透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2024.06

2024-06-30 | A ブックレビュー


 早くも今年前半が終わる。読書は日常生活の一部、食事と同様毎日欠かせない。6月の読了本は図書館本2冊を含め9冊。

『川端康成 孤独を駆ける』十重田裕一(岩波新書2023年)
2歳で父、3歳で母を亡くした川端康成。川端文学の本質を著者の十重田さんは
**天涯孤独となった川端の、いわゆる孤児の感情は、彼の文学の特色を考えるうえで逸することのできないものである。**(8頁)
**他者とつながり、心を通わすことを強く求める思いが、川端の文学の基盤をかたちづくっていた。**(3頁)と説く。
このような視点を与えられると、川端文学の見通しがよくなる。

『マンボウ家族航海記』北 杜夫(実業之日本社文庫2011年)
『幽霊』『木精』『楡家の人びと』の北 杜夫が・・・。

『伊豆の踊子』川端康成(新潮文庫1950年8月20日発行、2021年7月20日第154刷、2022年7月1日新版発行)
**二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。**(38頁) 踊子が「いい人ね」と言うのが聞こえて、**私は言いようもなく有り難いのだった。**(38頁) **私はさっきの竹の杖を振り廻しながら秋草の頭を切った。**(38頁)
『川端康成 孤独を駆ける』を読んだ後だから補助線を引くことができ、上掲の引用箇所、この小説のポイントにきっちり気がつく。

『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』三砂ちづる(光文社新書2024年)
失われゆく文化の記録。

『飢餓同盟』安部公房(新潮文庫1970年発行、1994年25刷)
難しくて、私の読解力ではまったく歯が立たなかった・・・。

『箱男』(新潮文庫1982年10月25日発行、1998年5月15日31刷)
自己の存在を規定するものは何か、それを手放すとどうなる・・・。安部公房が読者に問うているこのテーマは今日的。

『絶景鉄道  地図の旅』今尾恵介(集英社新書2014年)
地図好き、鉄道好きにはたまらない1冊だと思う。

『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』川上弘美(講談社2023年 図書館本)
川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。それはこの小説でも同じ。

『研ぎ師太吉』山本一力(新潮社2007年12月20日発行、2008年1月25日2刷 図書館本)
ミステリーも恋も中途半端。


**私はゆっくり読書を続けていきたいと思います。** ある方から初めて届いた年賀状に書かれていたメッセージ。ぼくもそうしたいと思う。本の無い生活は考えられない。


『華氏451度』(ハヤカワ文庫)
レイ・ブラッドベリが描いた本が禁制品となった社会はディストピアだ。


 


246枚目 「Wandering Olive Trees」

2024-06-30 | C 名刺 今日の1枚


246枚目 阿部充紘さん
 
阿部充紘写真展『Wandering Olive Trees 』

第一会期:2024年6月29(土)〜30(月)
第二会期:2024年7月12(金)〜15(月)
     12:00-18:00
会場: BLUE HOUSE STUDIO
長野県東筑摩郡朝日村針尾1037-6

2018年10月から2019年3月までの半年間、中東のパレスチナに滞在した阿部さん。その間にパレスチナ、イスラエルで撮影した膨大な写真の中から選び出した十数点を展示している。

激しい戦闘場面はない。静かなとでも形容できるような日常の光景のモノクロ写真。そこに何気ない日常の背後にある「影」を見る阿部さんの冷静な眼をぼくは見た。


 


「絶景鉄道 地図の旅」を読む

2024-06-29 | A 読書日記


 上高地線の下新駅の駅舎で開かれる古書店『本の駅・下新文庫』で買い求めていた『絶景鉄道  地図の旅』今尾恵介(集英社新書2014年)を読んだ。

この本の著者・今尾恵介さんは地図研究家で地図を眺めていると風景がかなり現実に近く想像できるという。例えば次のように。**たとえば和歌山県の地形図なら、狭い等高線間隔の中に果樹園の記号が規則正しく配置されていれば、急斜面をびっしり埋め尽くしたミカン山であり、そこを二センチおきに等高線を跨いでいく鉄道の記号があれば、二〇パーミルの急勾配を走る列車の姿も思い浮かぶ。いや、和歌山県だと場所によっては梅干しの梅と採るための梅林(同じ果樹園の記号)かもしれないが。**(8頁)

