透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

3ヶ月ぶりの朝カフェ読書@スタバ

2020-06-30 | A 読書日記



 タイトルの通り、スターバックスで朝カフェ読書をするのは3月28日以来3ヶ月ぶりだ。うれしいことに馴染みの店員さんが、今まで通りホットのショートを用意してくれた。まだマグカップでの提供はしていないということわりの言葉と共に。

今朝(06.30)スタバで読み始めたのは『夢の女』永井荷風(岩波文庫2019年第7刷)。昨日、丸善で買い求めた。永井荷風をようやく読む歳になったか、と感慨にひたる。そう、ぼくは荷風の小説は若い時には味わうことができないとずっと思ってきた。

読み始めて、ようやく文体に慣れてきた。読みながら思い浮かべるシーンは白黒のしっとりとした映像のようだ。

今年の後半は荷風の作品に浸るのも好いかもしれない。併せて荷風作品に関する評論も読んでみたい。


 


「異邦人」と「変身」

2020-06-30 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 松本駅近くの丸善にはカミュの『ペスト』が平積みにされている。他店でも同様だろう。コロナ禍の今の社会的状況をカミュが北アフリカの国アルジェリアのある町を舞台にペストに立ち向かう人々を描いたストーリーに重ねて読む人が多い、と聞く。

やはりカミュの代表作『異邦人』(1995年98刷改版)、貼ってある黄色いテープから40代で読んだことが分かる。20代ではなく、40代というのは意外な感じがしないでもない。前稿に挙げた新潮文庫のTOP20で、この作品は第5位に入っている。また、カミュと対比的に論じられるカフカの『変身』が13位。



岩波文庫の『変身』(1970年第17刷)にはパラフィン紙のカバーがあるが、外して写真を撮った。1970年って、もう50年も前じゃないか・・・。

名作は人生という長いスパンで2度読む、とのこと。両作とも「老後」の楽しみにとっておこう。


 


「友情」武者小路実篤

2020-06-29 | H ぼくはこんな本を読んできた

 夕方、松本駅近くの丸善へ。そこで「新潮文庫の100冊」という冊子を入手した。巻末に載っている「新潮文庫ロングセラーTOP20(*1)読み継がれる名作中の名作」の第6位に『友情』が入っている。ちなみに第1位から第5位は『こころ』『人間失格』『老人と海』『坊ちゃん』『異邦人』。どれも作者が誰か、誰でも知っている作品だ。以下第20位の『赤毛のアン』まで教科書的作品の代表のような作品が続いている。ただし第17位、松本清張の『点と線』は教科書的作品ではないかも。



ぼくが岩波文庫(1969年第46刷)で武者小路実篤の『友情』を読んだのは、はるか昔のことだ。この小説は10代で読むのが好いだろう。


*1 初版発行から2020年3月末までの累計発行部数順位


水戸部アサイ

2020-06-29 | A あれこれ

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撮影日2020.06.28

 庭の紫陽花がようやく見ごろになってきた。ぼくは紫陽花を見ると水戸部アサイが浮かぶ。たぶん名前からの連想だと思う。アジサイとアサイ。

水戸部アサイは詩人にして建築家であった立原道造の恋人。昭和13年、立原はアサイとの結婚後の新居、ヒヤシンスハウスを設計する。建築予定地をふたりで見に行ったようだが、新居は立原の死によって設計だけに終わってしまう・・・。(ヒヤシンスハウスは2004年にさいたま市の別所沼公園に残された図面によって建設されている。およそ70年の時を経て・・・。)



『立原道造・愛の手紙』小川和佑(毎日新聞社1978年発行)に水戸部アサイのポートレートが掲載されている。その清楚な姿は紫陽花に喩えるのに相応しい。


 


ブックレビュー 2020.06

2020-06-28 | A ブックレビュー

 6月に読んだ本は以下の6冊。珍しく新書が1冊もない。新たに買い求めたのは『山に立つ神と仏』のみ。後は再読。

『山に立つ神と仏 柱立てと懸造の心性史』松崎照明(講談社選書メチエ2020年第1刷)
『ひとり日和』青山七恵(河出書房新社2007年8刷)
『梟の城』司馬遼太郎(新潮文庫1999年83刷)
『流れる星は生きている』藤原てい(中公文庫2008年改版12刷)
『喜作新道 ある北アルプス哀史』山本茂実(角川文庫1978年再版)
『夏目漱石』江藤 淳(講談社文庫1971年第3刷)


