松方デフレの頃
福神漬の命名が戯作者梅亭金鵞に依頼された時、松方デフレといわれた不景気の時代であった。このデフレの研究は主に財政の面から研究されているが福神漬の研究をしてゆくと三菱汽船と共同汽船の船賃の値下げ競争が米の値段を下げたと思われる。
先日團團珍聞を読んでいたところ、明治13年一反地価113・84銭で売買価格が360円であった。明治17年一反地価113・84銭売買価格80円となって農地価格が暴落している。このようなことが農民層を地盤とする自由党を過激化させるようになった。
今のように交通手段が多様な時代と違って明治10年代はようやく部分的に鉄道が敷かれただけで大量輸送は船に頼るしかなかった。この時三菱汽船(郵便汽船三菱会社)と共同汽船(共同運輸会社)の運賃の値下げ競争が激しかった。この結果米の運賃も下がり、都市の米の値段も下がり、農家から買い上げる価格も下がった。江戸時代日本の航路を整備した河村瑞賢と違って農村部の米の買い上げ価格が上がったということではなかった。
平成のデフレも野菜等が今までは輸送・通関等の改善で中国から直ぐに入ってくるので、冬季積雪で畑に入れず、長期間野菜が高騰していたが今ではほんの数日価格が上がるだけで、日本農家が不利益を受けるだけで終わってしまう。
平成デフレ21はジーンズの値下げ競争が多分歴史に残るだろう。そして日本国内で繊維産業は静かに消えることとなる。既に和装の業界は平成の初めの頃から衰退し、今では数年前の漬物業界の売り上げと同じくらいとなっているらしい。
福神漬の命名が戯作者梅亭金鵞に依頼された時、松方デフレといわれた不景気の時代であった。このデフレの研究は主に財政の面から研究されているが福神漬の研究をしてゆくと三菱汽船と共同汽船の船賃の値下げ競争が米の値段を下げたと思われる。
先日團團珍聞を読んでいたところ、明治13年一反地価113・84銭で売買価格が360円であった。明治17年一反地価113・84銭売買価格80円となって農地価格が暴落している。このようなことが農民層を地盤とする自由党を過激化させるようになった。
今のように交通手段が多様な時代と違って明治10年代はようやく部分的に鉄道が敷かれただけで大量輸送は船に頼るしかなかった。この時三菱汽船(郵便汽船三菱会社)と共同汽船(共同運輸会社)の運賃の値下げ競争が激しかった。この結果米の運賃も下がり、都市の米の値段も下がり、農家から買い上げる価格も下がった。江戸時代日本の航路を整備した河村瑞賢と違って農村部の米の買い上げ価格が上がったということではなかった。
平成のデフレも野菜等が今までは輸送・通関等の改善で中国から直ぐに入ってくるので、冬季積雪で畑に入れず、長期間野菜が高騰していたが今ではほんの数日価格が上がるだけで、日本農家が不利益を受けるだけで終わってしまう。
平成デフレ21はジーンズの値下げ競争が多分歴史に残るだろう。そして日本国内で繊維産業は静かに消えることとなる。既に和装の業界は平成の初めの頃から衰退し、今では数年前の漬物業界の売り上げと同じくらいとなっているらしい。