■ 月5冊のペースで読めば1年で60冊、10年で600冊か・・・。決して多くないが、今まで通り読みたいと思う本を読むだけだ。
5月に読んだ5冊の本。
『星 新一』最相葉月(新潮社)図書館本
『ボッコちゃん』星 新一(新潮文庫)
『江戸の女子旅』谷釜尋徳(晃洋書房)
『まちがえる脳』櫻井芳雄(岩波新書)
『橋ものがたり』藤沢周平(新潮文庫)
松本市笹賀 2023.05.27
松本市笹賀 2023.05.30
■ 普段使っているスケッチブックの用紙は表面がかなり粗い。別の画用紙も試してみようと、画材店で平滑な画用紙を2種類買い求めた。やや平滑なものとかなり平滑なもの。透明水彩絵の具も普段とは違うものを使ってみた。
線描:ペンが画用紙の表面をほとんど抵抗なく滑らかに動くので、ペン先のコントロールが難しい。
着色:画用紙の上に置いた絵の具を筆で移動して、色の濃淡を調整する。違う色の絵の具の混色も画用紙の上でする。描画法を学んだことがないのでよく分からないが、おそらくこれは水彩画を描くときの基本的なテクニックだろう。
上のスケッチと下のスケッチは用紙が違う。下の用紙は平滑性が高く(などと表現するのかどうか)、線描するのが難しい。だが、着色は逆にしやすいような気がする。さて、スケッチブックを買うとすれば上か下か、どっち。線描しやすい上かな・・・。今使っているスケッチブックの用紙と今回使ってみた絵の具との相性も確認したい。
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■『橋ものがたり』藤沢周平(新潮文庫2018年75刷)の再読を終えた。
収録されている10編の作品の中では『約束』が一番好き。樋口一葉の『たけくらべ』とストーリーは全く違うけれど、どことなく雰囲気が似ているように感じた。どちらも淡い初恋ものがたりと括ることもできるだろう。
収録作品の中には橋の上で若い男女がその後の人生を決するような出会いをするものがたりがある。
『思い違い』。指物師の源作が両国橋の上でいつもすれ違う愁い顔がきれいな娘。言葉を交わすこともなかったふたり。ある日、帰りが遅くなった源作は、あたりが薄暗くなったころ、ふたりの男が娘の袖をひき、どこかへ連れて行こうとしているところに遭遇する。で、その娘を助ける。源作は気が弱くて、腕ずくで争うことがなかった、という、まあよくある設定。娘は源作に頭をさげて去っていく。源作は娘の名前も住所も聞いていなかった・・・。
源作がふたりの男から助けたときの娘を作者は次のように描写している。
**「ありがとうございました」
近寄ってきた女が言った。源作はわれに返って女を見た。薄闇の中に、女の顔が浮かんでいる。夕顔の花のように白い顔だった。二つの眸(ひとみ)が澄んで、源作を見つめている。**(95頁)
夕顔の花のようにという表現、ぼくは金子みすゞの「夕顔」という詩を思い出した(*1)。夜空の星が夕顔にさびしかないの、と訊くと、夕顔はさびしかないわ、と答える。星がそれっきり夕顔のことを気にかけないでキラキラ光っていると、夕顔はさびしくなって下をむいてしまうという内容の詩。「思い違い」の愁い顔がきれいだという娘(おゆうという名前だと分かる)のイメージがみすゞの「夕顔」に重なる。そう、ぼくが好きな夕顔に。
ある日、源作は親方に呼ばれる。仕事の相談かと思いきや、親方の娘の婿にという縁談話だった。どうする源作・・・。その後、源作は思いがけないかたちで娘の素性を知る。朝夕、橋の上ですれ違う娘は朝仕事に出て、夕方家に帰っていくのだろう。源作も読者もそう思い込む。だが・・・。
ラストが泣ける。好きな作品の『約束』もこの『思い違い』も信頼、人を信じることの尊さがテーマの作品だとぼくは読んだ。
*1『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ(JULA出版局 1984年第1刷 2003年第75刷)に収録されている詩
■ マイナンバーカードのトラブルが相次いでいる。コンビニで別人の住民票の写しが交付されたり、マイナ保険証に別人の医療情報がひも付けられていたり、他人名義の公金受取口座がひも付けられていたり・・・。
人はかならずミスをする、ということを前提にしたシステムになっていないんじゃ・・・。人がミスをしてもトラブルの発生を防ぐことができるシステム設計は難しいということは容易に想像できる。でも、そのようなフェイルセーフなシステムになっていないと、これからもトラブルは発生すると思うなぁ。繰り返す、人はかならずミスをする。
