透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

アート書評だってさ

2024-11-22 | D 新聞を読んで


 11月6日付朝日新聞朝刊の書評面に掲載された美術家・横尾忠則さんの書評はアメリカの物理学・光科学研究者のグレゴリー・J・グバーの『透明マントのつくり方』(文藝春秋)を取り上げていたが、文章の一部が読めないものだった(写真)。

文章を情報伝達媒体としている(写真や図も使われるが)新聞に、このような書評が掲載されたことに違和感を覚えた。いや全文読めず、内容が分からないのは書評とは言えない、と私は思う。

次の面にQRコードが載っていて、**今回の横尾さんの書評は、朝日新聞デジタルで全文を無料でお読みいただけます。**とあるが、これは逆ではないだろうか。「アート書評」なるものをQRコードで読めるようにして、書評面では全文読めるようにすべきだ。そうでなければ、掲載面が違うと言いたい。朝日新聞にアートに関することを掲載する面があるなら、このアート書評はそこに掲載すべきだ。

読書編集長の弁明文が掲載されている。**「アート書評」は、書評とは文章で書かれるものだという固定観念のようなものを揺さぶる試みだと、私たちは考えています。** 書評を文章で書かずして、空白でもよいというのだろうか・・・。

**横尾さんの型破りな書評から多様な議論が生まれ、**って一体どんな議論が期待できるというのだろうか。きちんと情報提供しない紙面なんて、新聞なんて・・・。

フルコースのフランス料理をオーダーした客にオードブル・スープ・魚料理が順に出されて、次にサラダ・果物・コーヒーが順に出されたとする。肝心の肉料理が出されなかったことについて、シェフからフルコース料理の固定観念のようなもの(って何?)を揺さぶる試みなんです、と説明されて、なるほどと納得して文句を言わない客がいるのもだろうか・・・。


 


気になること

2024-08-23 | D 新聞を読んで

  
「後遺症  今も悩む人多く 症状さまざま  特効薬なく」という見出しの記事が2024年5月8日付 信濃毎日新聞に掲載された。この記事から引用する。

**新型コロナウイルスの後遺症に悩む人は、5類以降から1年たつ今も多い。(中略)病原体から体を守る免疫の異常が関係するとの指摘もある。(中略)京都大の上野英樹教授(ヒト免疫学)は免疫細胞の一種「ヘルパーT細胞」(*1)に着目する。(中略)後遺症との関連を調べるため患者血液を分析すると、動悸や呼吸困難の症状がある女性グループは、(中略)ヘルパーT細胞が過剰にあり、(中略)ブレインフォグの症状がある男性グループはヘルパーT細胞が少なくなっていた。上野教授はこの現象を「免疫の乱れ」と指摘。** そして**発症メカニズムに謎は多く、特効薬もない状態が続いている。**

上掲の記事は新型コロナウイルスの後遺症について報じているが、新型コロナウイルスワクチンの後遺症について報じていると読み替えることも出来るのではないか、と思った。というのも2022年9月18日付同紙に次のような記事が掲載されたから。


「免疫機能 過剰反応か 新型コロナワクチン 接種後死亡の4人」

以下はこの記事からの引用。**(前略)ウイルスを攻撃する免疫調節機能が過剰反応(暴走)し、患者の身体を攻撃する「サイトカインストーム」が起きて死亡した可能性があるとみており(後略)**

ヒトは体内に入り込んだウイルスに感染した細胞を攻撃する自然免疫システムを備えている。その免疫システムがワクチン接種によって混乱してしまい、過剰に反応して本来攻撃対象ではないウイルスに感染していない細胞まで攻撃してしまう・・・。このことで、細胞の集合体である臓器にダメージを与えて機能不全を起こす「サイトカインストーム」。最悪死に至るワクチン接種の負の側面。

最近、流行している手足口病やエムポックスというウイルス感染症は免疫システムが必要な反応をしないことによるのではないか、そしてその一因として新型コロナワクチン接種があるのではないか・・・。そう、コロナワクチンによる免疫システムの混乱。

感染予防を謳ったコロナワクチン接種の効果はその後重症化リスク低減に変った。コロナワクチンの効果について検証が行われているのだろうが、メディアが報じないので分からない。厚労省にもその責務があるのでは。