そんな今尾さんが25,000分の1の地形図でイメージする鉄道のある風景。ただ地図が好き、鉄道が好きというだけの私は本書のマニアックな世界にはなかなか入り込めなかったが、興味深い記述もあった。


立場川橋梁(撤去することが決まっている) 2012年9月撮影 

本書は富士見町にある立場川橋梁についても触れている。この橋梁はボルチモア・トラス(平行弦分格トラス)だという説明がある。平行弦トラスは、上の写真で分かる通り、上下の弦(横方向の部材)が直線で平行のトラスのこと。ここまでは知っていた。

で、分格トラスって何? 調べてみた。格点とは部材と部材の結合点のことで、節点とも言う。なるほど、分格って格点をいくつかに分けたトラスという意味なのか。

ボルチモア・トラスは載荷弦(立場川橋梁では上弦で、ここに列車の荷重がかかる)側に副材を配置して斜材の歪みを防ぐという説明がある。なるほど。 記載されている内容を正しく理解すればまた新たな興味が湧く。

また、本書は余部橋梁についても触れている。**この余部橋梁は長さ310.6メートル、高さは最大で41メートルに及ぶ大きな橋で、日本では珍しいトレッスル橋の最大の橋として知られていた。トレッスル橋とは複数の高い櫓(トレッスル)の間に橋桁を渡す形式で、幅広く深い谷に架けられることが多かった。**(142頁)

この橋梁(鉄橋)は『途中下車の味』宮脇俊三(新潮文庫)にも出てくる。** 道が右に急カーブすると、山間(やまあい)にわずかな平地が広がり、前方に余部鉄橋が全容を現した。火の見櫓のような橋脚が11基、ずらりと並んでいる。**(23頁) 


旧余部鉄橋 ウィキペディアより

宮脇さんはこの橋脚を火の見櫓に喩えた。今尾さんも高い櫓(トレッスル)と書いている。ウィキペディアにtrestleとは末広がりに組まれた橋脚垂直要素(縦材)と出ている。なるほど。ここで注意すべきは末広がりという条件。

本書の構成は次の通り。
第一章 地形図で探す「鉄道の絶景」
第二章 過酷な道程を進む鉄道
第三章 時代に左右された鉄道
第四章 不思議な鉄道、その理由
第五章 鉄道が語る日本の歴史

私は地図がもっと大きければよかったなとか、車窓の風景写真がもっと掲載されていればよかったなと思ったが、マニアな人たちにはこれで充分というか、これでなければいけないと思うのだろう。


 


「箱男」を読む

2024-06-29 | A 読書日記

 安部公房の代表作の一つ『箱男』が映画化され、8月に公開されるという。是非観たい。どのような映像表現がされているのだろう・・・。映画を観る前に読んでおこうと、残りの他の作品に先んじて『箱男』(新潮文庫1982年10月25日発行、1998年5月15日31刷)を読んだ。


『箱男』を箱本(などという言葉はないと思うが)、箱入りの単行本で読んだのは1977年だった。その後、文庫本で1998年、2009年に読み、2021年にも読んでいる。

やはり安部公房の代表作である『砂の女』は要するに人間が存在すること、とはどういうことなのかという問いかけだった。既に書いたけれど、これは安部公房がずっと問い続けたテーマだった。『箱男』のテーマも『砂の女』とそう差異はないのではないか、と思う。箱をかぶることで自己を消し去るという、実験的行為。他者との違いは何に因るのか、他者と入れ替わるということは可能なのか・・・。

読んでいて、贋箱男なのか本物の箱男なのか混乱してくる。注意深く読み進めればそんなこともないのだろうが、どうもいけない。注意力も記憶力も読解力も低下している。いや、安部公房はテーマに沿って意図的に読者を混乱させようとしていたのかもしれない。

今のSNS上の人間って、ダンボール箱をかぶって、のぞき窓から人を観察する箱男と同じではないか。自分が誰であるかを明らかにしないで、即ち自己を消し去って、SNS上に情報を発信し、SNS上の情報を受信する人間と箱男は重なる。

『箱男』は表向きエロティックな小説である。このことを示す箇所の引用はさける。2021年2月に読んだ時の感想を次のように書いている。**単なる覗き趣味のおっさんの物語じゃないか、などという感想を持ってしまった。いや、そんなはずはない・・・。やはり僕の脳ミソはかなり劣化している。**

