透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

136 137

2020-01-30 | C 名刺 今日の1枚


136 太田 岳さん(右)  137 原山聡矢さん

 私の本(照れくさくて、言いにくかったが、最近は慣れてしまった)が新たな出会いを生んでくれた。



4月12日(日)になんと上高地線を特別列車が走る。

「BOOK×TRAIN 走る!しましま本店」という企画(予約制)で、各地から集まる10組+αの本屋さんおすすめの本300冊余りを乗せた特別列車が松本と新島々の間を一往復する! 松本を9時30分に出る特別列車は10時20分に新島々に着く。走るブックマーケットで本を読んだり、乗り合わせた他の乗客と交流したり・・・。



特別列車は15時まで新島々駅で「線路の上のブックマーケット」(入場料:おとな500円・こども100円)となる。その後、15時30分に松本に向けて出発する。

私はしましま本店実行委員会代表の太田さんから新島々駅に停車している車内「線路の上のブックマーケット」で火の見櫓講座をして欲しいと頼まれた。

太田さんは『あ、火の見櫓!』を読み(、上高地線沿線に立つ火の見櫓の写真を撮影するまでになったそうだ(いや、読む前からだったか、太田さんが撮影した写真は素晴らしかった)。

昨日(29日)の夕方、このイベントの打合せをしたが、その時、初対面の太田さんと、同じく初対面のしましま本店実行委員会のメンバーで古書店「電線の鳥」店主の原山さんと名刺を交換した。

当日は車内で私の本も販売していただけるとのこと。           

本がいっぱいの電車の中でどんなプレゼンをしようかな・・・。


以前、上高地線淵東(えんどう)駅の近くで撮影した「動く鉄と動かぬ鉄」


 


「どくとるマンボウ青春記」

2020-01-29 | A 読書日記



 ブログが3日更新されないと、どうしたのかなって思ってしまう、Kさんから何年か前に言われた。で、更新する。

訳あって(*1)数日前に『どくとるマンボウ青春記』北 杜夫(中公文庫1973)の何回目かの再読を始めた(過去ログ)。今日(29日)の朝カフェでも読んだ。

本に水色のテープが貼ってあるが、これは20代に読んだ本の印。ちなみに30代に読んだ本には緑色、40代に読んだ本には黄色のテープが貼ってある。50代になっても続けたかったが、松本でこのテープ(レトラライン)が入手できなくなり、止めてしまった。

**春、西方のアルプスはまだ白い部分が多かった。三角形の常念ヶ岳(*2)がどっしりとそびえ、その肩の辺りに槍ヶ岳の穂先がわずか黒く覗いていた。島々谷のむこうには乗鞍が、これこそ全身真白に女性的な優雅さを示していた。朝、アルプスに最初の光が映え、殊に北方の山々は一種特有のうす桃色に染るのであった。**(54頁)

2月4日は立春。まもなく、このような光景を見ることができる。

明日の朝もカフェでこのエッセイを読むつもり。


*1 いずれ「訳」を明らかにしたい。
*2 文中の表記 



松本市図書館の蔵書に

2020-01-25 | H 「あ、火の見櫓!」

 松本市図書館の蔵書検索をして「あ、火の見櫓!」が入っていることが分かった。しかも貸出中になっている。うれしい。朝日村、塩尻市、安曇野市の図書館、それから県立長野図書館の蔵書にも加えていただいている。


松本市の図書館の表示の右端を見ると郷土資料となっている。県立長野図書館でも郷土資料として永く保存すると職員の方から伺っている。

本をつくっている時、郷土資料になるということは意識していなかった。でも、今や絶滅危惧種となってしまった火の見櫓の記録としての価値があると評価していただいたのなら、望外の喜びだ。 

図書館の本は何人もの人たちに読んでいただくことができる。

皆さん、ありがとうございます。


 