*1 免疫反応を促して病原体を排除したり、反応を抑えて過剰な攻撃を防いだりする免疫の司令塔


『新型コロナ 7つの謎 最新免疫学からわかった病原体の正体』宮坂昌之(講談社ブルーバックス2020年)
『ルポ  副反応疑い死 ワクチン政策と薬害を問いなおす』山崎淳一郎(ちくま新書2022年)
『コロナワクチン  失敗の本質』宮沢孝幸・鳥集  徹(宝島社新書2022年)
『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)


気がかりなこと

2024-08-01 | D 新聞を読んで

 

 信濃毎日新聞7月31日付の「コメ在庫  過去最少」という見出しの記事が気になって読んだ。先日『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』高橋五郎(朝日選書2023年)を読んだので。

**統計を取り始めた1999年以降で過去最少となった。23年産の高温障害の影響や消費回復が背景にある。**と記事のリード文にある。上掲の本でも食料危機の大きな原因として、地球の気候変動を挙げている。また、消費回復の原因について新聞記事には**パンや麺類と比べて価格上昇が抑えられ「値頃感」があったことも原因だと説明している。**とある。パンや麺類の価格上昇の主因は材料の小麦の価格高騰であることは明らかだ。

この本には主要な穀物である小麦・トウモロコシ・コメ・大豆の生産量の上位5か国の合計が占める割合を示すグラフが掲載されているが(53頁)、例えば大豆ではブラジル・アメリカ・アルゼンチン・中国・インドで9割近く(89.5%)を占めている。中国は先に挙げた主要な穀物の全てで上位5か国に入っている。

本で著者は**それぞれの穀物生産上位の国々が組めば、13か国が加盟するOPEC(石油輸出国機構)を上回るほど強力な世界支配機構が誕生しうるというのが現実である。**(55,56頁)と指摘している。日本はコメを除き、小麦・トウモロコシ・コメ・大豆のほぼすべてを海外に依存している。ちなみに2022年度の大豆の自給率は6%(農林水産省のHPによる)。

これで、コメまで不足するということになったら・・・。日本の農業従事者の平均年齢は農林水産省のHPによると68.7歳(令和5年)、会社員なら定年退職している歳だ。

食料問題を深刻に捉えて、対策を講じないと日本人が飢える日が来てしまう・・・。


 


新聞各紙の表記は? 代表作は?

2024-06-14 | D 新聞を読んで

  
 12日付信濃毎日新聞に掲載された槇文彦さんの訃報の見出しを見て「あれ?」と思った。という漢字が使われていたので。槙文彦 この漢字表記を目にしたのは初めてではないかと思う。例えば槇さんの著書では。やはり見慣れた槇文彦 この表記でないと違和感を感じる。

全国紙はどうなっているのだろう。槙か槇か。それから見出しに挙げる代表作は? 気になって確認した。結果は以下の通りで( )内は小見出し。


読売新聞 槇(「ヒルサイドテラス」設計)
朝日新聞 槇(モダニズム建築  洗練)
産経新聞 槇(世界文化賞  幕張メッセ設計)13日に掲載された(他紙は12日)

毎日新聞 槙(建築家、幕張メッセ設計)
日経新聞 槙(建築家 幕張メッセなど設計)

結果は以上の通り。なるほど・・・。小見出しに建築家と入れている毎日、日経は共に槙。

読売、朝日、日経の3紙は評伝も載せている。3紙とも槇さんが国立競技場の当初案に異議を唱えたことにも触れていて、代表作としてヒルサイドテラスを挙げている。

読売新聞 
**設計した建築そのままの洗練された都会人だった。**
**いつも理知的、紳士的な話しぶりも、国立競技場の建て替えで当初示された設計案に異議を唱えた時は険しかった。**
「群造形」という考え方にも触れている。

朝日新聞 
**槇文彦さんは知的でダンディーな雰囲気を漂わせ、洗練された作品と鋭い論考で戦後建築の良識といえる存在だった。**
**印象的な建築を多数手掛けたが、一つ挙げるとすれば何期にもわたり造られたヒルサイドテラスだろう。**
**どこでも一人で現れ、聞く側の背筋が伸びるように語った。その姿は、スタイリッシュな槇建築と重なっていた。** 読売同様、「群造形」という考え方にも触れている。

