年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

聖心女子大が国産紅茶を通信販売

2009年11月17日 | 福神漬
福神漬の歴史を追究してゆくうちに変なものゆき当たった。広尾の聖心女子大が国産の紅茶を通信販売している。
 日本製糖業の創始者ともいわれる明治の発明王・鈴木藤三郎が砂糖業から醤油醸造業に転身に失敗し、(静岡県裾野市桃園)農園で余生を送った。その農園を銀行家とも企業家ともいわれる岩下清周が引き継ぎ、小学校を作った。
 鈴木藤三郎は彼の出身地である静岡県周智郡森町に周智農林学校を作っている。この学校は今の静岡県立周智高等学校である。また岩下の小学校は今では不二聖心中学校・高等学校となっている。戦後岩下家から農園と学校が聖心女子大に寄付されて富士山麓の農園では国産の紅茶栽培がなされているという。この不二農園の国産紅茶が聖心女子大の紅茶通信販売となっている。つまり鈴木藤三郎が日本醤油醸造の失敗がなければこの紅茶はなかったかもしれない。鈴木藤三郎の出身地は二宮尊徳の報徳思想が盛んなところで、彼の失敗の原因でもある日本醤油醸造の急拡大(資本金300万円を1000万円にしたこと)で品質と販売網が伴わず販売不振となったためである。鈴木は債権者に全財産を提供し、富士山麓に農園を開き余生を送った。
 また岩下清周も北浜事件後投獄され、恩赦で出獄後鈴木の荒れていた農園を引き継いだという。報徳思想とカトリックの奇妙な関係が紅茶に入っているのだろうか。また不二農園のホームページに『明治の初期、禄を離れた江戸幕府旗本7名が官有地払い下げを受け、農場を開墾し茶を捲いたことから始まる。』とあるが7名の幕臣は誰なのだろうか。もし上野戦争に参加していたなら不思議な縁を感じる。
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