年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治キリスト教の流域 太田愛人著から

2009年11月23日 | 福神漬
明治キリスト教の流域 太田愛人著から
静岡バンドと幕臣たち
明治維新に敗者となった幕臣は新時代に生きる方法は厳しかった。このような境遇を打破するため、多くの旧幕臣・若者が洋学に向かった。また同時期にキリスト教宣教師が日本にやってきた。静岡や築地の英語学校の教師は宣教師だった。武力で政権をとった薩長に対し、幕臣たちは文をとって生きることを選んだ。また東京では明治初期の新聞はその読者層が江戸市民であったためか発行当初から反明治新政権の論調であった。
 宣教師のもたらした洋学は日本に学問だけでなく生活改善もあった。具体的に言うと『禁酒・禁煙・廃娼(売春)・畜妾禁止(一夫一妻制)・女子教育・貧民救済』等があった。
 西南戦争が明治新政府の勝利となると、新政府に不満を持つ士族は自由民権運動に向かっていった。廃娼運動も妻を持てぬ貧民階級の不満が底流にあって新聞紙上で盛んとなった。
 自由民権運動が盛んになり始め、弾圧によってしぼんでゆく時代に福神漬が生まれた。丁度松方デフレという時代であったため販売には苦労した。福神漬がその販路拡大に利用したのが芸者・料理屋のルートのため、文献に残ることなく広まっていった。
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