年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

暖かいので

2014年03月16日 | 築地市場にて
ふと青果門を見ると、暖かいので観光客がゆったりと歩いている。この気温なら冷蔵品はあまり長時間放置することはできないだろう。雪害が野菜価格に現れているが普段なら客寄せの青果の安売りだが消費税の改定による駆け込み需要であまり聞こえない。食品はあまり影響はないのだが高額品が売れているようだ。配送業者からの輸送の混乱があるので早めの手配してくれという。前回はそんなことがあったのだろうか。
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築地市場内の事故

2014年03月15日 | 築地市場にて

14日の遅い出勤で,所用があって築地市場内の郵便局に向かった。そこは旧時計台通りといって昔は築地市場の時間を示す時計があったという。跡形もない。通路に警備員が立って、なにやらトラックを動かしていた。遠目にゆがんだトラックが見えた。聞くと青果に来たトラックが荷台の屋根を上に開いたまま動かしたようだ。ウイング車という。開いた屋根の高さは5M近くなる。郵便局の建物と東京都の事務所の間にかかっている通路に激突したようだ。
 ウイング車の破損事故は結構見かけている。運転手が片側の荷物を降ろしたあと車両を動かし反対側の荷物を降ろす。この時持ち上げた屋根をおろさないで移動させる運転者がいる。運が悪いと激突することとなる。運転手は歩いている人を注意しているので後方上空はあまり見ない。フォ-クリフトでも結構同じ事故がある。とにかく築地は危険がいっぱいである。合言葉『生きて豊洲へ行こう』
13日の雨っぷり夜の事故はほぼ丸1日事故車が築地にあった。激突したのは郵便局の通路でなく、低いほうの通路だった。
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嘉永2年の小金原の鹿狩り

2014年03月14日 | 宅老のグチ
古くから牧(まき)として知られていた下総国小金原(しもうさのくにこがねはら)(現松戸市)で、江戸時代に4回(享保2回、寛政1回、嘉永1回)、将軍による鹿狩りが行われた。この時の史料が東千葉県の都市に多く残っている。かなりの人民が動員されたようだ
東房総の博徒勢力富五郎の取り締まりも(しし狩りの)時期だった。民衆に深く関係したため関東取締出役の力ではなかなか捕まえることは出来なかったがしし狩りの組織を利用して勢力を自害に追い込んだ。
最近中国でも同じようなことが行われたようだ。覚せい剤の取締りとか売春の取締りが見過ごされていた地域を国の政策を明確にし、庶民の不満をそらす意図を隠して行動したようだ。日本では博徒勢力富五郎一派の死後、房総地方を興業していた講談師が勢力らの事件を知り『天保水滸伝』という話をつくり、政府(幕府)のありざまを批判していたようだ。利用するときは利用し、不都合な存在になったら切り捨てることの結果はどうなるのだろうか。日本の歴史では各地に不満のやからが展開していった結果となっている。世の中が乱れるとき根本を正さず、対処法だけで対応するときさらに乱れか各地に展開し、治安状況が悪くなってゆく。関東取締役出役の下級役人として目明し(道案内)が主要な町村毎に任命され 幕末にかけてどんどん増えていったようだ。
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新市場始動の垂れ幕

2014年03月13日 | 築地市場にて

12日の休市日に青果立体駐車場の壁に垂れ幕が設置された。『築地から豊洲へ 新市場始動』と書いてあった。そのあと何の動物を模したのだろうか水色のキャラクタ-が描かれていた。一見アザラシのように見えるがクマモンもどきにも見える。タコにも見える。しかし断定できるものはない。築地を表す合成キャラかもしれない。まだまだ豊洲へ行くことを決めていない人が多いようで今後数ヶ月は悩みが続くだろう。何しろ江戸時代から続いている仕事を継続するかの判断をしなければならないのだから。豊洲ではどんな業種も集約されるのは必死で生きの来る残るのが大変と予想される。日本の人口が現実として減っているので海外からの観光需要を当てにするのだがナアナアの世界では付いてゆけないだろう。
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高野長英の自決のあと講釈