自己の存在を規定するものは何か、それを手放すとどうなる・・・。安部公房が読者に問うているテーマは今日的だ。そして難しい・・・。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。6月28日現在12冊読了。残り11冊。7月以降、月に2冊のペースで読了できる。 

※『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』を買い求めたのでリストに追加した(2024.06.29)。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


 


火の見櫓が出てくる小説、エッセイなど

2024-06-26 | A 火の見櫓っておもしろい

 私が読んでいて気がついた火の見櫓が出てくる小説、エッセイなど(とりあえずブログの過去ログから分かった作品)を挙げる。火の見櫓の関心を持ち始めたのは2010年の5月。それ以前に読んだ小説などにも火の見櫓がでてくるものがあっただろうが、気がつかなかっただろう。

時代小説はあまり読まないが、江戸が舞台の小説には火の見櫓が出てくることが少なからずあると思う。江戸では火災が頻発していた。だから火災が発生して登場人物が日々の暮らしの中で半鐘の音を聞くことがあっただろう。作者がそのような日常を描けば出てくることもあり得る。

火の見櫓が江戸の街に出現したのは江戸時代前期のことだった。それ以前の時代を扱う小説などには寺の鐘は出てきても火の見櫓や半鐘は出てこない。存在しなかったのだから当然のことだ。

『研ぎ師太吉』山本一力
『髪結い伊三次捕物余話』宇江佐真理
『羽州ぼろ鳶組シリーズ』今村翔吾
『北斎まんだら』梶よう子(火の見櫓があだ名として出てくる)

*****

以下の作品には火の見櫓が出てくる。火の見櫓が現役で活躍していたころのことが描かれているので。これらの作品の中には『夜明け前』『どくとるマンボウ青春記』『砂の器』『砂の女』など2010年5月以降に再読して、火の見櫓に気がついたものもある。

『夜明け前』島崎藤村
『どくとるマンボウ青春記』北 杜夫
『硝子戸の中』夏目漱石
『砂の器』松本清張
『左の腕』松本清張
『砂の女』安部公房
『チチンデラヤパナ』安部公房
『旅の終りは個室寝台車』宮脇俊三
『途中下車の味』宮脇俊三
『関東大震災』吉村 昭
『バーナード・リーチ日本絵日記』バーナード・リーチ 柳 宗悦  訳(リーチが描いた火の見櫓のスケッチが掲載されている)

これからも小説などを読んでいて火の見櫓が出てくればこのリストに加えていきたい。


※ 今後発表される現代小説に火の見櫓が出てくることはまずないと思われる。既に火の見櫓は現役を引退している。だから作者も読者も関心が薄いだろう。


「研ぎ師太吉」を読む

2024-06-25 | A 読書日記


『研ぎ師太吉』山本一力(新潮社2007年12月20日発行、2008年1月25日2刷 図書館本)を読んだ。読後の感想としてプレバトの「がっかり」は厳しすぎるかもしれない。さりとて「お見事」というわけにもいかない。それはなぜか・・・。

長屋暮らしの腕利きの研ぎ師太吉のところに持ち込まれた出刃庖丁(小説では包丁ではなく庖丁と表記されている)。持ち込んだ若い女性はかおりと名乗り、出刃庖丁は料理人だった父親が使っていた形見だと言う。

**「おとっつあん・・・・・喧嘩相手に、小名木川の暗がりで殺されたんです」**(17頁)本所の料亭で板長に就いたかおりの父親が同じ調理場の料理人を厳しく叱ったために、その料理人から殺されたのだとかおりは言う。

ここからものがたりは、事件の真相を明かすべく動き出す・・・。

主人公の太吉が料理人の使う庖丁を研ぐ仕事をしているだけに、ものがたりには老舗料亭の板長や太吉が通う一膳飯屋のあるじといった庖丁遣いの職人が登場する。他に庖丁をつくる鍛冶屋の職人。それからかおりの他にも飯屋七福の娘・おすみ、太吉の奉公先で働いていた香織という若い女性たち。もちろん事件を解決する同心、目明し、下っ引きも。

ぼくがこの小説を「お見事」というわけにはいかない、厳しすぎるかもしれないけれど「がっかり」としたのは、別件逮捕した男に拷問を加えて自白させ、事件を解決するという終盤の流れに因る。これが読後感を悪くしている。太吉自らの名推理、活躍によって見事に事件が解決されると期待していたので、がっかり。

