年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江東区史 上巻 586ページ

2010年08月22日 | 福神漬
江東区史 上巻 586ページ
亀戸村 書上帳(文化2年1805)
五穀(米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・大豆)以外の作物として18種類あったがその中にナタ豆がある。しかし明治11年の東京府志料では消えている。既に作物としてのナタ豆の効用が終わったということなのだろうか。それにしても幕末、いや江戸時代江戸という都市でナタ豆という作物に何か栄養摂取という意味以外、例えばまじないとか何かの言い伝えがあったのだろうか。明治という時代はかなり西洋の新しい作物が日本に導入されたし、また武士という消費者が消えた。さらに地方から上京して来た人達には江戸の旧い言い伝えは伝わらないものもあったと思われる。その中にナタ豆の消えた理由があるように思える。
 しかし福神漬には最初からナタ豆が入っていた。
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