日経新聞 **華麗な経歴にクールなたたずまいを兼ね備えた、日本のモダニズムを代表する建築家だった。** 

各紙の記事を読み比べると、違いがよく分かって興味深い。


2006.12.14 次のようなことを書いた(過去ログ)。

このブログを始めてまもなく、「顔文一致」というタイトルで書いた(2006.04.23)。その中で、「建築作品はその設計者の体型に似る」という自説を披露しておいた。ドイツの精神病理学者、クレッチマーは体型と気質との間には相関性が見られる、と唱えたがそれに倣って私はそのように考えていたのだが、どうやら「建築作品はその設計者の風貌に似る」と修正した方がよさそうだ。

12日の読売新聞と朝日新聞の槇さんの訃報の記事にこれと同じようなことが書かれていた。上掲記事中、太文字化した箇所。私と同じように考えている記者もいるんだなあ、と記事を読んで思った。他の建築家のことはともかく、槇さんには当てはまると思う。


 


知的喜び 感覚的喜び

2024-03-28 | D 新聞を読んで

 信濃毎日新聞の文化面。毎週火曜日は「火曜アート」、アートに関する記事が掲載される。「国・個人超えた 感覚的喜び」は3月26日(火)に掲載されたアート逍遥の記事の見出し。この記事のもう一つの見出しは 東京都美術館「印象派   モネからアメリカへ」展 。4月7日まで開催されている同展の解説記事で、作家の中野京子さんが印象派の絵画について書いている。

知的喜びから感覚的喜びへ

ぼくは文中のこの言葉に惹かれた。西洋美術史の大きな変換点を捉え、的確にそしてこれ以上無いほど簡潔に表現しているから。ぼくも知的好奇心、美的感性というような言葉を何年も前から使っているが(過去ログ)。感覚的喜びというのは美的感性を刺激されるという喜びということであろう。

記事から引く。**注文主が教会や王侯貴族など超富裕層に限られていた時代は、歴史、神話、聖書といった教養必須の大作が求めらてきたが、(後略)**

宗教画には宗教的な約束事がある。このことについて『名画を見る眼Ⅰ』高階秀爾(岩波新書1969年10月20日第1刷発行、2023年5月19日カラー版第1刷発行)から引く。**マリアの服装は、(中略)普通は赤い上衣に青いマントをはおることになっている。(中略)キリスト教の図像学では、赤は天の聖愛を象徴し、青は天の真実を象徴することになっているため、聖母の衣装はつねにこのふたつの色の組み合わせによるということに決められているからである。**(51頁)

だからラファエロでもレオナルドでもボッティチェリでも色は同じ。これは一例に過ぎず、約束ごとはいろいろある。宗教画鑑賞にはこのような約束ごとに関する知識が必要というわけだ。

時は流れ、時代は変わる。印象派からポスト印象派へ。

また記事から引く。**(前略)知識無しで、つまり己の感覚だけで絵を楽しみたい、と思う鑑賞者が増えていたのだ。読み解く絵から、意味のない、見て疲れない絵への移行、知的喜びから感覚的喜びへの移行である。**

印象派といえばモネ、モネといえば「睡蓮」。でもぼくは印象派の絵よりその後、ポスト印象派の絵の方が好きだ(*1)。中でもセザンヌの絵。例えば「リンゴと桃のある静物」。机上の対象物の形を輪郭線によって表現している。このような表現は好み。そして、もっと好きなのがマティス。

ポスト印象派の定義、範囲は曖昧でよく分からないが、「芸術新潮」の特集記事に掲載されているポスト印象派の系統図にはマティスやキュビズムのピカソやブラックまで入っている。ブラックの作品も好き。

現在、国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」展が開催中(02.14~05.27)だ。この展覧会には行く。

構成も考えずに書き出してしまうと、まとまりのないこんな記事になってしまう・・・。ま、いいか。


*1 「芸術新潮」4月号を買い求めた理由(わけ)、それはポスト印象派の画家と作品を特集していて、そのナビを原田マハさんがしているから。


「異日常」な日常

2024-03-23 | D 新聞を読んで

 今日、23日の朝日新聞のオピニオン面に生活文化アナリスト・高井尚之さんの**仕事の場「異日常」で刺激**という見出しの記事が載っていた。異日常という言葉があることをこの記事で初めて知った。

記事で高井さんはスターバックスなどのカフェチェーンで一人でパソコン作業をするスタイルが2010年ころ出現して10年代後半にはだいぶ一般化したと指摘し、その理由について次のように書いている。

