年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ミャンマー漬物紀行6食べ物

2012年11月18日 | 宅老のグチ

食品業者の団体で漬物業者ほど発展途上国へ行く機会の多い業界は少ないだろう。これは戦後農政の食品加工業への政策が弱かった結果から来ている。従って旅慣れた同行者の行動は実に嗅覚が優れていて要点をしっかりと抑えている。水は一番要注意でホテルのペットボトルの水も詰め替えの危険があるので要確認となる。私はもっぱらビールで水分を取る。ある人は歯磨きも生水を使わないと言う。ビールは殆どミャンマービールで一回だけ生ビールを飲んだ。途上国味覚通と言える漬物業者の舌をうならせたミャンマービールはアジアで一番うまいと言う評判は本当だった。
 ミャンマーの食事はどの料理も辛い味でインド風、タイ風、中華風などの料理があるが時間が経つと記憶から消え料理の区別が付かない。辛いキムチでさえ甘く感じる。食物禁忌があるはずだが何も記憶がなく、鳥肉が多かったような記憶がある。日本から持参の漬物が出てきたりするのも当たり前らしい。旅行日程が厳しいのにしっかり短い時間にホテル周辺の調査をするとは恐ろしい。
ミャンマーの気候は3季である。2月下旬から4月にかけて酷暑季、5月から10月初めまで雨季、10月中旬から2月下旬まで乾季となる。日本人にとって心地よいのは11月から2月までだろう。特に海抜1000Mを越えるシャン高原の気持ちよさはヤンゴンの暑さから比べると天国のようだ。夏の東京と軽井沢と思ってよい。そんな国が今発展しつつある。今まで自給自足していた人々がヤンゴンに集中して住みはじめれば食の購入へ向かうか外食しかない。夜12時過ぎまで営業している食堂を見ていると治安が良いため女性でも食事をしているようだ。これはヤンゴンホームレスのなりそこないの観察である。
 レストランで調理されて出てくるものは全て熱を通していて、その材料は乾燥した素材が多かった気がする。干し野菜、干し納豆などがあり、日本食の源流と意も言える中国雲南に近いので比較的食することが出来る。
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ミャンマー漬物紀行5ドタキャンーホテル

2012年11月17日 | 宅老のグチ

旅行は英語でトラベルというがトラブルとよく似ている。ミャンマー初日の悪印象ともいうべき予約ホテルドタキャン騒動があった。旅の終わり頃、経緯を旅行の添乗員から聞くと、宿泊当日にエアコン設備故障で数部屋が使用不可能になったと言う口実で他のホテルに泊まってほしいと言われた。しかし、裏事情ではダブルブッキンで価格の安い宿泊者を追い出そうとしたようだ。仕方がなくホテルで紹介された同ランクというホテルへ全員で深夜になりつつあるヤンゴン市内を走った。ところがバスを降りることなく、どう見てもヤンゴンラブホテル(あるかどうかわからないが日本風の発想で)クラスだった。結局ラブホテルもどきの前で再度ドタキャンホテルと交渉し数人が分宿ということで初日は決着した。ヤンゴンホームレスになるところだった。私が泊まったドタキャンホテルはヤンゴン45ホテルの中では40位という。部屋のバスは生ぬるい湯でシャワーとお湯が同時に出る。アリが室内にいて蚊もいたようだ。ある人の部屋のベッドにバッタがいた。窓ガラスが薄く、道路からの騒音で眠れなかったという。
 こんなホテルでも取り柄があって、WIFIが次のホテルよりよく通じた。安いホテルではインターネットをする人が少ないようだ。次のホテルは本当のホテルだった。ヤンゴン五つ星ランク セドナホテル(SEDONA)。このホテルになった理由は今でも不明。一泊20000円をはるかに超えるホテルに変わった。ミャンマー観光省の圧力という添乗員の説明だが裏事情はまだわからない。
 観光客の急増しているヤンゴンでは金の力で急な宿泊を頼むことがあるようだ。ドタキャンされた方はたまらない。韓国系と欧米系の人が他のホテルの住所を書いた紙をもらって、タクシーで行ったようだ。
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ミャンマー漬物紀行4 ビルマの竪琴

