年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

練馬大根碑文から

2010年08月11日 | 宅老のグチ
昭和の初め,大根の病気が蔓延し、生産量が落ちたとはいえ、昭和15年の産額8万樽は多い。一樽の大きさが4斗樽と思われるので中味の重量が60kgとなる。大根の仕上がりが1kg以下だと思うので練馬地区で栽培される大根の数量が500万本を超える。現在の九州での沢庵大根は1アールで1000本位といわれる。この計算でいくと練馬地区で50町歩の作付となる。計算していてもこの数字が本当とは思えない。
 今の九州の生大根の漬物業者向け価格で反収15万円以下であり、以前は芋焼酎ブームで作付が減っていたが焼酎のブームも消息し、再び大根に農家の意欲が向かっているようだが残念ながら売れ行きが良くなく、作付制限になりそうである。仮に反収15万円とすると大根1本15円とすると1万本が1反(約10アール)の量となる・練馬の大根の計算の面積は50町歩となる。種の販売のデータでは4000粒/1反というのもあった。昔の練馬大根は太かったので1反当たりの本数は少ないはずである。どの数字が当時の練馬の大根面積だったのだろうか。今のうちに長老に聞くしかない。昔のことを知っている人が90歳を超える事となる。
コメント
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