透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

週末東京3 芸術の春

2009-03-30 | A あれこれ



 先週の土曜日、東京都美術館はそれほど混んではいなかった。やはりルーヴル美術館展の方が関心が高いのだろう。

19世紀の後半イギリスで興ったアーツアンドクラフツ運動、主導的な立場にあったモリスの作品の展示に注目。運動はヨーロッパ全土に広がりやがて日本にまで影響が及ぶ。キーワードは「用の美」。

斬新なデザインのワイングラス(オーストリア)、モダンな橇曳き法被(山形県)などに惹かれた。





 やはり人気の展覧会、入場まで約30分。注目はフェルメールの「レースを編む女」。あまりの混雑に早々に会場を後にした。





 以前から行きたいと思っていた原美術館へ。

渡辺仁設計の洋館。この建築の魅力を損なうことなくカフェなどが増築されている。

館内の床はすべて白と黒のストライプにテーピングされていた。イギリスのジム ランビー(この展覧会まで知らなかった名前)という若い作家の抽象芸術、奇妙な視覚体験。



 地域雑誌「谷根千」で有名になった谷中の本行寺の本堂で行われたコンサート。

「悠久雅響」

悠久の時の流れを感じさせる音色の二胡と雅な笙のコラボ。西洋の楽器の秩序づけられた音の調和とは全く趣きを異にする。

アンコールで演奏された「蘇州夜曲」、二胡の哀愁を帯びた音色、遠い記憶にあるような「なつかしい」音色がこの曲に相応しいと感じた。

コンサートに誘ってくれた東京の友人に感謝。


週末東京1 観桜

2009-03-30 | A あれこれ




 六義園(りくぎえん)についてパンフレットから引用。**五代将軍 徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主 柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した「回遊式築山泉水」の大名庭園**だそうです。

今年は日本庭園に注目。六義園のシダレザクラは満開でした。開園は9時、その直後に入園。既に大勢の人たちが見事なサクラをバックに記念撮影をしていました。

戦後の植栽だそうですが、高さ約13m、幅約17m、整った樹形。なかなか見事でした。ちゃんとピンク色に見えました。

庭園についてはまだ何も書けません・・・。白い花はコブシです。


雑記

2009-03-25 | A あれこれ

 どうも桜が昔より白っぽくなってきたような気がする・・・。そう思っているが、今朝ラジオ番組「日本全国8時です」で、森本さんが同じことを言っているのを聞いて驚いた。

ゲストのお天気キャスター森田さんは加齢とともに桜が白っぽく見えるようになるという調査研究があることを紹介していた。桜の花が白くなってきたのではなく、眼の機能低下に伴ってそう見えるようになってくる・・・。そうか、加齢のせいだったのか・・・。

 「たら」、「れば」はスポーツにはつきもの。特に野球はそうだと思う。イチローが延長10回に敬遠されていたら・・・。三振していたら・・・。打席がまわってこなければ・・・。ダルビッシュが9回、韓国打線をキッチリ押えていれば・・・。

それにしても10回、あの場面でセンターに打ち返したイチローはやはり凄い。

 日曜日の夜、「釣りバカ日誌」を見た。新聞のテレビ欄でマドンナが石田ゆり子だと知って、是非見ようと朝から思っていた。

彼女はときどき見せる寂しげな表情が魅力だが、映画でもそういう表情を見せる役どころだった。

 今日の朝日新聞朝刊で「ウィリアム・モリスをお見逃しなく。4月5日まで!」という広告を見た。今週末は東京で「芸術の春」。桜も見頃になっているだろう。


「間宮林蔵・探検家一代」

2009-03-22 | A 読書日記


■『間宮林蔵・探検家一代 海峡発見と北方民族』高橋大輔/中公新書クラレ

江戸後期にはまだ、大陸と陸続きの半島なのか島なのかはっきりしていなかった樺太、サハリン。間宮林蔵はそこが島であることを確認し、海峡に名前を残した。そのくらいしか知らなかった・・・。

厳寒の地への二度の探検はどのようなものだったのか、どんな生涯を送った人だったのか。

著者の高橋さんもまた、間宮林蔵探検の地に二度の探検を試みている。そして間宮林蔵の探検が成功した理由を見出す。それは**言葉も文化も異なる人々が彼の力になってやろうと思うほど、彼は異国の社会に馴染んだ。**ということだった。

