透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

偶然の出会いの意味

2007-07-31 | A あれこれ

■ ノンフィクション作家(という肩書き)の柳田邦男さんは、かつて航空機事故の際にはNHKの解説委員としてテレビ出演して冷静に事故の解説をしておられた。客観的な事実のみを分析して明快なコメントをしておられたことを覚えている。

その柳田さんが先日信州岩波講座で行なった講演の要旨が今朝の新聞に載っていた。柳田さんは息子さんを亡くされたのを契機に生命や終末医療についても積極的に発言されるようになった。

科学的な視点から航空機事故を論じておられた柳田さんが、**家のなかにも神棚も仏壇もなくなり、手を合わせて祈るということが日常生活から消えつつある。それは日本人にとっての危機ではないかと私は思う。**と語っておられる。科学だけでは幸福感を持てないと主張している。

柳田さんは**人間の命や死は、科学で見ると一律だが、関係する人の立場によって全く違ってくる。**とも語っておられる。科学とは別のアプローチをすることによって命や死が全く違った様相を呈するというわけだ。

「それは非科学的だ」というコメントには科学的でないから信頼できない、というニュワンスが含まれる。しかし「科学」は万能ではないのだ。

科学的には意味の無い不思議な偶然を無視しないことが大切だと柳田さんは主張している。「偶然にも意味がある」ということになるのだろう。 

今夜は「偶然の出会いにも意味がある」ということを考えてみよう。


名は体を表しているか

2007-07-30 | A あれこれ

「名は体を表す」

名前が先にあって、名前に相応しい体、つまり中身をつくる場合もあればその逆、即ち先に中身があってそれに相応しい名前をつける場合もあるでしょう。

親が子どもに名前をつける場合、こんな人に成って欲しいという願いを名前に託すことがありますが、これは前者の例といってもいいかもしれません。

新しい商品を開発したときそれに相応しい名前をつけるというのは明らかに後者の例です。その具体例として避難器具の「タスカール」(→助かる) http://www.naka-kogyo.co.jp/prd/27.html や太陽熱を利用した温水器(だったと思いますが)「湯(ユ?)ワイター」(→湯沸いた)などを挙げることができます。安易なネーミングだとも思いますが、まさに名が体を表しているのです。

ところが特に最近では体を表さない名前、というのも少なくありません。横文字の名前をつけた会社などもその例です。具体例を挙げることはしませんが、すぐに何社も浮かびますよね。何をしている会社なのか分からない社名。

職業名を聞いてもその中身がよく分からないこともあります。「インテリアコーディネーター」、これは分かります。「フードコーディネーター」となるとなんとなく分かるけれどうまく説明できません。「ライフスタイルコーディネーター」も然りです。

肩書き社会については批判的な見解もありますが、依然としてそれが実体でしょう。従って名刺にも職業などの肩書きが不可欠といっていいでしょう。もちろん名前だけで肩書きの無い名刺もありますが、それは例外。

他人にきちんと自分を認知してもらい、仕事を理解してもらうためにはその中身を的確に表す名前をつけることが、この国ではやはり重要なことだと思うのです。

さて、自分の「仕事の総体を的確に表現する名前」がなかなか見つからないということもあります。友人でまさにそういう人がいるのですが、やはり前述の理由で職業名、仕事名を付けた方が良いと思うのです。コーディネーターには違いないのですが、コーディネートする対象が広範なため、「〇〇〇コーディネーター」の〇〇〇が見つからないのです・・・。肩書きをいくつも並べた名刺も見かけますが、どうも私は好きになれません。

こんな時は、例えばアルファベット3文字の会社名のようになんだか分からない職業名をつけて注目を引くというのも手かもしれません。

でもこれは、ちょっと無責任なコメントかな・・・。


空間デザインの鍵とは

2007-07-29 | A あれこれ



 ブリヂストン美術館の「ジョルジェット」で村上春樹の短編集『中国行きのスロウ・ボート』中公文庫を少し読んだと既に書いた。この短編集のことは小川洋子がエッセイ集『博士の本棚』でとり上げている。

