透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

安曇野市三郷の火の見櫓

2023-08-30 | A 火の見櫓っておもしろい


1485 安曇野市三郷温 火の見梯子控え柱付き(建設:昭和40年12月) 2023.08.30

 カーナビを距離優先で設定して安曇野市内を三郷から豊科郷土資料館に移動した。途中通った道路沿いにこの火の見櫓が立っていた。やや幅広の火の見梯子を2本の控え柱が後ろから支えている。高さは5mくらいありそうだ。

火の見櫓との新たな出会いは久しぶりだった。普段通らない生活道路沿いにまだ見ていない火の見櫓が立っているだろう。




ブラケットに双盤を吊り下げている。


 


情報を発信するということ

2023-08-28 | A あれこれ



 外界からの刺激に反応することが生きているということの証です。

低次の刺激への反応は、例えば日射しがまぶしくて手をかざす、騒音に耳をふさぐというようなことが例示できます。瞳孔は光に反応して大きさを変化させますが、これは最も低次な刺激に対する生体反応ですよね。

高次の刺激(情報)には、例えば音楽や絵画、映画、メディアが伝えるニュースなどがありますが、音楽のリズムに合わせて体を動かしたり、映画を観て涙したり、ニュースに笑ったり、驚いたり、怒ったり、悲しんだり、と様々な反応をします。これも生きているということの証です。

そしてこのような反応を「ねえ、聞いて、聞いて」「これ見て」と、家族や友人・知人に伝えたいという欲求が程度の差こそあれ誰にもあるでしょう。SNSによる情報発信もこのような欲求によるものですよね。情報に反応するだけでなく、それを人に伝えることが生きているということの証なのかも知れません。

創作活動が例示したような外界からの刺激に対する反応によるものなのかどうか、よく分かりませんが、作品を発表するという行為も生きていることの証、と捉えることができそうです。描いた絵や撮影した写真を展示して、他人(ひと)に観ていただくということはその代表的な事例です。俳句や短歌、エッセイを投稿するということも同じ欲求に基づく行為でしょう。このように人は自身が取り得る方法によって、私はちゃんと生きていますよ~、と他人に伝えているのです。

当たり前のようなことを妙に理屈っぽく長々と書いてしまいました。言いたいのは、何らかの方法で情報発信することは生きていることの証だということです。

8月2日に始まった「青木裕幸水彩画展」は、東京でちゃんと頑張ってやってますよ、という青木君の情報発信でした。その作品展が昨日(27日)終了しました。

東京生まれで東京育ちの彼が両親の出身地である松本・安曇平で作品展をすることには意義があるのではないかと考えて、安曇野市豊科のカフェ・BELL WOOD COFFEE LABでの開催をすすめましたが、無事終了してホッとしています。

作品展の期間中、大勢の方々に作品をご覧いただきました。皆さんに感謝の意を表します。もちろんカフェのオーナー・鈴木さんにも。

ありがとうございました。


 


心模様の投影

2023-08-27 | A 火の見櫓のある風景を描く


 8月2日に始まったいとこの「青木裕幸水彩画展」、今日27日が最終日。昨日(26日)の午後、青木君と同じ美術部に所属していたという友人が首都圏から車で来場、作品を観て下さった。訊けば高校の同期生と娘さん、それからやはり同じ美術部の先輩とのことだった。

*****

私の高校の同期生も来場してくれた。彼女も趣味で絵を描いている。しばらく対面で話をした。以下、いとこの作品のことではない(青木君すみません)。

「絵の色って、その時の気持ち、心模様が反映されますよね。明るい気持ちの時は、その気持ちに同調するように明るい色使いになるし、暗い気持ちの時の色使いはなんとなく暗くなる。それから絵に勢いもない」ぼくがスケッチで感じていることだ。

彼女には具象的な作品もあるし、抽象的な作品もあって多彩だ。シャガールの絵のような美しい色使いの作品もある。絵を描くことが好きなんだな、とSNSにアップされる絵を見ていつも思う。絵に勢いを感じる。気持ちに手の動きも同調するのかもしれない。文は人なりというけれど、絵も同様だろう。

最近読んだ梶よう子さんの『北斎まんだら』にも**おれは、おれの思うがままに描くんだ。おれが真だと思うものが真になる。おれの画になる。**(152頁)という北斎のことばがある。**「描きてえから描く。それだけだ。そこに訳なんざいらねえ。けど、おめえは理由(わけ)ばかりを考えていやがる。それが勿体ねえ」**(322頁)という北斎の娘・お栄が甥の重太郎に向けたことばがある。

また、安野光雅さんの『絵の教室』には**絵には基礎はない、教えようにも教えられない、本当の基礎は心の中にあり、「絵が好き」という心情に勝る基礎はないといい、絵のある人生がいかに豊かなものであるかを、自分の体験を通じて、切々と語り続ける。**という、安野光雅さんが書いた『絵のある人生』という本について書かれた読者の感想文が載っている(125頁)。

