透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

長野市篠ノ井の火の見櫓

2025-01-19 | A 火の見櫓っておもしろい

 塩尻駅6時36分発の普通列車で長野に出かけた。善光寺参りをするために。途中、ふと、篠ノ井で火の見櫓を探そうと思いついて、篠ノ井駅で下車した。

駅から遠くに火の見櫓が見えた。下車した甲斐があった。やぐらセンサーの感度が良くなくても見えたと思う。次の長野行きまで、およそ30分。充分間に合うと踏んで、歩いて見に行くことにした。






1529 長野市篠ノ井五明 44〇型 複合脚(正面ショートアーチ他面交叉ブレース)水路またぎ

見張り台と屋根の大きさのバランスが良く、整った姿かたちの火の見櫓。交叉ブレースは全てリング付き丸鋼製。久しぶりに興奮して、写真を何枚も撮った。昨年末まで使っていたカメラより、解像力が落ちるが仕方ない。コンパクトでポケットに入るので持ち歩びに便利。


幅広の平鋼の蕨手 あまり「くるりんちょ」していない。見張り台の手すりはシンプルなデザイン


見張り台の床は一方向すのこ敷き。




端正なつくりの踊り場。


脚部 正面はショートアーチトラス脚 他の3面は丸鋼の交叉ブレース。交叉部はリング付きターンバックル。


 


善光寺参り

2025-01-19 | A あれこれ

 今日(19日)善光寺参りをした。2004年からほぼ毎年善光寺へ初詣に出かけている。出かけなかったのは2006年、2008年、2021年だけだった。毎年していることをしないと落ち着かないので、今年も出かけた次第。


山門


本堂前の大香炉


本堂

正月三が日は初詣する人でものすごく混雑するけれど、この時期ともなると、上掲写真のようにそれほど混雑していない。本堂内でお賽銭を投じ、合掌、礼拝した。この一年平穏無事で過ごせますように・・・。


御朱印





今年度最後のカレー大作戦

2025-01-18 | A あれこれ




 今年度のカレー大作戦は7月20日の初回を二八会が担当して始まった。そして、今日(18日)の第10回が今年度の最後の回だった。今日は豚汁付き。 狭い調理室でよく対応できたなぁ。

カレーの具材はジャガイモ、ニンジン、タマネギ、それからレンコン。肉はひき肉がメイン。子ども向けの甘口だが、すこし酸味があった。スタッフに訊くとトマトも使ったとのこと。今回も美味いカレーだった。

今回は会場に食事用のテーブルが用意されていたこと、それから持ち帰りができない豚汁が供されたこともあって、会場で食べる来場者が何人もいた。私もその一人。

来年度も二八会が参加するなら(たぶん参加すると思うが)、今日以上に会場で食べる人が出るようになにか仕掛けたい、と個人的は思う。全員が持ち帰りでは何も交流が生まれないから。どんなことができるのか、具体的なアイデアはないけれど。


 


「散華」 本が好き

2025-01-17 | A 読書日記

360
 杉本苑子の『散華 紫式部の生涯 上・下』を昨年(2024年)の7月に図書館本で読んだ(過去ログ)。

手元に置いておきたいと思い、文庫本を買い求めた。こんなことをするって、理解してはもらえないのではないか、と思うが・・・。いや、そうでもないのかな。所有欲ってあるから。


以前のように色んなこと書いて、という声あり。

 


「日米戦争と戦後日本」を読む

2025-01-17 | A 読書日記

320
 高校の同級生IT君に薦められていた『日米戦争と戦後日本』五百旗頭  真(大阪書籍1989年)を読んだ。良書。論考の展開が分かりやすいことに因るのだろうが、思いの外読みやすかった。

著者は本書で日米開戦から日本の敗戦、占領に至るまでの間、政治家たち、それも主にアメリカの政治家たちがどのように考え、どのように行動したかを詳細に説いている。

アメリカの対日占領政策の検討が開戦直後に既に始められていたという。冷静に分析すればアメリカが勝利することは、日本でも分かっていたのだから、驚くにはあたらないか。

本書は序章から終章まで六つの章で構成されているが、第一章で六つの日本処理案が示されている。その中で最も過激な〈国家壊滅・民族奴隷化論〉が採られていたら・・・。アメリカの世論調査では3~4割の国民が戦争中にこれを支持していたという。〈隔離・放置論〉もあったそうだが、やはり、採られなかった。知日派による冷静で寛大な対応が採られたことを本書で知った。日本にとって、不幸中の幸いだったと思う。