さて、本題。

このティールームが好みの空間だったことも既に書いた。好みの理由を挙げればシンプルで端正なデザインといったところか。床は無垢のフローリング、その周囲を大理石で縁取りしていた。壁と天井はペンキ仕上げ、やや黄色を帯びた白、いやクリーム色と書いた方が伝わるかもしれない。そしてシンプルな照明。決して長居をしたくなるような雰囲気ではなかったが、ピンと張り詰めた空気がよかった。

ティールームの雰囲気を規定するもの、もちろん床、壁、天井、家具、照明などの建築構成要素が大きく効くだろう。でも他にも窓外の景色やそのときの天気、食器のデザイン、BGM、メニューリストのデザイン、店員の服装や振る舞い・・・、コーヒーの味も関係する。

丸の内オアゾの丸善、その4階のカフェ(名前は覚えていない)の雰囲気も好きだが、両者は共通している。それは、藤森さんが説明した「白い空間」に属するということだ。抽象的な空間だが、私なりに喩えれば定規を使って引いた線で構成された空間と表現できる。抽象度には差があって「ジョルジェット」の方が高いが。

藤森さんの説明を借りれば白の対となるのは「赤」。ものの素材感に因っている空間のことだ。こちらはフリーハンドの線というか面で構成された空間だといえるだろう。このような空間を創る代表選手が藤森さん自身というわけだ。

メニューリストのようなものも含めてトータルにきちんとデザインされているところはいいトータリティ、これが空間(別に空間に限ったことではないだろうが)デザインの鍵、そう思う。

ところで、好みというのは単純ではない。私は「白」にも「赤」にも魅力を感じる。先に挙げたふたつの「白いカフェ」の他にも居心地が良くて半日くらい本でも読んでいたくなるような「赤い喫茶店」(カフェはどうも白のイメージだ)にも今回出合った。低い天井、レンガ積みのエントランス、暗めの照明、アンティークな柱時計、壁にディスプレイされたお皿・・・。時がゆっくりと流れているような空間、こちらも好き。

写真は「ジョルジェット」のコースター、シンプルで空間の雰囲気にあったデザイン。トータリティとはどこまで気配りができるか、ということでもある。

追記:「赤」と「白」に関して伊東豊雄さんは「白は妹島に任せた。おれは赤に行く」となにやら運動会のようだがそんな宣言をしたとか・・・。


 


東京でアートした記念

2007-07-29 | A あれこれ



 チケットを私はダイアリーに貼ってとっておきます。



 青木繁は1882年に生まれて1911年に亡くなっているんですね。夭折した画家だとは知りませんでした。この写真は今回の展覧会のパンフレットを撮ったものです。「海の幸」は青木が22歳のときの作品。10人の裸体の男たち(正確には9人の男と1人の女)がサメを担いで歩いて行きます。ひとりだけこちらに白い顔を向けていますが、この女性は青木繁の恋人だとか。



 上:展示作品の佐伯祐三の「テラスの広告」の絵はがき。
 下:スーラの例の有名な絵、「〇〇日曜日の午後」(〇〇は覚えていません)が立体的に見える優れもの。



 昼と夜


 


週末東京でアートする

2007-07-29 | A あれこれ





いせや JR中央線 吉祥寺駅から徒歩10分

 「昼間っからビール」で休日気分!時の流れから取り残されたような昭和な空間。隣りがスタバっていうのも、その「取り残され感」が強調されているような雰囲気だ。

以上1日目  以下2日目


ブリヂストン美術館 東京駅八重洲口から徒歩5分

青木繁の「海の幸」アート情報がそれ程ストックされていない私もこの作品は知っていた。

作品はかなり横長、本などで紹介される場合、中央部分しか掲載されないこともある。こんなに未完成な様相だったのか・・・。もっとキッチリ描きこんだ油絵というイメージを持っていたが、特に両サイドは透明水彩でさらっと描いたというような印象。