「「私」をつくる」

2020-01-25 | A 読書日記

360

『「私」をつくる 近代小説の試み』安藤 宏(岩波新書2015)読了。

**どのような小説にも実は隠れた演技者である黒子が存在していて、さまざまな矛盾を解消すべく、独自のパフォーマンスを繰り広げているのではあるまいか。**(はじめに ⅱ) 

著者の安藤氏はこの黒子を「私」と名付け、次のように続ける。

**潜在する「私」がある時は登場人物をよそおい、ある時は「何でもお見通し」をよそおっているのだと考えてみると、小説表現の演技性が、よりはっきりと浮き彫りにされるように思われるのである。**

**隠れた「私」の役割に着目することによって、近代の名作と言われてきた小説群がこれまでとかなり違って見えてくることに、おそらく新鮮な驚きを感じることになるだろう。その意味でも本書は近代小説の読み解き方のガイドであり、小説表現の歴史を大きく概観するための道案内でもある。**(はじめに ⅲ ⅳ)

「はじめに」をきちんと読めば著者が何を書き、読者に伝えたいのかが分かる(それが分からないような「はじめに」はダメ)。

本書で安藤氏は作家たちが作品中にどのような「私」をどのようにつくり出してきたのか、二葉亭四迷、夏目漱石、志賀直哉、太宰 治、川端康成といった作家たちの作品から彼らの試行錯誤を読み解いている。本書の「「私」をつくる」というタイトルはこのことを示している。

小説において「私」が果たしている役割に着目した目から鱗の文学論。


 


「桃太郎は盗人なのか?」

2020-01-23 | A 読書日記

360

 『桃太郎は盗人なのか? ―「桃太郎」から考える鬼の正体―』倉持よつば(新日本出版社2019)を読んだ。これはよつばさんが小学5年生のときに「図書館を使った調べる学習コンクール」で文部科学大臣賞を受賞した作品を書籍化したもの。

**桃太郎が、鬼が島に行ったのは、鬼の宝を取りに行くためだったということです。(中略)宝の持ち主は鬼です。鬼の物である宝を、意味も無く取りに行くとは、桃太郎は、盗人(ぬすっと)ともいえる悪者です。**(14頁) 福沢諭吉がこのように「桃太郎が盗人だ」と非難していることを知り、桃太郎を正義の味方だと思っていたよつばさんは、びっくり(私もびっくり)。

よつばさんは**桃太郎がどうして盗人だと言われているのか、そして、どうして鬼はいつも悪いと一方的に決めつけられているのかを調べてみたくなりました。**(7頁)と研究の動機を書いている。

それからがすごい。図書館の司書に桃太郎本探しのサポート受けて、桃太郎の読み比べをする。よつばさんはあくなき探求心から平成から大正・明治・江戸の本まで、なんと200冊以上の本を読む。

よつばさんは江戸時代の桃太郎は桃からではなく、おばあさんから生まれたことを知り(桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って、おばあさんが妊娠、桃太郎を出産したという回春型)、桃太郎が桃から生まれるのは明治以降ということを知る(果生型)。また、桃太郎が鬼が島へ行くのは、悪い鬼を退治するため、と理由付けがされたのは明治の後半(27年ころ)からで、それ以前は、鬼の宝を取りに行くためとなっていることを知る。それで福沢諭吉の「桃太郎盗人論」に納得する(私も納得)。文献調査の成果だ。

更によつばさんは鬼の正体に迫っていく。このプロセスが分かりやすく書かれていて興味深い。

この本にまとめられているのは研究論文と呼ぶにふさわしい論考だと思う。

すばらしい!


 


施工手順

2020-01-22 | A 火の見櫓っておもしろい


写真提供:渋崎建設(撮影2011年12月)諏訪市内の火の見櫓を移設した時の様子


茅野市湖東(全形写真「あ、火の見櫓!」106頁)

 現在立っている火の見櫓の多くは昭和30年代に建設された。当時、クレーンはまだ普及しておらず、火の見櫓の建て方に使われることはなかった。

もし当時クレーンが使われていれば、「貫通やぐら」の施工手順が違っていたかもしれない。消防小屋を先に建てておいて、クレーンで吊り上げた火の見櫓を上から突き刺す。

ンなことはないか・・・。


 