今日17日付信濃毎日新聞に朝鮮戦争に関する記事が掲載されていた。記事に朝鮮戦争について次のような解説がある。**1945年8月の日本の敗戦を受け、植民地だった朝鮮半島は北緯38度線を境に南側を米国が、北側をソ連が分割占領し、48年、韓国と北朝鮮が成立した。(後略)**(17面文化面)

このようなことは日本では起こり得なかった、と言えるのか、言えないのか・・・。

本書を紹介してくれたIT君に感謝したい。ぼくも本書(*1)をブログ閲覧者にお薦めしたい。


*1 講談社学術文庫に収録されています。


『『罪と罰』を読まない』を読む C1

2025-01-17 | A 読書日記

360
『『罪と罰』を読まない』岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美(文春文庫2019年)を午後カフェ読書@スターバックスコーヒー 松本平田店(今後スタバ平田店と略記する)で読み終えた。


自室にある『罪と罰』ドストエーフスキー(米川正夫訳 河出書房版 世界文学全集 18)の巻末を見ると昭和44年11月20日48版発行、となっている。このことから、ぼくがこの本を読んだのは昭和44年(1969年)か、その翌年だと思われる。55年!くらい前。

主人公のフルネームがロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、ということだけは今も忘れず、覚えている。重要な登場人物のソーニャという女性のフルネームは全く覚えていない。同書の最初に出ている主要人物の紹介で、ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードヴァだと分かった。他の登場人物の名前は全く覚えていない。当時も登場人物の名前を全て覚えて読んだわけではないと思う。無理、無理。ちなみにドストエフスキーのフルネームはフョードル・ミハイロヴィビッチ・ドストエフスキーだって(312頁)。

全国の高校生が出場するクイズ番組で登場人物を5人フルネームで答えよという問題がでたら、答える高校生はいるだろうか。いるかもしれないな。

ストーリーは忘れてしまった・・・。ラスコーリニコフが金貸しの老女を殺害する(忘れていたけれど、その時もう一人殺害していた)。そのことを娼婦のソーニャに告白する。ソーニャに説得されて自首する。ラスコーリニコフはシベリア送りとなり、ソーニャも一緒に行く・・・。こんな程度ではあらすじにもならない。

さて、『『罪と罰』を読まない』。

この長編小説『罪と罰』を読んでいない岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美の4人が、それぞれ知っているごく少ない情報からストーリーを推測していく様子が収録されている。

4人の未読座談会の当日、小説の最初のページと最後のページだけが資料として配布される。だが、いくら何でもそれを読むだけで、ストーリーを推測することなど到底無理。そこで、六部(六編*)から成るこの小説の各部(各編)について4人が、最初がいいとか、いや最後から20ページ遡ってとか相談して決めた1ページを立会人が朗読する。これを各部2回することで推しはかる、ということに。

このような試みを冷めた目で見れば、なんだかなぁという否定的な評価もあるだろう。でも物語の構成も推測しながらあれこれ語る様子はなかなかおもしろかったし、さすがと思うこともあった。ストーリーがきっちり頭に入っていれば、しをんさん鋭い!とか、全然外れているとか、4人の推測を楽しむこともできるだろう。まあ、覚えていなくても『罪と罰』を参照しながら、未読座談会の発言を確認してもよいと思うが、それには相当時間がかかる。

4人は未読座談会の後、**読んだあとに、また集まって話そうよ―。**(202頁)となって、『罪と罰』を読む。そして今度は読後座談会をする。4人の発言を読んで、さすが読みが深いと思うことしばしばだった。長編なのにきっちり読み込んでいる。

**(前略)ソーニャはすごくかわいい容姿なんだろうなって想像してたんですよ。でも、読んでみたら、じつはそうでもないみたいで。(後略)**(241頁)これは吉田浩美さんの発言。ぼくの記憶の古層に辛うじて残っているソーニャはとてもかわいい娘なんだけど・・・。どうやら記憶も改変されてしまうらしい。