2014年03月12日 | 福神漬
福神漬のエピソ-ドを追いかけていると、様々な疑問が増える。千葉万歳村に行った高野長英の滞在がなぜ短かったのだか疑問であった。内田弥太郎の和算弟子であった花香安精のところを逃亡先として推薦したのだろう。当時の花香家は万歳で関東取締役出役の
改革組合村の親村で二人代表の一人だった、当然万歳村の(天保水滸伝)勢力富五郎の処理(嘉永2年)は大変だったと想像できる。勢力の自決後、二足のわらじをはいていた銚子の博徒にとって万歳村のとなりにあった農村の改革運動をしていた大原幽学が目ざわりとなる。そこで難癖をつけ、農村改革を挫折させようと図ったのではあるまいか。そこに関東取締出役からの情報が花香家のもたらされていたのではないのだろうか。嘉永3年のことである。内田弥太郎は浦賀にいて浦賀奉行戸田氏栄のもと、下曽根金三郎(筒井政憲の次男・元南町奉行)の下で働いていた。下曽根と内田は蛮社の獄関連で鳥居耀蔵から狙われていた。また鳥居と戸田氏栄は印旛沼干拓工事で仕事を共にしていたが、戸田は工事の困難さを直言し、駿府町奉行に配転させられた。(井関隆子日記)
 戸田氏栄の5男鉄丸が花香家に養子に行ったのもこのような経緯の結果と推測できる。高野長英が嘉永3年10月末に死去したとき、藤岡屋日記にも高野の逃亡を手助けした内田の咎めがなかったことが不思議であると記述がある。福神漬の由来を語った鶯亭金升は戸田氏栄の3男で火付盗賊改の長井家の養子となった。このことを斡旋したのが筒井政憲だった。
南町奉行、関東取締役出役、火付盗賊改の組織の連絡網があったと想像できる。
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築地市場の断捨離

2014年03月11日 | 築地市場にて

 3月10日正門巡視詰め所からある組織の社旗が水産のごみ置き場に捨ててあったという連絡があった。漬物は青果部の所属などで基本的にはごみ置き場は異なると回答した。もちろん社旗はあるがどちらかというと観光バスの道案内の旗で貴重品ではない。どこかの事業所が年度末ということで整理を始めたのだろうか。
 机の一番上の引き出しに、タイルの破片がある。3年前、目の前で崩落していた壁を取ってある。あの日はまだ忘れるには早すぎるし、断捨離ということで捨てるものの仲間入りには出来ない。あの日から45日ほど無休だった。今では気力も続かないが当時はそれでもみんなのために動いていたようだ。
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記録に残っていないが

2014年03月10日 | 福神漬

また本草関係の本を読み始めている。今では本草関係の著書に豆類の中に『刃豆』がほとんど入っていることに気がつく。本草は薬用になるものを探すことから始まっている。それゆえ刃豆が入っていることは何か薬効果があると思われる。しかし本草関係の文献には江戸時代から明治にかけてどんな薬効が信じていたか不明である。今では刃豆の薬効はある程度わかっているが過去はどんなことを信じていたか不明である。山中共古の文ではイマイチわからない。
日本の本草関係の本を読むと、中国の明時代の李時珍から引用が始まっているようだ。李時珍の本草本には『刃豆』の効能はどうだったのだろうか。これは漢方薬の世界かもしれない。
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物類称呼

2014年03月09日 | 福神漬
物類称呼 越谷吾山/著コシガヤ ゴザン
刃豆 なたまめ 九州及び四国にて
たちはきという。 
近世の方言辞書と利用されている本に数ある植物の中でどうして刃豆が取り上げてあるのだろうか。
越谷吾山は俳諧師であったという。江戸に集まった俳諧師によって全国の方言を収集したという。また本草学との関連もあって、中国の植物名と日本の植物名の同定は日本の本草学発展の歴史の特色でもある。ここに蘭学からもたらされた西洋植物学が加わってくる。刃豆の効能を調べているうちに不思議なところに来たようだ。南北に長い日本で季語を重視する俳諧にとって植物の方言を知る必要性があったという。
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こんな本を借りました

2014年03月08日 | 福神漬

鬼平犯科帳大研究 火付盗賊改方研究会編
火付盗賊改を調べるのに軽い本であった。四谷から新宿にかけて、御先手組組屋敷があったという。もちろんドラマだから史実に忠実ということはないので気持ちは軽い。しかしあまり史実を曲げると、ウルサイ聴取者から指摘もあるだろう。架空の人物で時代設定をあいまいにすれば何とかなるだろうが長谷川平蔵ということでは時代がある程度決まってしまう。火付盗賊改は比較的自由に捜査が出来るので、作家にとって便利な設定かもしれない。
 福神漬の命名の由来を語った鶯亭金升(長井総太郎)は幕府御先手組弓組の組頭の子孫で天保の時代、火付盗賊改は長井五右衛門昌純でした。昌純と同時期の南町奉行は筒井伊賀守政憲でした。昌純の死去後長井家の断絶を惜しみ、一人娘の養子を斡旋したのが筒井でした。
 長井家の墓地は明治末頃まで四谷の方にありましたが東京市の都市計画で、郊外に墓地を移すこととなり、当時はまだ郊外の地であった五反田本立寺に改葬となりました。この本立寺の住職は函館五稜郭の戦闘に参加した新撰組の子孫でした。
 日暮里の浄光寺にある福神漬顕彰碑の裏に名前がある山田箕乃助の親族に『喜兵衛』という人がいます。出典石井研堂(明治事物起源)彼は戊辰戦争最後の戦いで浦賀奉行与力だった中島三郎助と同日同場所で戦死しています。つまり五反田本立寺の先祖である新撰組中島登と喜兵衛は函館で会った可能性があります。喜兵衛の作った漬物を食べて戦闘に向かったのでしょうか。
 長井家に養子に行った人はぺり-が浦賀に来たとき、米国国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の3男でした(長井昌言)。ここからペリ-の黒船と福神漬の様々な話が始まります。
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フ-ド見本市のキムチの評判から