2012年11月16日 | 築地市場にて
アウンサンマーケットで
途上国では観光客に物売りが集まる。改革開放されたばかりのミャンマーでは驚くほど物売りが少ない。ヤンゴンのアウンサンマーケットは服飾を中心としたマーケットで宝飾製品が多い。長いスカートのような『ロンジン』と呼ばれるものは足首を出さないほどの長さで靴下をほぼ全員履いていないことを知ったのは寺院参拝の時だった。外国人だけが靴下をはいていた。
 同行者がマーケットでミャンマー民族楽器である竪琴を買った。日本円で1万円だった。小ぶりの琴もあったがおもちゃのようだった。日本で同じような雰囲気のある商店街は上野と御徒町の間にあるアメ横という感じである。市場の雑踏から離れて人の流れに沿って出てゆくと駅があった。プラットフォームの高さはほとんどなく、日本の市電感覚である。改札口もなく、ミャンマー数字で時刻表で書いてあるのでどのくらいの間隔で運行しているのか解らない。ただ路線図らしきものがあって山手線のように環状線になっているようだ。PHA YAR LAN駅のYOU TUBEの画像をみると飛び乗り飛び降りが可能なスピードで走行している。ヤンゴンセントラルステーションから4分ほどで行ける隣の駅である。

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ミャンマー漬物紀行3 商工会議所での会議

2012年11月15日 | 宅老のグチ
ヤンゴンはミャンマーの公称人口6367万人の一割の人口を占めさらに集中化している。首都は移動したが現実の経済を動かしているのはヤンゴン経済である。我々が予約した11時に会ったのは商工会議所の副会頭であった。彼らの日本の漬物業者に対する期待は想定以上だった。農業国で国が発展するときいかに緩やかに農民の生産性向上を図らねばならない。
 ミャンマー商工会議所副会頭に今度の日本の漬物業者の団体のメンバーは生姜、梅干、ニンニク加工の製造トップ企業が参加していると伝えた。様々な会話からミャンマーのヤンゴンを除いた地域の労働者の所得は1日200円ほどであると言う。米の1エーカー当たりの農民の希望収入を聞いたら3万円ほどで旅行参加者が日本式の反収に換算するとずいぶん安い価格が出た。米は長粒米だが二回取れるので十分日本米を栽培しても輸出してゆけるかもしれない。メロン類の収入は手間がかかるので1エーカーでは30万円ほどとなるという。
ミャンマーの農産物果物類の輸出金額の多い順に並べるとマンゴー、マスクメロン、スイカ、バナナで全体の半分以上を占める。マンゴーの売上金額は13millionn (USD)である。
ブドウや梅もあり、ワインを製造しているところもあって試飲したが発展途上という評価だった。マンゴーの輸出先はシンガポールと思われる。1ドル80円とすれば10億円程度である。日本の生姜漬原料で5から6億円程度中国タイから輸入している業者が多数ある。ミャンマーの商工会議所がビックリする金額である。
日ごろ日本の農林水産省から訳もわからない統計資料の提出を求められていたが実際ミャンマーの農林水産業の統計は漏れが多そうで国境が陸地と言うことは日本の感覚ではなじめない。
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ミャンマー漬物紀行2 ヤンゴン商工会議所

2012年11月14日 | 宅老のグチ

11月9日前日の宿泊トラブルで分宿となったため、早めにヤンゴンの商工会議所へ会議のため早起きする。
 9時より青果・果物.花卉などを扱う部会の副理事等との3時間の会議となった。全般的なミャンマー農業事情の説明から入った。全人口の60%ほどが農業に従事していて基本的には工業発展とともに農民の生活向上をめざし、日本へ農産物を輸出したいと思っているようだ。現状ではインフラの問題があり、乾燥した野菜しか輸出実績がなく、逆に高級な食品は隣国から入っているようだ。国内農業を発展させなければ他国のように人件費の安売りか天然資源を提供するしかない。アメリカと中国はミャンマーの天然資源を狙っているようだ。国境を接している中国は巧妙な手段を使って、ミャンマー北部の高速道路建設で道路わきの木材を伐採して、中国に持ち帰ったようだ。
 日本から遠いミャンマーから農産物を輸出するには塩漬けした漬物が有望である。どうやら農産物の統計が貧弱でミャンマーから生姜等がタイ経由で日本に入っていることは知らなかったようだ。同時に雲南省経由で日本に輸出されていたものがあって(コンニャク)今はミャンマーから日本商社を通して輸出するようになり、農民の手取りが増えたという。日本のスーパーのPB商品も作れるくらい設備が整っている。
 ミャンマー産の野菜はどちらかというと小ぶりのものが多く、日本向けの野菜にするには少し時間がかかりそうだ。梅の木もあって、接ぎ木すれば何とかなるだろうと同行の漬物業者が言っていた。
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ミャンマー漬物紀行1 幼稚園バス

