前の赤坂迎賓館見学企画が休館の確認を怠り失敗した。その時は大江戸線国立競技場前駅で降りて、スマホで検索し、たどり着いたが休みでそのままJR信濃町方面に歩き、都バスで帰った。今回は大江戸線青山一丁目で降り、約18分ほどで観光客用の入り口に歩いて着いた。予約しないでもすぐに入れた。手荷物検査の後、建物内と庭園見学を選択し、1500円の支払い。ここはどうもカ-ド払いは別の所のようだ。明治の終わりの頃の設計なので車いす見学はたぶん無理だろう。キンキㇻ金の室内。何か欧米建築文化に劣等感があったと感じる。まず庭園散歩で下谷の三菱岩崎邸の巨大なものしたと感じた。現役の外国からの賓客の接待となるが、プーチンロシア大統領就任式の印象があって、時代遅れの感がする。やはりアメリカ大統領が車から歩いてゆく光景が好きだ。テロを恐れない。
庭園散歩後に前園を見て、建物の中に入る。迎賓館の建物の入り口は庭園に行く途中にあって、入り口で入場券の確認と中はスマホでも撮影禁止だという説明を受けた。室内のTV報道があるのにと思いつつ、廊下のいたるところに監視カメラが見えるように設置されていて、いたずら書きを監視していると感じる。今は工事中ということで正門から出る。そこで正門の警備している人にこの周辺の地図のありかを聞いたが知らないという。次にJR以外の乗り場所を聞いたが知らないようだった。種明かししてシルバ-パス利用で歩き回っているというとなっとくしたように笑った。仕方なく来た道を戻らず赤坂見附の方に向かい、元赤坂に出る。赤坂豊川稲荷に参拝しようとしたが参拝方法に疑念があって、何人かの参拝方法を見ていたがマチマチで今回は参拝見送り。
家で伏見稲荷で調べると『本殿の前まで来たら、鈴を鳴らしてその清浄な音で清め、賽銭は投げずに近くから静かに入れます。そして「二拝二拍手一拝」の作法でお参りします。まず約九〇度腰を折って二度深く頭を下げ、次に二度拍手を打ちます。
静かに心中で祈願をした後、もう一度頭を下げます。本殿での参拝を済ませた後、各末社や奥社奉拝所、稲荷山といった境内各所を巡拝するのが正しい参拝なのです。 』
静かに心中で祈願をした後、もう一度頭を下げます。本殿での参拝を済ませた後、各末社や奥社奉拝所、稲荷山といった境内各所を巡拝するのが正しい参拝なのです。 』
これが愛知県の豊川稲荷の参拝方法では『手を洗い口をすすぎ衣服を整え姿勢を正します。
合掌し「帰命頂礼(又は南無)豊川枳尼眞天(キミョウチョウライトヨカワダキニシンテン)」と唱えて拝礼します。
上記の2を3回繰り返します。
「尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(オンシラバッタニリウンソワカ)」と21回(7回でも可)唱えます。』
合掌し「帰命頂礼(又は南無)豊川枳尼眞天(キミョウチョウライトヨカワダキニシンテン)」と唱えて拝礼します。
上記の2を3回繰り返します。
「尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(オンシラバッタニリウンソワカ)」と21回(7回でも可)唱えます。』
またある人の説ではこの参拝のしきたりは明治政府が決めたもので、気にすることはないという。本質は敬うことのようだ。ということで今回の参拝見送りも失礼ではないことにする。
事前に青山で高野長英の隠れ家の碑があることを事前に調べていて、南青山5-6-23の所のビルの柱に埋め込まれているという。そこで赤坂から国道246号線を渋谷に向かって歩く。表参道駅付近の信号が南青山5丁目となっていて、付近の地図で高野長英の隠れ家の碑が見つかった。その後JR渋谷駅が近いので歩いてゆくと青山学院大学図書館新築工事現場に出会った。そういえば刀豆の民俗的文献発見は共古随筆から始まる。山中共古牧師の最晩年の仕事は青山学院の図書館長だった。渋谷駅方向に行くと間も無く下り坂に出会い、渋谷駅のバス停まで行った。歩数は15000歩。晴天、適度な寒さ。
三宅坂の田原藩生まれの渡辺崋山との長英最後の地との距離は1時間ほどの歩行距離となり、そして新春に三宅坂国立劇場で遠山桜天保日記が上演される。校倉作りの劇場の見納めとなる。日々風景が変わる東京。全ては耐震で正当化される。