2014年03月07日 | キムチ

ようやく韓国も日本向けのキムチの販売量の減少に危機を感じているようだ。もともとキムチがソウルオリンピック前から日本での販売量が増えた分析がなく、結果追従だったため、いざ販売量が減少すると後手後手に回るようだ。これは多くの食品ブ-ムの後の現象と同じである。
 築地でもテレビで報道された飲食店が翌日には行列が出来て常連客が混雑で敬遠するようになると同じだ。ただ築地市場は飲食店の新規参入がないので仕方がなく時間が経てば元に戻る。最近ではマンネリ化した番組つくりで築地場内の飲食店もテレビに出る回数が減ったようだ。
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高齢男性の行き所

2014年03月06日 | 宅老のグチ

漬物の文献を探して、関東各地の図書館から色々なところに行くが都会ほど高齢男性が朝早くから図書館で本・新聞を読んでいる姿が目立つ。安定した行きどころがないように思える。このままだと貴重な経験を無駄にしているようだ。もちろん今の技術進歩で年寄りの繰言は進歩がないようだが古典の本を読んでいると時代や地域が異なっていても役に立つことがある。古典の本が生きている人に何かを伝えようとしていることである。
 墓地に行くと昔は恐ろしかった。今は墓石に刻まれた墓誌を読んでその人が生きた時期を想像する。とにかく生きていた記録がある。有名で歴史に刻まれた人が小さい墓碑で今では忘れ去られた人が巨大な墓碑だったりしていることがある。碑文はたいてい読み解くことが難しく解説文に頼ることとなる。
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かちどき 橋の資料館

2014年03月05日 | 築地市場にて

築地市場のはずれにあって、勝どき橋の資料を展示している。ここは年寄りの思い出を呼び起こす橋の資料館のようだ。週4日しか開いていないので訪問したとき満員であった。狭い電気室を改造してあって、100人近くの人が入ると通路もなく狭い。驚くことはさらにあって全ての人が70歳以上の人で男性が大部分であった。高齢者の男性が行くべき場所となっているのだろうか。結構な人気である。無料でメカニックの所が高齢男性の行き場所なのだろうか。じっくり時間がたっぷりあるので全ての映像を見て懐かしんでいるようだ。
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分裂休市前

2014年03月04日 | 築地市場にて

昨年から始まった東京市場の分裂休市。青果部が休みで水産部が開市という。今年は2回ほどある。どうせ水産部も暇だろう。刺身だってツマがなければ寂しい。築地場外市場には水産部のための青果通りがある。3月消費税増税前の駆け込み需要もなく静かなことだ。昨年暮れから続き商品価格改定も最終段階になってきたようだ。値上げ量目減少の案内も少なくなってきた。3月で3件ほどの得意先が閉鎖となる。節目の年かもしれない。高齢単身世帯の増加で少量パックに向かっているようだ。
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クリミア戦争

2014年03月03日 | 宅老のグチ

黒海のクリミアが危険な状態になっているが1853年ペリ-が浦賀に来た頃、クリミアがイギリス・フランス等の国とロシアが戦争状態になっていた。ペリ-の後、伊豆下田にロシアが開国通商を要求してきた。安政の大地震の大津波で船が破壊された。帰国を急ぐロシアは急遽船を日本で建造することとなり、下田に近くて外洋から発見されにくい戸田で造る事となった。ロシアが急いでいた原因はクリミア戦争で東洋でも戦争状態になるのを恐れていたためでした。今遥かかなたの地で紛争が起きているが何時アジアに紛争が回ってきても不思議ではない。日本の危機感の薄さは極東ということかもしれない。
 戸田の地で本格的外洋航海出来る帆船が日本初めてで建造した。この時多くの船職人が養成された。東京水戸藩石川島造船所に勤めた人も多い。この辺りの話がどう福神漬の逸話に絡むかは解らない。
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誤字が多くて

2014年03月02日 | 築地市場にて

かな変換で誤字が多くなってもそれらしい変換のため、チェックが漏れる。昨日もそうだった。あまりの可笑しさで今日は笑ってしまう。疲れが出ているようだ。一年で一番注意しなければならない日(2月28日)を無事過ぎて油断したらしい。この日は一番倒産が多い日で意外と年末年始は少ない。1月はまた夜逃げが多かったが最近では弁護士さんを利用して倒産することが多い。とにかく3月に入った。
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