年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治文芸と薔薇 中込重明著から1

2010年08月06日 | 福神漬
明治文芸と薔薇 中込重明著から1
中込重明氏は30代で(2004年3月)亡くなった落語・講談の研究者の貴重な調査を感じます。
明治に入っても活躍していた講談師二代目松林伯円は中込氏によると、養子先となった若林家が偶然筒井伊賀守政憲の隣であった事から始まるという。伯円が若林家に養子に入ったのが嘉永4年で、そこから出るのが嘉永6年である。(ペリー来航は嘉永6年7月)この時、若林家は今の千代田区二番町の旧日本テレビ本社付近に当たる。嘉永6年の番町麹町永田町外桜田辺全図より南町奉行時代の筒井伊賀守は数寄屋橋から転居していて、若林家の東隣に住んでいた。嘉永6年筒井は75歳となっていて、若い講談師を連日のように呼び寄せ、行く末を楽しんでいたようである。伯円は筒井との雑談から南町奉行時代の事件を聞かされていて,講談話を創作したと思われる。ただ筒井伊賀守は外交の件を伯円には話さなかったようである。その理由として、筒井の実子であった下曾根金三郎の存在がある。下曾根はペリー来航当日、久里浜海岸で戸田伊豆守氏栄と共に砲術演習を行っていた。
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