このくらいで切り上げて、読みかけの『日本文化の多重構造』佐々木高明(小学館)を読まなきゃ。


* ぼくが読んだ河出書房版 世界文学全集の『罪と罰』は「編」となっている。


細かい活字で2段組、およそ630頁。


 


本が好き

2025-01-15 | A 読書日記


 久しぶりの丸善は、東京の友人からメールで紹介された本『『罪と罰』を読まない』岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美(文春文庫2019年)を買い求めるため。名前を並べる時って、読点「、」カンマ「,」なかぐろ「・」のどれを使うのが良いというか、正しいのだろう・・・。調べると、どれも使うことがあるようだ。ならば、文章全体との兼ね合いの中でどれを使うのが好ましいか適宜判断すればよいだろう。


新書コーナーを一通り見てまわり、『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明(光文社新書2024年)も買い求めた。この本の著者の谷口さんは、巻末のプロフィールによると銀河天文学、観測的宇宙論が専門の研究者。面白そうなので、買い求めた。

丸善の中のカフェで『日本文化の多重構造 アジア的視野から日本文化を再考する』佐々木高明(小学館1997年)を40分ほど読む。『日米戦争と戦後日本』五百旗頭(いおきべ) 真(大阪書籍1989年)を読み終えたが、今日(15日)上の2冊が増えたのでなかなか積読状態が解消しない。

『『罪と罰』を読まない』は読むのにさほど時間がかからないから、『日本文化の多重構造』を中断して先に読もう。面白そうだし。


 


火の見櫓の建設年判明

2025-01-14 | A 火の見櫓っておもしろい

360
△この写真のみ友人提供

 長野県朝日村の西洗馬区で長年保管されていた諸々の書類が西洗馬防災センターで12日から3日間公開された。西洗馬区内の5基の火の見櫓の建設に関する記録があるだろうと、出かけて「記録簿」を閲覧した。

5基の内の1基、中組の火の見櫓は昭和30年の8月に建設されたことが分かっていた。契約書の写しと竣工時の記念写真が手元にあるので。おそらく他の4基も同時期に建設されただろうと予測して、昭和30年6月から昭和34年10月までの記録簿を読み進めた。5基全ての記録があった。



   
中組地区の火の見櫓 建設年月:昭和30年8月(撤去され、現存しない)
昭和30年の記録(画像を加工して名前を消去した)八月一日 警鐘楼起工式とある。八月十二日 落成式という記録もあった。


  
上組(左)と原新田(右)の火の見櫓 建設年月:昭和31年8月




 
三ヶ組の火の見櫓 建設年月:昭和32年6月

六月十三日 警鐘楼地鎮祭 三ヶ組警鐘楼地鎮祭へ区長及地区部落長参列する
六月十六日 警鐘楼落成式 午后二時より三ヶ組警鐘楼落成式に区長参列する


 
下組(下洗馬)の火の見櫓 建設年月:昭和33年3月


建設費用に関する記録もあったが、ここでは省略する。

記録って大事だな、と改めて思う。


 


33会 九州旅行7

2025-01-13 | A あれこれ

1月10日(金)その2  


33会 九州旅行記 ラスト稿


入場券や箸袋をダイアリーに貼る。ずっと前から、こんなことをしている。

 気の合う友だちが何人かいること、それから自分はもちろん、家族も健康なこと、そうでないとこのような旅行はできない。33会の旅行に毎回参加できていることを大変幸せに思う。友だちにも、家族にも感謝したい。

**楽しそうだね 憧れるわ** **そういう老後が理想だわ 足腰丈夫じゃないと楽しめないね** 家族LINEで今回の旅行の報告をしたところ、Aからこのようなメッセージが届いた。


旦過市場(たんがいちば)