太吉と登場する娘たちの誰かとの関係が恋に発展するのかと思いきや、淡雪のごとく消えてしまうし・・・。太吉が殺人容疑をかけられたかおりの容疑を晴らして、ふたりは結ばれると予想していたが、それはなかった。香織が離縁されそうだと知り、かおりではなく、香織と結ばれるのか、とも思ったが、そうもならなかった。

**「わけえということは、あれこれ選り好みができるということだが、そろそろ、てめえの気持ちに正直になって落ち着いたほうがいいぜ」
あれはいい娘だ・・・・
代吉は、だれとは言わずに太吉を見詰めた。(後略)**(285頁)ラストがこれでは物足りない。で、がっかり。

このふたつのがっかりがなかったら、かなり甘いけれど「お見事」としたかも。ミステリーも恋も中途半端なのだ。もちろんこれは私見。読後に「お見事」とした読者も少なからずいただろう。


**両国橋のたもとの火の見やぐらが、擂半(近所の出火や異変を報せるために、半鐘を続けざまに叩くこと)を鳴らした。**(44頁)
**仲町の辻には高さ六丈(約十八メートル)の江戸で一番高い火の見やぐらが立っていた。櫓の側面は、黒塗りである。**(185頁)

火の見櫓が出てくる小説として記録しておかなくては。


 


松本の火ノ見場

2024-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 
 松本市立博物館で「明治十三年六月 御巡幸松本御通図」を見た。明治天皇の松本行幸の様子が描かれている。写真はその一部分で右上に女鳥羽川左岸にあった開智学校が描かれている。

私が注目したのは火ノ見場。その部分を切り取った写真を下に載せる。開智学校との位置関係から本町通りと判断できる。高さ10m超と思われる火の見櫓(火ノ見場)が描かれている(絵図中に火ノ見場という表記あり)。

 
錦絵には1880年(明治13年)6月に行われた行幸の様子が描かれているのだから、この火の見櫓はそれ以前に建設されたことになる。木造で黒い壁は押縁下見板張りであろう。江戸時代の火の見櫓の仕様と変わらないだろうという推測から。火の見櫓の脚元には柱が何本か描かれているように見える。この錦絵にどのような説明文が付けられていたのか、確認しなかった。機会をみつけてもう一度出かけて確認したい。

360
国立国会図書館デジタルコレクションより


常設展示室の松本城下のジオラマ(この写真に限り2023.10.25に撮影した)には火の見櫓はない。1657年の明暦の大火の翌年、江戸城下に初めて火の見櫓が建てられ、火の見櫓の歴史が始まったのだが、江戸時代後期(ジオラマは1835年(天保6年)の絵図などを基にしている)の松本にはまだ火の見櫓は無かったのだろうか・・・。


 


松本市立博物館で思ったこと

2024-06-24 | A あれこれ


蒸気ポンプ 
大正2年(1913)
明治45年(1912)に発生した被害家屋1,341軒、死者5人の大火の後に、市民の期待を背負い松本市の中心部に配備されました。
それまでの手押しポンプを圧倒する、蒸気による力強い放水は人々を驚かせました。活躍した期間は長くはありませんが、人々の暮らしを守った消防ポンプとして大切に保管され、博物館に寄贈されました。

以上、説明文。


 昨日(23日)の午後、松本市立博物館へ。午前中にカフェトークしたAさんから誘われたので。

同博物館は昨年(2023年)10月以来2回目(過去ログ)。昨年10月も常設展示を見たが、その時、首都圏在住の友人の感想は「薄いね」。展示品を美しく見せようとするあまり、情報が少ないというのだ。

同感だ。昨日もそう思った。


この様子が上記のことを端的に示している。上掲写真に対応する書籍がそれぞれ「展示」されているけれど、閲覧できるように配慮されてはいない。ぼくは青い表紙の大きな本を開いてみようとしたが、あきらめた。そうこれは閲覧を意図したのではなく、雰囲気の演出なのだろう。

展示品に関する通り一遍ではない詳細な説明が欲しいと思う。街中が博物館であって、この博物館はその入り口、情報のターミナルという位置付けだというのであれば、それに対応する情報が欲しい。スマホに現地までの案内地図が取り込めるというような。時間的に余裕がないという人もいるだろうから、展示してあるものに関する詳細な情報も取り込めるというような・・・。


