402
■ 所用で長和町(小県郡の長門町と和田村が合併して誕生した町)へでかけた。役場の近くで火の見櫓を見かけた。細身な櫓で上部のブレースにフラットバーが用いられているのは東信地方の火の見櫓の特徴。
方形(ほうぎょう)の屋根の避雷針のくるりんちょな飾りとわらび手。
■ 「三日坊主」、この言葉から連想する言葉を10人に訊けば、4、5人は「日記」と答えるのであるまいか。
私はダイアリーに仕事の予定や結果、生活の記録など書きこんでいるが、もう30年以上続けている。ここ何年かは天気や毎朝量る体重、飲酒の有無などの基礎的なこと(?)も記録している。飲み会などは参加者も記録している。
もう老化した頭では覚えていることができないから、例えば明日A社のBさんに電話しなくてはならないとすればそのことも簡単な記号で書きこんでいる。ダイアリーなしでは明日すべき仕事や友人との約束などが分からないから生活できない。数日前にしたことも覚えてはいないし・・・。旅行にもダイアリーを持って行く。
写真のように、私はダイアリーに展覧会のチケットなども貼って残しているから、年末などに1年を振り返るのには便利だ。まあ、その程度のことでしかないが・・・(以前もブログに同じことを書いた)。
10月にダイアリーの所在が半日くらい分からなくなったことがあったが、その時はかなりあせった。見つかったからよかったが。
電子手帳で仕事などの管理をしている人で、手書きのダイアリーに戻す人が増えていると、先日ラジオで聞いた。私はダイアリーの余白に簡単なスケッチをすることもあるが、このようなことにも電子手帳は不向きではないか。
既に来年のダイアリーにも新年会の予定などを書きこんでいる。
ダイアリーに記録、記録はこれからも続くだろう・・・。
2986
秋のフォトアルバム 火の見櫓の背景に黄葉した落葉松林を配した。
長野県朝日村にて 撮影日121125
■ 里山の落葉松が黄葉している。 この漢字をあてるのがいいのか、紅葉とすべきか、まあ色からして黄葉でいいだろう・・・。日の当たり具合で木々が黄金色に輝いて実に美しい光景となる。
マルコ・ポーロは東方見聞録で日本を黄金の国ジパングとヨーロッパに紹介したそうだが、黄金色に輝く稲穂の波を目にしてそのように評したのだという説や、宮殿や民家が黄金でできていると聞いて、それを伝えたという説があるようだ。このことを証拠立てることができるのかどうか・・・。私は心情的には前者を支持したい。
落葉松が黄金色に輝く里山の様を見てもそのように評することになったのかもしれないとも思う・・・。
■ 高卒40周年の記念行事が行われたことは既に書いた。2、3年の時の担任だったI先生は80歳を超えるご高齢にもかかわらず大変お元気で、式典と懇親会にご出席いただいた。
当日受付で先生は私に手を差し出して握手を求めて下さった。40年も昔の出来の悪い教え子のことを記憶しておられることに驚きと感謝の念を抱いた。
私が撮った写真をお送りしたところ、昨日(16日)お礼の手紙と本を2冊いただいた。
川端康成の小説は文庫で何編か読んだが、ノーベル文学賞受賞記念講演の全文『美しい日本の私』/講談社現代新書は読んだことがなかった。また島崎藤村も長編の『夜明け前』はじめ、やはり文庫で何編か読んだが、『藤村詩抄』/岩波文庫は読んだことがなかった。
『幕末史』半藤一利/新潮文庫を読み終えたら、送っていただいたこの2冊を読もうと思う。
2979
塩尻市宗賀の火の見櫓
撮影日 121113
■ 119番 消防署への通報番号に因んで11月9日から15日までの1週間は秋の全国火災予防運動の期間だった。期間中、写真のように広告塔と化した火の見櫓を見かけた。
塩尻市宗賀の火の見櫓にも赤いフンドシのような(おっと、このような品のない表現はやめよう、だが他に何に喩えよう・・・)垂れ幕が掛けられていた。消防団員が火の見櫓に登って掛けたのだろう。
こんな様子から、火の見櫓が今も地元住民と関わりを持っていることが知られ、何だかうれしい。
火の見櫓に取り付けられている銘板には寄贈者と共に、施行者の若林鉄工所という名前が記されている。残念ながら、施行年月は記されていない。
『日本の思想』 丸山真男/岩波新書
■ この本に収録されている「「である」ことと「する」こと」という論文は確か高校の教科書に載っていた。具体的には書かないでおくが、思うところあって、この論文のみ再読した。1980年の3月に読んで以来32年ぶりの再読だった。
