千葉県佐倉の生まれの関係で佐倉図書館まで行く。京成の駅からはなれているので
図書館の駐車は十分あった。佐倉市は戦災に遭ったのだろうか旧い建物が一部に残っていて城下町の形を残している。
『後は昔の記他 林董回顧録』によると林は佐倉の続徳太郎に儒学を学んでいる。福島事件被告人花香恭次郎も続徳太郎に学んでいる。続徳太郎は戊辰戦争の混乱期に佐倉藩の重臣として、西軍と東軍の間で交渉役となり、佐倉の地を戦火から免れさせたが維新後の立場が弱くなってしまった。西の長崎、東の佐倉といわれたくらい蘭学の盛んなところであった。花香の親族が幕末の混乱期に佐倉に行かせて蘭学・英学を学ばせようとしたのだろうか。
また林は英国留学後、榎本武揚と共に函館に行き官軍と戦った。箱館戦争最後の日の前、千代台陣屋に林は中島三郎助を訪ね、投降を説いたが失敗した。その場に行徳の漬物商人と思われる喜兵衛は居たのだろうか。