平時は想像もできないが戦時には許される治療基準がある。負傷した兵士が部隊の医療状況を見て治療するかしないかの判断をさせられる。そして生き残った人の話が伝わる。死去した人の話は画一的に戦争だからダメだったと伝わる。遺族もそれで納得する。まだ遺骨や遺品がある方がマシだったと想いで慰霊する。
これが平時だと大いに悩む。ガン治療で次々と抗がん剤が効かなくなり、保険の利かない薬の投与を医者から相談させられる。高額療養費制度があっても、10万円以上越した治療費は所得税から引くことが出来で税金分が戻ってくるが、納税額が少ないと還付の恩恵も少なく、貯金が減る。そして長いガン治療で金銭が底をつきそうになる時、抗がん剤治療断念の決断時期がやってくる。患者が若ければ若いほど進みが早く、決断時期も早くやってくる。ここでそれぞれの人生観が問われる。
死ががん治療の終了を告げたとき、遺族が心残りが出ないのは心が崩壊したことが基準になるだろう。100歳で亡くなった親族の葬儀は喪服での宴会だった。棺桶に蓋して釘を打った時、葬儀で親族が涙した。これで長い介護の別れの涙だったと思う。あとはお骨になってもそれぞれご苦労さんという雰囲気で親族の宴会となった。過去の思い出話で笑い声があってもだれも不謹慎ということは無かった。
イタリアのコロナ感染で医療崩壊が来たようで、戦時基準で治療するという。80歳は外れる。日本の80歳以上は最近の統計では1100万人で男400万人、女700万人となる。