年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ジャガイモ

2014年06月19日 | 築地市場にて

岩手をつくる人々 森嘉兵衛著

岩手県水沢出身の高野長英のことの別の角度から見た本だった。高野が参加した尚歯会は天保の飢饉の対策のための会合として発足したようだ。ヨーロッパではアメリカ大陸から来たトウモロコシとジャガイモが飢餓対策の食物となった。日本では飢餓対策の食物としてサツマイモが普及したが、ジャガイモはなかなか普及しなかった。

 イギリスの隣にあるアイルランドがジャガイモの普及で飢餓の心配から開放され人口が増えたという。しかしジャガイモの病気で大不作となり、困ったアイルランド人が新大陸アメリカに移住をするようになったという。江戸時代の北日本でもう少し早くジャガイモが普及していたら日本の食文化は今と違っていたかもしれない。

 しかし米を重視する日本では明治になっても米作を重視し、ついに今では北海道まで米の産地としてしまった。

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