『山に立つ神と仏 柱立てと懸造の心性史』**明治元(一八六八)年の神仏分離令によって神仏混淆の信仰は禁止され、その建築は破壊、転用されて壊滅的な打撃を受けるが、かろうじてそれを逃れた懸造の建築には、日本建築の本来の造形的特徴と文化的古層が残っている可能性が高く、おそらく、その在りように日本列島に住んできた日本人の心が強く反映している。これを解明することは建築ばかりではなく、日本人の信仰心の基層となるものを明らかにする試みにもなるはずである。**(6頁) このような見解に基づく論考。建築論に終始しているわけではないので、なかなか理解が及ばなかった。

青山七恵の『ひとり日和』は芥川賞受賞作。この作品を選考委員だった石原慎太郎と村上 龍が絶賛したという。本の帯に**非常にビビッドで鮮烈、素晴らしいと思った。**という石原慎太郎の記者会見でのコメントが載っている。だが、私は朝もやの中を漂っているような感じを受けながら読み進んで、特に印象には残らなかった。感性がますます鈍くなったのかもしれない。

司馬遼太郎の小説では『梟の城』を初めて読んで、おもしろいと思った。その後司馬遼太郎作品を何作も読むきっかけになった。

藤原ていの『流れる星は生きている』を読んで今回も涙した。終戦を満州で迎えたていさんは3人の幼い子供と共に命がけで日本に引き上げてくる。長男が5歳、次男(数学者の藤原正彦さん)が2歳、末っ子はまだ乳飲み子。ていさんを支えたのは我が子を死なせてなるものか!という強い意志、深い愛情だった。

『喜作新道 ある北アルプス哀史』 解説によると、山本茂実は5年かけて600人もの関係者に取材して書いた2万枚もの原稿をまとめて、この作品を書いたそうだ。取材した多くの人たちの証言が地元(穂高や大町)の方言でそのまま再現されている。喜作と息子は本当に雪崩で死亡したのか、それとも・・・。

『夏目漱石』 江藤 淳がこの論文を発表したのは22歳の大学生の時だったという。江藤 淳はこの論文で既に提示されている漱石論に反論していく。**(前略)しかしこれらの尊敬すべき批評家達によって代表される否定的な見解には、「猫」が今日いまだにぼくらを魅了するのは何故なのか、という問に対する解答が含まれていない。**(61頁) などと中村真一郎らにも手厳しい。ただ驚くほかない。 **小林秀雄の死後は文芸批評の第一人者とも評された。**とウィキペディアにあるが、大学生でこのような論文を書いてしまうのだから、その後の活躍は当然といえば当然か。


コロナ、コロナで早くも半年が過ぎる。今年の後半はどんな本を読もうかな・・・。


「蛇を踏む」川上弘美

2020-06-28 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 川上弘美さんの作品が好きで文庫本だけでなく単行本も買い求めて何作か読んだ。が、何年か前に知人にあげた。その時どうやらこの『蛇を踏む』(文春文庫2002年第7刷)は残しておいたらしい。

川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。

**夜のミドリ公園を抜けて部屋に戻ると、部屋はさっぱりと片づいていて、絨毯の中ほどに五十歳くらいの見知らぬ女が座っていた。さては蛇だなと思った。**(15頁)

『蛇を踏む』は藪で踏んでしまった蛇が女になって・・・。やはり輪郭がはっきりしない曖昧な世界の物語。 

川上弘美さんはこの作品で芥川賞を受賞している。その時の様子がこの本で分かる(過去ログ)。


 


「松本の本」

2020-06-28 | A 読書日記

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 昨年(2019年)創刊された雑誌『松本の本』の第2号 2020年版が出版された。第2号には「映画と街」「本をつなぐ人たち」「“ワタクシ テキ マツモト”のススメ」という三つの特集が組まれている。

読んで感じること、それは松本が多様な層(レイヤー)が重なって出来ている街だということ。幾重にも重なっている層から興味・関心のある層だけを引き出すと、そこにその人だけの松本の地図が浮かび上がる。その地図が示すのはワタクシ テキ マツモトの様相。

以下に例示したい。

松本の通りに天守のヴィスタを見出したMさんは古地図に直線を引き、それを示して見せている。

鉄塔女子のFさんが引き出した地図には鉄塔がマッピングされている。

Iさんの地図には上高地線の詳細が載っている。

Tさんが引き出した地図は深志神社境内の詳細図。で、参道狛犬にフォーカスしている。

私とHさんは火の見櫓。残念ながら松本の中心市街地には火の見櫓が無い(*1)。それで、引き出したのは松本市の広域地図。

雑誌には寄稿者が引き出したレイヤーを重ねてできた地図が付いている。だから地図には特集された映画館も火の見櫓もプロットされている。


松本の諸相が紹介されている『松本の本』 興味深く、そしてもちろんおもしろい。

*1 過去には中心市街地にも火の見櫓が立っていた(過去ログ)。


「古事記」

2020-06-27 | H ぼくはこんな本を読んできた

 自室の書棚にある『古事記』は以下の3冊。

『古事記 附現代語訳』武田祐吉訳註(角川文庫1956年初版発行 1975年41刷発行)
『古事記(上)』全訳注 次田真幸(講談社学術文庫1977年第1刷発行 2007年第54刷発行)
『古事記』橋本 治(講談社2009年第1刷発行 2011年第3刷発行)

