年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

前に読んだ本から

2014年06月17日 | 福神漬

 

黒船来航以前の海外情報収集のことを書いてある本を読んでいたとき、吉田松陰が黒船を見るため浦賀に行ったとき、町の噂話の記述の中に砲術指南の下曽根金三郎が切腹の場所と思われた寺院を清掃するように指示したと言う話があった。浦賀奉行戸田伊豆守氏栄は昌平坂学問所で幕府の歴史を編纂していたので、過去の史実から切腹の準備をしていたと思われる。過去の史実とはフェ-トン号事件で切腹した長崎奉行の想定したのだろう。もし浦賀でペリ-の圧力に屈せず砲撃戦となったら、彼我の武力装備の差を知っていた浦賀衆の敗北は間違いなかった。この武力装備の差は下関戦争で後に証明された。

 戸田氏栄と下曽根金三郎はどの様な関係だったのだろうか。ここに嘉永3年10月末に江戸で撲殺された高野長英の関係が関わってこないと後の自由民権家花香恭次郎の養子の縁組の合理的説明が出来なくなる。

コメント
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