透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

『国道16号線 「日本」を創った道』を読む

2024-04-30 | A 読書日記

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 『国道16号線  「日本」を創った道』柳瀬博一(新潮文庫2023年)を読んだ。『カワセミ都市トーキョー』(平凡社新書)を読んで、同じ著者のこの本を読んでみようと思い、今月(4月)20日に東京駅前の丸善で買い求めていた。

国道16号線についてはウィキペディアに詳しい。この国道は、神奈川、埼玉、千葉をつなぐ東京都を取り囲むようなルート。東京湾の入口で陸路では繋がっていないのに(*1)、法律上、起点・終点が横浜市になっていて環状道路として扱われているのか、国道に詳しくないので分からない。ウィキペディアによると、環状国道は16号線の他には302号線だけとのこと。

**日本の歴史の中心には、有史以来現代に到るまで、1本の道が走っている。「国道16号線」だ。**(3頁)著者の柳瀬さんはこのように書き出し、最終第6章の最後の方で**本書で、私は、一見まったく関係のないさまざままな時代のさまざまな人間の営みが1963年生まれの新しい環状道路である国道16号線沿いにミルフィーユのように積み重なっていることを描写してきた。**(263頁)と、まとめている。

第1章 なにしろ日本最強の郊外道路
第2章 16号線は地形である
第3章 戦後日本音楽のゆりかご
第4章 消された16号線 ― 日本史の教科書と家康の「罠」
第5章 カイコとモスラと皇后と16号線
第6章 未来の子供とポケモンが育つ道

各章の章題に、本書が論じている内容が広範囲に及んでいることが示されている。また、三浦しをんさんの解説からも、柳瀬さんがいろんなことに興味をお持ちだということが分かる。だから**風呂敷を広げまくって書いてみよう(後略)**(あとがき、270頁)と思った、というのも頷ける。本書はまさにそのような内容だ。

『カワセミ都市トーキョー』で著者の柳瀬さんは人間とカワセミが好む地形が同じだということを論じていた。その地形とは湧水起源の小流域源流。『国道16号線  「日本」を創った道』でも柳瀬さんはこの地形を論じている。そのポイントは次の通り。**私の仮説は、「山と谷と湿源と水辺」がワンセットになった小流域地形が人びとを呼び寄せた、というものだ。**(81頁)この小流域地形が東京湾を取り囲むように並び、それらをつなぐように通っているのが国道16号線、というわけだ。

人間が好み、求めるのが小流域地形ということは大昔から変わらない。だから、そこを次々つないでいる国道16号線沿いに、人間の営みの結果としての歴史、文化(旧石器時代、縄文時代の遺跡、中世の城も点在する)が重層している、という理路は分かる。なるほど。 柳瀬さんは人間の営みが積み重なる様をミルフィーユに喩えているが、このことにも柳瀬さんの興味対象の広さが出ているだろう。

柳瀬さんは、注意深く次のように書いている。**もちろん、文明の発達は、地理的な条件だけで決まるわけではない。その土地で発達した個々の文化・文明、土地に根差した権力者の力が、歴史の数々を左右する。**と、想定される指摘を踏まえ、**それでも舞台装置としての地理的条件が、時代ごとのそれぞれの地域の文明の発展に影響を及ぼしてきたことは間違いないはずだ。**と続けている。(267頁)これが、国道16号線が「日本」を創った道であることを論ずる、基本的なスタンスであろう。

なかなかおもしろい論考を読んだ。読書っていいなぁ。


*1 富津市富津岬 ~ 横須賀市観音崎は海路。『ふしぎな国道』佐藤健太郎(講談社現代新書2014年)には鹿児島市から種子島、奄美大島を伝って沖縄の那覇市へ達する国道58号の海路が紹介されている。(137頁) 国道に海路があるということがクイズ番組で出題されていた。


つながるということ

2024-04-29 | A あれこれ






 私は鄙里の戸数が70戸に満たない小さな集落で暮らしています。集落の過半を縁取る里山の一部が公園、といっても街中にある遊具が設置されているような公園とは違い、東屋があるだけの・・・、そう、自然公園とでも言えばいいのか、そんな公園として整備されています。公園という呼称が相応しいのかどうか、分かりませんが・・・。東屋まで登る歩道、いや山道の脇に蠶玉様などが祀られています。昔、長野県は養蚕が盛んで、この辺りでも行われていましたから(*1)。

