透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2025.01

2025-01-31 | A ブックレビュー

 


 ♪ 時の流れに身をまかせ と歌ったのはテレサ・テンだけど、それじゃいけないような気がする。でも抗いようもないか・・・。
時の流れがますます速くなったような気がする。もう1月が終わる・・・。

このところ本を読みた~いという気持ちが強い。2023年度の調査結果、と記憶しているが、1か月に1冊も本を読まないという人が、およそ6割だったとのことだ。でも、そういう人たちをとやかく言うつもりは全くない。

ぼくはレイ・ブラッドベリが『華氏451度』(ハヤカワ文庫2014年)で描いた、本を所持することも本を読むことも禁じられた社会で生きていくのはつらいと思う。本のない生活は考えられない。

1月に読んだ本は9冊(内2冊は図書館)だった。書名を挙げておきたい。

『方舟さくら丸』安部公房(新潮社)
『免疫力を強くする』宮坂昌之(講談社ブルーバックス)
『「罪と罰」を読まない』三浦しをん他(文春文庫)
『日米戦争と戦後日本』五百旗頭(いおきべ)真(大阪書籍)
『天保悪党伝』藤沢周平(新潮文庫)

『日本文化の多重構造』佐々木高明(小学館)
『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明(光文社新書)
『大江健三郎  江藤 淳  全対話』(中央公論新社)*
『お地蔵さまのことば』吉田さらさ(ディスカヴァー・トゥエンティワン)*

*印:図書館本


『日米戦争と戦後日本』は五百旗頭氏がワシントンD.C.の公文書館をはじめ、各地の図書館で原資料を集め、関係者を訪ねてオーラル・ヒストリーを集積したということから(講談社学術文庫にもなっているが、そのあとがきによる)、アメリカ側の事情が詳しく書かれている。アメリカは開戦直後に対日占領政策の検討を始めていたという。冷静に分析すればアメリカが勝利することは、日本でも分かっていたのだから、驚くにはあたらないか。太平洋戦争関連の本は読み続けたい。

『日本文化の多重構造』は佐々木高明氏の「日本文化論」総集成。先日観た映画『鹿の国』にも関係する内容の記述もあった。良書。

『大江健三郎  江藤 淳  全対話』 江藤 淳は凄い読み手だ。『万延元年のフットボール』をきっちり読み解いてる。江藤 淳による大江健三郎の作品論として読むこともできる。


 


諏訪は深い

2025-01-30 | A あれこれ

 
 今から30年近く前の信濃毎日新聞の特集記事「活断層を歩く」を保管している(*1)。

この記事にプルアパートベイズンの模式図が載っている。プルアパートベイズンって何? 記事に**横ずれ断層に付随して出来る盆地。横ずれ断層が一本の直線でなく、ステップしている場合、その間で伸張応力が生まれ、地盤が陥没して、盆地ができる(後略)。**と説明されている。これが諏訪盆地、諏訪湖の成因かもしれないとされているメカニズム。松本駅周辺の軟弱地盤域も同様、とのこと。


手元に「フォッサマグナ付近の地質図」があるが、それを見ると諏訪盆地で糸魚川―静岡構造線に中央構造線がぶつかっていることがよく分かる(赤く太い線)。日本列島を縦横に走る大断層がクロスしているところが諏訪、ということになる。中央構造線は諏訪から東へどのように走っているのかははっきり分からない。幅広のフォッサマグナに隠されてしまったのだろう。フォッサマグナの東の縁から先、関東では分かるようだが。この大きなふたつの断層の挙動が成したところが諏訪。

諏訪の特異な地形がこの地の古代からの人の営みに影響しているんじゃないかな、と思う。なんとなく。いや、諏訪湖に向かう大きな窪みの地に生きる人びとに心的な影響を与えたに違いない(*2)。

諏訪湖に向かう求心的な俯瞰的風景はこの地、諏訪湖を囲む斜面に生きる人びとに共通する。このことが諏訪の人びとの気持ちを束ね、それがこの地で連綿と続けられている神事、御柱のような大祭をはじめ、下記の学問も含めていろんなことを成す力になっているのではないか。

この説(眉唾な説か? 同様の説を唱えている人がいるかもしれないし、風景論で語られているかもしれない)がこの記事の結論でもある。

このことに関係するが、1月29日付信濃毎日新聞に次の見出しの記事が掲載されていた。諏訪湖の「御神渡り」の観察や記録が583年間も続けられているということを伝える記事だ。



「諏訪学」ということばがある。その定義をわたしは知らないが、諏訪で連綿と続く歴史や文化、民俗、宗教など(古代からの人の営みの諸相と括ってもよいのではないかと、わたしは思う)を扱う学問だろう。諏訪を研究する在野の研究者は少なくなく、諏訪を専門分野だけでなくいくつもの分野を縦横に論じている。

先日観た映画『鹿の国』では、諏訪の底知れない深さ、神秘さが映像化されていた。中でも御室で、古代から600年前まで行われていたという神事芸能の再現は白眉だろう。神事に登場していたのは諏訪の人たちだったという。


国道20号の標識(塩尻峠 岡谷地籍)グーグルSVより

映画で時々映し出された鹿の群れ。なぜ祭礼に鹿が欠かせないのか・・・・。ここにも深い意味があるのかもしれないが、わたしは、ただ単に諏訪に鹿が多いだけじゃないのかな、と思う。だから贄にもしたんじゃないのかな、って身も蓋もないか。

