2023年1月の今の国立劇場で最後の出し物の中に遠山桜天保日記が上演される。そこで福神漬調査の中で南町奉行だった時期の不可解なお裁きで気になっていたので調べなおした。この芝居は明治26年11月の上演で竹柴其水が取材創作したもので、戦後にも上演されて、最後の上演は2008年に三宅坂国立劇場であった。
歌舞伎文化の救世主と言われる北町奉行時代の遠山景元(金さん)が最後の演目として選ばれたようだ。新国立劇場の構想では何かコロナの影響からか劇場維持のため上層階はホテルのような施設を入れ運営が安定されるように計画となっていて、雰囲気が今までと変わる気がする。官庁街にかぶくという気風に会う施設となるのだろうか。
遠山桜天保日記で、おもとが『只今は押上の最教寺の後ろに方に、一人で暮らしています。』
このセリフが舞台の筋の脈絡から外れいていて、何か其水の思惑があると思い、墨田区の曳舟図書館で資料を出してもらったが、関連性のある文献は見当らなかった。タダ出された明治期の最教寺の地図には隣接して大雲寺という寺院があった。そこで業平3丁目の所へ行く途中の道路標識に大雲寺(役者寺)跡というものが目に付いた。この大雲寺は関東大震災以後、今の江戸川区瑞江に移転した.1931年。都営新宿線瑞江駅で降り、10分弱で大雲寺にたどり着いた。この地域は区画整理が出来ていて、わかりやすい。大雲寺は瑞江の葬祭場の前で、一度得意先の葬儀で行ったことがある。瑞江葬儀所は、東京都江戸川区春江町にある東京都が運営している火葬場である。1938年昭和13年より。ちなみに都営新宿線瑞江駅開業が 1986年(昭和61年 )それまでは江戸川区でも僻地だったおもわれる。
大雲寺の山門の前に江戸川区教育委員会の役者寺の説明文があって、歌舞伎役者の墓地が多いとあり、そして説明板には墓地の位置まで明示されていて、五代目尾上菊五郎の墓に参拝できた。どうやら墓石が破損していて、どこかの震災の影響があると感じた。関東大震災ならば移転まで墨田区で保管されていたのだろう。
その後シルバ-パス利用で同じく都営新宿線菊川駅A3出口に出て、駅前の道路地図を見て確認し、遠山景普・景元と長谷川平蔵の屋敷跡の丸山歯科医院に行く。東京都墨田区菊川3丁目16−13。駅からの 距離は100Mもない。歯科医院の前にやはり墨田区の教育委員会の説明版があった。帰途にA3出口の前にバス停を見つけ行く先確認したとこと京成東京スカイツリ-駅に行く都バスだった。今日の工程は全部シルバ-パス利用なので交通費は無し。
なお今度の国立劇場遠山桜天保日記の主役は尾上菊五郎である。次の新国立劇場のこけら落とし公演でまた遠山桜天保日記が上演されないのだろうか。