今日、4月29日は地元住民が「公園のお祭り」と呼ぶ祭りの日。産土神様を祀る神社のお祭りは5月の連休中に行われますが、それとは違うこの集落独自のお祭りなんです。この僻村には30近くの集落がありますが、このようなお祭りをやっている集落は他にはありません。

2020年から昨年まではコロナで行われておらず、2024年の今年、5年ぶりに開催されました。朝7時半から住民総出(ちょっと大げさ)で公園一体の草刈りや雑木の枝払い、公園周辺の水路の泥上げなど、例年通りの作業。のぼり旗も立てました。やはり、のぼり旗ってお祭りのシンボルですね。右側の旗には蠶玉到福之神  大正十五年一月と書かれています。100年近く前の旗です。左側の旗には読めない漢字があり、かつ、竿に巻き付いていて読み取ることができません。

9時半から簡単な神事を執り行って、奉献酒をいただき、一旦解散。午後2時から集落内の集会所で直会、懇親会です。 同じ集落に暮らしていても普段はあまり顔を合わせることがない人もいて、近況を知る機会になりました。懇親会は3時半に予定通りお開きに。

住民どうしが適度な距離を保ってつながっているって(*2)、大事。災害のたびにこのことが指摘されますが、内閣府の防災情報にも載っています。♪ひとりじゃないって すてきなことね、って昔、天地真理が歌いました。いろんな人とつながっているって幸せなことなんですよね。

懇親会で飲んだビールが効いてきました。太文字にしたところを結論として、アルコールなブログになる前に(って、少しなってますが)止めます。


メモ 
*1 **明治維新以降、大正、昭和初期にかけて、生糸は日本最大の輸出産品であり続けた。1876年から1933年までの58年間、日本の輸出を支えたのが生糸だった。**『国道16号線「日本」を創った道』柳瀬博一(新潮文庫2023年)
*2 『山アラシのジレンマ』L. べラック(ダイヤモンド社1974年)


243枚目 オーハラ ユーコさん

2024-04-28 | C 名刺 今日の1枚



243 オーハラ ユーコさんの作品展「Drawing Colors ― 通りすがりに 出逢えてよかった」を観た。会場は朝日村針尾にある「BLUE HOUSE STUDIO」、会期は5月5日まで。

オーハラさんから作品の解説をしていただいた。リソグラフという技法で制作された作品(写真①)は優しい色のグラデーション、柔らかな風合いが魅力的。 

新緑の季節、いろんな緑に覆われた山里の風景。オーハラさんが着色したいろんな緑を小さな円に切り取って整然と並べた作品(写真②)は新鮮だった。なるほど、こういう表現ができるのか・・・。この季節の山野の初々しい緑って、こんな感じだなぁ(*1)。


絵画の技法、表現法って多様だなぁ。


*1 ①も②も実際の色を上手く再現できてはいません。



242枚目は画廊 バナナムーンのスタッフの方

2024-04-28 | C 名刺 今日の1枚

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画廊 バナナムーンの入口 2024.04.27

242枚目 前の記事の通り、昨日(27日)の午後、画廊 バナナムーンで行われたギャラリートークに参加した。狛犬好きのスタッフ、KTさんを紹介していただいた。ギャラリートーク終了後に少しだけ狛犬の話をした。この時、TKさんに渡した名刺は242枚目だった。

名刺を作って、初めて使ったのはいつ? 過去ログを確認した。2012年5月20日だった。それからおよそ12年経った。ひとりの人に複数回渡したことがあるから、正確な人数はきちんと調べないと分からないが、240人近くの人に渡したことになる。1年で20人・・・。

過去ログを見ると、名刺を渡した時のことが浮かぶ。懐かしい。

過去を懐かしく思うようになったのは歳を取ったせい?