永く保存していただけるとのこと

2020-01-21 | H 「あ、火の見櫓!」

 国立国会図書館に『あ、火の見櫓!』を納入した(2020.01.08)。郵送されてきた受領書に、**御寄贈いただきました刊行物は、広く公共の利用に供するとともに、国民共有の文化的資産として永く保存してまいりたいと存じますので、今後ともよろしくお願いいたします。**とあった。


 個人からの購入申し込みではないから、ここに書いても差し支えないと思う。

先日、県立長野図書館から『あ、火の見櫓!』の購入申し込みがあり、スマートレターで2冊送った。今日(21日)担当者から受け取った旨、電話連絡があった。郷土資料として永く保存するために、閲覧のみで貸出はしないと聞いた。


『あ、火の見櫓!』が国立国会図書館と県立長野図書館で永く保存される。 全く予期しないこと、嬉しい。

本を読んでいただいた多くの方々に改めて感謝します。ありがとうございます。


火の見櫓のある風景

2020-01-20 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)火の見櫓のある風景 北安曇郡小谷村千国 撮影日2020.01.20

 今日は大寒だというのに日中は寒くなかった。ここ小谷村は長野県内有数の豪雪地帯だが雪が無い。ちなみに2013年の1月19日は下の写真のように雪が降り積もっていた。

2010年から続けてきた火の見櫓観察の成果を昨年『あ、火の見櫓!』にまとめた。火の見櫓を構成要素に分けて分析的に観察してきたが、今年は違う視点で火の見櫓を捉えたい、と思っている。今、このことについて試行錯誤中。上の写真のようなただ火の見櫓のある風景を捉えたものではないことは確か。


撮影日2013.01.19


 


210円切手

2020-01-17 | D 切手



 元同僚で現在長野市在住のT君 から送られてきた封書に貼られていた210円切手。記念切手かなと思って調べると、普通切手だった。デザインされているのは西表石垣国立公園の海のサンゴだそうだ。それにしても切手の種類のなんと多いことか。

同封されていたのは「長野市民新聞」。なんと見開きで長野市街地の火の見櫓が紹介されている。

11月7日付新聞の記事のリード文に次のように書かれている。**台風19号による長沼地区の浸水被害を機に、昔からある半鐘(警鐘)があらためて脚光を浴びている。地元消防団が機転を利かせて打ち鳴らし、住民の避難を強く促したからだ。(中略)現在、長野市消防団が管理している火の見やぐら(警鐘楼)は438(市消防局)。現存する火の見やぐらを市街地を中心に順次紹介する。**



私の趣味のことを知り、わざわざ送ってくれたのだ。

うれしい。 T君ありがとう!


カテゴリーに迷ったが「切手」にした。


「国語教育 混迷する改革」読了

2020-01-17 | A 読書日記

 読了した『国語教育 混迷する改革』紅野謙介(ちくま新書2020)は6章で構成されているが、第3章の「教室の「敵」はどこにいる?」で展開されている「学習指導要領」に対するかなり厳しい批判を読んで、そもそも国語教育では一体何を教育すべきなのか、という本質的な問題があることを改めて認識した。

書籍は年7万点も刊行されているそうだ。その一方で(もう何回も書いているが)本を読まない大学生がかなりの割合でいるという事実。読むのはSNS上のつぶやきの短文、書くのも短文、いや文章ともいえないような単なることばの羅列。

国語教育に何を求めるのか。この難しい問いかけに自分はどう答えるだろう・・・。

小説や論文などの長文を読み通す力、書かれている内容を味わい、理解し、読後に小説であれば感想を、論文であれば理解した内容を論理的に話したり書いたりして人に伝えるということを通じ、様々な種類の情報を理解する力と自ら様々な情報を発信する力(の基礎)を育てること。