地図を見ると、小倉駅は徒歩圏内。駅に向かって歩きながらラーメン屋を探すことにした。小倉にも美味いとんこつラーメン店があるだろう。




旦過市場のすぐ近くのY字路

しばらく前に書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』という本を目にし、パラパラと中を見たので、Y字路にも目が行くようにいなった(ただし趣味に加えるつもりはない、とキッパリ)。それにしてもこのY字路はなかなかじゃないか。いかん、仲間は大分(だいぶ)先を歩いていく・・・。

美味いとんこつラーメンが食べたい。ラーメン屋求めて、どのくらいだろう。ラーメン屋が見つかっても準備中だったり、昼食にありつけない・・・。






ラーメンは諦めて、小倉駅のすぐ近くの「磯丸水産 小倉魚町店」で昼食。実に美味、それに安かった。



「森 鷗外  京町住居跡碑」

森 鷗外旧居まで足を延ばしたかったけれど、女性たちは買い物、買い物だから、その時間を十分とらないといけない。で、駅に戻ることにした。駅の構内の店舗でお土産を買い求め、女性たちが買い物ブギの間、ぼくはスタバで休憩。

帰りは小倉駅発14時52分、のぞみ38号。荷物を預けたロッカー前に15時30分集合と決めて。この時刻の少し前にロッカーへ。


大型のロッカーに3人分の荷物を預けていた。ロッカーにカギを差し込んで扉を開けた。

無い! 

3人の荷物が無い。頭が真っ白になった。頭髪は既に真っ白だけど。

一緒に荷物を入れていた二人が買い物を終えて、やって来た。「預けた荷物が無いんだけど」「えっ?」

隣りのロッカーは? 冷静な誰かが声を出した。誰だったのか覚えていない。右隣りのロッカーの扉が開いた。カギがかかっていなかった。中に3人の荷物が入っていた。

荷物を納めて左手で扉を押さえて、右手で100円玉を9個入れていれば、こんなミスは起こりようがない。100円玉が9個も無かったので、一旦ロッカーから少し離れて、2人から不足分を受け取った後、隣りのロッカーに投入した・・・。どうもそんなことのようだ。

良かった。もし見つからなかったら、どうなっただろう、と思うと今も心拍数が上がる。寿命が2年は縮まっただろう。ただでさえ短いのに。

荷物を入れたロッカーではなく、左隣りのロッカーにお金を入れて、カギをかけたのだった。で、荷物を入れたロッカーはカギをかけていない状態だった。これが真相だろう。他に考えられない。

おいちゃんも歳をとって、注意力がますます散漫になり、間違いをするようになった。それにしても考えられないミスだ。被害を最小限にするためには、貴重品は残しておかないことはもちろん、1人1ロッカーとすることだ。それから何を持ってきているのか詳細に記録しておくこと。



小倉駅から名古屋駅まで3時間。そのまま東京まで行くRさんと別れて、特急しなのに乗り換えて塩尻、松本へ。


旅行中よく歩いた。

  8日:  6031歩
  9日:12,173歩
10日:12,212歩

足腰が弱ってみんながこんなに歩けなくなってきたら、温泉でまったり過ごす旅行にしようかな。


 


33会 九州旅行6

2025-01-13 | A あれこれ

1月10日(金)その1

小倉日記

 昨夕(9日)から明け方にかけて、北九州では雪が舞った。朝(10日)、ホテルの部屋の窓から外を見ると、国道199号を車がかなりスピードを落として走行していた。1cmほどの積雪があり、路面は凍結しているところも。

9時にホテルのシャトルバスで門司港駅に向かう(このサービスを昨晩も利用できた。有り難かった)。門司駅から小倉駅までの所要時間はおよそ15分。小倉駅のロッカーに荷物を預け(このときぼくはとんでもないミスをしでかしていた・・・)、徒歩で八坂神社へ。

八坂神社

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神社にお詣りするときは願いごとをするのではなくお礼をするもの、ということを昨年(2024年)の6月に塩尻ので行われた作家・山本一力の講演で知った。お賽銭を投じ、1年間無事過ごせたことに感謝して、2礼2拍手1礼。

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拝殿の両側に狛犬がいた。 観察省略


小倉城


焼失した小倉城は1959年(昭和34年)にRC(鉄筋コンクリート)造で復興されたが、外観も焼失前の姿とはかなり相違しているとのこと。実際にはなかった破風などが付加され、華麗な印象になったようだ。