生涯独身を通したといわれる間宮林蔵だが北海道に末裔がいるという。間宮林蔵はアイヌ女性と結婚していたというのだ。第六章「血族」にそのことが出てくる。

シーボルトが日本から持ち出したという間宮林蔵直筆の地図がカラーで紹介されていて興味深い。樺太の北半分やアムール川(黒龍江)はあまり形が正確ではないが、間宮林蔵の探検が困難を極めたことがそこに表れているように思う。




吉村昭が小説を書いていた。絶版になっていないといいのだが・・・。




春の馬籠

2009-03-22 | A あれこれ

「夜明け前」の舞台、馬籠に梅が咲くころ出かけようとY君に声をかけていた。

20日、木曽路を南へ、馬籠へ。参加したのは前回の酔族会の2次会で1杯のワンタンメンを分けあった3人。

途中、贄川で日本でたったふたつしかない郵便ポスト(←過去ログ)を同行の2人に紹介。日義で中山道の中間点の石碑を見る。南木曽町で桃介橋を渡ってみる(前々稿)。



春の馬籠、満開の梅の花。



昼に食べたそばにのっていたふきのとうの天ぷら。田舎の味、素朴な味。ふきのとうの苦味の成分には新陳代謝促進、肝機能強化、疲労回復などの効果があると今朝の新聞に紹介されていた。

馬籠宿は山の尾根の急斜面にある。石垣を積んで平らに造成した敷地に木造2階建て平入りの建物が並ぶ。建物の切れ間から残雪の恵那山を間近に望む。





藤村記念館を見学する。馬籠宿の建物は明治と大正の大火で焼失。本陣で唯一残った隠居所。南向きの日当りのいい2階の部屋の雛飾り。

展示室で藤村の原稿や蔵書、家族の写真などを興味深く見る。

裏手の小高い丘に建つ永昌寺に藤村の墓を訪ねる。父親や夭折した娘たちの墓石、そして島崎春樹と彫られた墓石にそっと手を合わせる。



帰りに奈良井宿に立ち寄る。藤村ゆかりの旅籠、徳利屋(←過去ログ)でお茶でもと思ったが、既に閉店。残念。川上弘美の小説と同じ名前(ただしこちらは「ふうか」)のカフェでフレンチな軽食。美味。

ああ、うららかな春の木曽路だった。


繰り返しの美学 桃介橋

2009-03-20 | A あれこれ







■ 南木曽町にある「桃介橋」は福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が読書(よみかき)発電所建設のために木曽川に架けた吊橋で、大正11年に完成したそうです。老朽化のために昭和53年頃から通行止めにしていたそうですが、平成5年に復元したと案内看板にありました。木造の橋をケーブルで吊っています。橋長約250m。

鉄筋コンクリート製の3基の主塔のデザインがいいですね。2本の柱を繋ぐアーチ梁の上に重ねた3つのアーチ状の開口。その上の壁梁にもアーチがデザインされています。上方に向かって次第に小さく分節されているアーチが美しいです。



安曇野の繭蔵 

2009-03-18 | A あれこれ




 路上観察してきた「安曇野の繭蔵」の解体が終っていました。

先日(15日)現場に出かけてみると、外部足場と1階の床が残るのみでした。現場の隣りの畑には解体された材料が部材別に整理されて置かれていました。

下の写真に写っているのは、蔵の内部の2本の通し柱です。棟梁を1階から支えていた棟持ち柱。材質は松と杉だと思います。

先日この蔵のことが地元の新聞「市民タイムス」で紹介されました。記事によるとこの蔵は相模原市で通所リハビリステーションとして再生されることになっているとのことです。

木造は法的な制約が多く、再生の設計は大変だろうと思います。あの千鳥配置の窓はそのまま再現できるのだろうか・・・。構造はどのようにして現行法をクリアするんだろう・・・。

「追いかけてヨコハマ」って、むかし桜田淳子が歌ったと思いますが、こちらは「追いかけてサガミハラ」です。


路上観察 細部にも注目

2009-03-16 | A あれこれ



 松本市内、立派な民家の路上観察。正確には路上からではなくて大型店の駐車場からの観察。

持送り 押縁下見板張りの外壁、2階を3尺持出しているが、持出し梁を受ける「突っ張り」の支え板を持送りという。あるいはこの地方独自の名前があるかもしれない。

この持送りにはいろんな意匠の彫刻が施されるが、この例のような雲形あるいは波形が多いようだ。その理由は分からない。地方によってそれぞれ特徴があるこの持送りも民家(町屋)観察のポイント。