 


絵はいいなぁ

2024-04-28 | A あれこれ

 
画廊バナナムーン外観 2024.04.27


安曇野市穂高にある画廊バナナムーンで5月5日までの会期で開催されている企画展

西倉るり子  展 ― 螺旋をのぼるように ―
元木音羽  展― みんなが心を許せますように ― 

 高い天井のギャラリーの白い壁面に作品が何点も展示されていた。

「私ってどんな人?」

絵は自分を理解したいという自己理解欲求を満たす手立てとして有効だ。文は人なりという言葉があるけれど、絵にはそれ以上にストレートにその人の内面が反映されるものだ。ただし上手く描こうなどというような邪念が介在しなければ、という条件がつくけれど。小さい子どもの絵が実にいいのはこのような邪念がなく、描きたいように描いているから。ふたりの絵も同様だと感じた。人の内面、心は鏡には映らないけれど、絵には映る。だから、描き上げた絵を観れば、自分が確認できる、自分が分かる。

「私のことを分かって欲しい」

絵は自分を知って欲しい、分かって欲しいという承認欲求を満たす手立てとしても有効だ。インスタグラムやフェイスブックなどSNSが大流行りなのは、簡単に自分のことを発信でき、自分のことを知って欲しいという欲求を満たすことができるから(関連記事)。人が受信する情報の8割以上が視覚的な情報だという。絵は情報発信して、自分のことを理解してもらうのに有効な手立てでもある。

絵はいいなぁ、と私が思う理由はこの二点。程度の差こそあれ、誰もが持っているであろうこのふたつの欲求を満たすことができるから。


西倉さんは今から30年前、1994年に油絵を習うために絵画教室に通い始めたとのこと。教室で「うまい絵を描こうと思うな、いい絵を描け」と言われたそうだ。この言葉が印象に残った。


「終りし道の標べに」を読む

2024-04-27 | A 読書日記


 安部公房の処女作『終りし道の標べに』(新潮文庫1975年)をようやく読み終えた。読み終えたとは言え、難解で内容を理解したとは言い難い。

奥付を見ると、1975年8月25日に発行されたことが分かる。ぼくがこの作品を読んだのはこの年の9月だった。文庫が書店に並んだ直後に買い求めて読んでいる。ちなみに定価180円。およそ49年ぶりの再読。本は好い。手元に有りさえすれば、いつでも読み直すことができるのだから。

ここで安部公房の『けものたちは故郷をめざす』を読み終えて書いたブログの記事(2024.04.10)から次の一文を引用する。

**「喪失」あるいは本人の意思による「消去」は安部公房の作品を読み解くキーワードだ。このことは次のように例示できる。『夢の逃亡』は名前の喪失、『他人の顔』は顔の喪失、『砂の女』『箱男』は存在・帰属の消去。異論もあろう。言うまでもなく、これは私見。** 

この様に書いたが、この指摘は『終りし道の標べに』にも当て嵌まる。では、この作品で主人公が喪失したもの、あるいは自ら捨てたものは何か・・・。それは故郷だ。自己の存在を根拠づける故郷。

**人間は生まれ故郷を去ることは出来る。しかし無関係になることはできない。存在の故郷についても同じことだ。だからこそ私は、逃げ水のように、無限に去りつづけようとしたのである。**(15頁)

名前、顔、帰属社会、そして故郷。属性を次々捨ててしまった人間の存在を根拠づけるのもは何か、人間は何を以って存在していると言うことができるのか・・・。人間の存在の条件とは? 安部公房はこの哲学的で根源的な問いについて思索し続けた作家だった。

戦中から敗戦直後にかけての満州。私は徴兵を逃れて、故郷日本を離れ、満州を歩き続ける。『終りし道の標べに』に描かれたストーリーそのものはシンプルだが、そこに書かれている内容は難しい・・・。

**ここはもはや何処でもない。私をとらえているのは、私自身なのだ。ここは、私自身という地獄の檻なのだ。いまこそ私は、完璧に自己を占有しおわった。(中略)いまこそ私は、私の王。私はあらゆる故郷、あらゆる神々の地の、対極にたどり着いたのだ。**(167頁、最終頁)

『終りし道の標べに』新潮文庫は現在絶版。この作品を難しいと思っている人が少なからずいて、あまり売れなかったのかな。**著者の作家としての出発をなす記念碑的な長編小説。**と、本のカバー裏面の紹介文にある。ならば、復刊してほしい。文学史上重要な作品を出版し続ける責務が出版社にはある、とぼくは思う。