**わざわざカフェで仕事をするのは、そこに「異日常」があるからだと思います。非日常というほどではないけれど、自宅とは違う。周りのざわざわした声が適度な刺激になるから、時々日常を使い分けているのでしょう。**

私は週に2回、この頃は大概火曜日と木曜日の午前中1時間から1時間半ほどスタバで読書をしている。このことについて以前は異日常という言葉を知らなかったから次のように書いていた。

**日常の中で非日常なひと時を過ごすつもりで始めた朝カフェ読書だったが、週2回のペースの今ではすっかり日常、となった。**(2020.12.17)

日常と非日常。日常に中には別の日常、異日常があるという捉え方か・・・。なるほど。

では、なぜスタバに異日常を求めて週2回も出かけるのか。自宅でドリップしたコーヒーを飲みながら本を読んでもよいではないか。それは日常生活にめりはりというか、変化を求めているから。

高井さんは最後に**いい店というのは、それぞれの時間を楽しめる店だと、私は思います。本を読む人の隣で、おしゃべりする人も、静かに仕事する人もいる。元々カフェや喫茶店は、多様性が持ち味なのですから。**と書いている。

私は以前次のように書いた(過去ログ)。

**平日の朝、このスタバの2階を利用するお客さんは、大概ひとりで席に着く。パソコンで作業をする人、参考書を開いて勉強する人、私のように本を読む人。皆似たようなことをしている。

スタバの建築空間そのものが魅力的だから利用を続けているのだろうか。自問するにどうもそうではないような気がする。同じような目的の人が空間を共有しているという状態が心地よいのだと思う。**

休日にスタバを利用することがほとんどないのは、混むこと、それから平日とは客層が変わって上記のようにはならないから。


 


新聞の読書面

2024-02-03 | D 新聞を読んで

 週末に新聞各紙に掲載される読書(書評)面。全国紙では朝日、毎日、日経には土曜日に、読売と産経には日曜日に掲載される。購読している信濃毎日新聞には土曜日に掲載される。全国紙の読書面を読むために(そればかりでなく他にも読みたい記事があるが)、このところ日曜日に塩尻のえんぱーくへ出かけている。

今日(3日)の信毎の読書面で取り上げられた書籍で読んでみたいと思うのは『東京都同情塔』九段理江(新潮社)と『空想の補助線』前川 淳(みすず書房)の2冊だ。

『東京都同情塔』は東京オリンピックの新国立競技場の計画案として採用されたものの白紙撤回されたザハ・ハディドの未来的なデザイン案が実際に建築された東京が舞台だと知ると、それだけで読んでみたいなと思う。主人公が建築家だとなると尚更だ。だが、このところ、いやもう何年も前から単行本の小説を買い求めて読むことはなくなった。図書館にリクエストするか、文庫本になるのを待って読もうと思う。


みすず書房のHPより

もう1冊の『空想の補助線』の著者の前川 淳さんは記事によると、折り紙作家で、国立天文台の野辺山宇宙電波観測所で働くエンジニア。この本は自称理科系の文学青年が綴ったエッセー集と紹介されている。これは読みたい。

みすず書房の本は総じて高価だが、内容がそれに十分応えていることは今までの経験から承知している。この本は毎日新聞の読書面(2024.01.27)にも取り上げられている。明日(4日)、えんぱーくで読んで購入するかどうか、決めたい。今年は読み応えのある本を読もうと思うが、経年劣化しつつある脳が内容を理解してくれるかどうか・・・。


 


読書バリアフリー

2024-02-02 | D 新聞を読んで

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 前稿にI君とカフェトークしたことを書いた。I君は何年か前から一貫して歴史書を読み続けている。私はというと関心の趣くままにあれこれ読んでいる。発散型人間だからだろう、関心があちこちに飛ぶ。

仮に後10年読書を続けるとすれば、1年で50冊、10年で500冊と想定した。だが・・・。

今日(2月2日)の信濃毎日新聞の文化面(11面)に「読者バリアフリーと出版界 当事者の声が社会動かす」という見出しの記事が大きく紙面を割いて掲載されていた。身体に障害のある作家・市川沙央さんの芥川賞受賞作『ハンチバック』が取り上げられていて、この作品によって**「多くの出版関係者は、市川さんが声を上げたことで障害当事者の困難を再認識したと思う。(後略)」**というある出版社の方のコメントが記事の中にある。

記事を読んで「読書困難者」について考えた。

私は図書館や書店へ車を運転して出かけることができ、本を借りたり買い求めることができる。本を読む姿勢(椅坐位)を保持できる。本を手に持ってページを繰り、文章を読むことができる。

