透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ものごとを見るということ

2024-11-21 | A あれこれ

   
 マグカップを真正面から見ているだけでは取っ手があることに気がつかない。上から見ないとカップの平面形が真円であることが分からない。「もの」の形を把握するためにはいくつかの方向から見なければならない。

前から見ると四角形、横から見ると三角形、上から見ると円形に見える。このような立体があるとすればどんな形か。随分昔にベストセラーになった多湖 輝の『頭の体操』(第1集の刊行は1966年)というクイズ本にこのような問題が載っていたことを覚えている。

答えはコーヒードリッパーに似ていて、下の写真のような形から取っ手や底のつば(? 名称が分からない)を取り去った幾何学的な立体。大根を切って答えの形をくってみてくださ~い。

  
このように形が定まっている「もの」でさえ、形をちゃんと理解するためにはあちこちから見ないとダメ。ましてや形のない「こと」については尚更だ。十分な情報開示や説明がなければ状況が把握できない。新聞に時々「十分な情報開示や説明を」といった見出しの記事が載る。


2024.10.23付信濃毎日新聞に掲載された記事の見出し

中途半端だが、この辺りで本稿を終りにする。


 


旧洗馬学校の模型

2024-11-20 | A あれこれ

 国民皆学を目指して1872年(明治5年)に「学制」が公布された。これを受けて、1873年、1874年、1875年に多くの学校が開校している。1874年に開校した塩尻市宗賀小学校(前身は旧洗馬学校)は今年2024年に開校150周年を迎えた。これを記念して地元宗賀地区の住民が旧洗馬学校の模型をつくって寄付したという。その熱意がすばらしい!

宗賀小学校開校150周年記念式典が今月(11月)16日に開催され、模型が公開された、と新聞記事で知った。式典後、模型は宗賀支所で展示されるという。

早速18日に出かけて見せていただいた。模型はまだ倉庫に置かれていた。写真撮影を了解していただき、何枚も撮った。塩尻市の市民地域部 宗賀支所長のNさんが模型のバックに、とグレーの衝立を設置してくださった。


旧洗馬学校復元模型(縮尺1/30)




右側面を見る


裏側を見る グレーの壁面でこの先に続く校舎を省略したことを示している。

この模型製作に関わったかわかみ設計室の川上さんの文章によると、模型をつくるのに必要な資料はわずかだったとのことで、資料を集めたり何度も開智学校を見に行ったりして試行錯誤、復元模型用の図面を描いたとのこと。すばらしい!


小屋組みも表現されている。

Nさんから、模型はケースに入れて宗賀支所の玄関ホールに展示する予定と伺った。

旧洗馬学校は国宝の旧開智学校と同じく立石清重がつくっている(設計・施工)。旧開智学校は木造2階建てだが、模型写真から解る通り、旧洗馬学校は木造3階建てだ。だが、雰囲気が似ていると思う。

より多くの人に見て欲しいなと思って「松本市との共同企画として旧開智学校で一定期間展示したらどうでしょうか」と提案した。川上さんにも話してみよう。


 


朝日小学校 校歌

2024-11-18 | A あれこれ


朝日村HPより転載

 長野県朝日村の朝日小学校は今年2024年開校150周年を迎えた。

朝日小学校の校歌は昭和26年3月1日に制定されたとのことだが、3番の歌詞がすごい。

平和な日本のゆく道をわれらもうたって進もうよ

「うたって」はもちろん歌を歌うというような意味ではなく、謳ってだろう。謳うとは主張するという意味だ。校歌にするということは高らかに宣言するということだ。子どもたちに寄せる期待の大きさが解る。

朝日は民度が高く會津(会津)八一や折口信夫が講演するような村だったのだ。塩尻短歌館通信「短歌のふるさとVOL34(平成20年9月25日)」に掲載された記事は**朝日村が會津八一の学術講演を受容するにふさわしい土地であり、八一の学術的生涯を育てるポイントになったと言えるのではないか。**と結ばれている。

小学校の校歌に「平和な日本のゆく道をわれらもうたって進もうよ」という歌詞があることも、上記のことと無関係ではないように思われる。

いま改めて、研精覃思(けんせいたんし)の意味を考えなければならない。


「研精覃思」と書かれた會津八一の書碑(朝日村中央公民館前庭)


 


カフェで本を語る

2024-11-11 | A あれこれ

 塩尻市立図書館が中心となって開催している「本の寺子屋」は今年(2024年)で13年目とのこと。昨日(10日)関川夏央さんの「司馬遼太郎『坂の上の雲』の方法と、それが書かれた時代」と題した講演が行われた。私は関川さんの語り口が好きで、講演を聴きたいと思っていた。ここでは講演内容については触れない。ちなみに次回12月1日のねじめ正一さんの講演会が今年度最後。