**自由人という言葉がしばしば用いられています。しかし自分は自由であると信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになるために、実は自分自身のなかに巣食う偏見からもっとも自由でないことがまれではないのです。逆に、自分が「捉われている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向」性をいつも見つめている者は、何とかして、ヨリ自由に物事を認識し判断したいという努力をすることによって、相対的に自由になり得るチャンスに恵まれていることになります。**(156頁)
引用したこの文章の中の言葉を適宜別の言葉に置き換えることで、人生訓として読むことができるだろう・・・。
筆者注:本文中の傍点をアンダーラインとした。
2977
ホテル翔峰にて 撮影日 121110
■ このところ火の見櫓の記事ばっかりで「繰り返しの美学」について書いていなかった。だから、母校で記念式典を終え、ホテル翔峰で懇親会が始まるとき、この光景を見ていても、しばらく繰り返しの美学だとは気がつかなかった(ああ、何ということだ)・・・。
「繰り返しの美学」は建築を構成する要素を、その属性(大きさ、形、色、材質など)を変えることなく等間隔に直線的に並べるという単純ではあるがタイトな条件によって秩序づけられた状態には美が見いだせるということ。
対象を建築に限定しない、構成要素の属性を変えることも認める、等間隔という条件をルーズにする、直線的という条件をはずして例えば平面的に繰り返す、このようなことも認めるというように条件を緩和するといろんなものが「繰り返しの美学」の対象となる。この宴会場の様子のように。
高卒40周年の集い
■ 時の流れは早いもので高校を卒業して〇年が経った。
昨日(121110)母校の講堂で記念式典が行われ、その後会場を市内のホテルに移して懇親会が行われた。実行委員として式典の受付をしたが、さて誰だろう・・・。中には高卒以来初めての再会という旧友もいた。
式典会場の講堂前で受け付けの準備をする実行委員
恩師の挨拶(授業)
名刺を渡した旧友。
25 Nさん
Nさんのエッセイ集(新聞などに投稿したエッセイを1冊の本にまとめたもの)を読んだのは2年前のことだった。ブログにそのことを書いたが、彼女はその記事を偶々読んで以来、拙ブログの読者だと聞いた。高校の時、物理の授業で一緒だったということ以外のことは忘却の彼方・・・。クラスが違ったから、話をしたことが無かったかもしれない。
Nさん、これからもこのブログをよろしくお願いします。
26 Yさん
Yさんとはクラスが一緒だった。今回の記念事業の実行委員を一緒にした。懇親会の2次会で名刺を渡した。彼女とは今月末の実行委員会でまた会うことになるだろう。
27 Nさん
Nさんとは高校だけでなく中学も一緒だった。何年ぶりの再会か分からないが、あまり変わっていなかったから、街で偶然会ってもたぶん分かっただろう・・・。
28 N君
高校入学直後の自己紹介の時、担任のO先生の提案でクラスの全員が歌を歌った。彼が「浜辺の歌」を歌ったことを何故か覚えている。他の同級生も同様の歌、そう中学の授業で歌うような歌が多かったのではないかと思うが、ボクは黛ジュンの「天使の誘惑」を歌った(アチャ~)。
29 S君
S君が昨日(10日)の式典の受付に杖を突いて現れたから驚いた。訊けば大学で学生たちと野球をしていてアキレス腱を切ったとのこと。
S君お大事に。
青春の思い出を共有する同期生との再会はとても懐かしく、懇親会では大いに飲み、大いに語り合った。2次会後、同室となった同級生のN君、S君らと夜中まで飲んだ。寝たのは1時半過ぎではなかったか・・・。
卒業して〇年が経った。皆個性が際立ついい顔になっていた。
逝きにしし三年(みとせ)の夢をしのびつつ 夕べの丘に迷う時
あかね色なす星屑は われらの上にまたたきて
遠き思ひを語るかな (祝記念祭歌より)
■ 8日、駒ヶ根へは中央道を使わず、国道153号線で行った。もちろん途中で火の見櫓観察をしようという目論見で。また火の見櫓・・・、などと思わないでお付き合いください。
1 伊那市福島の火の見櫓。なかなか整ったフォルムだ。脚部の形もよい。 400
屋根の骨組みはがっしりしていて、丈夫そう。
2 これは同じく伊那市、上牧の火の見櫓。全形は整っているが、脚の部分が1の火の見櫓とは違う。
両者の脚を比較するとやはり1の方が美しい。 401
脚部としてのデザインがなされておらず、櫓部分のブレースがそのまま脚部にも用いられている。残念!