『終りし道の標べに』を読み終えた時、スタンリー・キューブリックが映画化した『2001年  宇宙の旅』のラストシーン、宇宙空間に浮かぶスターチャイルドが浮かんだ。このことについて、うまく文章化できないけれど、ぼく自身は納得している。うん、このイメージ、分かる、と。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

今年中に読み終える、という計画でスタートした安部公房作品再読。4月26日現在7冊読了。残りは15冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして16冊。5月から12月まで、8カ月。2冊/月で読了できる。 


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


さて、次はどの作品を読もう。悩まず、このリストの順序に読んでいこうかな。


駒止稲荷神社の狛犬(追記)

2024-04-26 | C 狛犬


 墨田区にある旧安田庭園内に祀られている駒止稲荷神社。この神社のことは知らなかった。刀剣博物館が閉館していたので、予定を変更してこの庭園を散策していて、この社殿とその前に鎮座している狛犬に気がついた。

この神社の近くに「駒止石」の説明板が設置されていた。その説明を要約すれば、三代将軍家光の時代、寛永8年(1631年)の秋に台風に見舞われ、隅田川が大洪水になった。家光は本所側(隅田川の対岸側、本所川と誤記していましたので訂正しました。説明板を確認願います。)の甚大な被害を憂慮、被害状況を調べさせようとした。濁流が激しく、誰もが尻込みする中、旗本の阿部豊後守忠秋は馬を繰って川を渡り、被害状況を調べて回った。その際、馬を止めて休憩したことろが駒止石。

当時の地元の住民が忠秋の徳を敬い、この地に駒止稲荷を祀ったという。

追記(2024.04.26): 歴史には疎い。だが、阿部忠秋という名前、目にしたことがあるような気がするなぁ、と思って調べてみた。ウキペディアに載っていた逸話に明暦の大火に関するものがあった。明暦の大火の出火元は本妙寺とされているが、実は寺の隣りにあった忠秋の屋敷だった、というもの。

火の見櫓の歴史は明暦の大火のあった1657年の翌年に始まった。定火消が組織されその屋敷に火の見櫓が建てられたのだ。明暦の大火に関することについて調べていて(調べてという程でもないが)、この説を目にしていたのだろう。なお、この旧安田公園から程近い両国橋も明暦の大火後に、避難路確保のために架けられた(*1)。

ウキペディアによると、忠秋の没年は1675年(延宝3年)。この駒止稲荷は忠秋没後に祀られたものと推察されよう。記事を書く際、あれこれ関連情報を調べれば、いろいろ分かっておもしろいのだろうが、あまりしていない。時間も無いし(とは言い訳)、反省。

 
社殿前の狛犬を見る。小ぶりだがなかなか迫力がある。社殿に向かって左側(写真も左側)、吽形の狛犬の顔の表情が厳しい。この狛犬の頭部には角か? 上部が欠損していて判然としないが、一般的には右の獅子は宝珠、左の狛犬は角だから。では獅子の頭部に宝珠が見えないけれと、そこの様子は? 確認しなかった。説明のための写真は無造作に撮ってはならぬ、これ教訓。説明したいことを的確に捉えるようなアングルを探して撮らなくては、と反省。

 
社殿を背に狛犬を見る(位置関係に注意)。後ろ姿は撮らなかった。


阿形の獅子の台座。刻字されていた奉納年は欠損していて確認できない状態。「昭和三・・・・日」 昭和の狛犬だということは分かる。

奉納年について、「好奇心いっぱい こころ旅」というブログには**昭和33年6月22日に安田学園が奉納した狛犬です。*+*と記されている。安田学園のHPを検索してみたが、この狛犬に関する記事は見つからなかった。


*1 架橋については防災目的というより開発目的だったとする指摘もある。**幕府は、この大火を契機に隅田川東岸の本所・深川の低湿地の開発に本格的に動き出す。隅田川の両岸地域の連絡を確保するために万治二年(一六五九)に両国橋を架橋する。**(『都市計画家  徳川家康』谷口 榮(MdN新書2021年)85頁)ものごとは見方・捉え方の相違で、結論も変わるということだ。


布絵展「季節を巡る」

2024-04-25 | D 切手

  

