年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

味の素食の文化センターで

2010年08月29日 | 宅老のグチ
久しぶりに高輪の味の素食の文化センターに向った。目的は利根コカコーラボトリング社の社史を読むためであった。利根コカコーラボトリング社は発足間もない時、千葉行徳の野田醤油行徳工場を本社工場とした。行徳になぜ野田醤油の工場があったか調査は結局味の素食の文化センターにあった社史ではわからなかった。
 仕方が無く、他の本で次の調査のために予備調査を行う。豆の本にはかなり『なた豆』があった。成熟したナタ豆の毒性はかなり強いようで漬物の福神漬には若い状態のとき塩漬にして使用しているので毒性の問題は無い。ナタ豆を食するにはかなりの手間をかけて毒を除かなければならないが収量の多い作物である。と言うことは大量の肥料を必要とすると思われる。
最初に来た時より漬物の蔵書が増えてきたようである。
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