透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ざっくり

2011-01-31 | A あれこれ

「ざっくり」  新明解国語辞典/三省堂 には「ざっくり」という言葉について、「細かい事にこだわらず、大筋を押さえるだけにとどまることを表す。」と出ている。 

サッカーのアジアカップで日本が優勝したことを新聞各紙一面で大きく報じているが、ザッケローニ監督を記事の見出しではザック監督と書いている(信濃毎日新聞)。このザックからざっくりという言葉を連想した。ということで、でもないが、今回は「ざっくり」について考える の巻・・・。

昨晩(30日)、熱血!平成教育学院というテレビ番組を見た。番組中、社会の問題で「北海道の面積が日本の国土に占める割合はどのくらいか」というのがあった。10、20、30、40%という4つの選択肢から選ぶ問題で正解は20%だった。九州は北海道のおよそ半分の面積、さらに四国は九州のおよそ半分の面積だと覚えておくとよい、とこの問題の解説というか、補足説明があった。因みに日本の国土面積は地球の陸地の総面積のおよそ1/400。

このようにざっくりとつかむということは、時に細かなことにとらわれるよりも大事だと思うことがある。

円周率は場合によってはざっくりと3としてよい、と数年前までは教育現場で言われていたが、どうやら円周率はやはり3.14としなければならない、と昔に戻ってしまったようだ。3として扱えば暗算で計算できて、いろんなことを簡単に確認することができるのに、3.14となるとそうはいかない。

この続きはまたいつか・・・。


ブックレビュー 1012/1101

2011-01-30 | A ブックレビュー



 文庫は新潮、新書は中公

『ことばと思考』 今井むつみ/岩波新書  
**異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!** 言語と認識との関係、興味深いテーマに実証的に迫る。

『古都』 川端康成/新潮文庫
昨年は川端康成の作品を何作か再読した。季節のうつろいを織り込んで描く人生の機微。

『おそめ』 石井妙子/新潮文庫
人生山あり谷あり。

△1012


▽1101

『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』 清水 博/中公新書 年越し本
**生きている状態にあるシステムは情報を生成しつづける**  様々な階層、レベルの生命システムに共通する普遍性。

『太陽系大紀行』 野本陽代/岩波新書
1957年、初の人工衛星打ち上げ。それから50年、多くの探査機がもたらした太陽系の惑星や衛星、小惑星の情報。

『小惑星探査機はやぶさ』 川口純一郎/中公新書
「はやぶさ」プロジェクトマネージャが解説するミッションのすべて。

『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』 原武史/新潮文庫 
「鉄」は広い、「鉄」は深い!

『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』 内澤旬子/河出文庫

『血族』 山口 瞳/文春文庫 
良書には再読させる力がある。カバーデザインは田中一光(日本を代表するグラフィックデザイナー)。


133 134 火の見櫓センサー

2011-01-27 | A 火の見櫓っておもしろい


133 塩尻市洗馬


134  塩尻市洗馬の火の見櫓


 先日友人に「火の見櫓センサーがついているみたいですね」と言われた。

長野道を走っているとき、何基か火の見櫓が目に入ったのでそれを指摘した際、そう言われた。自分でもそう思う。今まで気がつかなかった火の見櫓にこの頃気がつくようになった。

先日塩尻市の洗馬(せば)というところでこの2基に気がついた。何回か通ったことのある道路沿いに立っている火の見櫓だが、今まで気がつかなかった。火の見櫓センサーが作動したのだろう。

上の火の見櫓、つま先立ちしているかのようだ。櫓がそれ程大きくないので梯子が櫓の内部に収まらない。電柱と電線が邪魔だな。

下の火の見櫓、既にライバル柱が立っている。撤去される日が遠くないかもしれない・・・。


 


「血族」読了 次は・・・

2011-01-26 | A 読書日記



 歌手の菅原洋一は ♪あなたの過去など知りたくないの と歌った。でも作家の山口瞳は違った・・・。

**母は、とにかく、私には、何もかも、なにも言わなかった。隠したままで死んでいった。**(322頁)  山口瞳は母親が黙して語ろうとしなかった「過去」を知りたかった、知らなければならなかった・・・。

およそ30年ぶりに読んだ『血族』 山口瞳/文春文庫。

山口瞳は時に**「母の隠していたことを、周りの人たちが隠していたことを掘り起こして、それが何になるのだろうか」**(247、8頁)と思いつつ母親の過去を解明していく。

父母の結婚式や母の花嫁姿の写真がアルバムに一枚もないのはなぜか・・・。**大正十五年十一月三日に私は生まれた。戸籍上はそういうことになっている。(中略 )私は、早くから、この生年月日に疑念を抱いていた。**(16頁) 生年月日を変えて届出をしたのはなぜか・・・。優れた推理小説のような山口瞳の謎解きを読み進んだ。

この私小説の最終章はたった二行で終わっている。上手い終わらせ方だと思うが具体的には書かないでおく。この文庫本には再読を要すというメモ書きがある。なぜそう思ったのか、定かではない。でも再読してよかったと思う。