 新潟在住の布絵作家・坂井真智子さんの作品展の案内カードが届いた。カードに貼られていたのは白いチューリップの図案の63円切手。この切手をネットで調べたが、見つからなかった。なぜだろう・・・。

カードに印刷されていた布絵。新緑の森に向かって伸びる道が実に好い。一番奥は道が両側の土地より少し凹ませてある。坂井さんは風景を実によく見ている。道路の左側の薄いベージュ色に見えているところはススキだろうか。直接作品を見れば分かるだろう。手前の大きな芽吹きの木。

この風景が布で制作されているとは・・・。

今回の布絵展は「季節を巡る」というタイトル。ということは、他の季節の作品も展示される、ということなのかな。それとも今回は新緑の季節の作品が並び、次回は季節が進んだ風景の作品が並ぶということなのかな・・・。

布の風合いが活かされた風景は絵では表現できない魅力、味がある。作品を鑑賞するのが楽しみ。坂井さんが在店している日に行きたい。


 


犬山城の近くの火の見柱

2024-04-25 | A 火の見櫓っておもしろい


― 愛知県犬山市(大本町通り) 火の見柱梯子付き

 二八会(同い年の幼なじみの親睦会)の仲間、FM君からラインで火の見柱の写真が送られてきた。FM君は国宝犬山城の近くに立っているこの火の見柱が目に入り、写真を撮ってくれていた。すばらしい。 

コンクリート柱を茶色に塗装している。城下町ということで景観に配慮したのだろうか。左奥の電柱と比べると分かるが、茶色だと印象がかなり違う。


屋根が木造だと気がついた。コンクリート柱の上端を2本の梁で挟み、その上に小屋組みを井桁状に組んでいる。棟木はどうしているのか、写真では分からない。極短い束を設置しているという常識的なことしか浮かばない(追記:SVで束が確認できた)。垂木を架け、切妻屋根、瓦棒葺き。

ここまで書いて、見張り台はどうしているのだろう、と気になった。で、送られてきていた火の見柱上部の写真をトリミングして追加掲載した(下)。


2本の角型鋼管でコン柱を挟み込んで固定、その上に見張り台を載せている。屋根と同様の方法が採られている。見張り台の床の四隅を方杖で突いている。なるほど、こうやっているんだ。

火の見櫓は十基十色だ。


 


「マティス 自由なフォルム」

2024-04-25 | A あれこれ

 
六本木ヒルズ森タワーから俯瞰した国立新美術館(撮影:2023.04.13)
設計:黒川紀章・日本設計  


 国立新美術館の空間構成は単純明快だ。ウェーブしている曲面の外壁が特徴のエントランスホール、その後方に横一列に並ぶ展示室。

3層吹き抜けのエントランスホールに入ると、行きたい展示室が簡単に分かる構成になっている。2007年に開館したこの美術館には何回も行った。

現在この美術館でマティス展が開催されている(会期:5月27日まで)。21日(日)はあちこち見て歩いたけれど、一番行きたかったのはこの展覧会だった。

今回は150点を超える作品が展示されているとのことで、見ごたえがあった。

展示作品を鑑賞していくと、次第に色や形が単純化されていく様子が分かって、興味深かった。ポスト印象派に属するマティスはモネに代表される印象派の絵画のはっきりしない曖昧な色、曖昧な形から離れていく・・・。

展示作品の一部は写真撮影が許可されていた。


シンプルな色と形。ここまで単純化できれば言うことなし。


マティスの切り紙絵

切り紙絵には曖昧な要素が全くない。色も形もきっちり決まる。マティスが晩年に到達した表現。すばらしい。


会場にロザリオ礼拝堂の内部が再現されていて、びっくり。原寸大とのこと。


チケットはいつもの通り、ダイアリーに貼った。日付と同行者名を記して。


マティス展には何年も前にも行った。会場は東京都美術館だったような・・・。ネットで調べて、2004年に国立西洋美術館で開催されていたことが分かった。この年のダイアリーにはチケットが貼ってあった。12月10日に新宿で24会が開催され、参加していた。翌11日にマティス展を鑑賞していた。


マティスの絵は色が鮮やかだ。好きだな、マティスの絵。


週末東京の記は以上!