Tearoom Georgette ブリヂストン美術館1階

シンプルかつ端正なデザイン、知的な雰囲気のテールーム。テーブルの上のコードペンダントが印象的だった。本の表紙にうっすらと写っているのがその照明器具。オアゾ内の丸善で買い求めた村上春樹の最初の短編集を少し読んだ。この空間は彼の作品に似つかわしい。



東京国立近代美術館 東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分

民族、歴史、風土・・・ブレッソンの写真は一瞬にしてこれらを切りとってみせる。「決定的な瞬間」に立ち会うことが出来るのも才能か・・・。


 


複合汚染が変えた人生

2007-07-25 | A あれこれ


『複合汚染』 この小説は昭和49年10月から翌年6月まで朝日新聞の朝刊に連載された、と解説にある。新潮文庫に納められたのが昭和54年、その年の6月に私も読んでいる。

作家有吉佐和子はこの長編小説によって工場廃液や合成洗剤、化学肥料、除草剤などによる環境の複合汚染、自然と生命の危機に警鐘を鳴らした。

昨晩「プロフェッショナル」に登場した吉野隆雄さんはこの本に衝撃を受けて化学肥料も除草剤も使わない農業を始めたという。雑草と格闘すること10年、その間コメの収穫量もかなり少なかったらしい。その吉野さんがアイガモ農法と出会う。アイガモが雑草を食べ尽くす、その糞が肥料になる。この農法の実践も失敗の繰り返しだった。だが吉野さんはポジティブに考える、「失敗の数だけ、人生は楽しい」と。

経験に基づく言葉は重い。この番組に登場する人たちの言葉に感銘し涙することもしばしばだ。

加齢とともにますます涙もろくなった私にとって、「プロフェッショナル」は涙番組だ。

週末の車内読書はこれ

2007-07-23 | A 読書日記



 村上春樹を巡る旅もようやく最後の長編『ねじまき鳥クロニクル』に到達した。当初長編小説に限定していたが、途中で短編小説に寄道したりもした。

この作家は短編より長編の方がいいような気がする。そう結論付けるにはもっと多くの短編を読まなければならないだろうが。

初期3部作はどうも読みにくかった。文字の上を目がすべるだけで物語が立ち上がってこなかった。ところが先日読んだ『国境の南、太陽の西』などは随分読みやすかった。僕が村上春樹の小説に慣れたということなのか、それとも小説の方が変わってきたのか。どうも後者のような気がする。今となっては初期3部作がなつかしい。

ところで、不思議なことにあることに関心をもつとそのことに関係することが次々と表れてくる。

月の満ち欠けと生命体のリズムとはシンクロするということに関心をもっているのだが、それに関係したことが『ねじまき鳥クロニクル』にも出てくる。

**馬というのは肉体的にも精神的にも、月の満ち欠けに非常に大きく影響される動物なんだ。満月が近づくにつれて、馬の精神波はものすごく乱れるし、肉体的にもいろんなトラブルが出てくるんだ。**

自分が関心を持っていることが小説に出てくるのはうれしいことだ。

**ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことなのだろうか。** 

こんなことを<僕>が考えるが、僕もこのことには関心を持っている。小説のテーマとどの程度関わるのか未だ分からないが・・・。

この長編がこれからどんな展開になっていくのか。今週末、また電車の中で読むことにしよう。


「まつもと」の位置付け

2007-07-22 | A あれこれ

■ 雑誌「新建築」の2004年7月号に「まつもと市民芸術館」が載っている。同誌に設計者の伊東豊雄さんが「ピュアな美しさより生き生きとした楽しさを」という長文を寄せている。また藤森照信さんの「塀の上の伊東さん」と題する伊東建築に関する評論も掲載されている。