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712年(和銅4年)に太安萬侶の稿により成った最古の古典。

ここに橋本 治氏の『古事記』のカバー裏面の紹介文から引く。**日本にまだ固有の文字がなかった八世紀初頭に成立した『古事記』は、漢字の音と訓を利用して、神話や古くからの言い伝えを書き表した日本最古の書物である。国の成り立ちを説いた歴史の書にとどまらず、古代の人々の想像力にみちた豊かな文学性を感じさせる。(中略)ここには日本人の心と行動のすべての原初の姿を見つけることができる。**


 


「俘虜記」大岡昇平

2020-06-27 | H ぼくはこんな本を読んできた

 外出自粛中のネタ切れ対策として「ぼくはこんな本を読んできた」を始めた。書棚に残した文庫本を載せていく、ただそれだけのことだ。

今までこれらの文庫本を恣意的に載せてきたかというと、そうでもない。亀井勝一郎を載せた後、松本清張を挟んで江藤 淳を載せた。ならば、次は小林秀雄だな、と考えた。で、今回は『俘虜記』大岡昇平(新潮文庫1998年53刷)を載せるが、このことに明確な意図はない。

1,400冊あった文庫本、今は250冊。「読んでおきたい教科書的な本」というようなリストに載りそうなものを残したことが分かる。なんとなくそのように意識していたのかもしれない。『俘虜記』もそのようなリスト、そう300冊くらいのリストに載りそうな小説だ。

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カバー裏面の本書紹介文を載せる。**著者の太平洋戦争従軍体験に基づく連作小説。冒頭の『捉まるまで』の、なぜ自分は米兵を殺さなかったのかという感情の、異常に平静かつ精密な分析と、続編の俘虜収容所を戦後における日本社会の縮図とみた文明批評からなる。乾いた明晰さをもつ文体を用い、孤独という真空状態における人間のエゴティスムを凝視した点で、いわゆる戦争小説とは根本的に異なる作品である。**

記事を書き始めてから本書の解説を読んで、大岡昇平は小林秀雄に勧められてこの小説を書いたことが分かった。それからふたりが友人だったことも。


 


旧四賀村のマンホール蓋

2020-06-26 | B 地面の蓋っておもしろい



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旧四賀村のマンホール蓋 撮影日 2020.06.26

 マンホール蓋の写真を載せるのは4か月ぶり。これは旧四賀村(現在は松本市四賀)のマンホール蓋。四賀は福寿草で有名(少なくとも長野県内では)で、蓋には村の花のフクジュソウ、やはり漢字表記、福寿草が好いな。それから村の木の赤松をモチーフにデザインされている。四賀はマツタケでも有名だから、マツタケも加えて欲しかった。


全国のマンホール蓋は撮り尽くされている。後からこの世界に入り込んだ者として、マンホール蓋の後方に火の見櫓を入れるという条件を付加してニッチな世界をつくった。長野県77市町村蓋巡りをしたが、合併前の町村の蓋や農業集落排水の蓋などは、まだ見ていないものがかなりあると思う。


「私の人生観」小林秀雄

2020-06-25 | H ぼくはこんな本を読んできた

 前稿で江藤 淳の論文『夏目漱石』(講談社文庫)を取り上げた。今回は小林秀雄。

小林秀雄の評論の中で世に広く膾炙(*1)されているのは『無常という事』であろう。この文庫を書棚に探したが無かった。他の多くの本と共に処分してしまったのか、元々手元に無かったのか、分からない。

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残した文庫の中にあったのが『私の人生観』(角川文庫1971年改版10版)。奥付によるとこの文庫の初版発行は1954年。65年も前だ。この「私の人生観」は1948年(昭和23年)の秋に行われた講演に後日手を加えたものであることが巻末に記されている。この文庫には他に何作もの随筆も収録されている。

読んだという記憶が無いこの本をぼくは本当に読んだのだろうか。傍線が引いてあるから読んだのだろうが、内容については何も覚えていない。でも、これでいいのだ ニャロメ!