出し桁の端部は銅板で包んである(そういえば「包む」というシリーズ、なかなか書けない・・・)。

庇も銅板葺き。破風や垂木の先端も銅板包み。庇の見切り兼用の持送り(力板)。棟木まで付けている! この写真でははっきり分からないが、棟木を覆う銅板も屋根状に加工してある。

職人さんは実に丁寧な仕事をしている。

ここまで書いてアップしたが、昨日の午後再び観察して、気がついたことがあった。

持出し梁の先端近くの下面にボルトが見える(この写真で確認するのは困難)。2階の持出し部分が下がらないように斜め上方(柱の上部)へ引っ張っているものと思われる。周到な配慮、といっていいだろう。


無常観

2009-03-15 | A あれこれ

 前稿に建築談議を収録しました。本稿はその補足です。

水にただよう浮き草に 同じさだめと指をさす」と牧村三枝子が歌ったように日本人の無常観は演歌にもよく出てきます。建築談議ではこの歌が浮かばず美空ひばりやテレサ・テンの歌を挙げました。

日本人の無常観を指摘するなら「方丈記」でも「平家物語」でもよかったのですが、どちらも冒頭を正確に諳んじることができないので挙げることができませんでした。私もKちゃんも古文は苦手。まあ、酒を呑みながらなら古文より演歌でしょう。

この無常観が東京を始めとして日本の都市が根無し草になりつつあること、言い換えれば都市としてのアイデンティティーを喪失しつつあることの根底にもあるのだ、ということを語りました。

常に変容する営みこそが東京という都市の魅力であり、アイデンティティーなのだ、というように肯定的に捉える人もいます。この意見にチラッと異を唱えたつもりです。都市には歴史を記憶している建築が必要だと思うのです。やはり根無し草ではさみしい。ですから東京中央郵便局の保存を歓迎したいと、私は思っています。

Kちゃんは剥製保存ではあまり意味がないのではないか、という意見でした。では現状のまま使い続けることがいいいのかというとそうでもないようで、面積が不足し、また機能的に支障がある建築を「無理に」使いつづけることは建築本来のありよう、使い方とは違うのではないか。建築は文化だというのは副次的なことではないか。都市も日本人の無常観が具現化されたもの、だから変容する日本の都市を受け入れてもいいのではないか、と自論を語りました。

前稿ではこの部分を省略してしまったので、本稿に載せておきます。

Kちゃんはどんなことにも自分の意見をきちんと述べる人。これからも時々誘おうと思っています。

*****



サブタイトルに惹かれて買い求めた『偶然を生きる思想「日本の情」と「西洋の理」』野内良三/NHKブックスを読み始めました。

第1章の章題は「無常の日本美」。この章で著者は日本人の「無常の美学」を西洋の「恒常の美学」と対比しながら論考しています。

**日本人の美意識には瞬間的なもの、滅びゆくものへの嗜好が確かにあるようだ。言い換えれば日本人は無常なものに美を見いだすということだ。(中略)西洋の人びとは永遠のもの、無限のもの、不変のものに美を見いだす。また、永遠のもの、無限のもの、不変のものを創り出すことこそが美の創出だと信じている。(後略)**

なぜ西洋の建築には繰り返しの美学が頻出するのか、なぜ日本人は日本庭園などに見られるように繰り返さないという美学に惹かれるのかという私の関心からすると大変興味深い本です。

この本から一首。

うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけり

まもなく日本人の無常観にピッタリの桜の季節ですね。


注:繰り返さないという美学、この表現は必ずしも適切ではありませんが、便宜的に使っています。 


東京中央郵便局の保存問題を語る の巻

2009-03-14 | A あれこれ

「まあ、焼き鳥にして食っちゃうより剥製の方がまだマシかな」
Kちゃんに東京中央郵便局の保存問題について訊かれて、答えた。
「そうですよね。今朝、新聞読みましたけど、登録有形文化財に登録できるような保存にするんですってね」とビールを飲みながらKちゃん。