さて次は『成熟と喪失〝母〟の崩壊』 江藤淳/講談社文庫 これまた30年ぶりの再読。


須坂 坂田浄水場

2011-01-24 | A あれこれ




 ブログのサブタイトルを「好きな建築や本のことなどを素材に織り上げるタペストリー 」としているが、以前と比べると「建築」を取り上げることが少なくなったように思う。それはなぜか・・・。火の見櫓を取り上げることが多くなったことが一因だ。尤も、火の見櫓は建築と無関係ではない。今、火の見櫓を建てようとすれば、建築基準法で規定している工作物の適用を受け、確認申請をしなければならない。また、火の見櫓に関する論文は建築論文扱い、「日本建築学会」の論文報告集などに収録される。

さて、本題。

須坂市の郊外に大正末期、正確には大正15(1926)年に完成した坂田浄水場があることを市内で入手したパンフレットで知った。訪れてみると、1996年に新しい浄水場が隣につくられていて、稼働していなかった。それに新しい浄水場と共にフェンスで囲われていて、立ち入り禁止だった。これはセキュリティ上、当然のことだ。 

囲いの外にこの施設があった。これも浄水場の施設であることは容易に判断できたが(フェンス内にも同じデザインの建物があったので)、具体的な用途は分からない。この施設も今から85年位前に建設されたことになるだろう。残念ながら、このレトロな建物について何か書こうにも知識がない。

市では休止していた坂田浄水場の再稼働を検討しているようだ。新しい浄水場は急速濾過という方式で、ランニングコストがかかり、水道料金にはね返っているようだが、旧浄水場は緩速濾過方式でランニングコストがほとんどかからないという。灰野川の伏流水を濾過池に引き込み砂や微生物などの働きで汚れを除去する方式が復活する可能性が出てきたというわけだ。

新しい浄水場ができたとき、古い浄水場を取り壊さなかったことが幸いしそうだ。成り行きに注目したい。



メモ)
成り行きに注目したい。 これは「なりちゅう文」と呼ばれる常套句。かつて新聞記事に多用されたようだ。あまり芳しい表現だとは思わないが仕方がない・・・。

 


須坂 田中本家

2011-01-24 | A あれこれ







冬のフォトアルバム 20110122


 北信濃屈指の豪商田中家 パンフレットによるとその財力は須坂藩をも上回ったという。屋敷を囲む土蔵群、その数20棟。その一部が展示館に改修され、衣装や漆器、陶磁器、玩具などが展示されている。

見学コースの最後のところに置かれていたノートに**田中さん家やばいです。 まじ、おどろきました。 また来ます。** という女子高生の書き込みがあった。確かに。


和様の技術

2011-01-23 | B 繰り返しの美学

須坂市の普願寺本堂 

 境内の説明板によると現在の本堂は江戸中期、延亨4(1747)年の完成で、長野県内の浄土真宗寺院の中で最も大規模な本堂の一つだそうだ。山門に立つと本堂のシンメトリックな構成の力強さ、堂々とした佇まいに圧倒される。



本堂側面の軒下の組物に伝統的な和様の技術を観る。古建築の部材に付けられた名称はなかなか覚えることができない。尾垂木(おだるき)を二段に組み、その上に斗(ます)を載せ、桁を渡す。そこへ急勾配の地垂木(じだるき)、更にその上に緩勾配の飛擔(ひえん)垂木を架ける。これらの部材は天秤のようにバランスがとれていて、軒を大きく張り出すことを可能にしている。

精緻な建築技術、高い美意識。単に繰り返しの美学などと片付けてしまうことを躊躇う。日本の伝統的な建築文化、いや建築に限らず、広範な伝統文化に触れる機会を持ちたいと思う。


132 小布施の火の見櫓

2011-01-23 | A 火の見櫓っておもしろい


132



 須坂から小布施へ移動。所要時間は車で10分くらい。

小布施の町なかに火の見櫓が立っていた。『小布施まちづくりの奇跡』 川向正人/新潮新書によると小布施には毎年120万人の観光客が訪れるという。だが、観光客の中でこの火の見櫓に気が付いてカメラを向ける人など極僅かだろう・・・。

須坂で見た火の見櫓とは違って、すっきりしている。櫓のブレースがアングル材で、直接同材の柱にジョイントされていること、見張り台に照明やスピーカーなどが付けられていないことなどが、その理由か。

平面が四角形の櫓に六角形の屋根が載っている。三角形の櫓と六角形の屋根、四角形の櫓と八角形の屋根の組み合わせなら柱の位置と屋根の下り棟の位置が合うがこの組み合わせだと合わない。だからいままで見かけたことがなかった(と思う)。

この組み合わせに加えて、屋根の上に大きな矢羽根が付いていること、下り棟に用いられた部材の先を曲げているが、クルっと巻いてはいないことなどがこの火の見櫓の特徴。モダンな印象の火の見櫓だ。





129~131 須坂の火の見櫓

2011-01-23 | A 火の見櫓っておもしろい


129



須坂市内でまず目に入ったのがこの火の見櫓だった。櫓の中間の踊り場が櫓の外に付いていることとブレースの環状のバックルが大きいことが立ち姿を特徴付けている。櫓はスレンダーだが、存在感のある立ち姿。四角形の櫓に八角形の屋根は納まり上自然。




130



この高さで踊り場が無い。この火の見櫓は上り下りするのが怖いだろう。三角形の櫓に八角形の屋根を載せるために円形のフレームを介している。なるほど!な納め方。①の櫓より「スケスケ感」が強いのはブレースの環状バックルとガセットプレートの大きさの違いによる。




131



①の火の見櫓と立ち姿が似ている。外付けの踊り場、存在感のあるブレース、円形の見張り台と八角形の屋根が共通している。屋根の避雷針に付けられた矢羽根、縦繁の手すり子も同じ。

松本平の火の見櫓とはずいぶん印象が違う。デザインに地域性があることを実感した(20110123)。


128 須坂市上八町の警鐘櫓 

2011-01-22 | A 火の見櫓っておもしろい


128


須坂市上八町の警鐘櫓

上越方面の天気予報が雪だったので、予定を変更して須坂へ出かけた。須坂市内でこんな火の見櫓を見つけた。木造の櫓は飛騨高山で見て以来。櫓には方形(ほうぎょう)の屋根が載っている。鐘楼を思わせる意匠だが、須坂には寺も多い。櫓の下部は鉄板横葺きだが元々板張りだっただろう。⑤の写真(普願寺)のような押縁下見板張りだったのではないか。

の写真でわかるが、下の蔵とのバランスがよく、美しくまとまっている。






櫓の天井に付けられている「警鐘櫓」の扁額



ナスカの地上絵

2011-01-19 | A あれこれ




 今日(19日)の朝刊に「ナスカ 新たな地上絵」という見出しの記事が載っている。山形大学人文学部の研究チームが人間の頭部と動物とみられる地上絵2点を新たに発見したという。

記事には山形大学提供の写真も載っていて次のような説明が付いている(信濃毎日新聞)。**左側が口、右上が右目、右下が左目とされ、右目の上部に右耳がついている**口を下にしないで左目を下にして載せているのでこのような説明になるわけだが、これは何とも奇妙だ。この向きで見た方が人の顔に見える、という新聞社のアピールなのかもしれない。未確認だが、朝日新聞は口を下にした写真、つまり山形大の発表通りの向きの写真を載せているようだ。

上の写真のように山形大学が右目とした●を下にすると、私には手塚治虫が描いた子どもライオン(ジャングル大帝かなにか)の不安そうな顔に見えるがどうだろう・・・。

既に書いたが、脳は視覚情報を既にストックしてあるデータに帰着させようとする、既知のものだと認識しようとする。人間の脳には●が逆三角形に並ぶと上のふたつの●を目と認識する「クセ」があるのではないか。下の写真のふたつのをタイヤと見て、自動車を横から見たところなどと脳が認識することはあるまい。

ヒトが生まれてまず目にするもの、それは母親の顔だ。まだきちんと見えない状態で脳はふたつ横に並んだ●を目と見て、それをヒトの顔として認識し、データとしてストックする。そして、この最も古いデータをもたらされる視覚情報に優先的に当て嵌めようとするのではないか。それ故、下の写真は、ウィーとか言っている人の顔に見えるはず。

山形大の研究チームが人の頭部(顔)の地上絵を発見したとするならば、見る方向が定まらなければならないのではないか、と思うがどうだろう・・・。上の写真の「顔」はどの●を口と見做しても顔に見える。



手元のこの本に紹介されているサルやハチドリやクモなどとする地上絵(線画)は誰の目にもそのように見え、他のものに見えるということは無いだろう。それらの絵と比べるとこの地上絵を人間の頭部だとするのはどうも・・・、というのが素人の私の感想。


メモ)
『ナスカ 砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライへの生涯』  楠田枝里子/文春文庫

写真の顔、青木繁の「海の幸」に描かれた女性の白い顔に雰囲気が似ていると思うがどうだろう。まあ、予めこんな情報を与えられるとそう見えてしまうものだが。

香港みやげ

2011-01-18 | A あれこれ



 世界遺産巡りが趣味という友人から香港みやげにグリコのプリッツをもらった。マカオの世界遺産を見てきたという。その旅程に香港も入っていたとのことだった。

このプリッツってどこでつくられたんだろう・・・。香港に菓子工場ってあるのかな。ポリポリしながらふと思った。箱を見ても表示がみあたらない。で、ネット検索。グリコのサイトを見ると1970年に「タイグリコ」が設立され、ポッキー、プリッツの現地生産を開始。シンガポールやインドネシヤ、マレーシア、香港、台湾などの周辺の市場にも輸出している、とある。そうか、このプリッツはタイでつくられたのか・・・、きっとそうだ。

昔ハワイで買ってきたみやげが韓国製だと後になって気がついたことがあった。国内の観光地のみやげもまったく別のところでつくられているものが多いと聞く。

みやげの生産に関しては(いや、何もみやげに限ったことではないが)県境も国境ももはや無い、というのが現実か・・・。

Mさん、アリガト。「百力滋」美味かったです。今度は「百奇」をお願いします。^^