石井研堂『明治事物起源』に日本における缶詰の始まりに出てくる函館五稜郭で戦死したと思われる『喜兵衛』に付いての問合せしたところ、返事が来た。
『戦死者名簿「戊辰己巳戦死者人名録」によれば、町人の部に喜兵衛という名前の戦死者が4人おります。その内の一人の戦死場所が、千代ヶ岡とありますので、この喜兵衛がご指摘の人物と思われます。
箱館戦争には、姓を持たない武士の枠に入らない人も沢山参加しており、「戊辰己巳戦死者人名録」の町人の部には317人の名前が載せられており、東北での戦闘で亡くなった人が140人で、箱館で亡くなった人が177人です。戦死地が千代ヶ岡とある喜兵衛は、中島三郎助と共に戦って亡くなった人と思われます。』となっていた。
千葉県市川市行徳の漬物商人と思われる人物がなぜ戊辰戦争戦闘最後の地で戦死したのだろうか?
『戦死者名簿「戊辰己巳戦死者人名録」によれば、町人の部に喜兵衛という名前の戦死者が4人おります。その内の一人の戦死場所が、千代ヶ岡とありますので、この喜兵衛がご指摘の人物と思われます。
箱館戦争には、姓を持たない武士の枠に入らない人も沢山参加しており、「戊辰己巳戦死者人名録」の町人の部には317人の名前が載せられており、東北での戦闘で亡くなった人が140人で、箱館で亡くなった人が177人です。戦死地が千代ヶ岡とある喜兵衛は、中島三郎助と共に戦って亡くなった人と思われます。』となっていた。
千葉県市川市行徳の漬物商人と思われる人物がなぜ戊辰戦争戦闘最後の地で戦死したのだろうか?