2012年11月13日 | 宅老のグチ
11月8日より日本の漬物業者が最近の国際情勢に押されて、将来の漬物原料産地としてミャンマーに行った。ヤンゴン国際空港に我々を迎えたバスは日本のどこかで使用された幼稚園の大型中古バスで正面には幼児送迎のステッカーが付いたままである。ミャンマーの中古日本車は元の使用者の広告が載っているのが目立つ。ただ座席は大人用に直してある。どこの幼稚園だったのだろうか。車のナンバープレートは西洋数字ではない。Cの逆の視力検査のような記号はミャンマー数字の1で英語のJに似たのが数字の2となる。
 改革開放されたミャンマーに日本の中古車が7万台ほど入って、渋滞が目立つという。間もなくタイ・バッンコック並みの渋滞になるだろ。ただタイと違って自転車バイクがヤンゴン市内走行が禁止されているようでベトナムのような曲芸走行は地方でないと見れない。
日本の幼稚園バスだから右ハンドルである。ミャンマーは右側走行の国だから乗客は車が走っている側に降りることとなる。怖い。
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トンデモナイときのミャンマー朝帰り

2012年11月12日 | 宅老のグチ

12日朝タイ航空の成田7時半着の飛行機でミャンマーからの朝帰り。京成で新橋下車し10時過ぎ築地市場に入る。
 地震があった場所に数時間前に滞在していた。現地ではテレビを見ることもなく過ごしていたので日本からの安否を問い合わせが携帯電話に入って知る。ミャンマーでもタイに近い高原は野菜果物の産地でヘーホー空港に近い工場と産地集荷場を見学していた。
 とにかくミャンマーに対する外国人の急増で施設が間に合わず、予期せぬトラブルで日本人だけでなく韓国人も被害にあっている。圧しの強い欧米人でもインド人経営者のホテルが急にエアコンが故障ということで10部屋近くなくなったという嘘でよそのホテルに回された。オーキッドホテルと同ランクと言っていたが外見上ラブホテル並みのホテルだった。安い料金の客を追い出しているようだ。最高級と言われるホテルでもネットの回線数は多いがスピードは話にならないくらい遅い。これでは成田でルーターを借り出しても使えなかったかもしれない。あとで気が付いたのだが地震のあった日の翌日午前3時過ぎでもほとんどスピードが出なくIPADの地図が出なかった。ヤンゴンのいいホテルはネット利用客が多く、速さは期待できない。安さだけのホテルはネットの利用客が少ないようで五つ星のホテルより早かった。来週はオバマ米大統領がミャンマー訪問とかで警備が厳しくなりホテル事情が最悪となりそうだ。すごい時にミャンマーに行ったことになる。
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ヤンゴンのアウンサンマーケットで靴下を探す

2012年11月11日 | 築地市場にて
旅行カバンの中に靴下が入っていない。ヤンゴンの店で購入しようと探すがそもそも女性も男性も靴下を履いていない。長いスカートの下には生足しかない。男性はパンツを履かない人もあるという。よく観察するとやはり生足しか見つからない。寺院で靴を脱がないと入れないところで観察すると欧米人は靴下を履いているが現地の人は履いていない。
パガン行きのミャンマー国内線飛行機の女性のクルーはチラッと見せた足にはストッキングを履いていた。長いスカートを巻いている人が少しずつ減っているという。あの乗合のバスの混み方からずれたらなおせない。
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ビルマのホラごと

2012年11月10日 | 築地市場にて
長い一日。ヤンゴン商工会議所の生花、野菜部会の人達と午前中は会議。中国の現状から次の漬物産地を早急に見つけねばならない。
連続的に上昇する人件費は日本企業でも対策を取らねばやっていけなくなる。解放政策とったミャンマーと新規産地を必要としている日本企業とでは会議は長くなる。話しているとミャンマーには漬物はないようだ。あっても地産地消程度で少ない。治安が良さそうでフィリピンでの失敗は想定しなくて良さそうだ。漬物業界の新聞社が二社同行しているので帰国後記事となるだろう。明日は午前三時起きてヘーホーという町へ飛行機で移動する日帰りの強行日程で海抜センメートルの高原で韓国人経営の野菜工場を見学する。乾燥白菜を作って韓国に輸出している様だ。ミャンマーから生姜がタイに運ばれて漬物になっていると話したらヤンゴンの人たちは目を丸くしていた。そろそろ寝なければ明日は辛い。
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ヤンゴンのホテルで

2012年11月09日 | 築地市場にて
閉ざされた国に急に人が溢れたようでタイから飛行機も満員、たった一時間ちょっとのフライトで食事が出た。隣に座ったイスラム系の人がクルーにハラルか尋ねたがチキンというだけで結局食べない。
ヤンゴン国際空港は新しいが人が多すぎて大変。街の灯りが乏しく寂しい。去年の計画停電を思い出す。治安は良さそうで深夜でも女性が歩いている。まばらな街灯のしたで食事をできる店が深夜でも空いている。着いたほてるのらんく45ある中で40位と言う。ということでトラブルは発生。6部屋ほどダブルブッキングと言う。深夜の部屋探し。分割宿泊ということで妥協
ドコモとSoftBankの携帯はつながる。ただ料金体系は知らない40位のホテルでもネットは我慢できるほどのスピードで部屋の中で仕事ができる。ヤンゴンに向かう飛行機の中で韓国の青年が機内でギリギリまでパソコンを使っていた。中毒者だ。
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成田でWIFIを借りることに失敗