松本市内にはこの道祖神のような木彫りのものが何体もあるようだが、その全貌が分かるようになっていればうれしいのだが。そう、全ての木彫道祖神の写真展示。木彫りに限らず道祖神マップがスマホに取り込めて、興味のある人がその場所まで見に行くことができるようになっているとか(*1)。

でも、圧倒的な情報量に感動するというのが博物館に対するイメージなんだけど。これって古いのかな。


*1 木彫道祖神は石造の祠に祀られているなどして、普段は拝観できないと思われる(過去ログ)。


「飢餓同盟」を読む

2024-06-23 | A 読書日記


 安部公房の『飢餓同盟』(新潮文庫1970年発行、1994年25刷)を読んだ。いや、読んだとは言えないか。前衛的な作品というわけでもないけれど、読みこなすことができなくて、ただ字面を追っただけだったから・・・。初期の作品は難しい、いや、脳の劣化著しく、読解力、記憶力がかなり低下していることが主因であろう。

カバーの裏面の紹介文を転載する。**眠った魚のように山あいに沈む町花園。この雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちは、革命にための秘密結社〝飢餓同盟〟のもとに団結し、権力への夢を地熱発電の開発に託すが、彼らの計画は町長やボスたちにすっかり横取りされてしまう。それ自体一つの巨大な病棟のような町で、渦巻き、もろくも崩壊していった彼らの野望を追いながら滑稽なまでの生の狂気を描く。**

ストーリーを要約すれば確かにこんな感じではあるが、滑稽なまでの生の狂気? そうなのか・・・。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版)

今年中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。6月22日現在11冊読了。残りは11冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして12冊。7月以降、2冊/月で読了できる。 


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


紫陽花

2024-06-21 | A あれこれ


2024.06.21

駅には紫陽花が咲いていました

君は約束通り改札口の前に立っていました

その日のフレアスカートはいつもと違って少し長めで色づき始めた紫陽花のような色でした

小雨そぼふる街を小さな傘をさして歩きました

カフェではピアノ曲が静かに流れていました

君が浮かべた涙のわけ、しばらく分かりませんでした

あの日からもう何年も何年も経ちました

ことしも紫陽花の季節になりました


昔の切手

2024-06-21 | D 切手


 岡山の方から封書で火の見櫓に関する論考「津山市の火の見櫓 ―その分布と特徴について―」(『津山市史研究』第9号2024年3月発行)の抜き刷りを送っていただいた。貼られていた3種類の切手はどれも随分昔に発行されたもので、初めて見るものだった。

60円切手:高山植物シリーズ   ウルップソウ 1984年8月27日発行(40年前)
15円切手:魚介シリーズ     さざえ    1967年7月25日発行(57年前)
  5円切手:第2次国立公園シリーズ  阿蘇国立公園   1965年6月15日発行(59年前)

5円切手は見るからに古そう。


 


「頭上運搬を追って」を読む

2024-06-19 | A 読書日記

420
『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』三砂ちづる(光文社新書2024年)を読んだ。

頭に物を載せて運ぶ頭上運搬はアフリカや東南アジアなどで今も行われているが、かつては日本でも各地で行われていた。沖縄、伊豆諸島、瀬戸内海・・・。全国各地に頭上運搬を経験した高齢の女性を訪ねて行ったヒアリング等をまとめたルポルタージュ。

帯の写真は沖永良部島の住吉暗川から水を頭上運搬する女性たちを撮影したもの。雑誌などでこのように頭上運搬する女性の写真を見た記憶がある。

沖縄。糸満から那覇まで12kmの距離を、30Kgもの魚を入れたたらいを頭に載せて、小走りで運んだ女性たち。一日に3往復する女性もいた、ということが書かれている(64頁)。ということは・・・、総距離72kmにもなる。びっくり。

神津島。**一人前の女子であればだいたい16貫目程度の運搬能力を持っているという。1貫目が約3.75キロだから、16貫目とはおよそ60キロほどの重さではないか。体より重い荷物を頭にのせていたというのである。**(112頁)びっくり。

本書にはこのような事例がいくつも紹介されている。

本書に見開きで掲載されている日本の頭上運搬の分布図(『民俗學辭典』東京堂出版1951年、136,7頁)を私は興味深く見た。35カ所の地域が日本地図上にプロットされているが、琵琶湖近くの地域を除き、全て海沿いの地域だ。なぜだろう・・・。