同書で安野さんは**写実的な絵というものは、目に見えているものを描いた結果ですが、よく考えてみると目に見えないものを描いていることが少なくありません。むしろ見えていないものを描くことに絵の意味があるのではないか、と思います(ⅴ はじめに)** と説いている。

*****


2023.08.23 松本市笹賀にて

最近描いたスケッチ。色使いが単調だ。なんだか、守りに入っていないか? 上手く描こうなどという邪念があるんじゃないか。

線。この風景は何回も描いているので、構造が頭に入っている。だから線描には迷いがないことが見て取れる。ささっとスピーディに描いている。

色。もっと鮮やかな色使いをしてもいいのではないか、と思う。心の老化が色調にも出ているのかな・・・。絵は自己の情報を発信する、と捉えれば地味な色使いは当たり前なのかもしれない。身体は諦めるとして、心は若く保ちたいものだ。次回は努めて明るく描こう。

作者の手を離れた作品は無防備で、どんな解釈でも許容する。だから様々な解釈があって当然。作品について他の人の捉え方、感想を聞くことは楽しい。受け売りではなく、その人なりの捉え方、感想。

一方、絵は理性的に解釈をするものではない、感じるものだ、という意見もある。もっともだと思うが、ぼくはどうしても解釈しようとしてしまう。抽象的な絵を前にして「何を描いたんだろう、作者は何を表現しているんだろう。この赤い四角は何だろう、この黒い太い線の意味は?」などと。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」ということばもあるなぁ。

さて、今日は「青木裕幸水彩画展」最終日。もう一度作品をじっくり観たい。


 


「北斎まんだら」読了

2023-08-26 | A 読書日記

 『北斎まんだら』梶よう子(講談社文庫2019年)を24日(木)に一気読みした。葛飾北斎を中心に娘・お栄、弟子の善次郎、高井三九郎、それから北斎の孫・重太郎によって描き出される曼荼羅図。

長野県立美術館で北斎展を観た直後だったから、北斎自ら、あるいは他の登場人物たちが北斎の代表作、富嶽三十六景についてあれこれ語るという場面を勝手に期待していたが、残念ながらそれはほとんどなかった。さらに、もっと北斎作品を総括的に論ずるような物語を。タイトルのまんだらからもこの様な内容を期待していた・・・。松本清張が小説『火の路』の中で古代史について自説を展開したような(過去ログ)。だが、考えてみれば、人物を描いているわけだから、私が無理なことを期待していたようだ。

お栄が地面に小石で「神奈川沖浪裏」を描く場面があり、そこで**「(前略)つまり物ってのは、円と四角でできているってのが、親父どのの考えさ」**(206頁)と父親である北斎の物の捉え方を語り、さらに**北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。**(210頁)

お栄は続けて**発想は、珍奇で奇想かもしれない。が、北斎はその眼で風景をそう捉えているともいった。**(210頁)まあ、これだけ北斎の物の捉え方や描き方について説かれていれば十分とすべきかもしれない。だが、できれば作者・梶さんご自身の北斎画の捉え方をもっと誰かに語らせて欲しかった。なるほど、北斎画ってこんな観方もできるのか、と思えるような。枕絵のことをお栄が語るがそれより、富嶽、富嶽。  

以下に印象に残る北斎のことばを引用しておきたい。

**「おれの富嶽にケチつけやがった。絵組は面白くとも、どこから見たかもわからねえ富士の画なんざ、いかさまだと。あれは奇想の産物だ。北斎翁も眼が濁ったかねぇだと」**(150,1頁)北斎の富嶽にケチをつけた歌川広重に対する怒りのことば。


左:歌川広重「名所江戸百景 品川すすき」
右:葛飾北斎「神奈川沖浪裏」

**「ああ、てめえの画は生写(しょううつし)だと? 真の景色を写してこそ名所絵だぁ? 利いた風なこといってるつもりか知らねえが、そこに己の筆を加えることで画となるだと。偉そうにいいやがって、ようは、てめえは見たまんましか描けねえってことじゃねえか。画を描くってのはな、画の中にてめえを映すことでもあるんだ」**(151頁 太文字化は私)上掲写真は北斎のことばの理解の助けになるだろう。

このことばを読んだだけで満足。こうあるべきだと自分も思っている。「映すことでもあるんだ」は「映すことなんだ」と言い切って欲しかったという気持ちもあるけれど・・・。


※ 茲愉有人様のコメントを受けて加筆、修正しました。コメントも併せてお読みいただければ、と思います。


松本市里山辺の火の見櫓

2023-08-25 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市里山辺西荒町 3柱8〇型トラス脚 2023.08.24