旧弾正橋(八幡橋)を観る

2024-04-24 | A あれこれ


※ タイトルの旧弾正橋が旧弾性橋となっていました。ある方にご指摘いただき、訂正しました。拙ブログには誤字が多くお恥ずかしい限りです。言葉の誤用もありそうです。本稿の構造的な解釈も私見につき、誤りがあるかもしれませんが、それは言うまでもなく、私の理解不足によるものです。

 富岡八幡宮から徒歩で数分のところに国の需要文化財に指定されている、この旧弾正橋(八幡橋)がある。この橋のことを、うさぎさんの「今日のころころこころ」というブログで知り、いつか見てみたいと思っていた。ようやく願いが叶った。


この橋のことは何も知らないので、橋のたもとに設置されていた案内板の写真を載せる。その説明文から一部引用したい。**アーチを鋳鉄製とし、引張材は錬鉄製の鋳錬混合の橋てありかつ独特な構造手法で施工してある。**


側面から橋の全形を見る。

この橋は写真に付けた番号順に1 アーチ、2 床版(人の歩く床面)、3 吊材、4 タイロッド、以上の要素で構成されている。3の吊材によって吊り上げた2の床版を1のアーチによって支えるという構造。これはブランコと基本的には同じ構造でブランコの支持フレームが1、人が座る座板が2、座板を支持フレームから吊り下げている鎖が3に相当する。更にこの橋は1のアーチが2の荷重で変形して下方に下がるのを防ぐために4を設置している。説明文によると、1に鋳鉄が使われ、引張材である3と4に錬鉄が使われているという。


写真③で示した3は吊り材1本、3は吊り材は吊元では1本だが、分岐して2本にしていることを示している。片面4カ所で吊っているが、内側の2カ所は2本、外側2カ所は1本。

この吊り材の他部材との接合部に注目した。以下、その様子を写した写真。


吊材上端の様子


格子状に補強部材を設置した床版(こういうのもワッフルスラブって言うのかな)を吊り上げている様子。吊材は2本。


吊棒1本の箇所の下端の様子。この橋の一番の見どころ。

床版を角型の梁材 6で受けて、棒鋼 1でアーチに吊っている。2と3はタイロッド、4本。前述したが、床版が自重と人の荷重で下方に下がろうとすると、引張材であるタイロッドが抵抗、アーチを助けて床版の位置を保持する。なお、写真⑦の4は橋の両側の構面の面内変形を防ぐブレース。5は橋の手すりの支持材(つっかい棒)。6の下に設置されている接合部品(鋳造品だと思われる)の両端に菊の紋章が施されている。


橋の端部の様子。タイロッドをボルト留めしている。上下2本のタイロッドを1本にまとめている、と推測されるが、確認しなかった(ダメじゃん)。

構造力学的な要求に素直に従って、必要部材をきちんと配置している。いいなぁ、こういうの。


現地で気がつかなかったこともあって、的確な写真があまりなかった。トリミングして、説明的な写真にしたが、どうも・・・、この橋はまた観たい。


週末東京の記 2

2024-04-22 | A あれこれ

 21日 朝9時半、地下鉄門前仲町駅で友人と待ち合わせ。徒歩で富岡八幡宮へ向かう。この神社には狛犬を見るために2015年の9月に来たことがある(過去ログ)。


参拝して、すぐ近くの次の目的地へ。



旧弾正橋(八幡橋)国の重要文化財に指定されている建造物。この橋については別稿で。


門前仲町駅に戻り、大江戸線で両国に向かう。両国では東京都復興記念館と刀剣博物館を見る予定だった。




東京都慰霊堂  内観

東京都復興記念館は都立横網町(*2)公園にある施設で、この公園には東京都慰霊堂もある。どちらの施設も今まで知らなかった・・・。

東京都復興記念館の館内には関東大震災と先の大戦による東京の惨状を伝える写真や絵画などが数多く展示されていた。関東大震災の発生が1923年(大正12年)、この震災で東京は甚大な被害を受けた。それからわずか18年後、1941年(昭和16年)に第二次世界大戦が勃発する。東京は壊滅的な状況に。

復興記念館で受け取った資料には北は北海道から南は九州・沖縄まで、主要な戦災都市一覧が載っている。それから東京空襲一覧も。東京空襲というと、1945年(昭和20年)3月10日の大空襲がよく知られているが、資料によると、約9か月の間に100回以上もあったとのこと。知らなかった、と正直に書く。