著者の三砂ちづるさんは、**多くは海寄りで、魚を売ることに関わっていたであろうことがわかる。**(140頁)と書く。また、**女川町誌にあるように、江島は急勾配の続く島で、住宅も高い所に建っている。井戸は低いところにあるため、結果として頭上運搬が便利だったのだと思われる。江島の周囲の島は、もっと平らで道路もよかったので、頭上運搬する必要がなかったのだろう、(後略)**(142頁)という現地の方のコメントも載せている。

**もともと頭上運搬は、どこか特別なところで行われていたというものではなく、ほとんどの地方で、ほとんどの人が、日常的な運搬方法として行っていたことではないのか、それがだんだん廃れてきて、(中略)ある特殊な条件下にあるところでは、その風習が残った、ということではないか、という仮説である。**(152,3頁)と、民俗学者・瀬川清子の説も紹介している。

特殊な条件って一体どんな条件なんだろう・・・。どんな理由で残ったのだろう・・・。坂が多くて頭上運搬に代わる他の運搬方法が使えなかったところということか。

三砂さんは頭上運搬を追う理由について、**本当のところは、それが、女性の姿として美しいから、というのが一番大きな理由であり、きっかけであるように思う。**(101,2頁)と書いている。

**センターの通った、真っ直ぐな、軸の通った身体でなければ、頭上に何かものをのせて運ぶことはできない。**(189頁)と三砂さんは指摘しているが、これは身体に鉛直荷重しかかからないようにしないといけないということだ。頭上にものを載せても身体が真っ直ぐでなかったり、真っ直ぐであっても軸から外してものを背負うと身体に曲げモーメントがかかってしまう。頭上運搬は力学的に理にかなっている。だから見た目にもその姿は美しいということだろう、と私は思う。

三砂さんもこのことについて、**重力に逆らって持ち上げるような姿勢は、自ずと不自然なものになるであろう。**(189頁)と書いている。これは水を入れたバケツを片手で持って運ぶ場合を考えれば分かりやすい。

三砂さんは更に**よくととのった、すっきりとした身体を持ち、その頭の上に「もの」がのっている様子は、「敬意を込めて運ぶ」、つまりは供え物をする時の運び方として、まことにふさわしいやり方であったに違いない。**(189,190頁)と、人文学的と言っていいのか、そんな解釈もしている。**天に近いものがより尊く、高いところにあるものがよりよい**(188頁)というのだ。

**この本で取り上げている「頭上運搬」は、生活に必要な身体所作だったのであり、それを続けることでセンターが強化され、ゆるんだ体が結果として保たれる。実用性もあり、生活を支えていた運動でもあり、身体意識の強化にもつながっていた。労働の過酷さ、のみではない、身体づかいの妙味が提示されていたことに気づくのである。**(186頁)

頭上に載せたものに働く力(重力)の方向、そう地球の中心に向かう方向にきちんと身体の軸を一致させることができる身体意識、身体感覚をかつてはごく普通の女性たちが備えていたという指摘が本書の論旨、と解した。


 


本の寺子屋 講演会

2024-06-18 | A あれこれ

 「信州しおじり本の寺子屋」。今年度は下表のような講演会が予定されている(えんぱーくのウェブサイトより)。16日に行われた山本一力さんの「生き方雑記帖  2024」を聴講した。11月、12月に予定されている関川夏央さん、ねじめ正一さん、ふたりの作家の講演もぜひ聴きたいと思う。


山本さんの直木賞受賞作『あかね空』を読んで、感銘を受けていたので(過去ログ)、講演を是非聴きたいと思っていた。

講演で印象に残ったのは次のような言葉。
時は流れない、流れ去っていかない。時は積み重なる。だからそこに立ち戻って振り返ることができる。私が『あかね空』を読んで感じたのは山本一力という作家は内省的な人なんだろうな、ということだった。上記の言葉を聞いてやはりそうだった、と思った。

山本さんが講演の途中で演台に伏せて置かれていたグラスにそのままペットボトルの水を注いだときはびっくりした。職員がすぐ対応していたが。1948年生まれの山本さんは76歳。視力がかなり衰えているそうで、よく見えないとのこと。講演の後の参加者からの質問もよく聞き取れないようだった。