ここは松本駅前の某居酒屋。久しぶりにKちゃんと焼き鳥でビールを飲みながら建築談議。

「でも、あの計画のイメージパースを見るとなんだか焼き鳥に見えるんだよね」
「え?焼き鳥ですか?」
「そう焼き鳥。Kちゃん、完成予想図も以前新聞に載ってたけど覚えてる?」
「ええ、郵便局の上にガラスの超高層ビル。ネット検索で見ること出来ますよね、あのパース」
「そうだね。JPタワー、38階建だったかな。あの姿って中央郵便局にガラスの串を突き刺しているように見えない?この焼き鳥の串は竹だけどね。ほら、串をこう立てると、この串がガラスの超高層。で、このレバーが郵便局。腰巻き保存とかいう人もいるけどさ」

「そうか・・・面白い! でもU1さんって面白い見方をするんですね」Kちゃんは串を上に向けた食べかけの焼き鳥を見ながら答えた。

「なんとなくイメージしちゃうんだよね。全く関係ないものに見立てることがよくある。特に意識してるわけじゃないけど。ところで有名なウィーン郵便局って知ってる?郵便貯金局か」
「知ってます。え~と、設計したのは作曲家のような名前の・・・」
「ワーグナー。オットー・ワーグナー」

「カチッとした外観からは想像できないような柔らかな光りの空間ですね。ネット検索すれば写真がいっぱい出てきますよね」
「そう。あのオーストリアの郵便貯金局が出来たのが、この間読んだ本に出てたけど、1906年。東京中央郵便局より少し古いんだけど、現役だよね」
「そうですね。どうして日本って建築の寿命が短いんでしょうね、でも中央郵便局って長い方なんですよね」

「どうしてだろうね。まあ、美空ひばりの「川の流れのように」とかテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」だっけ?それにジュリーの「時の過ぎ行くままに」とか、歌にもあるように、人も世の中も常に変わるものだっていう、無常観・・・、があるからね、日本人の心には。それが建築にも反映しているのかも知れないな」
「建築も都市も常に変わっていくという考え方ですか」
「そう。なにもかも変わって当然という基本的な考え方。まあ伊勢神宮は例外だろうね。だから100年も200年も変わらないなんていう建築や都市なんてイメージできない。この国ではね。でもすべての建築がどんどん更新されていったら、東京なんて根無し草、漂流都市になるよね。だから、せめて東京駅と中央郵便局にはアースアンカーの役目を果たしてもらわないと」

「アースアンカーって、漂流止めってことですか?」
「そう、漂流止め。根無し草になるのを防ぐのに必要な最低限の建築。記憶を留める建築がやはり都市には必要なんだと・・・。でも本当はもっとそういう建築が点在していないと。今や東京駅の周りはガラスのタワーだらけ」
「そうですね」
「ガラスの建築って歴史を留めることが出来ないと思うんだよ」
「歴史を留めるって・・・」
「以前ブログに書いたことがあるけれど、石やレンガなんかには、記憶力がある。歴史を記憶することができる材料。コンクリートはどうかな」

「ところで、U1さんは
東京中央郵便局をどう思っているんですか」
「・・・、確か完成が1931年、ウィーン郵便貯金局の25年後かな。タウトは桂を絶賛したけど、中央郵便局もほめているんだよね。確かに外観は簡素で、そっけないけれど、それまでの装飾過多な建築デザインから変わってきた時代だったからね。それになんていうのか、あの敷地を上手く生かした正面性の創り方、ファサードデザインにボクは注目かな。外壁に何気なく付けている時計が効いているよね。東京駅のような堂々とした建築とは違うでしょ。ちょっと控えめで、衒いのない実直なデザイン、いいと思う。鳩山さんの発言には政治的なもくろみが当然あるんだろうけど、まあ、そういうどろどろな裏側は見ないようにして、剥製でもなんでも以前の計画よりだいぶ残すことになったのは良かった。これで少し建築の文化的な側面についてみんな考えてもらえれば、ね」

と、ちょっと力説してビールをごっくん。

***



空になったジョッキを見た店のオーナーが「高山の美味い酒あるけど、飲む?」と、訊いてきた。で、飲んでみることに。これはオーナーのサービス、高い酒ではないけれど飲みやすくて美味いそうだ。

「あ、ほんとう。このお酒おいしい。そういえばU1さん、北陸に行くんですか、いいな。兼六園って行ったことないんですよ。富山もないかも。高山には行ったことありますけど」
「いいでしょ。来月の11、12日。桜がちょうど見頃だと思う。金沢21世紀美術館は数年前に行ってるけど、しっかり見てこようと思って。確かトイレ周りが窮屈な設計だったような気がする、まつもと市民芸術館もそうだけど。それに高岡の瑞龍寺、一番見たい所」