今後10年で読むことができる本は500冊、と想定した。だが、これらの一連の行為のどれかが出来なくなれば本を読むことが困難になる。誰でも病気や事故によって読書困難者になり得るのだ。

「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」通称、読書バリアフリー法の法文を文部科学省のホームページなどで読むことができる。活字等の文化の恩恵をすべての人が享受できる社会を実現するための法律と言えるだろう。だが、上記の一連の行為をサポートする環境を整備するとなると、多くのハードルがあるとことは容易に分かる。

ぼくにとって読書は食事と同じで、毎日欠かせない行為。今は何の不自由も無く本を読むことができるが、これは実に有難い、そう漢字の表記通りのことなんだ、と改めて思った。

読者バリアフリーの環境整備が進むことを望む。


 


「安曇野」絶版

2023-12-19 | D 新聞を読んで


 信濃毎日新聞の今日19日の地域面(17面)に上掲した見出しの記事が載っていた。

記事は現在の安曇野市出身の臼井吉見の『安曇野』が現在絶版で、二つの市民団体がこの小説の復刊に向けた協議を発行元の筑摩書房と進めるよう、安曇野市の太田市長に要望したことを伝えている。また、太田市長は筑摩書房の喜入冬子社長と7月に面会した際、復刊を要望し、その時、喜入社長から安曇野市の一定額の負担があれば文庫本の復刊は可能という回答を得たということも伝えている。

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今年(2023年)7月12日に堀金公民館で筑摩書房の喜入社長の講演会が開催され、私も参加したが、会場に太田市長の姿もあったからこの時に話しをされたのだろう。尚、この日は臼井吉見の命日。

筑摩書房は現塩尻市出身の古田 晁が創業した出版社だが、古田 晁と臼井吉見は大正7年(1918年)旧制松本中学(現松本深志高校)に入学し、その日に出会った。その後、共に松高、東大に進学した親友同士。

古田 晁は出版社の創業について臼井吉見に相談していて、筑摩書房という社名は臼井が提案したということはよく知られている。また、筑摩書房が経営危機に陥った際には、臼井が企画した「現代日本文学全集」の出版が筑摩書房を救うことになった、ということも知られている。だから、講演で『安曇野』が現在絶版であることを聞いた時はびっくりした。筑摩書房は臼井吉見が10年がかりで書いた代表作『安曇野』を絶版にしてはいけないと思う。

本は次々絶版になる。売れなくとも名作は出版し続けるという責務が出版社にはあると私は言いたい。

晩年、古田 晁は健康を損ない禁酒していたそうだが、臼井吉見から『安曇野』の脱稿を聞いて飲酒。梯子して行きつけのバーで倒れ、自宅に送られる車内で亡くなったこと、駆け付けた臼井吉見が号泣し、泣き声が家の外まで聞こえたこと、また『安曇野』の刊行記念の祝賀会では臼井吉見の席の隣が空席で、そのことについて臼井吉見が挨拶で触れたことなどを別の講演で聴いた(過去ログ)。

安曇野という呼称がいつ頃からあるのか知らない。だが、臼井吉見の『安曇野』によってよく知られるようになったということは知っている。『安曇野』の復刊を願う。


 


マンガ飯って何?(改稿)

2023-12-17 | D 新聞を読んで

 外出予定のない土曜日の午前中は塩尻のえんぱーくで新聞を読むことが多い。全国紙の書評面を読むが、読売と産経は書評が日曜日に掲載されるので、土曜日は毎日、朝日、日経、この3紙の書評面を読む。

朝日新聞の今日(16日)付 書評面で取り上げられていた本の中ではヴァンサン・ゾンカという美術評論家が著した『地衣類、ミニマルな抵抗』(宮林 寛訳 みすず書房)がおもしろそうだった。これは執筆図書を決める書評委員会で誰も手を挙げなかった本の中の一冊だという。評者の椹木野衣(さわらぎのい)さんは「地衣」が名前の「野衣」に似ているのが気になったとのこと。

地衣類の世界が極彩色で無限の広がりを持っていることに呆気に取られた、と椹木さんは書いている。椹木さんは著者と同じく美術評論家とのことだが、この本では**絵画にも多く言及している。**と文中にある。書評でこの本を読んでみたいと思った。だが4950円・・・。

