大失態
近年産業の進歩は、機械力を応用して自然力に打ち勝とうとしている。一個人の出資としないで数千人、数万人より出資を求め、大仕掛けの会社組織と事業経営を為そうとしている。かかるがゆえにあらゆる産業が古式をそのまま踏襲し、一子相伝的に経営するものは、徐々に敗北者になるような観ある。しかし、静かに考えてみると、科学の大進歩とてここ百年来のことであり、軍事上、政治上、ことに産業上に学問の応用が旺盛となったのはここ三四十年のことである。しかもなお日進月歩の途上にある。日進月歩とは昨日採算が取れていたものが今日は不採算となる、今日の経営状態が良好であっても来月は大改革を要する状態となっていて油断もすきもない世の中のたとえでもある。うっかり生半熟の試作を信頼して、大仕掛けの経営を為そうとして、とんでもない大失態の素となるものである。数日にわたり本紙に連載した60日醤油の醸造元である日本醤油醸造株式会社(資本金1千万円)の大失敗、すなわちこのたとえの例となっている。同社は明治40年に創立した新会社で、従来二年余の時日を費やせねば完全なる醸造を得難かった醤油をわずか二ヶ月に短縮し。内地の醤油需要を一手で充たすのみならず、海外に輸出して日本醤油をあまねく世界の津々浦々に味あわせようと凄まじき意気込みと目論見をもって出資株主を募集し、あっという間に集まった大会社であった。
明治42年11月6日大阪毎日新聞
日本醤油株の投売り
日本醤油株は一時7~8円の相場を保っていたがその後5円台に落ち込み昨日は更に低落を進め当限2円30銭の一値、中物2円55銭寄り付き2円60銭引け、先物3円5銭寄り付きの3円10銭引けという殆どボロ株のような価格を示すに至った。前述のような相場は実際の売買値段にあらず、いわゆる市場の言い値をつけたもので当限の如くは某商店より1円50銭売りを叫び、むやみに安値を唱えるのも不穏当であるというので手控えている有様である。17円50銭の払込の株式はわずかに2円30銭となったばかりではなく現物市場にては相手なしという状態で実際の値段は幾らになるだろうか認めがたいものがある。このような激落をもたらした原因はかねてからの同社製品の不評からすでに株式の下落をもたらしたものであるから株の売物があっても買い手は無き状態であるので到底株価回復する様子は無い。折からここ二三日来不正製品の検挙となりしかも事件の内容を見れば同社の損失は莫大なものに上がり。あるいは会社の存立もおぼつかないと伝えられた結果、全く投売り相場となり、市場の伝える所によると従来同社の損失額150万円に加えるに今回の不正品の損失とすれば一層巨額となり資金の固定と損失を加えれば350万円の払い込み資本も余す所わずかなるかも知れずこの際営業方針を一変する方法を見つけなければ鈴木式醸造法を踏襲すれば自滅に至る他無いという者が多い。株式が無価値と等しい相場となるのはあえて不思議ではない。
この株価の動向が東京兜町にあった株券担保で融資する帝国商業銀行の経営問題となってゆくとは当時はまだ解っていなかった。
日露戦争後にミニバブルが崩壊し、遅れた不況のため銀行の経営危機となった。ここに福神漬が少し関係してくるとは誰も想像できないだろう。
日本醤油の運命
兼ねてからよからぬ風聞の絶え間なかった日本醤油醸造株式会社はついに大失態をおこし株主はじめ一般需要者に向かって謝罪する状態に至った。とにかく会社製品の信用は地に落ち、もし内務省がこの際柔軟な処置に出ても一度落ちた製品の信用は容易に回復することは出来ず、従って現在の製法はある程度変更せざるを得ない。聞くところによると甘味を付加する点においてサッカリンに代わるには砂糖またはブドウ糖を使用すれば格別問題がないのに経済性のため使用したものである。