伊東さんは自作をきちんと語ってくれる数少ない建築家の一人。また藤森さんは伊東作品を高く評価する建築史家というか建築評論家。少年時代を信州諏訪で過ごしたという共通体験をもつ二人は仲良し、友達だ。だから藤森さんの伊東さんの作品の評価についてはそのことを考慮しなくてはならないだろう。

高過庵/藤森照信


ある雑誌の確か表紙だったと思うが二人が高過庵(写真)の窓から笑顔を出している写真を見た記憶がある。

伊東作品や藤森作品については以前拙稿をこのブログに何回か載せた。そのときに二人の論文を読んでいたかどうか記憶が曖昧だ。「新建築」は毎号きちんと目を通しているつもりだから読んだとは思うが・・・。

**私は「せんだい」まで薄く軽い透明度の高い皮膜によって内/外の境界を消失させようと考えていた。しかし薄さと軽さに執着すればするほど、逆に境界は大きな存在として私の前に立ちはだかってきた。つまり、そのとき建築は抽象的な存在として、環境から自立してしまうのである。透明性の罠であり、ミース的近代建築が本質的に内包する矛盾である。**

続けて伊東さんは**「まつもと」のGRC板のように「もの」の具体性を失わない素材を用いた途端に、この矛盾から解放されたように感じたのだ。(中略)ピュアな透明さへの希求がこんなにも自らを呪縛していたのかと痛感せざるを得なかった。**と書いている。

GRC板:例のあわあわな壁のこと ガラス繊維で補強されたセメント板

既にブログに書いたことだが内藤廣さんは環境から自立した近代建築を宇宙船のようだと批判した。宇宙船と聞くと具体的には妹島さんの「金沢」をイメージしてしまう、内藤さんがそれを意識したのかどうかは分からないが。伊東さんも「せんだい」までは「宇宙船建築」の旗手のひとりだった、と評してもいいだろう。

その伊東さんが、きちんと自作を分析評価して方向転換したのだ。その転換後の第一作が「まつもと」ということになる。「まつもと」もコンペの段階では外壁は「透明」だった。それを実施設計の段階で「あわわな壁」に替えたのだ。伊東さんの柔軟な姿勢はやはり凄いと思う。頑なに自分のスタイルを変えないことの方がむしろたやすいのではないか。

藤森さんはこの伊東さんの変化を抽象性を求める白派から実在性に立つ赤派へ越境し始めていると評している。ただ完全な越境ではなくて、赤と白の境界の塀の上を歩いているというわけだ。


まつもと市民芸術館のワインレッドな主ホール/伊東豊雄

藤森さんは**その赤がいかにも伊東らしくきれいに吹き出したのが「まつもと市民芸術館」ということなんだろう。赤を通り越して赤黒い私としてはとてもうれしい。**と書いている。

伊東さん、このホールの「赤」って、「白」から「赤」への転向表明なんですか? ワインを飲んでいて思いついただけっていうことだったりして。

追記:「赤ワインで酔っぱらったような感じ」。これが伊東の最初のイメージだった。 
   『にほんの建築家伊東豊雄・観察記』に出ていた。


アサッテの人を読もう

2007-07-18 | A 読書日記
 第137回の芥川賞と直木賞の受賞作品が決まった。

今回から芥川賞選考委員に小川洋子と川上弘美が加わった。女性の選考委員は他に高樹のぶ子と山田詠美。男性は石原慎太郎と村上龍、あと誰だっけ。思い出せない・・・、調べてみると池澤夏樹と黒井千次それに宮本輝だった。

このメンバーで一体どんな会話が交わされたんだろう。なんとなく今回は女性陣が主導権を握ったような気がする。川上弘美と小川洋子、ふたりの好みの作品に違いない。

「文藝春秋」に芥川賞受賞作品「アサッテの人」と選評が掲載されるはずだ。読んでみよう。

地殻は風船の膜と同じ

2007-07-17 | A あれこれ

 昨日(16日)発生した新潟県中越沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

今回の地震で倒壊した家屋の下敷きになるなどして9人の高齢者が亡くなられました。本来、人の生命や財産を守るために在る建築で大地震の度に今回のような災害が繰り返されます。残念でなりません。