*1 膾炙(かいしゃ) ぼくはこの言葉を再読を始めた江藤 淳の『夏目漱石』でこの頃知った。
**「草枕」という、この奇妙な小説の中でもっとも人口に膾炙されているのは、恐らく冒頭の、《智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。(後略)》という一節であろう。**(71頁)

早速使ってみたが、「広く知られているのは」という表現の方がぼくの文章には相応しい。


「夏目漱石」江藤 淳

2020-06-25 | H ぼくはこんな本を読んできた

 自室の本のおよそ半数を処分した結果、書棚がすっきりして大半の本の背表紙を見ることができるようになった。この効果は大きく、40年以上も前に読んだ本でも目に入るから、そのような本を取り上げることができるようになった。

さて、今回取り上げる文庫本も40年以上も前に読んだ『夏目漱石』江藤 淳(1971年第3刷)



入江隆則氏は巻末の解説に**ここに示されている見事な分析力は、長年の習練を積んだ批評家の手腕を思わせるのであって、(中略) 漱石の暗い「深淵」に正確に感情移入して再現してみせる描写力のたしかさは、とうてい二十歳そこそこの青年の手になったものだとは思えないのである。**(213頁)と書き、なぜそのような分析ができたのかという点について論考を続けている。

例によってカバー裏面の本書紹介文を載せる。
**日本近代の巨人・漱石をめぐる“小伝説”を大きくくつがえし、圧倒的な新しい漱石像を示す、俊英江藤 淳の処女作!
漱石を通じて展開される著者自身の精神の自画像と独創的な日本文化論は戦後文芸評論史上の画期的成果として注目される。**

ぼくはこの本を1973年11月に読み、1976年4月に早くも再読している。そして2020年6月、また読み始める。


 


「影の地帯」松本清張

2020-06-24 | H ぼくはこんな本を読んできた

 松本清張は数多くの作品を残したが、代表作を挙げよと言われれば多くの人が『点と線』を挙げるだろう。清張ファンでなくても『点と線』という印象的なタイトルを知っている人は多いのでは。映画になり、テレビドラマにもなった『砂の器』を代表作として挙げる人も少なくないかもしれない。私はこの2作品に『ゼロの焦点』を加える。



既にこのブログに書いたが、ぼくが読書好きになったきっかけは中学生の時に『砂の器』を読んだことだった。この時は友達のお父さんから借りて読んだから、手元に本はなかったが、最近続けて2冊入手できた。 『砂の器』は文庫本ではなく、カッパ・ノベルスでなくてはならない。


『砂の器』カッパ・ノベルス 光文社 
左は1961年26版、右は1976年の発行で、なんと263版!

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松本清張の作品は文庫で何作も読んできたが、先日の減冊で処分してしまったので、文庫で書棚に残るのは『影の地帯』(新潮文庫1998年55刷)のみ。意識的にこの本を残したというわけではない、偶々残っていたのだった。この作品の初読もカッパ・ノベルスだったと思う。

松本清張の作品には地方の自然や歴史などを織り込んだものが多い。『影の地帯』は長野県の青木湖や木崎湖、野尻湖などが重要な舞台として出てくるということで記憶に残る作品。

清張作品で再読するなら『火の路』(過去ログ)かな。ただし手元にないから買い求めて。


 


「愛の無常について」亀井勝一郎

2020-06-23 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 「ぼくはこんな本を読んできた」 今回は『愛の無常について』亀井勝一郎(角川文庫1968年改版10版)

1968年、ということはもう50年以上も前の文庫本! 紙の本はものとして存在する。今はやりの電子本は情報だけであって、紙の本のようにものとして存在しているわけではない。だから、50年後も直ちに取り出して読むことができるかどうか・・・。紙の本は何年経とうが書棚に並べてある限り、いつでも取り出して頁を繰ることができる。やはり紙の本は良い。

紙の本は記憶装置としても機能する。線を引いてあったり、書き込みがあったり。それらを見てあれこれ考えると当時のことが記憶の古層から浮かんでくる。

『愛の無常について』は角川文庫の他に旺文社文庫、講談社文庫、ハルキ文庫にも収録されている(ウィキペディアによる)。やはり亀井勝一郎の代表的な著作ということなのであろう。 再読したい。


 


夢殿の切手?

2020-06-22 | D 切手

 

 数日前に届いた封書に貼ってあったこの切手を見て、「法隆寺の夢殿だ」と思った。八角堂を見てまず浮かぶのはやはり馴染みの法隆寺夢殿だと思う。

しばらく見ていて、なんだかプロポーションが違うような気がしてきて、夢殿の写真を探した。法隆寺には2013年の秋に出かけている。その時の写真をブログに掲載していた(過去ログ)。


法隆寺夢殿 撮影日2013.11.16

やはり壁の各面のプロポーションが違う。切手の八角堂の方は縦長に見える。それから、壁面上部にある斗栱というのかな、中途半端な万歳の腕のような形(鉄腕アトムが空を飛ぶときの腕の形)をした組物の段数が1段と2段で違う。基壇の階段の段数も違うようだ。

では一体切手の八角堂は何? 調べてみてこれは国宝シリーズ第1集84円切手で興福寺北円堂だと分かった。やはりきちんと確認することが大事だな~。