政府は2024年の秋に健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化し、24年度末までに運転免許証の機能も持たせる方針だという。仮に運転免許証も廃止されれば毎日個人情報ぎっしりのカードを持ち歩くことが必要になるわけだ。やだな~っ、て思う人が大勢でるだろうなぁ。
持ち歩いていて紛失したら、他人の手に渡ったら・・・。今日(29日)の新聞に載っている週刊誌の広告には**「マイナ保険証を持つ奴はカモ」って出ているじゃないか・・・。**マイナ「トラブル不安」70%**という見出しの記事も載っている(*1)。世論調査で60歳以上の高年層では77.4%の人が不安を感じていると回答し、40~50代の中年層でも73.0%に上ったと同記事にある。
預金通帳と印鑑は一緒にしないで別の場所に保管するように、と言われているけれど、マイナンバーカードって全くその逆だもんなぁ。リスク分散じゃなくてリスク集中。なんだか大きなトラブルが起きるような気がするなぁ。でも自己責任で済まされちゃうんだろうなぁ。
「利便性より安全性」。そもそもマイナンバーカードの利便性って? 何か便利になるのかな・・・。住民票の写しって、数年に1度くらいしか必要にはならないんじゃ・・・。違うのかな。住民票の写しや印鑑証明が必要なら役場に行けば済む話。コンビニで申請しようにも操作のしかたが分からない・・・、なんて人は役場に行く方が便利だし、安心。
保険証も運転免許証もそれぞれ別のカードで不自由なんて全く感じないんだけど。「プレバト」なら現状維持だと出演者はガッカリするけど、マイナンバーカードは健康保険証も公金受取口座も運転免許証もひもづけなくてOK、現状維持がうれしい。
マイナンバーって、国が国民を管理するためのユアナンバーなんだよね。
*1 5月29日付 信濃毎日新聞朝刊総合面(2面)
■「市民タイムス」は長野県の中信地域が対象エリアのタブロイド紙。5月27日付 同紙に「火の見やぐら 相次ぎ撤去」という見出しの記事が掲載されたことを知って、コンビニで買い求めた。
記事には本年度中に撤去予定という里山辺の火の見櫓(新聞記事では「やぐら」とひらがな表記されることが一般的)のカラー写真が載っていた。この火の見櫓は2020年の4月23日に見た。その後2022年の11月12日にも見ているが、その時に新聞記事の写真とほぼ同じアングルで、写真を撮っていた。 新聞の写真と上の写真を見比べると、風向計の向きが違う。どうやら屋根のてっぺんの風向計は今も動くようだ。
― 松本市里山辺 3柱8〇型ショートアーチ脚 2022.11.12
この火の見櫓の建設年は分からないが、見張り台下の櫓の部材構成から古いタイプではないか、と思われる。記事には松本市は昨年度までの5年間に13基を解体し、今年度中に10基前後の解体を予定しているとある。消防団から40基以上の撤去要望が寄せられているということも記事にある。
火の見櫓は本来の役目を終えて、サイレンを設置したり、消火ホースを干すために使われているものもあるが、メンテナンスされることもなく、錆びているものが多い。中には屋根が欠損しているものもある。
時の流れはどうしようもなく・・・。この火の見櫓に上って半鐘を叩いたことのある人は、この火の見櫓の前で記念写真を撮って欲しいなぁと、火の見ヤグラーは願う。
鉄道車両のラストランはテレビや新聞でよく取り上げられるが、火の見櫓の撤去が取り上げられることは稀だ。記事にしていただいた「市民タイムス」に感謝! ありがとうございました。
(再)安曇野市三郷明盛 火の見柱、板木 2023.05.25
■ これは・・・。隣りに屋外消火栓とホース格納箱があることから、半鐘の代わりに板木(ばんぎ)を吊り下げた火の見柱と判断した。撤去されて今は無いが、近くには半鐘と板木の両方を吊り下げた火の見櫓が立っていた(*1)。
左:2010.07.04撮影 右:2023.05.25撮影
この火の見柱は2010年、今から13年前にも見ている。その時に撮ったのが左の写真。柱の傷みが進んでいるようだし、傾きも大きくなっていて、気になる。古くなったホース格納箱は取り替えられ、消火栓も塗装されている。この火の見柱もメンテナンスして欲しいな。