講演会の後、高校の同期生5人で会場近くのカフェでおしゃべりをした。みんな読書好きということで、話題になったのは好きな作品などについて。

同じクラスだったKさんは中学1年の時、谷崎潤一郎の『痴人の愛』*1 を読んだとのこと。中1で『痴人の愛』か・・・。僕はというと、中2で松本清張の『砂の器』だから、読書体験が随分違う。他には横溝正史だったかな? 江戸川乱歩? メモしておかないと・・・。

Iさんは浅田次郎の作品が好きとのこと。浅田次郎の涙小説は僕も好き。

Tさんは高1の教科書に載っていた柳田國男の「清光館哀史」が印象に残っているそうだ。僕はこの作品を読んだ記憶が全くない。調べると、岩波文庫の『日本近代随筆選 1』に収録されている。丸善にあるかな。青空文庫で読むことができることも分かった。

僕が覚えているのは丸山真男の「「である」ことと「する」こと」という文章。*2 このことを話すとTさんも覚えていた。他にTさんは福永武彦の「草の花」*3 を挙げた。僕にとって「忘却の河」と「草の花」は忘れることができない作品。

さて、S君が挙げたのは、何だっけ・・・。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』*4 だったかな。僕が最初に読んだ司馬作品は直木賞を受賞した『梟の城』だった。

今年2024年は安部公房生誕100年。安部公房の作品を読んでいると話すと、難しくないですか、とIさん。演劇部が安部公房の戯曲「友達」を上演したことはみんな覚えていた。 

司馬遼太郎と藤沢周平、このふたりは対比的に評される。僕は藤沢作品では新潮文庫の『橋ものがたり』*5 に収録されている短編「約束」が好きだ。**「約束を、忘れなかったのか」「忘れるもんですか」激しく、ほとんど叫ぶようにお蝶は言った。**(37頁)何年か前、倍賞千恵子の朗読でここを聴いて泣いてしまった。

高校生活や本のことは話がつきない。気がつけば5時半。外は暗くなっていた。で、「カフェでおしゃべり」はお開きに。次回も楽しみ・・・。


*1 僕が『痴人の愛』を読んだのは40代のときだった。
*2 岩波新書の『日本の思想』に収録されている。手元にあるのは1980年3月に購入した本。
*3 『草の花』新潮文庫。手元にあるのは1981年9月に購入した本。
*4 司馬遼太郎の文庫はすべて古書店に引き取ってもらったので『竜馬がゆく』もない。
*5 藤沢作品では『橋ものがたり』だけまた買い求めた。


 


カレー大作戦だけど今回はロコモコ丼

2024-11-09 | A あれこれ


 我が村では今年度10回のカレー大作戦が予定されている。二八会が初回を担当した。回を重ねて今日9日が7回目だった。カレー大作戦という名前になっているけれど、今年度からカレーでなく、他の食事を提供しても良いことになった。で、今回は手づくりハンバーグのロコモコ丼だった。

毎回11時半開始だが、11時頃から並んだので前から10人目くらいだった。

ハンバーグにも味だけでなく違いがあると思うけれど、食べ比べができるほど食べていないのでよく分からなかった。で、ひと言、美味かったです。 


 


週末鎌倉 その2

2024-11-05 | A あれこれ

 JR北鎌倉駅のすぐ近くの円覚寺(えんかくじだと思っていたが、リーフレットには円覚寺にえんがくじとルビがふられている。覚えておこう)、明月院を見て徒歩で鶴岡八幡宮へ向かう。この間、距離はおよそ1.6km。途中、道路沿いのお店で食事をする。

4 鶴岡八幡宮


お決まりのアングルで写真を撮る。背景は真っ青な空。晴れ男効果抜群、この日は朝から天気が良かった。暑くなく、寒くもなく、過ごしやすい日だった。3連休で、前日(2日)が雨だったこともあるのだろう、鎌倉は人出が多かった。鶴岡八幡宮参拝は2015年7月以来9年ぶり(過去ログ)。


5 鎌倉の大仏

江ノ電で極楽寺、長谷駅、鎌倉の大仏に行く予定だった。鎌倉駅に向かう途中、店の奥にテーブルを設えたケーキ屋さんを見つけて、コーヒーを飲みながら休憩した。そこで、すっかり話し込んで気がつくと4時。大仏さんだけ参拝しようと江ノ電で長谷駅へ。電車は朝の通勤ラッシュ状態。長谷駅から徒歩で高徳院へ向かう。公開時間を知らなかったが、ぎりぎり間に合った。鎌倉の大仏は2013年9月以来11年ぶり(過去ログ)。

大仏さん以外、顔が写らないようにタイミングを見計らってパシャ!