昨夜の降雪のなごり


内部は資料館になっていた。小倉城は「城の姿をしたミュージアム」とでも括ればよいだろうか。

展示されていた城下のジオラマに火の見梯子があった。梯子の上半分は背を低くして中を覗かないと見えなかったから、気がついて良かった。旅行先でも「やぐらセンサー」はちゃんと反応してくれた。 写真を撮っただけで、注意深く観察することはできなかったが、嬉しかった。

城にはエレベーターがあったけれど、階段を上って天守のてっぺん(5階)へ。そこカフェ。あれれ・・・。だから、ここは城の姿を纏ったミュージアムなんだって。


松本清張記念館


既に何回も書いたが、松本清張は私を読書好きにしてくれた作家だ。中学2年生の時だったと記憶しているが、『砂の器』を読んだ。松本清張の代表作で映画にもなり、テレビドラマにもなった作品だが、こんな面白い小説があるんだ、と感動したことを今でも覚えている。それ以来、松本清張の作品をずっと読んできた。

松本清張記念館が小倉にできたのは、1998年(平成10年)のこと。設計者は松本市美術館も設計された宮本忠長さん。ずっと行きたいと思っていたから、念願が叶った。


エントランスから展示室方向を見る。壁一面に掲示されたすごい数の本の表紙。展示ケースの原稿や手紙、はがき。取材ノート。愛用していたニコンのカメラ・・・。度の強いメガネ。再現された書斎。愛用していたモンブランの万年室・・・。残念ながら展示室内の写真撮影は禁止されていた。


次は旦過市場。


33会 九州旅行5

2025-01-12 | A あれこれ

1月9日(木)その4

旧門司三井俱楽部で夕食会(外観写真なし)




重要文化財指定書 指定日:平成2年(1990年)3月19日

1921年(大正10年)三井物産の社交倶楽部として建設された建物。1990年(平成2年)に北九州市に譲渡され、1995年(平成7年)に現在の場所に移築された。


参加者6人 スタッフの女性に撮影をお願いした。

以下に料理の写真を載せる(順不同、撮り忘れあり、説明文無し)。


ふくステーキ


酢物


白身魚と海老のサフランソース


とらふく刺し 箸をつけてから、撮り忘れに気がつき慌てて撮った。


茶碗蒸し


牛肉ステーキ


ふく入りきのこスープ



門司港駅 夜景

2時間ほどして食事会はお開き。ホテルのシャトルバス(定員6名でピッタリ)でホテルへ。

ホテルのレストランで2次会、ぼくの部屋(シングルルーム)で3次会・・・。


 


33会 九州旅行4

2025-01-12 | A あれこれ

1月9日(木)その3

門司港レトロめぐり

 明治時代の後半から国際貿易港として栄えた門司港の周辺にはレトロな建物がいくつもある。

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門司港レトロめぐりをする前に、腹ごしらえ。T君が調べてきていた門司港駅近くの寿し処 光本で昼食。


1 旧大阪商船 1917年(大正6年)




2 ブルーウイング門司 日本で唯一の歩行者専用の跳ね橋




3 旧門司税関 初代庁舎は消失、二代目の庁舎 1912年(明治45年) 


設計:咲寿栄一 ( 妻木頼黄が設計指導したとのこと) 正面外観


正面玄関部


設側面及び後面外観


内観 小屋架構は大規模改修の際、新設された。




木造とスチールのテンションロッドの組み合わせ。好きな架構システム。


4 門司港レトロ展望室(高僧マンションの31階にある展望室)設計:黒川紀章 1995年(平成7年)


頂部の半月形は消防用水槽、上面は緊急用ヘリポート。ランドマークとしてこの半月が効いている。外壁のざっくりとした格子割りは黒川紀章好み。民間の高層マンションの最上部に設けられた市の展望室。


展望室からの俯瞰景 

手前が旧門司港税関その上にアルド・ロッシ設計のホテル、後方に門司港駅舎を望む。


5 大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)