地震は地殻の変動によって発生するということですが、この地殻の厚さってどの位でしょう。調べてみると薄いところで5、6km、厚いところで60km位です。地球の直径は約13000kmです。

地殻の厚さを30kmとして電卓をたたいてみると、地球の直径を30cmとした場合には地殻の厚さはたったの0.7mm!

昨年の夏に映画化されて話題になった『日本沈没』で作者の小松左京はこう書いています。**人間は、この直径一万二千七百キロメートルの岩石質の惑星の表面の、薄皮の上にのっているのだった。文明も、歴史も、生物のいっさいの歴史も------大洋底で、わずか厚み5キロ------地球半径のたった千二百五十分の一の厚み------直径五十センチの風船の、〇.二ミリの薄膜!**

こんなに薄い膜の上で人は生活しているんですね。ところで教科書などに載っている地球の断面のイラストでは地殻の厚さがデフォルメされて随分厚く表現されています。強固な地殻の上で生活しているというイメージを抱いてしまっても仕方ありません。

地殻は決して厚くはない、極めて薄いという認識が、地震国日本ではどこでも大地震が発生するということをリアルに理解するのに必要なのかもしれません。


 


最後の長編の前の寄道

2007-07-16 | A 読書日記



『博士の愛した数式』はベストセラーになって映画化もされた小川洋子さんの小説だが、この小説は小川さんの「本流」の作品ではない、と思う。

小川さんの作品は登場人物が日本人なのかそうでないのか国籍不明、舞台も日本なのか外国なのか判然としない。そう、翻訳小説のような雰囲気が漂っている。

『薬指の標本』がフランスで映画化される(された?)と知っても別に違和感を覚えなかった。その作風からごく普通のことのように思われた。

さて、この『国境の南、太陽の西』もおそらく村上春樹の作品の中では本流には属さない小説だろう。暗喩に満ちた彼の一連の作品からは遠い。

主人公の始(はじめ)と作者を重ね合わせて、人気作家となった彼自身の、そのような状況の否定と作家としてのありようを模索する姿をそこに見るということも可能かもしれない。

でも、この作品を通俗的な恋愛小説と読んだとしても、それはかまわないだろう・・・。初恋のひと、島本さんとの再会と別れ。この小説に僕はそれ以上のものを読み取ろうとは敢えてしなかった。どのように読もうとそれは読者の自由だ。

常識的な結末ではあったけれど、恋愛小説としても出来のいい作品だろう、熱心な春樹ファンの評価はそれほど高くはないだろうとは思うが・・・。

それにしても始の前から消えてしまった島本さんはどうしたのだろう、彼女の消息が気になる。

『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ノルウェイの森』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『国境の南、太陽の西』
『ねじまき鳥クロニクル』
『スプートニクの恋人』
『海辺のカフカ』

『アフターダーク』

これらの長編小説、いよいよラストは『ねじまき鳥クロニクル』だがその前にちょっと寄道をして『TVピープル』を読むことにする。




たかが絵本されど絵本

2007-07-16 | A 読書日記


『みちの家』 子どもたちが「家(建築)」と向き合うために企画された絵本シリーズの1冊。建築家の伊東豊雄さんが自身の建築論を小さな子供たちに分かりやすく伝えようとつくった絵本。

「白いみちの家」「チューブの家」「大きな巻き貝の家」「ワープするみちの家」「音の洞窟」などと題して伊東さんの代表作品がとり上げられ、平易に設計意図が説明されていて興味深い。ちなみに「チューブの家」というのは「せんだいメディアテーク」のこと。