パソコンで書いているという山本さんは推敲に原稿を読み上げるアプリを使っているとのこと。対象、大正、大将。変換ミスは絶対に避けなければならないという山本さんは出来るだけ大きな文字で表示して確認しているそうだ。

私は読んでいないが、『ジョン・マン』はジョン万次郎の波乱の生涯を描く歴史小説で、現在第7巻まで刊行されている。第8巻はいつ頃出るのかという会場からの質問に、いま書いていますと山本さん。『ジョン・マン』を書き上げたら、またここに来て、皆さんに報告したいです、という山本さんの言葉に誠実な人柄を感じた。

目が見えている限り物書を続けますという言葉に、私は感動した。涙が滲んだ。

講演会終了時の拍手は大きく、そして長く続いた。


 


手動式のポンプ

2024-06-17 | A あれこれ


 飛騨高山ウルトラマラソンに参加した友人・S君の応援に出かけたことは書いた。第3関門の丹生川支所でS君を応援するはずが、想定時刻より30分早く11時45分頃通過したために、ここで元気づけることが出来なかった。なぜだ?10時40分ころにはここに着いていたのに・・・。




理由が分かった。その頃、ホールに展示されていた腕用喞筒(ポンプ)を見ていたのだ。12時前だから大丈夫だろうと思って。

教訓:油断大敵。





「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」を読む

2024-06-15 | A 読書日記

480
 川上弘美の本とさよならしたのは2014年12月のことだった。あれからもう10年近くなる・・・。

『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』(講談社2023年 図書館本) 

久しぶりに川上弘美の作品を読んだ。きっぱりと別れたつもりでもやはり忘れられないのだ。


昨日(14日)いつのもスタバでこの本を読んでいると、顔見知りの店員・Hさんに声をかけられた。
「私も読みました」
「会話がいいよね」
ぼくは感想を伝え、下線部分のことも話した。

川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』も同じだ。ストーリーらしいストーリーはない。私とカズはお互い惹かれてはいるのだろうが、恋愛関係になるわけでもなく、曖昧な関係。
小説の中の会話を読んでいて、実際の会話ってこんなんじゃなよな、と思うことがある。整然としすぎていて無駄がないのだ。この小説の魅力はリアルな会話。読んでいて同じところに一緒に座って会話を聞いているような気分になること。

**「なるほど、それはありえるかも」
「でもさ、六歳の子供のすしに、たっぷりのわさびなんか、入れるものかな」
「それもそうか」**(84頁)

**「先月、ここでミナトと会った」
「そうなんだ」
「ご機嫌うかがいしたいって」
「ビール、飲んだ?」
「そりゃ、飲むさ。娘と二人なんて、酒でも飲まなきゃ所在なくて」**(113頁)

『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』は表題作を含め、17編からなる連作短編小説。

ともにカルフォルニアで幼少時代を過ごした3人。主人公のわたしとカズとアンが半世紀ほど経って、東京で再会した。3人は60代になっていた。時々お酒を飲むような関係になる3人。で、上のような会話をする。

だいぶ前に川上弘美の作品について次のようなことを書いた(2011.05.28)。

**川上弘美はよく白も黒もごっちゃになった世界、境界のはっきりしない曖昧な世界を描く。長編の『真鶴』では失踪してしまった夫がまだこちらにいるのかあちらに行ってしまったのか、はっきりしない状況で物語が進むし、やはり長編の『風花』は夫と別れようか、どうしようか、とまるで風花のように気持ちが定まらない若い女性が主人公の物語だ。『真面目な二人』はふわふわ、ゆらゆらなカワカミワールドが上手く描かれた佳作。**

川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』も同じだ。この小説にストーリーらしいストーリーはない。私とカズはお互い惹かれてはいるのだろうが、恋愛関係になるわけでもなく、曖昧な関係で次のような会話をする。

**「なんか、色っぽいね、どうしたの」
「色っぽい?」
「おれのこと、好きになった?」
「いや、べつに」
「即答かよ」
「もともとけっこう好きだし」
「そういう意味の好きじゃなく」
「ナポリタン、頼もうよ」**(115,6頁)

このようなたわいもない会話を地の文がきっちりしめている。その中に時々ハッとさせられるようなことばが出てくるのも、魅力だ。両者のバランスが実に好い。やはり川上弘美はうまい。