さて、本題。

日本経済新聞の文化面に昨年の春(*1)に私の火の見櫓観察に関する記事が掲載されてから、この文化面を読むようになった。で、昨日(15日)付の文化面に掲載されていたのは「マンガ飯、味も見栄えも」という見出しの記事だった。

記事の女性は食卓のマンネリ化打破のためにマンガに出てくる料理、名付けて「マンガ飯」を作ろうと15年前に思い立ち、その数は既に600品にもなるとのこと。マンガならではの非現実的な描写のものも再現するというこだわり。すごい、すばらしい! マンガは読まないから分からないが、レシピまで載ることはまずないだろう。そんな時にはマンガの背景を調べることから始めるそうだ。

そうか、こんな趣味もあるのか・・・。まずこのことに驚いた。どんな趣味も入り込むと出口が見つからない世界が広がっているのだろう、きっとそうだ。


*1 2022年4月21日


 


つまりこういう建築

2023-12-13 | D 新聞を読んで


 12日付 信濃毎日新聞の文化面「火曜アート 美術人をたずねて」に安曇野市在住の彫刻家、濱田卓二さんが紹介されていた。記事には長野県朝日村の朝日美術館で10月から11月下旬にかけて開催された濱田さんの個展「土たちの詩話」が取り上げられ、上掲した角柱が並び立つ陶彫の写真が掲載されていた。朝日村の土を用いた作品だ。濱田さんの作品について書かれた解説文に**抽象的ながらも有機的な造形**という件(くだり)があった。

未来の建築のアナロジーとして

ところで、拙ブログの前稿では『日本の建築』隈 研吾(岩波新書2023年)を取り上げ、次の件を引いた。**円柱形という純粋な幾何学的形態だけを組み合わせた抽象的な形はモダンであったが、欅の質感が暖かく感じられて、モダンデザイン特有の冷たさ、硬さはなかった。**(3頁)

幾何学的で抽象的な形態を鉄とガラスに代表される無機的な素材で成立させているモダニズム建築。隈さんは形態はそのままで素材を有機的な木に替えると冷たさも硬さも感じない建築が出現するということをブルーノ・タウトの木の円柱を引き合いに出して示した。タウトの小さな木の円柱を建築に見立てたのだ。

隈さんの『日本の建築』を読んでいたからだろうか、新聞に掲載されていた濱田さんの土の角柱(写真)が未来のモダニズム建築の姿に見えた。この作品を建築のアナロジーとして捉えたのだ。

モダニズム建築はその姿かたちの特徴からホワイト・キューブ(白い金属パネルとガラスの箱)と呼ばれるけれど、そう遠くない未来に隈さんが紹介したタウトの木の円柱や濱田さんの作品のような建築が出現するかもしれない。人はそれを何と呼ぶだろう・・・。

ここで誤解されないように注釈。濱田さんの作品を建築に見立てたのだが、これを高層ビルが立ち並ぶ様(さま)に見たわけではなく、ひとつの建築として見たのだ。東京ではガラスの超高層ビルが今尚建ち続けている。一体いつまで経済最優先建築の建設を続けるつもりなんだろう・・・。

この記事と関係する過去の記事はこちら


 


地球の半径

2023-08-21 | D 新聞を読んで

 

 20日付 信濃毎日新聞朝刊4面の「多思彩々」に総合地球環境学研究所長・山際寿一さん(過去ログ)の「地球環境を保つ生物多様性」と題した論考が掲載されていた。地球環境を保っているのは多様な生物のおかげ、だから生物多様性を保持しなくてはならないという趣旨。

ヒトは全生命が乗る宇宙船地球号を壊し続けている。宇宙船は悲鳴をあげているのに、気が付いていないかのように・・・。

ところで、山際さんは上掲見出しの論考を**地球は半径6371キロの球で、(後略)**と書き出している。我が鄙里から東京まで、250キロとして、地球の半径はその約25.5倍・・・。え、それしかないのか! 随分小さいんだな、と思った。話のネタとして6371という数字を覚えておこうと思うが、悲しいかなこの4桁の数字が覚えられない。加齢効果だろう。

若いころ覚えた数字は案外覚えている。確か地球1周で約40,000キロ。球の周長は直径に円周率をかけた値だから・・・。40,000÷3.14を電卓で計算すると、12738.85。これを2で割って半径を求めると、6,369.4。約6,370となって、覚えたい数字とほぼ一致する。 だから6371キロという地球の半径は新たに覚えなくても、求めることが出来る。 スマホの計算機能を使えばどこでも。

