年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の隣でトンネル工事

2012年11月04日 | 築地市場にて

環状2号線の工事が築地市場の隣で始まって1ヶ月ほどになる。大型の建設機械が設置されたので広い新大橋通りも狭く感じる。ちょうど築地市場の青果門付近から地下から地上に出るようだ。浜離宮前の高速道路の橋げたも撤去され今では柱しかない。周囲が工事現場となっても一歩築地市場内に入ると静か過ぎる。
 まだ地下まで掘ってはいないが蓋をしていないので隣の市場から進行状況を覗けるようだ。昔と違って建設にたずさわる人より交通整理の人が目だつ。地下を掘れば何かが出る。米軍ランドリーの跡地に近いし、海の遺物も出そうだし、何が出ても不思議ではない。焦って工事しているのは何故だろう。築地市場の下には大名庭園が埋まっている。
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江東区の中川船番所へ

2012年11月03日 | 築地市場にて

久しぶりに江東区の中川船番所に行ってきました。江戸の物流の関所だった中川番所は日本橋と千葉行徳との間を結ぶ船便の要所でした。
 もちろん福神漬関連で新資料というものがないかの確認でもありました。帰路東京湾ゲートブリッジを寄り道して渡りました。遥か千葉から木更津まで見え、海ホタルの駐車場まで見えました。
 船番所資料館では江戸時代後期から関東地方で酒つくりが盛んになったという。関東各地で造られた酒は本行徳で積み替えられ、江戸に向かったと言う。キッコーマンの茂木啓三郎さんが行徳で酒の工場を醤油に変えたのもこのあたりの理由かもしれない。
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11月21日名鉄グランドホテルで講演会

2012年11月02日 | 築地市場にて

今では記憶から消えてしまった終戦直後の関西の食卓の賑わしていた信州早漬沢庵の講演会が11月21日名古屋の名鉄グランドホテルである。今は観光地と知られている八ヶ岳山麓の開拓地は終戦直後中国から引き上げてきた農家で開拓された。昭和21年から長野県全体で早漬沢庵製造が始まり、昭和24年には長野県経済連の取扱高が1億3000万円となり、夏場の大阪市場の沢庵占有率の70%を占めていたという。昭和の30年代になると大根の連作障害が発生し産地が移動した。今では別荘地となっている清里あたりもほんの少し前には大根の畑だった。今、終戦直後の苦労話を語ることの出来る人が70代以上となってしまった。
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築地市場に雷駆-T3

2012年11月01日 | 築地市場にて

築地市場の中にある自動車修理のところに光岡自動車の雷駆がやってきた。これはターレーと同じ機能があって、100kgの荷物がつめる電動自動車である。周りでは豊洲移転へ向けて動き出すことをヒシヒシと感じる。約130万円ほどで電動自動車購入の補助金を考慮に入れると100万円を割ると言う。この電動車で豊洲から銀座方面の疾走する姿を見ることが出来るだろう。最高時速は40kを越えるという。
正式名称は側車付き軽二輪車と言い、二名の乗車で普通免許で運転が出来る。車庫証明不要という。豊洲は広いので十分使えるだろう。
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