 この火の見櫓は7年前の2016年6月に既に見ている。当時はいきなり火の見櫓にフォーカスしていて、周辺の様子まで写すことはあまりしていなかった。観察のポイントとして、周辺の状況も挙げていたのに・・・。

総高10メートルくらいの火の見櫓で、やや太め、ずんぐりしているから背が低いという印象を抱く。ひのみ友だちにLINEで写真を送ると、可愛いひのみですねという返信がきた。


屋根のてっぺんの団子(冠蓋)は松本市内の火の見櫓でよく目にする。2016年当時はまだ冠蓋ということばを知らなかった。 過去ログ


 


すっぴんの美

2023-08-24 | A あれこれ


山辺の家 Ⅲ 松本市入山辺 2023.08.24

 所用で山の辺建築設計事務所に宮坂さんを訪ねた。






事務所兼住宅、この建築の魅力はずばり「すっぴんの美」。外装も内装も素材の表情をストレートに表現していて実に魅力的だ。

シンプルな外観。外壁も屋根も耐久性に優れたドイツ製の防水シートで外皮の防水という基本的な性能を確保している。防水シートの上に外壁は胴縁を組んで、カラマツの板(と言うより桟木)の目透かし張り、屋根は防水シートの上に母屋下地を設置して折板葺きにしている。鞘堂のような屋根と外壁で通気性が確保されているから、湿気がこもらないし、遮熱効果もあるだろう。


一般的な板張りの外壁は防水性も確保するために、このような目透かし張りにすることはない。この構法(工法とは意味が違う)が外壁にオリジナルな表情を与えている。勾配付きの断面は水切り考えているから、ということは分かったが、加えて奥の防水シートに日射を当てないようにする、という意図もあると宮坂さん。使用している防水シートは耐紫外線性も高いそうだが。なるほど、こんな外壁があったか・・・。

招かれた設計室の壁の大半は書架だったが、壁仕上げではカラマツ板のウッドシングル張りが目を引いた。ウッドシングルの内壁を見るのは初めて。内外ともざっくりとした納め方で、多少傷がついても全く気にならないだろう。

久しぶりにデザイン意図が明快な建築と出会った。


 


「北斎まんだら」

2023-08-23 | A 読書日記

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 先日、長野県立美術館で開催中の葛飾北斎展を観た(過去ログ)。北斎と言えばやはり富嶽三十六景。その構図の妙、色彩の妙にすっかり魅せられた。

北斎展を観たのが8月10日、その3日後、13日に茲愉有人さんがブログ「遊心逍遥記その2」に『北斎まんだら』梶よう子(講談社文庫2019年)を取り上げておられた。グッドタイミング! 早速、行きつけの書店で注文した。『北斎まんだら』のカバーは富嶽三十六景の中でも特に有名な「神奈川沖浪裏」。この絵、見たことがないという人はいないのでは。

『北斎まんだら』はこの絵の作者・葛飾北斎を中心に北斎の娘で絵師のお栄、小布施の豪商の惣領息子の高井三九郎(鴻山)、北斎の弟子の池田善次郎(渓斎英泉)の人間模様を描いた作品。作者の梶よう子さんは彼らが織りなすその様を曼荼羅図(過去ログ)に譬えた。

読み始める。おもしろい。登場人物が少ないのが好い。今村翔吾の『羽州ぼろ鳶組 襲大鳳(かさねおおとり)上』を読んだけれど、登場人物の数が多く、私のキャパを越えていた。

**三九郎を見上げたお栄は、ぶっきらぼうにいった。
「用があるなら、さっさとおいいな。火の見櫓みたいに突っ立てないでさ」
「火の見櫓‥‥‥」**(9頁)

読み始めると火の見櫓ということばが出てくる。 三九郎はお栄に火事見物につき合わされたりもする。

梶よう子さんは北斎の絵について、この歴史小説の登場人物に自身の捉え方や評価について語らせているだろう。読み進むのが楽しみだ。


 


構想力

2023-08-22 | A 火の見櫓っておもしろい




火の見櫓のある風景 長野県朝日村にて 2023.08.21

 火の見櫓のある風景の主役は火の見櫓。このように考えると、火の見櫓が遠く、小さい。

②は①より更に火の見櫓から離れたところから撮った。よく見ないと火の見櫓が分からない。どちらも魅力的な構図なんだけど・・・。

北斎は富嶽三十六景で、遠く小さく描いた富士山でもちゃんと主役に仕立てた。すばらしい構想力。やはり名を残す人は違う。

仮に自分が②の風景を描くとすれば、火の見櫓は風景構成要素の一つ、と意識を変える必要がありそう。


 


店の名前は?