戦後、この国は毎年のように自然災害による大きな被害を受け続けてきた。それでも災害列島で生きていくというこの国の人たちの意志。


展示品には火の見櫓のある風景を描いた絵もあった。


横網公園のすぐ近くの旧安田庭園内に刀剣博物館がある。刀剣博物館は槇 文彦の設計。歩きながら友人に槇 文彦の作品を紹介する。幕張メッセ、東京体育館、代官山のヒルサイドテラス、テレビ朝日の社屋、青山のスパイラル・・・。それから「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」(*2)という論考。



刀剣博物館のエントランスに休館の表示が・・・。残念。展示品を見たかったわけではなく、ここのカフェで休憩したかった。


縁甲板の型枠を使ったコンクリート打ち放しの壁。槇さんの建築はとにかく美しい。


旧安田庭園を歩く。





10
庭園内の駒止稲荷神社。狛犬がいる! ここの狛犬については稿を改める。


次はマティス展。両国から大江戸線で六本木へ。大江戸線の両国駅まではかなり距離があることを昨年(2023年4月)回向院に行った時に知った(過去ログ)。追記(04.23):自宅で地図を見て、ずいぶん遠回りしていたことが分かった。
11
両国国技館前の太鼓櫓 用途違えど、櫓は櫓。

12
こんな蓋があった。 既に12時近くになっていた。美女と一緒だから、六本木のおしゃれな店で食事をしようとおじいさんは考えた。

13
2階のレストランに高級車。どうやって店内に入れた? 

例によって食レポは無し。


14
マティス展については別稿で。


マティス展鑑賞後、消防博物館へ向かう。少し雨がぱらついているが傘をさすほどでもない。消防博物館は2012年、2016年に来ているから、今回が3回目。

15

16
前からあったのかな、この火の見櫓の模型。記憶にないなぁ。展示してある消防信号板と同じものが自室にある(*3)。

展示品をざっと見て、消防博物館の近くのカフェへ。この時、午後4時ころだった。


友人は聞き上手。阿川佐和子さんの「さしすせそ」の「そうなんだ」をよく使う。「すごいね」も。そのせいなのだろうか、話が尽きない。前回もそうだった。気がつけば6時。あっという間に2時間経っていた。ぼくは夜8時発のあずさで帰ることにしている。

地下鉄を丸の内線、南北線と乗り継いで神楽坂へ。時間がない。タイム イズ モウネェ。ゆっくり食事、とはいかず、1時間も経たないうちにさようなら、お元気で。終日つき合ってくれた友人に感謝。

友人は飯田橋から地下鉄、ぼくは総武線で新宿へ。出発時刻の10分くらい前に新宿に着いて、あずさに乗り込んだ・・・。疲れたな。ビールでも飲んで眠りたいところだけど、車の運転があるからそれは出来ない。

**とても楽しく、刺激を受けて帰ってきました。ありがとうございました。(後略)** 友人からメッセ―ジが届いた。

夜11時近くに帰宅。スマホで歩数を確認するとおよそ14,800歩。二日間でおよそ24,000歩。東京するといつもよく歩く。

大変有意義な週末東京であった。


 

*1 両国には国技館がある。横網を間違えて横綱と表記するケースが案内表示板はじめ印刷物などにもよくあったという。今回も綱を網に訂正したと思われる案内表示を見かけた。

*2 正確に覚えていなかったので帰宅後に確認した。


自室の壁に立てかけてある消防信号板

*3 何年か前のこと、ある自治体で火の見櫓を解体するという情報を得た。担当課の課長にお願いして、火の見櫓に設置されていた消防信号板をいただくことができた。


 


週末東京の記 1 

2024-04-22 | A あれこれ

 先週末、東京した。今回の上京目的は大学時代の恩師を囲む会に参加すること、国立新美術館で開催中のマティス展の鑑賞だった。

本稿と次稿に分けて週末東京、20日(土)と21日(日)の様子を時系列に沿って記録しておきたい。


20日、塩尻駅7時18分発の特急あずさ8号で東京に向かう。現在あずさは全席指定だ。進行方向右側の窓側の席を予約していた。左側の車窓からも火の見櫓は見えるけれど、右側の方がその数が多いと思われることと、後述することがその理由。