2012年11月09日 | 築地市場にて

成田第一ターミナルで借り出しを求めたが品切れ。年寄りの利点を生かして設定までテストしてもらう。あわててバンコックで原稿訂正。ハワイで使用したらIPアドレスが不審であるとメールが届いていた。位置情報を含め様々な情報が漏れているようだ。 8日の朝日新聞記事で築地市場の仲卸組合長の発言がどうやら移転容認となっているようだ。まだ汚染除去工事が進行中で移転が遅れることがあっても豊洲へ行きそうだ。これから行く人、やめる人の心の葛藤が始まる。
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通信事情の悪い国へ

2012年11月08日 | 築地市場にて

先月ハワイで8日から行く国のことをIPADで調べていた。携帯も電気も十分ではなさそーでもちろんWIFIもだめだと思っていた。念のため7日に調べるとずいぶん改善したようであわてて電源関係を調べてコンセントを現地に合うものを探す。
 同僚から『ナス』の状況を調査してと頼まれた。すでに中国産地でもナスの契約が価格の点で農家の採算が合わなくなって、契約量が減り、さらに契約農家数が減りちょっとした天候異変で収量が大幅に減ると言う。景気の良い中国では漬物用野菜栽培は年々難しくなっている。
 国産の漬物用特殊野菜の栽培農家数は激減している。世界各地で漬物原料を作っているがそのことで日本の農家をまた減少させている。難しい問題だが価格を優先する消費者には輸入原料を使用しなければ生き残れない。
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ひどい雨漏り

2012年11月07日 | 築地市場にて

設備の老朽化した築地市場の施設に11月の雨はこたえる。いつものところに置いてある物を動かして対応する。ゴミで詰まった雨樋からあふれて出ているようだ。レトロな施設に多分どこかで電話が不通となり苦労しているだろう。昔と違って携帯電話が普及しているので業務には支障はないがそれでもFAX等が使用できないのがこたえる。業務用エレベーターの故障、修理点検も頻繁でいつエレベーター事故があっても不思議ではない。業務用エレベーターは人間用と違って自動でドアが閉まらないので見た目で閉まっていても完全にドアが閉まっていないと動かない。下まで行ってドアを開け、乗り込み荷物を入れることが頻繁だった。築地市場の天井の高さは5M50あって階段の上り下りは大変である。立体の市場の動線の不便さはここに由来しているかもしれない。
12月に労災の講習会がある。築地市場の労災事故の大部分は設備の老朽化が原因である。物流設備が鉄道仕様となっているため不便で事故がおきやすい。
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旧暦が季節を

2012年11月06日 | 築地市場にて

漬物のおいしい時期を昔の人は旧暦で語っていた。今から京の千枚漬、関東のベッタラ漬のおいしい季節となる。ベッタラ漬は旧暦10月の恵比寿講の時期から始まっていた。今の11月中下旬からとなる。千枚漬は9月下旬頃から売り出しが始まる。聖護院大根がおいしくなるのは11月からである。京の漬物業者が言っていたことを失念したが11月のある行事の頃からおいしいと言っていた。
 戦後は空調の進歩で一年中快適な室温となっている。ただ外気温が自然のままだがそれでも都会では空調の排熱で昔と違った夏となる。季節の野菜もハウス栽培で冬でも夏野菜を食べることが出来る。どこが旬か不明となってしまった。フランスの新葡萄酒の解禁制度があるが日本でもこのような制度を作り、感謝祭を行うことはできないのだろうか?
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海外に再び出かけるため

2012年11月05日 | 築地市場にて

週末に東南アジアの最近の原料事情を見に行く。ここ何年かは中国だったが人件費の連続的上昇と漬物工場にはすでに高齢者(30代以上)の労働者しか集まらなくなった。この状態は高度成長期の日本でもあって、各漬物メーカーは産地、工場を移転させ対応した。今漬物業者が向かっている国はベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーである。意外とフィリピンへは向かっていない。何か困難な事情があるのだろう。
 ねずみは沈む船を去るという。数年前からの中国脱出準備が始まっていて、各国の港湾体制が整えば加速するだろう。すでに中国山東地方で作っている大根の連作障害の数値が危険値付近まで来ていると言う。次の海外の大根産地はどこになるのだろうか。
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