2023-08-22 | A あれこれ

 
暗い写真の方が好いって言われたけれど、暗すぎたかな。2023.08.18
個性的な雰囲気の店内

 

 大町市美麻で木造ひのみを見た後、同市内で知り合いの村上とも子さんがやっている店に立ち寄った。今年の3月、何年振りかで再会したが、その時、ネパールの家庭料理・ダルバートを提供する店を4月に大町で始めると聞いていた。

ショップカードを見ると表に「ダルバートけんきゅうしつ by Guitar Bar チャンドラー」とあり、裏には「ダルバート研究室 by guitarbar chandler」「Guitar Bar チャンドラー」(元ヒマラヤンシェルパ)とある。

この店の名前は?



ちなみにインスタグラム@guitarbar_chandlerにはこのように表記されている。

店は15:00にダルバート研究室としてオープンして飲み物やネパールの普段の食事・ダルバート、お粥を提供し、21:00からギターバーチャンドラーというバーとして営業するということのようだ。ようやく店の営業形態と名前が分かってきた。大町で飲酒する機会はまずないと思う。だから店の名前はダルバート研究室と覚えておけばよさそうだ。


 


地球の半径

2023-08-21 | D 新聞を読んで

 

 20日付 信濃毎日新聞朝刊4面の「多思彩々」に総合地球環境学研究所長・山際寿一さん(過去ログ)の「地球環境を保つ生物多様性」と題した論考が掲載されていた。地球環境を保っているのは多様な生物のおかげ、だから生物多様性を保持しなくてはならないという趣旨。

ヒトは全生命が乗る宇宙船地球号を壊し続けている。宇宙船は悲鳴をあげているのに、気が付いていないかのように・・・。

ところで、山際さんは上掲見出しの論考を**地球は半径6371キロの球で、(後略)**と書き出している。我が鄙里から東京まで、250キロとして、地球の半径はその約25.5倍・・・。え、それしかないのか! 随分小さいんだな、と思った。話のネタとして6371という数字を覚えておこうと思うが、悲しいかなこの4桁の数字が覚えられない。加齢効果だろう。

若いころ覚えた数字は案外覚えている。確か地球1周で約40,000キロ。球の周長は直径に円周率をかけた値だから・・・。40,000÷3.14を電卓で計算すると、12738.85。これを2で割って半径を求めると、6,369.4。約6,370となって、覚えたい数字とほぼ一致する。 だから6371キロという地球の半径は新たに覚えなくても、求めることが出来る。 スマホの計算機能を使えばどこでも。

むしろここから東京までの距離(250キロ)のたった25.5倍しかないということを覚えておきたい。今度友人に会ったらクイズ、と言って出してみよう。


 


美麻の木造ひのみに再会してきた

2023-08-19 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)大町市美麻新行 3柱33型片掛けブレース囲い、木造 2023.08.18

 昨日(18日)所用で大町まで出かけたが、少し時間があったので久しぶりに美麻の木造ひのみに会いに行ってきた。脚元の雑草が気になったけれど、その雄姿に変わりはなかった。


簡易な方法で丸鋼を渡し、半鐘を吊り下げている。




脚元を固定する3本の添え束。内1本には平成二十四年四月と、移設年月の刻字がある。別の束の刻字は摩耗しているが大正十五年四月再建と読める。移設前から使われていた御影石の束だ。雨ざらしの状態にもかかわらず、それ程傷んでいないように見えるがどうだろう・・・。


以前立っていた場所から撮った。印が現在立っている場所。


移設前の木造ひのみ 2011.10.08(初見:2010.05.04)


移設前の脚元の様子。右側の添え束の再建という刻字には気が付いていなかった。やはり複数回観察することが大事だ。





知らなかった・・・

2023-08-18 | D 新聞を読んで

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 信濃毎日新聞の今日(18日)の朝刊の1面トップに「戸隠奥社院坊群 新たな痕跡か」という見出しの記事が掲載されていた。

この記事のリード文の書き出し、**明治維新まで天台宗寺院だった戸隠神社(長野市)の奥社参道沿いに、院坊(小寺院)が広範囲に立ち並んでいたとみられる痕跡が見つかった。**を読んで驚いた。戸隠神社といえば、天岩戸が戸隠山になったという神話で知られる神社。その神社がもとは寺院だったなんて。院坊群は修験者の宿泊を担う施設、とのこと。

ブログは無知をさらす覚悟がないと書けない。だから、正直に書くけれど、戸隠神社がもとは寺院だったということは知らなかった。神仏混淆かぁ。

記事によるとドローンから地上に向けて照射したレーザー光線による地形測量で参道の南側一帯に階段状に連なる平らな区画が確認されたという。ただし、造成地に院坊があったかどうかは現時点では定かではないという。

同記事の別の見出しに**戦国以前の実態解明 期待**とある。今後の調査で戸隠神社の院坊の姿が明らかになれば、いいな。