1、2とも山浦鉄工所の製作。火の見櫓を数多く手掛けている鉄工所だから、細部まで洗練されている。
399
撮影日 121108
■ 駒ヶ根市内で所用を済ませての帰路、駒ヶ根インターの近くの北割で見かけた。火の見櫓の後継、防災無線柱とのツーショット。櫓はかなり錆びた状態、そのうち撤去することになるのかもしれない。
屋根の骨組みがよく分かる。なるほど、こうなっているのか・・・。反りのついた方形の屋根の骨組みにもいくつかの組み方があると思うが、これはその一例。隅木(木造の呼称)をそのまま伸ばして蕨手にしているものもある。
踊り場に設置されている手回しのサイレン。初めて見た。
銘板に北割耕地(地名)と、昭和三十一年三月建設、それから山浦鉄工所製作建設と記されている。南信地方には山浦鉄工所で製作された火の見櫓が多い。調べてみるとこの鉄工所は大正9年の創業で現在のヤマウラ(建設会社)の前身。
398
上伊那郡中川村にて 撮影日121108
■ 今日(8日)は所用で駒ヶ根まで出かけた。少し足を延ばして中川村へ。そしてこの火の見櫓に遭遇した。そうか、確かにこれでも機能的に問題は無いな、と納得。
火の見櫓を構成する要素はそれほど多くないのに、デザインは実に多様だと実感する。
まだまだいろんなタイプの火の見櫓がボクを待っているだろう・・・。
397 富士急行線の都留市駅前に立っている火の見櫓 撮影121104
■ 今月4日、別荘からの帰路偶然見つけた。駅前広場に車を停め、急いで全形を撮った。4角形の櫓に4角形(方形)の屋根と見張り台。オーソドックスなタイプの火の見櫓。反りのついた屋根に飾りつきの避雷針と4隅の蕨手。櫓内に収まった踊り場、短めの脚。
この火の見櫓を紹介しているブログで昭和41年9月の建設だと知る。
■ 『「大発見」の思考法』山中伸弥 益川敏英/文春文庫 読了。ノーベル賞を受賞したふたりの科学者の対談(ただし、対談が行われのは山中氏が受賞する前)。できれば高校生に読んで欲しい。
さて、11月の読書、まずは『幕末史』半藤一利/新潮文庫。
**黒船来航から西郷隆盛の敗死まで。波乱と激動に満ちた25年間と歴史を動かした男たちを、著者独自の切り口で、語り尽くす。**本書の折り込みチラシの紹介文より引用。
2969
■ JR大月駅から国道139号線を通って富士河口湖町にあるKG山荘(仮名)へ。途中で見かけた火の見櫓を撮った。本稿では全形写真を載せるに留めておく。所在地は正確に分からないので記載を省略する。
山梨県内にも火の見櫓が数多く存在するという印象を受けた。
393
防災無線のスピーカーとアンテナが付いている。梯子が櫓の外に設置されていて、踊り場もないから、昇り降りは怖いだろう。水平ブレースにリング式ターンバックルを使用している。
防災無線塔
394
395
脚部が短い。
396
端正なフォルムの火の見櫓
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実にユニークなフォルム!
火の見櫓 みんなちがって みんないい!