むしろここから東京までの距離(250キロ)のたった25.5倍しかないということを覚えておきたい。今度友人に会ったらクイズ、と言って出してみよう。


 


知らなかった・・・

2023-08-18 | D 新聞を読んで

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 信濃毎日新聞の今日(18日)の朝刊の1面トップに「戸隠奥社院坊群 新たな痕跡か」という見出しの記事が掲載されていた。

この記事のリード文の書き出し、**明治維新まで天台宗寺院だった戸隠神社(長野市)の奥社参道沿いに、院坊(小寺院)が広範囲に立ち並んでいたとみられる痕跡が見つかった。**を読んで驚いた。戸隠神社といえば、天岩戸が戸隠山になったという神話で知られる神社。その神社がもとは寺院だったなんて。院坊群は修験者の宿泊を担う施設、とのこと。

ブログは無知をさらす覚悟がないと書けない。だから、正直に書くけれど、戸隠神社がもとは寺院だったということは知らなかった。神仏混淆かぁ。

記事によるとドローンから地上に向けて照射したレーザー光線による地形測量で参道の南側一帯に階段状に連なる平らな区画が確認されたという。ただし、造成地に院坊があったかどうかは現時点では定かではないという。

同記事の別の見出しに**戦国以前の実態解明 期待**とある。今後の調査で戸隠神社の院坊の姿が明らかになれば、いいな。


 


マイナ保険証

2023-08-06 | D 新聞を読んで



 マイナンバーカードの取得は任意、だった。だが、健康保険証と一体化することでいつの間にか強制されることに。そのマイナ保険証でトラブルが頻発している。8月4日付 信濃毎日新聞の社会面に「マイナ保険証が、使えない」「顔認証で不具合 相次ぐ相談」の他、上掲の見出しの記事が載っていた。

脳出血で意識のない夫と共に救急車で医療機関へ向かった女性。夫の暗証番号を知らない女性は「マイナ保険証を使えずに全額自己負担することになったら生活はどうなるのか」と不安が募った、ということが記事に書かれていた。顔に大けがをしたような場合、顔認証もできないケースだってありそうだ。

本人しか暗証番号を知らないとなると、このような問題は起こり得る。少なくとも家族間では暗証番号を共有する必要がありそうだ。では一人暮らしの人は? マイナ保険証では別人の医療情報が登録されるトラブルも多数起きている。このようなトラブルは命に係わる。災害などの非常時、いやそうでなくてもカードの読み取りができないケースだってありそう。

上の事例のような暗証番号が分からないといったトラブルやマイナ保険証のデータが読み取れないという事態すら想定外のシステム設計なんだろうか。

マイナンバーカードを総点検したところで、それが今後ミスは起きないという保証になど決してならないと思うけれど、違うのかな。不安を払拭することはできないだろう。

人は必ずミスをするということを前提として、ミスを防ぐことができるシステムにつくり変える必要もあるだろうし、そもそもマイナンバーカードはなぜ必要なのか、という基本的なことをきちんと、そして本当のことを説明して欲しい。国民の利便性のため、なんて説明はダメ。


**厚生労働省によると、認証がうまくいかない場合は医療機関職員らの目視で本人確認を行えば使用は可能 ― とする医療機関向けのマニュアルはある。だが、こうした内容は、広く一般には伝わっていない。周知されていれば、女性も混乱せずに済んだ可能性がある。** 掲載記事から引用


新聞のコラムに火の見櫓が取り上げられた

2023-08-04 | D 新聞を読んで



 購読している地方紙・信濃毎日新聞朝刊第1面下段のコラム「斜面」の今日(4日)は次ようなの書き出しだった。**火の見やぐらは明暦の大火(1657年)を機に江戸で生まれ、明治以降に広まった。**

新型コロナの感染者数がこのところ増加傾向にあるが、長野県では5類に移行されてから、定点の感染者数から警戒のレベルを評価して伝える基準がないとのこと(そうなのか・・・)。火の見櫓から火災の拡大する様子を見てはいても半鐘は叩かないということ。コラム氏は半鐘の音で意識は変わると書いている。

6週連続増加。この感染状況、半鐘を叩くべきではないか、コラム氏はと考えているのだろう。


※コラムの全文掲載は控えます。