*1 安曇野市三郷明盛 2017.03.04
203枚目 グラフィックデザイナー・保坂一彦さん
今から30年以上も前のことになる。建築雑誌の『住宅特集』1992年4月号に中村好文さん設計の「清水高原の家」という作品が掲載された。長野県山形村の森の中の傾斜地にできた実に魅力的な山荘。私は外観だけでも見たいと思って探しに出かけたが、場所が分からなくて見ることができなかった。
時は流れて2015年11月。その頃、時々出かけていた松本市梓川のバロというカフェで偶然にも「清水高原の家」にお住まいの保坂さんと出会った。その時のことをぼくはブログに**いつか拝見する機会があることを願う。**と書いている。
更に時は流れ、2023年5月25日。ようやく「清水高原の家」を見学させていただく機会を得た。保坂さんと仕事上の付き合いがある義弟のK君とすっかり緑が濃くなった清水高原を車で登って行った。緑に包まれるように佇ずむ、目板張りの黒い外壁の家が目に入ってきた・・・。
「中村さん、上手いなぁ」
芽吹き、新緑、深緑、紅葉、落葉。
朝霧、そぼ降る雨、音もなく降る雪。
朝焼け、柔らかな陽ざし。
四季折々、いろんな表情を見せてくれる自然の中で過ごしておられる保坂さんと奥さまの日々に思いをめぐらせた。
大きな窓の外に広がる景色を眺めながら・・・。
(再)安曇野市豊科高家 3柱無無型ショートアーチ脚 2023.05.25
■ 前稿に挙げた火の見櫓から500メートルほど南の、やはり旧千国街道沿いに立っている火の見櫓。2015年に見ている。上の写真に写っている道路を奥の方から進んできて、火の見櫓を通り過ぎてから見返して撮った「火の見櫓のある風景」。
気になるのは脚元の石造の添え束(短い柱)。添え束は火の見櫓の柱脚を固定・補強するためのものだが、現在立っている火の見櫓は添え束には固定されていない。この火の見櫓は建て替えられたもので、その前にここに立っていた古い火の見櫓の柱脚を固定していた、と推測される。
添え束(*1)には「大正四年十一月」「御大典記念」と刻字されている。大正天皇の即位に伴い大正4年11月に京都御所で行われた宮中行事(即位式、大嘗祭)の記念であることを示している。古い火の見櫓がこの年に建設されたのだろう。このような事例は他にもあるようだ。
添え束を使った火の見櫓には下のような事例がある(①、②)。
①-1
①-2
①は長野市内で見た火の見櫓。①-2の写真で添え束の孔を通したボルトの先を火の見柱に引っ掛けて固定していることが分かる(左奥)。
②-1
②-2
②は私を出口無き火の見櫓の世界に誘いこんだ大町市美麻の火の見櫓。やや太めのボルトで木造の柱脚を添え束に固定している。
3本の石造の添え束にそれぞれ2つ孔がある。①,②と同じようにこの孔にボルトを通して火の見櫓の柱脚を固定していたのだろう。大正時代初期に建てられたこと、ボルト孔が大きめであること、この2点からここに立っていた古い火の見櫓は木造で3本柱、大町市美麻の火の見櫓(写真②-1)と同じ様な姿だったと推測される。いつ頃建て替えられたのだろう・・・・。また出かけて近所の古老に訊いてみたい。
*1 以前は台柱と呼称していたが、添え束に改めた。踏み台という言葉があるが、①も②も台の上に火の見櫓を載せるように建てているわけではない。火の見櫓に添えて設置している束(短い柱の意)とする方が状態を的確に表していると判断した。
(再)安曇野市豊科高家 旧千国街道沿い 3柱無3型ショート3角脚 2023.05.25
■ この火の見櫓は2015年に既に見ている。その頃は「火の見櫓のある風景」を捉えるという意識が希薄だったためだろうか、上のような写真を撮ることはあまりなかった。いきなり火の見櫓にフォーカスしてしまって、下のような全形写真と部分写真を撮るだけのことが多かった。
3角形の櫓で見張り台も脚もあるが、屋根が無いという珍しいタイプの火の見櫓。交叉ブレースにリング式ターンハックルが使われておらず、代わりに割枠式ターンバックルが使われている。これも火の見櫓では珍しい。
一番上の横架材を留めているガセットプレートをよく見ると孔が開いていることが分かる。位置的にブレースの丸鋼を留めるための孔だと思われる。ということは、まだ上に垂直構面があったということではないか。上部を何らかの理由で撤去してしまったのかも知れない。すると、見張り台は元は踊り場だった?