この様な能力が身に付くのであれば、教育方法は教師の裁量で良いと思う。だが、文科省ではそれではダメ、ということのようだ。

『国語教育 混迷する改革』の第3章では学習指導要領に関する文章がいくつも取り上げられ、それに批判が加えられている。

例えば次のような文章の引用**こうしたことは、教育関係者なら誰もが知っていることである。にもかかわらず、高校教師の中には、学習指導要領をあまり読んでいない者もいると聞く。・・・(中略)・・・そうした基準としての学習指導要領を教師が十分踏まえない事態が生じるならば、教育課程の「水準偽装」が行われかねない。子供たちが本来身に付けるべき資質・能力を育成する指導が行われず、教師個人の趣味にも近い授業が行われるならば、教科国語の共通性は瓦解してしまうだろう。**(124頁) 

「先生たち、学習指導要領に則って、ちゃんと同じ授業をしてくださいよ」ということだが、確かにこのような内容には私も疑問を感じる。

特に義務教育でもない高校の国語の授業で、どの高校の、どの教師でも同じような授業が行われることの必要性って本当にあるのだろうか。必要ならAIロボットでも使う? 


 


びっくり!

2020-01-16 | H 「あ、火の見櫓!」



 塩尻市職員のいとこのすすめで塩尻市立図書館(えんぱーく)に自費出版した『あ、火の見櫓!』を進呈させていただこうと思っていた。念のために調べてみると、既に蔵書になっていた。うれしい。

もしかして、もしかして。安曇野市図書館を調べてみると・・・。やはり蔵書に。びっくり。

ありがとうございます。


「50 男はつらいよ お帰り 寅さん」

2020-01-14 | E 週末には映画を観よう

 公開中の映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」を昨日(13日)観た。信濃毎日新聞12日付朝刊に寅さん映画の特集記事が載っていた。記事に過去の全作品をDVDでそれぞれ20~30回観たという長野市の男性が紹介されている。

私はそこまで熱心な寅さんファンではないが、過去何作か映画館で観ている。記事によると第1作目の公開が1969年とのことだから、高校生の時に同級生のH君と何作目かの作品を観たという私の記憶は違ってはいないと思う。

寅さんのおいの満男は6年前に奧さんを亡くし、今は中学3年生の娘さんと二人暮らし。奥さんの七回忌の法要が満男の両親が暮らす柴又の実家で営まれる。隣の工場のタコ社長が飛び込んできて、寅さんとしばしば喧嘩をした土間の部分と家族団らんの場・居間とはかなりの段差があるが、そこに手すりがつけられている。さくらも博も歳をとった。仏壇にはおいちゃんとおばちゃんの遺影も飾られている。そう、時は流れておいちゃんもおばちゃんももういないのだ・・・。

新作では寅さんを回想シーンで何回も登場させている。

人は現在と過去を行き来しながら生きているんだな~ と、この映画を観て思った。久しく会っていない友だちも、既に亡くなってしまっている友だちも記憶の中では全く同じに存在し、共に生きているということ。違いはないのだ。

渥美 清さんは1996年に亡くなっている。もうそんなに経つのか・・・、と思う。寅さんを記憶に留めているかぎり、忘れない限り寅さんは生きている。両親だって、親戚のおじさん・おばさんだって、若くして亡くなった友だちだって・・・。


 


お知らせとお礼

2020-01-13 | H 「あ、火の見櫓!」



本日(13日)本稿での購入申し込みの受付を終了させていたたきました。 

288冊が私の手元を離れていき、残部17冊となりました(1月13日現在)。昨年の9月末に
自宅に305冊納入された時は、もちろんうれしかったですが、それと同時に不安にも駆られました。こんなにたくさんの本を読んでもらえるものだろうか・・・。不安は杞憂に終わりました。

読んでいただいた皆さんからは分かりやすくておもしろいという、望外のことばをいただきました。ここで改めて感謝します。皆さんありがとうございました。


次の書店等では引き続き扱っていただいていますが、各店とも残部僅かです。

平安堂あづみ野店(安曇野IC前 スワンガーデン安曇野内)
中島書店(塩尻市高原通り)
想雲堂(松本市内 ホテル花月の向かい)
カフェ 風のいろ(池田町)