山梨県北杜市 特徴的な山容の甲斐駒ヶ岳(*1)の麓に立っている火の見櫓を撮った。たぶんこの辺りのはず、とスマホを構えてスタンバイしていた。スマホ写真のなんとなくパサついた感じがあまり好きではないが、記録写真だからと割り切って撮影する(4以降の写真は持参したカメラで撮影したもの)。


中央東線は甲府盆地を大きく東側に迂回して、塩山駅を過ぎてから、徐々に登っていく。この辺りの車窓の俯瞰的な風景が中央東線では一番好きだ。進行方向右側に席をとるのは、この風景を見たいからというのも理由。


山梨県上野原市 今までこの火の見櫓には気がついていなかった、と思う。少し後方を振り返るようにして見ていて、この火の見櫓に気がついた。あわててスマホを向けた。何とか火の見櫓を写すことができた。 やぐらセンサーの感度はこのところ極めて良好だ。


東京駅に9時59分、定刻に着いた。丸の内北口を出てオアゾの丸善に向かう。ここは上京すれば必ず立ち寄る書店。店内の上質で落ち着いた雰囲気が好ましい。




『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート(岩波文庫2023年第34刷)
『国道16号線 日本を創った道』山瀬博一(新潮文庫2023年)

「先生を囲む会」は目黒雅叙園で11時30分から。時間に余裕がないので、予め決めていた2冊を買い求めて、東京駅に戻る。



オリガミック アーキテクチャー 山手線の高輪ゲートウェイ駅で電車を降りて、隈 研吾設計の駅の様子を見て、次の電車に乗る。このくらいホームが明るいと好い。まだ乗降客はまばら。


目黒駅で他の参加者と合流、目黒雅叙園に徒歩で向かう。東京は坂の街、急な坂道を下る。5、6分ほどで雅叙園に着いた。






        

参加者は先生と奥さん、上高地仲間の3人、幹事のSTさん、私の7名。カノビアーノの個室で幹事のSTさんがオーダーしたイタリア赤ワインと共にコース料理を味わう。イタリア料理の味を表現する言葉を持たないので、省略。11時30分から2時間、楽しい時間はあっという間に過ぎて・・・。 

記念写真を何枚も撮影した。再会を約束して先生を囲む会はお開きに。先生は奥さん運転の車で帰宅された。STさんとも分かれた。


上高地仲間3人と庭園美術館(*2)辺りまで、酔い覚ましの散歩。

10
以前、満席で入店できなかったレストラン・・・。

その後、目黒駅近くの居酒屋で2次会。私の予定に合わせてもらい、4時半過ぎにお開き。


地下鉄を乗り継いで某所へ向かった。

11
6時半ころ、Mが予約していた焼き肉屋さんへ。店員さんが提示したQRコードをスマホで読み取って、表示された画面で飲み物などを注文するシステム。おじ(い)さんには、ハードルが少し、そう少しだけ高め。

焼肉は久しぶり。どの肉もなかなか美味かった。支払いはMがしてくれた。ごちそう様でした。

東京ではいつもよく歩く。20日も地下鉄の乗り換えや駅から目的地までの移動でよく歩いた。歩数は約9,300歩だった。


*1 甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)南アルプス(赤石山脈)の北端に位置する山、標高2,967m。
*2 庭園美術館には何回も行ったことがある。(過去ログ


 


100円と20円の普通切手

2024-04-19 | D 切手



 既に複数回書いたが、国の文化審議会は辰野町小野下町の火の見櫓を国登録有形文化財にするよう文部科学大臣に答申した。これは3月15日のことだった。このことについて複数の新聞社から取材を受けた。その内の1社、たつの新聞社から掲載紙(3月16日付)が2部郵送されてきていた。

帯封に貼られていた140円分の切手、内訳は100円切手1枚と20円切手2枚だった。どちらも普通切手だが、目にする機会は少ない。100円切手の図柄はサクラソウ、20円切手はニホンジカ。サクラソウは実際の切手の色より、紫がかって写っている。背景は実際にはもっと濃いピンク色だ。私はこの写真の色の方が好きだ。