■ ルイ・ビバンという素朴派の画家が5月23日付 信濃毎日新聞の文化面で取り上げられ、「ラングル駅の風景」と「ノートルダム・ド・パリ」という作品と共に紹介されていた。素朴派については独学で絵を学んだ画家、ということくらいしか知らない。素朴派の画家はアンリ・ルソーくらいしか知らず、ビバンの名はこの新聞記事で初めて知った。
記事によるとルイ・ビバンは1861年にフランス東北部のアドルという小村に生まれ、18歳のときに鉄道会社の郵便部局の仕事に就いたそうだ。31歳のとき、パリに出て郵便配達人となったビバンは、仕事の傍ら絵を描いていたという。ビバンは子どものころから絵を描くことが好きだったそうだ。1922年、61歳で郵便局を退職してから絵を描くことに専念、評論家に認められて素朴画家としての道が開けたとのこと。
**「素朴派の画家は、見える通りにではなく、知っている通りに描く」とよく言われます。ビバンは、まさにこの言葉にぴったりとあてはまる画家でしょう。** 遠藤 望さん(下諏訪のハーモ美術館長)は記事にこのように書いている。記事を読んで、この箇所にサイドラインを引いた。
優れた画力、テクニックによって、見える通り、リアルに描かれた絵もすごいとは思う。けれど、理解した通り、把握した通り描かれた絵により強く惹かれる。後者はすごいなぁ、ではなく、いいなぁ。
**風景をなにもリアルに描く必要はない。無い方が好いと思う要素は省略するなどして、風景を魅力的に再構成すること。創造行為とはそういうものだ、と私は思う。** 4月3日、ブログにこのように書いた。過去ログ
ルイ・バランは目の前の風景をそのままリアルに描くのではなく、郵便配達人として熟知している通り描いた。ビバンは生まれ故郷に近いラングル駅をよく知っていて、「ラングル駅の風景」では遠くに立つ塔もその手前の家も近くの駅舎や列車もどれも同じ密度できっちり描き込んでいる。遠近感を表現することには全く無関心かのように。他の作品も同じような描きかたをしているようだ。
「対象を知らなきゃ、アートをする資格がない」 植物写真家・いがり まさしさんのこの言葉をラジオ深夜便で聞いた(5月24日午前4時5分からの「心に花を咲かせて」)。この言葉にアンカーの須磨佳津江さんが「自分の姿勢ということですね」と応じていた。「自然のすばらしさを伝えるために自然のことをよく知る」「正確に知ることとイメージを届けることは矛盾しない」という言葉も印象に残った。
いがりさんは自然のことをよく知って、そのすばらしさを伝えるために写真を撮っている。ルイ・ビバンは仕事を通じて知った街の魅力を伝えるために描いた。アートとはそういうものだろう。
ここで改めてなぜ火の見櫓のある風景をスケッチするのか自問。火の見櫓の立つ風景っていいなぁ、と思うから。そしてその魅力を伝えたいから、と自答。
■ 「時のカプセル 中谷聡展」が長野県朝日村の朝日美術館で6月25日までの会期で開催されている。
リーフレットには**中谷 聡の石を用いた抽象彫刻の展覧会です。**と記され、「時のカプセル」という作品の大きな写真が載っている。なるほど、石は太古の昔からの時を封じ込めた時のカプセルだ。このような石に制作者はどう関わって、どのような作品を創りだしているのだろう、何を表現しているのだろう・・・。ぼくはこの作品展に興味を覚え、初日の20日、開館時刻の9時過ぎに出かけた。
縄文村公園内と美術館玄関前に展示されている2作品
4月29日付 日本経済新聞の書評面に『日本列島「現代アート」を旅する』秋元雄史(小学館新書)の書評が載っていた。評者は三浦 篤さん。書評には次のような一文がある(塩尻のえんぱーくで読んだ時のメモを転載する)。
**予備知識なしに傑作に出会う衝撃や感動は確かにあり、後で読んで深めるのも一法。しかし、著者の的確なレクチャーを受けて、現場でよりよく理解できることもあろう。基本どちらも可。あなた次第、また作品にも依る。造形性に圧倒される場合は前者、とっつきにくい場合は後者が有効かもしれない。**
屋外に展示されている2つの作品を入館前に見たが、抽象的でコンセプチャルな作品に戸惑った。「どう理解すればいいんだろう・・・」
