年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

父の命日はクリスマス

2022年12月25日 | 宅老のグチ
12月25日の早朝に父が亡くなった。67年前となる。
だからクリスマスは長い間祝ったことはない。当然キリスト教信者には無縁だった。ところが福神漬の調べごとをしているとキリスト教と付き合うことになる。不思議な感覚。
 タクワン漬はどちらかというと神道か仏教となる。茶道からタクワン漬が普及したこともあって禅宗系の知識が必要となる。さらに香の物という言葉から香道の知識も必要で、初期の香道で嗅覚のマヒをリセットするため味噌漬系の漬物を使ったようだ。言葉の始まりから香の物となったのは想像だが高級感を出すためだろう。
 良く漬物の文献として引用されるのは延喜式と言われる。養老律令(りつりょう)に対する施行細則を集大成した古代法典 で贈答品とか献上品のリストに漬物が出て来る。しかしそれらの漬物が一般の食生活とは想定できない。なぜなら庶民の文献がない。奈良等の文化財の発掘でも食品のモノは少ない。穀物類しか出てこない。だからと言って漬物が無かったとは言えない。塩分が必要で保存食を造るには一番簡単な方法が塩漬である。
 明治の漬物 福神漬はやはり旧幕臣のネットワ-クから始まり、それが缶詰に入り、日清戦争から先の大戦までの軍需食品として一般の家庭に入った。旧幕臣はキリスト系で行く先を見つけた人が文献に残る。
 築地4丁目の所に新喜楽という料亭がある。年二回芥川賞・直木賞の審査がここで行われる。明治の初めに大隈重信が料亭になる前に同じ場所で住んで、いた時があった。これが築地梁山泊と言われた。明治3年頃の出入りしていた人物 伊藤博文・渋沢栄一・五代友厚・山口尚芳・前島密・大江卓等で明治の骨格を議論していた。その前の江戸時代は幕臣戸川家の敷地だった。5000坪もあったという。新政府に没収された戸川残花の屋敷だった。『旧幕府』は明治三十年代に刊行された雑誌 で戸川残花が編集者となっている。築地銀座は結構キリスト教の発祥地となっている。
 参考資料
油売る日々 明治の文人 戸川残花の生き方
 目時美穂著
コメント
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