今では絵でしか残っていない『三河島菜』と言う漬物用の野菜があった。江戸時代の産物帳には今では消えてしまったかまたは呼び名の変わってしまった日本各地の産物があった。細かく記述されている植物は細かい観察がなされていた。
江戸中期享保年間に丹羽正伯という人が日本各地の動植物をそれぞれの地域ごとに『産物帳』としてとりまとめた。しかし江戸近郊の文献はなかった。
三河島菜の明治中頃までは東京の漬菜として代表していたが中国大陸から日本に入り定着した白菜が東京市場を占めるようになり、何時の間に消えてしまった。あぶらな系の野菜は交雑しやすいので純粋な系統を保つのは難しい。『武江産物志』に東京近郊には普通の産物としてなた豆があったが明治になるといつの間に消えてしまったと思われる。そして福神漬の中に残り、いまでは『なた豆茶』として復活しようとしている。幕末から明治にかけてナタ豆にはどの様な効用が伝えられていたのだろうか。
江戸中期享保年間に丹羽正伯という人が日本各地の動植物をそれぞれの地域ごとに『産物帳』としてとりまとめた。しかし江戸近郊の文献はなかった。
三河島菜の明治中頃までは東京の漬菜として代表していたが中国大陸から日本に入り定着した白菜が東京市場を占めるようになり、何時の間に消えてしまった。あぶらな系の野菜は交雑しやすいので純粋な系統を保つのは難しい。『武江産物志』に東京近郊には普通の産物としてなた豆があったが明治になるといつの間に消えてしまったと思われる。そして福神漬の中に残り、いまでは『なた豆茶』として復活しようとしている。幕末から明治にかけてナタ豆にはどの様な効用が伝えられていたのだろうか。