内部 1階はレストラン


 
黄色いバナナポストはなぜ? 門司港はバナナの叩き売り発祥の地と知り、なるほど。


6 海峡プラザ(複合商業施設)この施設内のカフェでしばし休憩。


夕方4時過ぎ、タクシーでホテルへ。今夜はリーズナブルなルートイン門司港泊。


33会 九州旅行3

2025-01-11 | A あれこれ

1月9日(木)その2

別府駅から門司港駅へ


別府駅9時19分発の特急ソニック16号が来た。動く鉄撮りはタイミングが難しい。


特急ソニックの内観


USA駅


小倉駅で普通電車に乗り換えて門司港へ。


重要文化財 門司港駅


繰り返しの美学なプラットフォームを改札口へ向かう同行者5人。


梁の端部を受けるブラケット




駅構内の様子




スターバックス入口


観光案内所 スタバの入口と色違い


門司港駅 外観

経済的合理性だけで造られていたら、こんなに魅力的な近代建築は存在し得なかっただろう。


 


33会 九州旅行2

2025-01-11 | A あれこれ

1月9日(木)その1


露天風呂 ホテル白菊のHPより

昨夜遅くまで痛飲したのに、スッキリ。上質な麦焼酎の証だろう。朝5時、贅沢な朝風呂。露天風呂は貸し切り状態。柔らかな泉質だ。普段あまり長湯をすることはないけれど、気持ち良くて、大分(おおいた、じゃなくて、だいぶ)長湯をした。部屋に戻ったのは6時近くだった。


八幡朝見神社

6時半過ぎ、まだ夜が明けていないけれど、ホテルから歩いて八幡朝見神社へ参詣に行く。12分程で鳥居の前に着いた。この神社には狛犬が3対いることが分かっていた。カメラを取り出す。あれ? しまった、充電していたバッテリーをカメラにセットするのを忘れていた・・・。仕方ないのでスマホで撮るも、フラッシュがうまく同調しない。使い方が分からない・・・。狛犬撮影は諦めた。

知らべると、大分は長野より日の出時刻がおよそ50分遅い。神社参詣は7時直前だけれど、まだ真っ暗だった。拝殿は内部が明るくなっていて、撮影できた。



7時半過ぎ 12階の朝食会場から見えた別府タワー これが火の見櫓だったら、ぼくだけ予定を変えさせてもらったかも知れない。


ビーコンプラザのグローバルタワーが見えていた。大分出身の建築家・磯崎 新の設計。外観だけでも見に行きたかったが、時間の都合で諦めた。

朝食はバイキング




普段の朝食と量も内容もあまり変わらないようにした。卵焼きが美味かった。


デザートスイーツの彩りが美しくて、思わず撮ってしまった。


8時半ころ、ホテルをチェックアウト。タクシーで別府駅へ。


266枚目 ブログ友だちのtamiさん

2025-01-11 | C 名刺 今日の1枚



文は人なり

 ぼくのブログにtamiさんの初コメントがあったのは2009年の7月5日だった。その頃から、ぼくもtamiさんのブログに時々コメントしている。そう、tamiさんとは15年来のブログ友だちだ。

文は人なりということばがある。文章に使うことばや表現から、書く人の人柄が分かる。だから、自分をさらけ出す覚悟がないと、ブログはできない。

tamiさんの読んだ小説の紹介は要を得ているし、読んでみたいなと思わせる。ぼくはtamiさんのブログで知った小説を何作も読んできた。はずれがなく、どの作品もおもしろい。涙小説好きなところは同じ。

tamiさんの文章を読んでいて、誠実な人柄なんだろうな、とずっと思っていた。いろんな集まりのまとめ役にふさわしい人だろうな、とも。会うことができるたらいいな。でも大分の人だから機会はないだろうな・・・。

しばらく前にぼくのブログにコメントしていただいたので、返信に別府に旅行することを書いた。その後のコメントのやりとり(*1)を経て、8日に宿泊するホテルで対面できることになった。 年の初めの小さな、いや大きな幸せ。

イメージとたがわぬ女性だった。ぼくと同年とは思っていなかったけれど。


ラウンジで小一時間ほど話をした。これでリアルな世界でも知り合いに。お渡しした名刺は266枚目だった。


*1 tamiさん   連絡用のコメントは削除しました。