『羊男のクリスマス』 羊男がクリスマスのための音楽の作曲を依頼された。期間が四ヵ月半もあって楽勝に思われたのだが・・・。一向に曲が出来ない羊男が羊博士に相談すると、呪われているのが理由だと指摘される。「呪いがかかれば、羊男はもう羊男ではなくなってしまうんだ。君が羊男音楽を作曲できん理由はそこにあるのだ。うん」

羊博士の指示に従って、呪いを解くために家の裏の空き地に穴を掘った羊男。穴に落っこちた羊男がつぎつぎに出会う人や動物たち。トンネルや森を抜けて、最後に到達した部屋では・・・。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に雰囲気が似ていなくもない。

登場人物や状況設定、ストーリーのプロットに村上春樹の小説のエッセンスが凝縮されていて、氏の構想する物語の理解の一助にすることができそうな楽しい絵本。

春樹旅行はまだ続く・・・。

春樹旅行の次なる作品

2007-07-15 | A 読書日記



『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ノルウェイの森』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『国境の南、太陽の西』
『ねじまき鳥クロニクル』
『スプートニクの恋人』
『海辺のカフカ』

『アフターダーク』

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を村上春樹の作品の中で一番好きだという人が少なくないようだ。

どうも私はこの小説に最後まで馴染めなかった。私の理解力、想像力をはるかに越えた作品、そう書くしかない。文字の上を目が滑っていくだけで物語が立ち上がってこない。ビジュアルなイメージとして物語が展開していかないと読み進むのがつらい。初期の三部作もそうだった。もう一度読むとすれば夏休みか。

春樹旅行も終わりに近づいた。当初は8月末までの予定だったから随分はやい、少しペースダウンして、寄り道していこう。

『羊男のクリスマス』という絵本も出てますよ。(中略)
|寄り道にぜひ。

友人のアドバイスに素直に従うことにする。


 


創刊80年の岩波文庫

2007-07-15 | A あれこれ



 ブログのテンプレートを変えました。いままでのものは1行の文字数がパソコンの画面の横幅によって変わってしまいました。大きな画面の場合にはちょっと1行が長すぎたのではないか。そう考えて1行の文字数が固定されるデザインのものに変えました。

文字サイズが少し小さくなりました。テンプレートによって文字サイズが異なるようです。今までの文字サイズは読みやすくていい、と以前ある方からメールをいただいていましたが、私はデザイン的に少し大きすぎると思っていました。

私の好みのシンプルなデザインにしました。テンプレートの選択にも好みがでますね。このテンプレートは自分でカスタマイズすることが出来るのです。試しにタイトルの文字の色を定義している数字を変えてみました。グレーになりましたが結局元に戻しました。パソコン音痴がいろいろかまわない方がいいでしょう。

  ***

さて今朝のNHKのTV番組「週刊ブックレビュー」の後半の特集コーナーは今年で創刊80年の岩波文庫をとり上げていました。1927年(昭和2年)7月に創刊された岩波文庫、今までに刊行された総数約5400冊。

ちなみにベストセラーは

5位 こころ
4位 共産党宣言
3位 エミール(上)
2位 坊っちゃん
1位 ソクラテスの弁明/クリトン


だそうです。やはり漱石はすごい作家ですね。

岩波文庫にはほとんど縁のない私ですが、ちょうど10年前 創刊70年を記念して刊行された「解説総目録」を買い求めました。岩波文庫の総体像を概観したかったからです。未だにほとんど目を通していませんが。

ところで先の番組で岩波文庫の初版本を全て収集したという方が紹介されました。岩波文庫を全て所蔵しているという方はそれほどめずらしくないのではないか、そう思います。でも全て初版で収拾した方、全て読了した方となると数えるほどしか居られないのではないかと思います。

やはり趣味は徹底しないと、そしてマニアな世界に入り込まないと・・・。川上弘美が好きなら彼女の本を全て収集して、全て読まないと・・・、出来ませんが。