同社の今日の損害は百万円以上(表面的にはまだ発表されていない)、主として醸造上及び販売上から起こるもので、資本回転上、普通醸造法のように六ヶ月以上の期間を延ばすことはできず、さらに醸造法を変更しても失墜した信用を回復する策に出ても切迫している会社の運転資金を如何にすべきか、目下大阪市内にて同社の無担保手形では僅かにしかならない。ただ田島社長の裏書にて事情を知らない某銀行より融資を受けた借入金も遠からず返済期限が到来するので、この際未払込株金を払い込ませる方法もあるがそのためには対株主の醸造法への信頼を得るしかない。会社内外の欠損金を隠蔽している今日姑息な手段では会社の運命も維持することも出来ない。この際大英断を持って会社内部の大改革を施し公衆に謝罪するほか策がないだろうと関係者は語っていた。
明治42年11月6日大阪朝日新聞
日本醤油会社の大失態
近年産業の進歩は、機械力を応用して自然力に打ち勝とうとしている。一個人の出資としないで数千人、数万人より出資を求め、大仕掛けの会社組織と事業経営を為そうとしている。かかるがゆえにあらゆる産業が古式をそのまま踏襲し、一子相伝的に経営するものは、徐々に敗北者になるような観ある。しかし、静かに考えてみると、科学の大進歩とてここ百年来のことであり、軍事上、政治上、ことに産業上に学問の応用が旺盛となったのはここ三四十年のことである。しかもなお日進月歩の途上にある。日進月歩とは昨日採算が取れていたものが今日は不採算となる、今日の経営状態が良好であっても来月は大改革を要する状態となっていて油断もすきもない世の中のたとえでもある。うっかり生半熟の試作を信頼して、大仕掛けの経営を為そうとして、とんでもない大失態の素となるものである。数日にわたり本紙に連載した60日醤油の醸造元である日本醤油醸造株式会社(資本金1千万円)の大失敗、すなわちこのたとえの例となっている。同社は明治40年に創立した新会社で、従来二年余の時日を費やせねば完全なる醸造を得難かった醤油をわずか二ヶ月に短縮し。内地の醤油需要を一手で充たすのみならず、海外に輸出して日本醤油をあまねく世界の津々浦々に味あわせようと凄まじき意気込みと目論見をもって出資株主を募集し、あっという間に集まった大会社であった。
明治42年11月6日大阪毎日新聞
日本醤油株の投売り
日本醤油株は一時7~8円の相場を保っていたがその後5円台に落ち込み昨日は更に低落を進め当限2円30銭の一値、中物2円55銭寄り付き2円60銭引け、先物3円5銭寄り付きの3円10銭引けという殆どボロ株のような価格を示すに至った。前述のような相場は実際の売買値段にあらず、いわゆる市場の言い値をつけたもので当限の如くは某商店より1円50銭売りを叫び、むやみに安値を唱えるのも不穏当であるというので手控えている有様である。17円50銭の払込の株式はわずかに2円30銭となったばかりではなく現物市場にては相手なしという状態で実際の値段は幾らになるだろうか認めがたいものがある。このような激落をもたらした原因はかねてからの同社製品の不評からすでに株式の下落をもたらしたものであるから株の売物があっても買い手は無き状態であるので到底株価回復する様子は無い。折からここ二三日来不正製品の検挙となりしかも事件の内容を見れば同社の損失は莫大なものに上がり。あるいは会社の存立もおぼつかないと伝えられた結果、全く投売り相場となり、市場の伝える所によると従来同社の損失額150万円に加えるに今回の不正品の損失とすれば一層巨額となり資金の固定と損失を加えれば350万円の払い込み資本も余す所わずかなるかも知れずこの際営業方針を一変する方法を見つけなければ鈴木式醸造法を踏襲すれば自滅に至る他無いという者が多い。株式が無価値と等しい相場となるのはあえて不思議ではない。
この株価の動向が東京兜町にあった株券担保で融資する帝国商業銀行の経営問題となってゆくとは当時はまだ解っていなかった。
日露戦争後にミニバブルが崩壊し、遅れた不況のため銀行の経営危機となった。ここに福神漬が少し関係してくるとは誰も想像できないだろう。