設置されていた大仏の説明板から主な値を挙げる。
総高(台座共)13.35m
面 長 2.35m
眼 長 1.00m
耳 長  1.90m
螺髪数   656ヶ
仏体重量  121トン

5時半ころだったか、夕暮れの鎌倉駅までバスで戻り、電車で東京駅へ。食事をする時間的な余裕が無く、友人と別れて新宿駅へ。特急あずさに乗車。こうして週末鎌倉は終わった・・・。


徒歩数 2日:8,793歩 3日:18,653歩 よく歩いた。


週末鎌倉 その1

2024-11-05 | A あれこれ

11月3日 朝から快晴。鎌倉へ。同行者ひとり。東京駅で待合せて横須賀線で鎌倉へ。

1 円覚寺


山門


仏殿


舎利殿(国宝)




洪鐘(おおがね 国宝)

この鐘楼は石段を130段くらい登ったところにある。途中の踊り場で一息。もう若くはない。


2 明月院




あじさい寺として有名な明月院。やはりあじさいの季節がよいと思うが、混むだろうな。


3 建長寺


仏殿(重要文化財)


唐門(重要文化財)


梵鐘(国宝)


鐘つけば銀杏ちるなり建長寺
夏目漱石がこの句を詠んだのは案内板によると1895年(明治28年)9月。
正岡子規が柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺と詠んだのはその数か月後だそうだ。知らなかったな。


 


週末東京

2024-11-04 | A あれこれ

 引退間近だった「なぎさTRAIN」に二日続けて会うことができたから、週末東京で何か予期しない楽しいこと、嬉しいことがあるだろう、と先日書いた。

11月2日の土曜日、久しぶりに東京へ出かけた。大学の恩師の叙勲のお祝いを兼ねたOB会に参加するために。OB会の会場へ行く前に変貌著しい渋谷駅周辺を見学しようと思っていたが、この日はあいにく雨降り。あきらめて、会場近くのカフェで読書して過ごした。

OB会開始時刻の12時に数分遅れて会場に入ると、思いがけず懐かしい顔、顔・・・。HR君とTKD君、それからID君、ON君、TKS君の5人とは彼らが大学を出てから初めて会った。40数年ぶりの再会だった。5人はOB会に出るのが初めてとのこと。予期しない嬉しいことはこのことだったんだ、と納得。髪の毛が薄くなったり白くなったりしてはいたが、すぐに誰だか分かった。

彼らにOB会に参加するよう声をかけてくれたSK君とも7,8年ぶりくらいの再会か。他にもON君、HY君、YKさん、SN君との再会もあり、あっという間に2時間半経過してOB会はお開きに。その後、いくつかのグループができてそれぞれ別れていった。私は何人かで近くの居酒屋に移動して、あれこれ思い出話に花を咲かせた。「夏の合宿は楽しかったですね」「え、そんなことがあったのか、知らなかったなぁ・・・」「・・・?」「・・・!」

夕方4時過ぎ。

この日は夕方5時半に友人と会う約束をしていたので、渋谷に出て、山手線で東京駅へ向かった。待合せ場所の八重洲中央口改札には5時頃ついてしまったが、数分後に〇さんも来て再会。

雨が降り続いている。駅近くの居酒屋に入った。乾杯! 〇さんとは思い出話をすることが多い。

この日の夜、〇さんと東京駅で別れ、ホテルにチェックインしたのは9時半ころだった。健全な飲み会。


 


「詭弁社会」を読む

2024-11-01 | A あれこれ

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『詭弁社会 日本を蝕む〝怪物〟の正体』山崎雅弘(祥伝社新書2024年3月10日初版第1刷、5月10日第3刷)を読んだ。

**何がこの国を腐らせた?**とはずいぶん激しい憤りを感じさせる言葉だ。帯に記されたこの言葉の左に小さい文字で**「安全・安心」「お答えを差し控えさせていただく」「丁寧に説明する」「〇〇の意図はなかった」**とある。これらはよく耳にする政治家の言葉。著者の山崎さんはこれらを詭弁だと指摘し、それを検証している。それで読んでみようと思った。