幸運なことに中谷先生(愛知県立芸術大学美術学部教授)が在廊しておられ、作品について解説していただくことができた。上掲した書評の、鑑賞前にレクチャーを受けるという後者のケース。それも制作者から直接。
「時のカプセル」
石の中を見たくて二つに割ると、その瞬間に石の中の割れ面は二つの石の外になってしまう。だから中、封じ込めた時を見ることは出来ない。だが、二つに割った石の中をくり抜いてから割れ面を合わせて元に戻せば、石と制作者とが関わった時を中に封じ込めることができる、石が元々封じ込めてきた時と共に永遠に。「なるほど。なんだかロマンチック」
「時のカプセル・内と外8」
公園のベンチ? この作品を目にしてそう思った。脳は既知のものに帰着させようとする。
石を押し出せば中が露出するのではないか、という発想、アイデア。そう、ベンチの座面はこの石に封じ込められていた内部。「なるほど、確かに」
美術館内に展示されている花崗岩や大理石のキューブな造形の「時のカプセル」シリーズ十数点の作品もレクチャーのおかげで理解でき、鑑賞することができた。展示室に掲示されているあいさつ文にも明快に作品のコンセプトが記されていた。文章を読んで、また「なるほど」
ひときわ存在感があったのは展示室の奥のスクエアな空間に一点だけ展示されている「時のカプセル・内と外2」だった。銀閣寺の手水鉢には格子状のパターンが表面に施されているけれど、それより一回り以上大きいと思われる展示作品の表面は削岩機によって付けられた連続的なストライプ、魅力的なテクスチャー。
鑑賞する者の美的感性に訴えるような「美しい」作品もあるけれど、鑑賞する者に知性を以って理解することを求める作品もある。「時のカプセル」は後者。
「そうか、建築と同じだ」 一通り鑑賞した後で、ぼくは気がついた。作品のテーマの内と外は建築にも通じる概念だということに。なぜなら建築は空間に内と外をつくりだす装置だから。外なる無秩序な空間を秩序づけて内なる空間をつくる建築。
もちろん美術館にも内と外がある。展示室という内に展示された「内と外」。美術館と作品によって「入れ子」の空間が成立している。
おもしろい。
すばらしい作品との出合いに感謝。
「時のカプセル 中谷聡展」
※ 屋外の2作品を除き、作品の写真撮影は禁止されています。
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『諸職画鑑』北尾政美(鍬形蕙斎)1794年(寛政6年)
国立国会図書館デジタルコレクションより
■ 狛犬。今は両方の像をまとめて狛犬と呼ばれるが、もともと違う霊獣で、向かって右が獅子、左が狛犬だ。本来獅子は口を開いた阿像で角は無く、狛犬は口を閉じた吽像で角がある。ところが、江戸時代、寛政6年に刊行された『諸職画鑑』には逆の姿が描かれていて、右の獅子に角があり、左の狛犬に角はなく代わりに宝珠(*1)がある。
『諸職画鑑』に描かれたこのイラストを参考にして「獅子に角あり狛犬に角なし」像が各地につくられた。このような説明が『狛犬かがみ』たくきよしみつ(バナナブックス2013年)に載っている。
先日(16日)ひのみくらぶ会員の藤田さんの案内で茅野市と隣りの原村の火の見櫓を見てまわったが、最初に見たのが茅野市宮川の酒室神社のすぐ近くに立っている火の見櫓だった。その時、酒室神社の狛犬も見たことは既に書いた。この時は狛犬を見ることが目的ではなかったので、下の写真を撮っただけだった。
酒室神社の狛犬も『諸職画鑑』と同じ様に「右の獅子に角あり、左の狛犬に角なし」像だ。頭についているものが角なのか、宝珠なのか判然としない像もあるが、この狛犬は違いが分かる。右の霊獣には宝珠ではなく、角が付いている。また「獅子は口を開け、狛犬は口を閉じている」はずだが、写真では両方とも口を開けているように見える。それでどっちが獅子でどっちが狛犬なんだ、とぼくは混乱していた。
