年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

消え物.  劇場での観劇

2022年12月18日 | 宅老のグチ
芝居等で舞台上で本物の食べ物を消え物と言うようだ。自宅転居で家が狭くなり、物を買えば同じ容積のモノを捨てねばならない。今回の転居の先には介護施設への入居も考慮しているので、ツイの住処の広さはせいぜい6畳一間くらいしかないと感じる。そこに私物のモノを保管するとなるとはぼ何も増やせないことを実感する。
 家人が日フィルの年末のコンサ-ト(第九)のコンサ-トへ行った。3年ぶりというがどうも戻ってきた時に話したがベート-ベンの第九は合唱が命なのにマスク姿で歌っていたという。本当なのか信じられない。あれだけの多人数ならばコロナ・オミクロン型は簡単に練習中から感染拡大となる。何か劇場に行くことは演技者も観客も連帯でオミクロンに対抗する行為と感じる。家人の出かけるときの言い訳で3年蟄居し我慢の限界にきて出かけたようだ。
 来年の国立劇場の遠山桜天保日記のチケット購入決断が出来ていない。コロナの感染拡大が続いていて、無理して行かなくてもいいと思いと、後15年は遠山桜天保日記の再演がないと思う気持ちもある。今生の見納め。年末は亡くなった人の懐古の時期でもある。
 もうネット予約開始して数日たつが初日以外はチケットが残っていて、さらに歌舞伎以外の落語等が12月の席が余っている。やはりコロナ感染が高齢者は怖いのだろうか。
 関西の阪急電車の梅田発の終電が11時台になるようだ。電車の込み具合の減り方も激変している。チョット前の勝ち組も対処を誤れば負けになる。2022年は間も無く終わる。
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