「誤解を与えたのならお詫びする」などという言葉を聞くたびに、なんだか変だなぁと違和感を感じていた。自分の意図が相手に伝わらなかった理由の半分は意図を伝えることに失敗した自分にあるが、残りの半分は意図をちゃんと理解しなかった相手にあると、言いたいのだと山崎さんは指摘する。そして、このことを**本質的な反省とはほど遠い、問題の責任を受け手側にも転嫁する姿勢です。**と断じている。

なんだか変だなぁと感じていた例示のような言葉に関する解説を読んでいて、なるほど、そういうことなのかと納得することしばしばだった。

実際にこのような詭弁に対し、それに気がついて指摘、批判できるかどうか・・・。この本を読んだからといって、直ちにそのようなことができるとは思えないが、関心を深めることにはなった。

山崎さんが異様だと感じているのは、政治家の詭弁に対する政治記者たちの無抵抗さだという。**国民の「知る権利」を代行するという責任感を胸に抱きながら、相手が政府トップや大臣であっても、臆せずに本質的な質問を繰り出します。**(190頁)ということがない、とこの国の現状を憂えている。


 


いつもとは違う二八会だった

2024-11-01 | A あれこれ


急に決まった臨時二八会は新そば会。3人は都合がつかず不参加。いつもと違ったのは女性がふたり参加したこと。

市民タイムスのSさんは取材を兼ねて、シンガー・あこさんはコンサートの打合せということで。


きのこ汁 上品な薄味に仕上げたNN君の男の料理 美味かった。


きのこがトッピングされた新そば NN君提供のきのこ、FM君の手打ちそば。絶品!

今回は女性ふたりの参加で、いつもとは違う上品な二八会だった。 


 


初代「なぎさTRAIN」

2024-10-30 | A あれこれ


なぎさちゃん、もとい 初代「なぎさTRAIN」アルピコ交通3000形(3005-3006号車) に昨日に続き、今日30日も会いました。

時刻は9時47分。上りのなぎさTRAINが奈良井川橋梁を渡っていきます。

二日続けて会うことができたのですから、週末に出かける東京で何か予期しない楽しいこと、嬉しいことがあるでしょう。

旧友との再会

2024-10-26 | A あれこれ

 高校の2,3年の時に同級だったSN君との付き合いは長い。SN君は現在首都圏在住だが、中学の同級会に出席するために昨日(25日)来松していた。今日、松本駅のスタバで待ち合わせ、久しぶりに再会した。

SN君は私のブログを読んでくれている。「とある小学校の6年1組のホームルーム」という記事(過去ログ)がたとえ話ということに気がついていて、内容について訊かれた。私が説明すると、あんなことが今の自治体で起きていることに大変驚いていた。当然だと思う。女性に参政権がなかった戦前のようなこと(*1)が今現在行われたのだから。このブログには政治的なことについては書かないことにしているから、これ以上書かない。

昼食は蕎麦。

午後2時過ぎの高速バスで帰る予定とのこと。バスターミナルのすぐ近くの丸善書店で私もSN君も新書を買い求め、同店内のカフェで、再びあれこれ話した。気心の知れた友人との語らいは楽しい。

次回はを約束してバスターミナルで別れた。SN君、有意義な時間をありがとう。


*1 1945年(昭和20年)11月 女性に参政権が認められた。


洗馬の牧

2024-10-21 | A あれこれ



 10月19、20日の二日間開催された「洗馬地区ふるさと文化祭」に行ってきました。洗馬の歴史関係の展示パネルに**洗馬の牧は藤原実資(さねすけ)の荘園でした**と紹介されていました。
 
大河ドラマ「光る君へ」で実資をお笑いタレントの秋山竜次(ロバート秋山)さんが演じています。そうか、あの実資の荘園だったのか・・・。
 
現在の広大な朝日村のレタス畑のあたりでしょうか、平安時代には洗馬の牧と呼ばれて軍馬を育てていたところのようです。1000年前が今につながっているということが妙にリアルに感じられました。

洗馬という地名の由来については、木曽義仲が馬を洗ったところだからという説を耳にしますが、義仲が活躍した平安末期よりずいぶん前(*1)からあったんですね。

*1 およそ200年前
※展示についてSNSで紹介することを洗馬公民館から了解していただいています。

ハロウィンなキーマカレー!

2024-10-19 | A あれこれ


 私が暮らす村のカレー大作戦。今年度は10回予定されていて、7月20日の初回を担当したのは二八会でした(過去ログ)。今日10月19日は第6回、担当したのは商工会女性部の皆さん。

ハロウィンなキーマカレー! 色が赤っぽいのはビーツという赤い根菜を使っているから。食レポ資格無きゆえ、なかなか美味いカレーでした、とだけ。


大人1食300円、子ども(18歳以下)無料 次回は11月9日(土)