「私もちょっと調べてみたんですけど、瑞龍寺の庭って昔は松があったそうですね。それが松を無くして今のようなすっきりとしたモダンな庭になったんですね。白と緑の対比?、抽象的な庭ですよね。私も見に行きたいな、確か宿でお酒飲みながら建築談議するって」
「そう、こたつで。一部屋で男三人と一緒でよければ、行く?」

「どうしようかな・・・」


「河童にも、人にも、等しく春が来る。」

2009-03-14 | A 読書日記
 小川洋子の『海』と川上弘美の『なんとなくな日々』が書店で平積みされていた。共に新潮文庫の3月の新刊。両方とも買い求めた。



『なんとなくな日々』、単行本の帯には**独特のやわらかな言語感覚で紡がれる、いま最も注目されている作家の最新エッセイ。**とあり、文庫本の帯には**じんわり広がるおかしみと、豊かな味わい。気持ちほとびる傑作エッセイ集。**とある。

この作家の魅力がこのふたつの帯の言葉に端的に表現されている。

自分の言葉で作品の魅力を語れ、いつも引用ばかりではないか、という内なる声も聞えてくるが、読了本備忘のために書くのだと割り切れば引用で事足りる。

「春が来る」では一緒にお酒を飲んでいた友だちがお葬式の帰り道で河童と目が合っちゃった、と話し出す。幽霊だの妖怪だのの話をする質(たち)ではない友だち。

川上さんはほろ酔いで家に帰る道すがら河童のことを思う。姿を人に見られてはならないはずなのに、驚いたことだろう。用水路に飛び込んだ河童は水を飲み込んだかもしれない。あわてて流されたかもしれない、などと。

そして川上さんは、**河童にも、人にも、等しく春が来る。**と結論する。

『なんとなくな日々』を読むのにふさわしい季節は春。

繰り返しの美学 雑誌の表紙

2009-03-13 | B 繰り返しの美学


 建築雑誌の表紙を飾った繰り返しの美学。

東京都町田市にある幼稚園だそうです。両側に保育室が並ぶ中廊下。写真が小さくて分かりにくいですが、繰り返しの美学な空間構成ですね。

上部には、たぶん構造的に意味のある下り壁が等間隔に並んでいます。そしてそれらを繋ぐ中央の下り壁。下端にスポットライトが繰り返しを強調するかのように付いています。少し上向きのカメラアングルはこの上部を意識したものでしょう。

単なる飾りに過ぎないようなものの繰り返しでも、もちろん美しいと思いますが、この例のように構造的に意味のあるもの、直接的に空間構成に関わる要素の繰り返しにはウソのない美しさ、とでも言ったらいいでしょうか、力強い美しさがあります。

この幼稚園を紹介する記事によると、設計者は増改築の計画に伴って求められた現行法への適応に大分苦労されたようです。法的な制約をクリアして尚、美しく創る・・・。難しい課題ですが避けて通るわけにはいきませんね。

幼稚園ならば、内装制限に関しては保育園ほど厳しくないはず(幼稚園も保育園も共に未就学児のための建築ですが、法規の適用が異なります)。もっと木を使う内装計画もあったかも、と勝手に思ってこの表紙を見ましたが、暗くなりがちな中廊下を出来るだけ明るくしようという意図が設計者にはあったのでしょう。


桜の東京、芸術鑑賞の予定

2009-03-13 | A あれこれ




 来月、北陸へ旅行することにしたが、今月末東京して、美術展を観てこようと思う。

国立西洋美術館で開催中の「ルーヴル美術館展」、やはり目玉はフェルメールだろうか。

赤瀬川原平さんは、**フェルメールはカメラが出来る前の“写真家”である。と考えた方がいいのかもしれない。**と書いている(「フェルメールの眼」講談社)。光学的で神秘的だというのだ。

今回出展されているフェルメールの「レースを編む女」のサイズはA4位、小さい。ひたすら糸に集中する女性、精密な描写。右側から光が射している絵は少ない。連日混んでいるようだからじっくり鑑賞、とはいかないだろうな・・・。

同じ上野の東京都美術館では「アーツ アンド クラフツ展」が開催されている。先日図録を見せてもらったがこちらもなかなか充実した展覧会のようだ。

他には・・・、どこか日本庭園でも。福岡で桜が咲き始めたそうだ。東京、今月末は桜が満開だろう。