年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

松林伯圓と筒井伊賀守

2010年08月05日 | 福神漬
松林伯圓 二代目 しょうりん はくえん、1834年7月(天保5年) - 1905年(明治38年)2月。
松林伯圓は「泥棒伯圓」と異名をとるほど白波物(盗賊)を得意とした。特に代表作の『天保六花撰』は江戸南町奉行筒井伊賀守邸で講談をしたとき筒井から面白い事件を聞き講談に仕立てたと思われる。この事件は筒井が南町奉行在任20年余の中の起き、処理した事件の一つでもあった。筒井伊賀守が江戸南町奉行在任期間は文政4年(1821)2月より天保12年(1841)4月までであった。『小普請河内山宗春倅河内山三之助他三十九人悪事いたし候一件』を裁いた。松林伯圓の養子先若林家の隣に筒井が住んでいた関係で伯圓の贔屓でもあり、筒井から様々な裁判を聞いていたと思われる。「鼠小僧」の事件も筒井から聞いたと思われる。出典中込重明『明治文芸と薔薇』
 筒井は南町奉行を左遷された後、再び幕府の要職に任命された時ロシアとの外交の場に出るようになった。このとき西丸留守居役となっていた戸田伊豆守と知り合ったと思われる。戸田の3男が筒井の斡旋で養子先として長井家を紹介した。鶯亭金升は永井家の長男である。つまり戸田伊豆守の孫に当たる。
原胤昭は江戸南町奉行所与力の子として生まれたので、同じ奉行所で処理した事件を親や同僚から聞いていて、これを題材として『天保六花撰』という講談ができ、歌舞伎になったということを知っていた。それ故福島事件を『天福六歌撰』と題したのではないのだろうか。
つまり福神漬の命名された時期、場所が様々な寓意を混めることが想像される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする