透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 1202

2012-02-29 | A ブックレビュー


2月の読了本7冊  しまった!『古事記』橋本治を並べ忘れた、ということで別撮りして追加。

『五重塔入門』 藤森照信、前橋重二/新潮社とんぼの本
釈迦の遺骨を納める仏塔がインドから中国、朝鮮を経て日本に伝わった。インドでは「土マンジュウ」(藤森さんの表現)だった仏塔が中国で塔状に形を変え、日本に伝わると日本人の優れた感性によって美しい五重塔に昇華した・・・。巻末に収録されている前橋重二氏の「卒塔婆からスカイツリーまで五重塔2500年史」は飛鳥時代から近現代に至るまで、五重塔の構造や意匠などの詳細な考察。時々読みかえしたい。掲載されている五重塔の写真がみな美しい。

『コンニャク屋漂流記』 星野博美/文藝春秋
著者の家族や親戚を大切に思うこころがルーツ探しの旅に向かわせた。会話のライブ感がいい。昨年話題になったノンフィクション。

『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』 清水博/中公新書
福岡伸一氏の動的平衡って、この本の著者が唱えた動的秩序と同様の概念だろうか、たぶんそうだろう。静的(スタティック)で要素還元的な分析では生命現象は捉えきれない。生きている状態ってそういうものなのだ。難しい数式なども出てくるが、飛ばして読んでいいだろう。

『古事記』橋本治/講談社
少年少女向け古典文学全集の1冊。**日本神話としてなじみ深い話の数々が、飾り気無く力強く描かれている。ここには日本人の心と行動すべての原初の姿を見つけることができる。**カバーに記された紹介文。巻末には古事記の原文(一部)、神々の系図、本に登場する神々のリストが載っている。大人のための古事記入門書。

『古事記(上)』全訳注  次田真幸/講談社学術文庫 
2月の読書の大きな成果は古事記の書き下し文を読んだこと。古事記を読むとは全く予想外のことだった。今年は古事記編纂からちょうど1300年にあたる。小学校の低学年の時に読んだ日本の神話の記憶がよみがえってきた。読んだのは上巻の神話だが、その内容のおもしろさは、最近よくあるCGを駆使した冒険物、ファンタジー物の映画に劣らないだろう。

メモ
古事記   712年に編纂完了 
日本書紀 720年に編纂完了 

『FUKUSHIMAレポート』 『遺体』
2冊とも同僚から借りて読んだ。新聞やテレビで報じられてきたことが全てではないということを改めて認識した。『FUKUSHIMAレポート』は原発事故に関する様々な角度からのレポート。福島第一原発の大事故以前は原発について何も知らなかった・・・。『遺体』 東日本大震災の惨状はテレビの映像で随分見た。映像ではなく、文章による記録を「本」にして残すことの意義は大きい。


 


「もっと変な給食」

2012-02-28 | A 読書日記


表紙に載っている給食のメニュー

1番上
クリームスープスパゲッティ
チョコシュガートースト
バナナ
牛乳
「先生、これも三角食べしなきゃダメ!?」(10頁)

2番目
にくみそソフトめん
ツナあえ
たいやき
牛乳
「昨日ばあちゃんが遊びに来たんだけど、おみやげがたいやきだった。」(34頁)

3番目
ミートパン
豆乳スープ
冷凍パイン
牛乳
「ミートパンって名前と実物のギャップに驚く。」(125頁)

 驚きました。学校給食って食の「プロ」の栄養士が献立を考えて、「プロ」の調理員が子どもたちのために愛情をこめてつくっているんだと思っていました。でも全国の学校給食の中にはプロが考え、プロがつくったとは到底思えない給食もあるようで・・・。表紙の献立よりもっと驚きの給食がこの本にはたくさん紹介されています。

学校給食法が巻頭に載っています。

第一条  この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するものであり、かつ、児童及び生徒の食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で重要な役割を果たすものであること(以下略)

第二条 二 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
       六 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。

*****

家庭の食事が問題だということは聞いていました。孤食、朝食抜きの子ども、夕食替わりのスナック菓子などなど。でも昼食は学校給食だからいいだろうと思っていたのです。3食のうち1食は栄養バランスのよい食事だと思っていたのですが、どうもそうではなかったようで・・・。

著者の幕内秀夫氏は子どもたちの健康のためには、完全米飯化が近道で現実的だと考えているとのことですが全くその通りだと思います。この本に紹介されている給食の主食をご飯にかえてみると、食事にはならないなあ、と思うものばかりです。全面的に賛成です。

ご飯にかえると副食もかわるでしょう。そうすれば学校給食法に合う給食になるように思います。実際、そうしている小学校も増えていて、12年前は約900校だったそうですが、現在は1800校を越えているそうです。

繰り返します。給食の写真を見て驚きました。この本に紹介されている給食がプロの栄養士が考えた献立だとは・・・。


『もっと変な給食』 幕内秀夫/ブックマン社   『変な給食』の続編


「遺体 震災、津波の果てに」

2012-02-26 | A 読書日記



**「何人なんてもんじゃねえ。数えられないほどだよ。海沿いのマチと、ここら内陸部で生死の境が分かれっちまってるんだ。マチは完全に死に絶えっちまって、ここら工場のあるあたりだけがポツンと残っているだけだ。今日になって旧二中の体育館が遺体安置所となったらしい。津波で死んだ犠牲者は片っ端からそこに運ばれているそうだ」**(22頁)

**「そうですね。時が経てばみんなの記憶から消えていくものです。身元不明の仏さんは誰の頭にも残らないかもしれない。なんだか、それがかわいそうで・・・・・・」**(295頁)

東日本大震災発生直後はテレビに映し出される信じられない光景を見る度に涙していた。あの日からまもなく1年が経つ。『遺体 震災、津波の果てに』 石井光太/新潮社 を読み終えた。 

「遺体」。ストレートでずっしりと重い書名が悲しくつらい現実を直視しろ、と読む者に訴えているかのようだ。 民生委員、歯科医師、釜石市職員、消防団員、自衛隊員、住職・・・、それぞれの立場で壮絶な光景、悲惨な現実と必死に向き合う人たち。

**貴子は朝からずっとこらえてきた感情を爆発させるように叫んだ。
「社長、やめてよ!なんでこんなところにいるのよ」(中略)職場では父親のような存在だった。その彼が冷たくなって安置所の床に置かれている・・・・・・。**(143頁) 歯科助手として検歯の手伝いをしていた貴子さんは歯科医院に勤め始める前に一年弱勤めていた洋服屋の社長の遺体と対面する。

ああ、いまこうして書いていてまた涙があふれてきた・・・。

釜石の遺体安置所で多くの死に関った人たちの証言で構成されたおよそ3週間の出来事。 壮絶なるルポルタージュ。


震災の犠牲者に哀悼の意を表します。


「FUKUSHIMAレポート」を読む その2

2012-02-26 | A 読書日記


26日付朝刊の1面に掲載された「巨大津波警告の報告書 電力会社の注文で修正」という見出しの記事

■ 宮城から福島沖での巨大津波の危険を指摘する報告書を作成中だった政府の地震調査委員会事務局。事務局は東日本大震災の8日前に東京電力など原発を持つ3社と非公式に会合を開催、電力会社の求めに応じて巨大津波や地震への警戒を促す記述を修正していたことが分かったと報じている。「なれあい」「癒着」が批判される「原子力ムラ」の内情をうかがわせるものだと同記事の解説にある。

やはり福島第一原発の大事故は想定内の人災なのだ。

昨日(25日)読んだ『FUKUSHIMAレポート』の第2章に**国策民営体制の下で、利益が出ないと困る会社と、会社に撤退されては困る国、両者のもたれ合いから生じる無責任体制が、「長期間の全交流電源喪失に備えなくていい」という無責任な安全基準を生んだ。そして、これが苛酷な事故につながった。**(216頁)という指摘がある。

なぜ会社に撤退されると国は困るのか。核兵器製造のための経済力と技術力、核兵器を造ろうと思えばいつでも造れる状態が保持できなくなるからという指摘。そうか、そういう事情が裏側にあったのか・・・。

本書には原発なしには立ち行かなかった地元の経済事情、日本国外で造られた製品にまで日本製というだけで風評被害が及んだという状況なども紹介されている。 サブタイトルになっている「原発事故の本質」に迫るレポートだ。


日本では停電時間が年間で18分。アメリカやフランス、イギリスでは1時間程度、イタリアでは約3時間。東南アジアでは1日で30分から数時間にもなるとのこと。日本の電力供給事情は世界のトップレベルだという。そして発電コストも日本は世界的にみて高いことが本書には示されている。

信頼性の高い発電が日本の産業を支えてきたという事情があるようだが、多くの企業が海外に転出している現状からすれば、どうだろう。発電の量と質を下げても成立する産業構造、社会構造に変えていくということを20年、30年という長期的なビジョンに据え、実行していくということが必要なのかもしれない。


 


「FUKUSHIMAレポート」を読む その1

2012-02-25 | A 読書日記

**ひっきょう(畢竟)科学パラダイムに依拠する技術は、不可避的に「物理限界」を有しており、その「物理限界」が、その技術の「制御可能」の次元と「制御不能」の次元との境界(生死の境界)を特徴づける。そしてその限界を越えると、人知を超えて列車は転覆し、飛行機は墜落し、原子炉は熱暴走するのである。
したがって、技術に立脚する企業は、その境界の位置と特徴と構造を根本から知悉しておかねばならず、しかもその境界を越えるような「本当に想定外」の事故が起きたら、経済を越えてリスクをいかに最小限に抑えるかに専念しなければならない。私たちは、それを「技術経営」と呼ぶ。JR福知山線事故の本質も、この原発事故の本質も、根本は同じ「技術経営の決定的な誤謬」に他ならないのである。**(104、5頁)

筆者は福知山線事故と東電福島第一原発事故を分かりやすく表にして比較している。両事故には上記の指摘が当て嵌まる。

福知山線の事故については、
**技術者は、転覆限界速度(転覆限界速度を求めるのは大学入試問題にもありそうな物理の力学に関する問題)を求めたうえで、もともと半径600mで設計していた。経営者は科学的考察なしに線路の曲率半径を600mから304mに変更することを決定した。彼らは、物理限界とは何かを知らなかった。**と書いている。( )内は私の追記。

一方福島第一原発事故については、
**技術者は、「最後の砦」たるICもしくはRCICが8時間ないし数十時間動くように設計していた。彼らはそれが止まったら、原子炉は制御不能になることを知っていた。経営者は、海水注入の意思決定をしなかった。彼らは、物理限界とは何かを知らなかった。**と書いている。(104頁) 

ここでのポイントは福島第一原発では全交流電源喪失後も無電源(または直流電源)で動く「最後の砦」、1号機のIC(非常用復水器)は8時間程度、2号機ではRCIC(原子炉隔離時冷却系)が約70時間、3号機では同じくRCICが約20時間稼働していて、原子炉が制御不能という事態に陥る前に海水注入で暴走を止めることが可能だったということだ。にもかかわらず、その決定を躊躇った・・・。この辺の事情を事故発生から約2ヶ月マスメディアは報じていなかった。なぜなら「最後の砦」の存在も意味も知らなかったし、問題にもしようとしなかったから。本書を読んで初めて知った事実だ。

なぜ経営陣は海水注入を拒んだのか。海水注入で廃炉にすることによる経済的な損失を避けたかったのだと、本書には書かれている。国民の安全は二の次だったということか・・・。


メモ
2号機 約70時間 3月11日14時50分から14日13時まで
3号機 約20時間 3月11日15時05分から12日11時36分まで


『JR福知山線事故の本質 企業の社会的責任を科学から捉える』
本稿で取り上げた第1章の執筆者、山口栄一氏の著書


「FUKUSHIMAレポート 原発事故の本質」

2012-02-25 | A 読書日記



 福島第一原発の大事故発生直後からいろんな対策検討会議が行われたが過半の会議の議事録が無い。一方、アメリカでは詳細な議事録が残されている。先日NHKのニュース7(夜7時からのニュース番組)でこのことをトップに報じていた。

木造3階建ての校舎の火災実験のことを取り上げると新聞で知って、同番組を見たのだった。ここに正確に書くことはできないが、アメリカでは委員が別の委員にだったか、委員長に対してだったか、疲れているようだから、少し休んだらどうかと進言したというような、会議の内容とは直接関係ないような発言まで記録されていることが紹介されていた。

ああ、この違い。事故の経緯や対応について詳細な記録を残すことは、当事国として全世界に対する義務ではないのか。それが記録が無いとは・・・、いや、あるけれど隠してるのだという見かたをする人もいる。どちらかは分からない。全て曖昧のままにする、白黒はっきりさせない、うやむやにするというのがこの国の体質なんだろうか。

上の議事録のことは既に書いた(過去ログ)。会議の開催場所も出席者も空欄の議事録。当初この議事録には場所も、20人くらいの出席者も記載されていたが、原発の事故発生後に消されてしまった。ネット上に公開している議事録ですら、こんなことを平気でするのだから、もう何でもありの状況ではないだろうか。一体いつからこんな国になり下がってしまったのだろう・・・。モラル、責任感、自尊心、こんな言葉はもはや死語かもしれないと嘆きたくもなる。

早朝から嘆いたところでこの本。



『FUKUSHIMAレポート 原発事故の本質』日経BP

この本を同僚から借りた。この週末に読んでみようと思う。章立を載せておく。

第1章 メルトダウンを防げなかった本当の理由 福島第一原子力発電所事故の核心
第2章 3.11に至るまでの原子力安全規制 国はなぜ「全交流電源喪失を考慮する必要はない」としたのか
第3章 日本の原子力政策 核兵器製造力とエネルギー自給を高速増殖炉に託す
第4章 原発が地域にもたらしたもの
第5章 風評被害を考える
第6章 電力事業における原子力発電の位置
第7章 原発普及の今後

以下本書のあとがきからの引用。

**福島第一原子力発電所の事故を、第三者の立場から調査、分析する。結果は書籍などを通じて発表し、そこから得られる教訓を後世に伝える。この目的で発足したのがFUKUSHIMAプロジェクトです。(中略) 委員は無給で活動を進め、書籍の印税も受けとらないことを決めました。出版元の日経BPコンサルティングも、利益は受け取りません。売り上げから書籍販売にかかわる諸経費や、レポートの内容を広く知っていただくための取り組み、すなわち海外での出版やシンポジウム、勉強会の開催などの活動費用を除き、なお余剰利益が発生した場合は、それを適切な団体などに寄付することにしております。**

この国に日はまた昇るかもしれない・・・。甘いかな~


 


池田町花見の道祖神

2012-02-24 | B 石神・石仏


北安曇郡池田町花見(けみ)の石塔

 並び立つ4基の石塔。右から二十三夜塔、青面金剛像(庚申塔)、3番目は?、分からない。文字碑だから、なんとか文字を判読して調べなくては。そして左端が道祖神。道祖神だけが祠に祀られている。他の石塔より大切にされているということだろうか。



裏面に彫られた文字を読むと建てられたのは安政13年、西暦1858年。この年の干支は壬寅(みずのえとら)。花見村中、帯料  金二十五両とも彫られている。いままで見た中では一番高額だ。


 


今和次郎展に行こう

2012-02-23 | A あれこれ

 今和次郎。建築学者にして風俗研究家、考現学の提唱者、そして元祖路上観察者。民家、服装、風俗、観察対象は多岐にわたっていた。手元に『民家見聞野帖』柏書房があるが、東京美術学校(現東京芸術大学)の出身だけあって収録されているスケッチは抜群に上手い。



今和次郎展がパナソニック汐留ミュージアムで開催されている(「今和次郎 採集講義展」 会期 3月25日まで)。先日新聞にこの展覧会が紹介されていた。「労働者露台利用休息状態」は職人たちの寝姿を描いたスケッチ。他に「丸ビルモダンガール散歩コース」や「洋服ノ敗レ個所(中学生)」等々が展示されているようだ。 観たい。3月下旬に東京する機会がある、観に行こう。

観光地に出かけてガイドブックやパンフレットに載っている写真の撮影場所を見つけて、そこで同じような写真を撮って満足、満足、というのでは旅行があまり記憶に残らないし味気ない。スケッチブックを持参して、さっさっとスケッチをすればいいなと思いつつもなかなか果たせないでいる。 今和次郎の描いたスケッチを観て刺激を受けて、今年こそ春爛漫な風景をスケッチしよう。スケッチブックも水彩絵の具も机の引き出しの中にあるのだから・・。


 過去ログ


「古事記」 雑学

2012-02-22 | A 読書日記


『古事記(上)』全訳注  次田真幸/講談社学術文庫 

 「古事記」は「日本書紀」とともに教科書に紹介されているから、書名だけはもちろん知っていた。でもぼくには全く無縁の書物だと思っていた。それが実際に読むことになるとは・・・。

読了したこの文庫は「古事記」の原文の書き下し文とその現代語訳、注、解説から成る。橋本治訳の少年少女向けの『古事記』を先日読んでストーリーの概要が頭に入っているので、書き下し文を読むだけでおよその内容が理解できた。予習効果か。昔もこうしてきちんと勉強すればよかったのに・・・。

以下古事記から得た雑学的な知識。

伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ伊予之二島(四国の総称)の面(おも)の一つとして愛比売(えひめ)が出てくる。今の愛媛県だが、古事記に出てくる古い名前だとはいままで知らなかった。ちなみに長野県については葦原中国平定、国治めの争いの話のところに科野国の州羽の海とでてくる。信濃国の諏訪湖だ。

案山子もでてくる。**今に山田のそほどといふ。**(139頁) そほどが案山子の古名だそうだ。足は歩けないけれども、ことごとく天下のことを知っている神だ。♪山田の中の一本足のかかしという歌詞の童謡のタイトルはなんだったけ、この「山田」というのはもしかしたら古事記の山田から採ったのかもしれない。

また、天若日子(あめのわかひこ)という神の葬儀の話には雁、鷺、雀、雉などの鳥たちがそれぞれ葬儀での役割をもって登場する。これは鳥によって死者が彼岸に運ばれるとする、古代民族に共通の思想というか、考え方によるものだと解説にあるが、この鳥が諏訪地方の民家のすずめおどりという飾りのルーツともなっているという説を藤森照信さんが講演会で述べている(「諏訪の民家の特徴と謎」2009年8月@茅野市民館)。

**(前略)てっぺんに飾りが付く。それがすずめ踊りとかすずめ遊びの形になるわけです。(中略)実は、これが相当重要な問題を孕んでいると私は見ているわけです。(後略)**146頁(2010年の夏に茅野市美術館で開催された藤森照信展のカタログ)

下の写真がすずめおどりだが、てっぺんにちょこんとのっている飾り。藤森さんの説によるとこれがうつむき加減の鳥というわけだ。今回「古事記」を読んでこの説をなるほど!と思った。


茅野市内にて 100724

こうして雑多な知識が今回のようなことでお互い結びつくというのは面白い、というか楽しいことだ。もちろん知識の体系として整うところまではいかないが・・・。


 


十干十二支

2012-02-21 | B 石神・石仏





 カフェ バロ(松本市梓川)のすぐ近くに祀られている馬頭観世音(上の写真の左から2番目、安曇野市三郷)。左隣は道祖神、右は二十三夜塔。白い石塔(花崗岩)と右端の小さい石塔が何か分からない・・・。やはり道祖神が一番親しまれるのも頷ける。表情豊かな双体像は観察していて気持ちが和む。

馬頭観世音の側面に天保十三壬寅年三月七日と彫ってある。天保十三年は西暦で1842年。十干十二支の十二支、寅は読めるが十干の壬が読めない。調べてみずのえと分かる。中国では十干と十二支を組み合わせた六十干支が紀元前から使われていたと聞く。

十干は甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸。う~ん、こうおつへいてい じゃないわけで・・・、読めない。

十干をここで復習。甲 きのえ 甲子園球場で馴染み。乙 きのと、丙 ひのえ、丙午 ひのえうまはよく知られている。丁 ひのと、戊 つちのえ、己 つちのと、庚 かのえ 庚申 かのえさる 庚申塔(こうしんとう)で馴染み。辛 かのと、壬 みずのえ、癸 みずのと。

十二支は動物だから覚えやすい。十干が覚えにくいのは、ものを指しているわけではなく、具体的なイメージが伴わないからだろう。






朝日村古見の庚申塔

2012-02-20 | B 石神・石仏

 
庚申様の本尊、青面金剛像 朝日村古見芦之久保

 青面金剛像の足下に三猿が彫られている。三猿を三尸(さんし)になぞらえて目や耳や口を塞いで悪事を天帝に報告させないという意味が込められているという。また庚申(かのえさる)の申と猿との関連もあるとのことだ。このことを知らなければ、かなり不鮮明だから三猿が彫られていることには気がつかないだろう。


青面金剛像の足下に彫られている三猿 池田町正科


メモ 芦之久保は葦之窪だったようだ。


― 松本市高宮北の火の見櫓

2012-02-20 | A 火の見櫓っておもしろい



松本市内、国道19号線沿い、めいてつショーホールの隣に立っています。左側に写っているのが消防団詰所です。







 この火の見櫓を取り上げるのは2回目です。

銘板があるので建設された年が昭和5年だと分かります。もう80年以上も経っていることになります。撤去されずによく残っているものだと思います。松本市内で国道19号線沿いに立っていて、私が気が付いているのは2基だけです。市外に出ると何基も立っていますが。

松本平では道祖神などの石塔は江戸時代末期に祀られたものが多いようですが、建立年が彫りこんであることが多いので確認できますが(もっとも、文字が読めないものもありますが)、銘板が取り付けてある火の見櫓はそれ程多くはありません。

8角形の屋根と円形の見張り台の組み合わせって好きです。踊り場や見張り台の床が鋼板で造られています。このタイプは古いように思います。屋根を支える方杖(柱から斜めに出ている部材)はあまり多くは見かけません。

この時代にはまだボルトがなかったのでしょう(このことについてはきちんと調べるべきですね)。接合部にはリベットが使われています。


 


「生命を捉えなおす」

2012-02-19 | A 読書日記



■ 『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』 清水博/中公新書 

普段は付箋紙を貼りながら読むが、この本は赤いボールペンでサイドラインを引きながら読んだ。サイドラインを引いた箇所のいくつかを挙げておく。

**生命現象では高度の秩序が自発的に発現しています。**(41頁)

**多種多様の生命現象に共通する決定的な特徴とは何かと考えてみた結果、多くの生物学者の意見は「それはマクロな系に秩序(生物的秩序)が自発的に出現することである」ということに一致しています。**(83頁)

**私は、「生命とは(生物的)秩序を自己形成する能力である」と考えるのが、最も妥当であると考えています。**(96頁)

**秩序の場の働きによって、系(マクロ)と要素(ミクロ)とはフィードバック・ループによって互いに影響を与えながら秩序を自己形成することができるのです。**(174頁)

**生きている系における秩序の自己形成に関しては二つの大切な面がありました。一つは要素が系全体の発展に協調して秩序をつくることであり、もう一つは、根本的には各要素の状態はゆらぐことができて、環境の中から系の発展にとって最もよい条件を選択できるということです。**(234頁)

**生きている系はみな、このような動的協力性が働いて秩序を形成しているというのが、本書の主張です。**(248頁)

**この「生きている状態」とはどのような状態だろうかと、私は心に思いつづけてきました。そして現段階でそれに答えるとすれば、「生きている状態にあるシステムは情報を生成しつづける」ということになるでしょうか。**(349頁)


要素還元主義だけでは捉えることができない高次で動的な現象、生きているという状態について今から30年以上も前に論じていることに驚く。



石神石仏巡り

2012-02-19 | B 石神・石仏


長野県東筑摩郡朝日村古見(あさひプライムスキー場の近く)にて

■ しばらく前まではこのように石塔が並んでいても道祖神しか観察しませんでしたが、最近は他の石神石仏についても知識を少し得て注目するようになりました。



庚申の本尊とされる青面金剛(しょうめんこんごう)の文字碑です。三尸(過去ログ)を押さえるとされています。


二十三夜塔(過去ログ

 


庚申塔

石は古来から神そのものだったんですね。古事記にも黄泉比良坂を塞いだ千引岩のことが出てきました。道返之大神とか黄泉戸大神と呼ばれる神です。天照大御神がこもったのも天の岩屋戸と呼ばれる岩の中でした。

自然には神が宿っていると考え、自然を尊びながら暮らしていた古(いにしえ)の人たちは自然を傷つけて暮らす現代人をどう見ているでしょう・・・。


 


土御門殿とエントロピー

2012-02-18 | A 読書日記



 今年は古典に親しもうと思っています。外国語で書かれた文章ではないので、大意はなんとなく理解できるでしょう。「読書百遍意自ずから通ず」。でも読みたい本がたくさんあるので、じっくり精読するというわけにはいきませんが・・・。

**秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あわれまさりけり。**(12頁)

しばらく前に買い求めた『紫式部日記』山本淳子訳注/角川ソフィア文庫を読み始めました。

「土御門殿(つちみかどどの)」って?**藤原道長の邸宅。中宮彰子が出産のため滞在中。**という注がついています。読んでいると「おのがじじ」にも?マークがついてしまいます。ネットで調べてみると・・・、己(おの)が為(し)為(し)という意味ですか、なるほど。こんな基礎知識もない状態で背伸びして原文を読もうなどと考えないで、後半の山本淳子さんの現代語訳だけを読むことにした方がいいかもしれません。

現代語訳です。**秋の気配が立ちそめるにつれ、ここ土御門殿のたたずまいは、えもいわれず趣を深めている。池の畔の樹の枝々、遣水の岸辺の草むらが、それぞれ見渡す限りに色づいて、秋はおおかた空も鮮やかだ。それら自然に引きたてられて、不断の御読経の声々がいっそう胸にしみいる。**(204頁) 



山本淳子さんの訳文をこの本で読んで、うまいな~、と思いました。で、『紫式部日記』を読んでみることにしたのです。

紫式部はライバル清少納言を批評する文章も書いています。現代語訳**清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利功ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度も、よく見ればまだまだ足りない点だらけです。**(283頁)

かなり厳しい批評です。そして**このように(申してまいりました)あれやこれやにつけて、何一つ思い当たる取り柄もなく生きて参りました人間で、そのうえ特に将来の希望のない私こそ、慰めにするものもございません。が、自分を寒々とした心で生きる身とだけは、せめて思わずにおりましょう。(後略)**(284頁)と続けています。 強がりでしょうか・・・。

『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博/中公新書。「マクロな状態とエントロピー」「動的秩序の自己形成」・・・。

土御門殿とエントロピー 全く違う分野の2冊を同時に読み進むのは私には無理、『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』を先に読むことにします。