上の写真左側のように角ではなく、宝珠をつけた狛犬(宝珠狛犬)は明治期になると姿を消すと『狛犬かがみ』にある。となると酒室神社の狛犬はかなり古いものではないか・・・。
狛犬の見どころのひとつである尾を後ろから見なかったし、台座に建立年が刻まれているかもしれないのに、それも見なかった。
もう一度見なくては・・・。
*1 宝珠ってなんだろう・・・。ぼくは桃をモチーフにしているのではないか、と思い始めている。古事記にも出てくる桃には邪悪なものを追い払う力が備わっていると言われている。イザナギの命が黄泉の国から逃げ帰る時、追手に投げつけた桃だ。眉唾な珍説じゃないと思うけどなぁ。
火の見櫓のある風景 松本市島立 2023.05.20
■ 線の描き方も色の付け方も今までと少し変えた。その違いがスケッチの表情に出ていると思う。が、自分にしか分からないかもしれない。
決定的な線を引くという意識を少し遠ざけた。これが好ましいのかどうか、自分にも分からない。加えて、線にあまり頼ることなく、色でスケッチするという意識を持った。そう、色が先に引いた線に従うのではなく、線と色とのコラボとでも言ったらいいのか、それぞれ独立しているというイメージ。
あれこれ試してみよう。
■ 藤沢周平の短編小説集『橋ものがたり』(新潮文庫)に収録されている「約束」を読んだ。
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星 新一の「約束」というショートショートを読んで、同名の時代小説のことを思い出した。何年か前から、涙なくしては読めない小説をぼくは 「涙小説」と呼んでいるが、藤沢周平の「約束」は紛れもなく、涙小説だ。
幸助とお蝶は幼なじみ。ある時、奉公に出たふたりが約束をする。
**「五年経ったら、二人でまた会おう」(中略)
その日はいつで、時刻は七ツ半だ、と幸助は言った。お蝶はうなずいたが、幸助を見つめている眼に、みるみる透明な涙が溢れた。その眼をみひらいたまま、お蝶が囁いた。
「どこで?」
「小名木川の萬年橋の上だ。お前は深川から来て、俺は家から行く。そして橋の上で会うことにしよう」
お蝶が続けざまにうなずいた。すると、涙が溢れて頬に伝わった。**(20,21頁)
約束の日、約束の時刻よりだいぶ前からお蝶を待っている幸助。
**だが時刻は、約束の七ツ半から、さらに一刻半(三時間)近くも経っている。(後略)**(33頁)
五年の歳月はふたりを「大人」にしていた。お蝶は来ないのか・・・。
**「約束を、忘れなかったのか」**と幸助。
**「忘れるもんですか」**(37頁)ぼくはお蝶のこの言葉を読むたびに泣く。今もこうして書いていても涙が出る。
ああ、いいなぁ。
■ 男はつらいよの第4作を借りるつもりだったが、SFコーナーを覘いて「サロゲート」を借りた。ブルース・ウィリスが主演の映画ならおもしろいだろう、と思って。「サロゲート」は2009年に公開されたアメリカ映画。
サロゲートは身代わりロボットのこと。本人(オペレーター)に代わって社会生活を送る。サロゲート所有率98%の社会。街なかを歩く者、車を運転する者、地下鉄に乗っている者、働く者、みんなオペレーターに繰られているサロゲート。サロゲートはオペレーターの望み通り性別も年齢も容姿も自由に変えることができる。
サロゲートが殺されても安全装置が作動してオペレーターは傷つかないはず、だった・・・。ところがある夜、サロゲートを開発した男の息子のサロゲートが何者かに殺されると、息子まで死んでしまう事件が発生する。
この映画は、星 新一の『ボッコちゃん』(新潮文庫)に収録されている「肩の上の秘書」の延長線上にある近未来を描く。
体が不自由な人の分身のサロゲートが自由に走り廻る。人に代わってサロゲートが危険な作業をする。SFの世界のことだと思っていたことが現実になりつある。
「サロゲート」は観た者に問う、人の代わりをどこまでAIにさせるのか、どこまで許容されるのか、を。