『日本文化の多重構造』で著者の佐々木高明氏は**狩りの獲物の血や肉や内臓の中に豊作をもたらす呪力が存在するという信仰**(196頁)が背景にあり、**古代の習俗は、少なくとも弥生時代初期にまで遡ることが可能であり、その基層には、稲作以前の狩猟民たちによる豊猟を祈願する狩祭りの伝統があったことは間違いないと考えられるのである。**(196頁)と指摘している。

毎年4月15日に行われる諏訪大社の御頭祭と呼ばれる神事で鹿の首(現在ははく製)が供えられる。その起源は一万年も前、縄文時代ということになるのだろう。

諏訪は深い。



写真提供:Beer&Cafe大麦小麦のFさん

 茅野にあるBeer&Cafe大麦小麦に映画『鹿の国』関連の書籍・資料コーナーが設けられていることをSNSで知った。映画のガイドブックはじめ読みたいものがある。映画でリフレインされたミシャグジとは・・・。

週末のカフェは忙しいだろうと、27日(月)に出かけた。まず手にしたのは『鹿の国』のガイドブック。充実の内容にびっくり。食事を済ませてガイドブックを読み始め、何とか読み終えたが、『中世の諏訪を見つめる』などを読む時間はなかった。次回読むことにしよう。

大麦小麦は居心地がよく、いつも長居をしてしまう。この日も開店時刻の12時過ぎから夕方4時まで過ごした。

『諏訪学』山本ひろ子(国書刊行会2018年)も読みたいが、版元で品切れのようだ。入手できるかな。

ガイドブックを読んで思った。やはり諏訪は深い。底がないほど深い。


*1 連載記事だが、保管しているのはこの日の記事のみ。
*2 『透層する建築』(青土社2000年)伊東豊雄さんはこの分厚い本に収録されている「諏訪湖博物館・赤彦記念館」についての小論「湖に捧ぐ」で次のように書いている。
**冬の訪れを告げる朝もやが湖面に立ち込めるころ、早朝の湖面すれすれに水平の虹を見た記憶がある。地の人びとはこの虹のことを「水平虹」と呼んでいた。年に一度か二度、それも朝の一瞬にしか見られないこの自然現象は神々しくさえ思われたが、この建築の設計で敷地を訪れ、湖を眺めるたびに、いつもふと思い出されるのは湖面に長く尾をひくこの虹のことであった。あれほどに淡い現象的形態に建築を到達させたいという想いは、容易に消え去ることはないだろう。(281頁)** (下線はわたしが引いた)
伊東さんはこの小論で**すべての視線は湖にいつも向けられていた。(中略)背後の山を振り返ることは滅多になかった。**(280頁)と書いている。


 


積読状態解消?

2025-01-29 | A 読書日記


 リビングにちょこっと設えてある、わたしの書斎コーナー。その端っこに積読状態になっている本が現在6冊(写真)。2月中には読み終えて、積読状態を解消したいと思う。だが、これから注文する本も2,3冊あるから、解消できるかどうか・・・。

心のどこかで、こんな状態が続くことを望んでいるのかもしれない。ではなくなのかも。


 


「大江健三郎 江藤 淳 全対話」を読む

2025-01-28 | A 読書日記

   

 『死者の奢り』『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『われらの時代』『遅れてきた青年』『性的人間』『個人的な体験』・・・。

ぼくが大江健三郎の初期の作品を読んだのは高校生の時だった。そう、あの頃は、ぼくのまわりの同期生の間で、安部公房と大江健三郎、このふたりの作家は人気があって、みんなよく読んでいた。読まなければならない作家のような感じだったようにも思う。上に挙げた初期の作品では、大江さんが描いた世界にすんなり入り込むことができた。『個人的な体験』を再読した時は子育て中だったこともあり、いや逆かな、子育て中だから再読したのかもしれない、縁遠い世界のことではないことで、共感したことを覚えている。

『万延元年のフットボール』も高校生の時に読んだ(随分昔のことだ 箱入の本で定価が490円)。大江健三郎の作品だから読まなきゃ、と義務感のように感じて読んだのではなかったか、と思う。

だが、この小説で描かれている世界に入りこむことができなくて、もちろん難しくて理解できなかったということが前提としてあるけれど、大江健三郎の世界に共感できないというか、全く自分にはかかわりのないことと感じて、それこそ義務感だけで字面を追ったということを覚えている。


大学生になってからも、大江作品は読み続けてはいた。『万延元年のフットボール』と同様に字面だけを追った作品もあったが。2020年の5月、もう大江作品を再読することはないだろうと、単行本だけ残して(写真)、何冊もあった文庫本はすべて古書店に引き取ってもらった。

なぜ、『万延元年のフットボール』はだめだったんだろう・・・。


『大江健三郎  江藤 淳 全対話』(中央公論新社2024年 図書館本)をえんぱーく内の塩尻市立図書館で借りて読んだ。この本には以下の通り、4つの対話、というか、対談が収録されている。

  安保改定 われら若者は何をすべきか(1960年)
  現代の文学者と社会(1965年)
  現代をどう生きるか(1968年)
 『漱石とその時代』をめぐって(1970年)

この中で興味深く読んだのは 「現代をどう生きるか」だ。この対談で『万延元年のフットボール』が取り上げられている。ここで、江藤さんが語っていたことによって、ぼくがこの作品に入り込めなかった理由(わけ)が分かった。

江藤さんはこの作品を徹底的に批判する。発言の一部だけ切り取るのはどうかと思うが、敢えてそうして載せる。以下、引用するのはどれも発言の一部。

**『個人的な体験』と今度の作品とを比べると、複雑なことをうまく重ね合わせてまとめているという点では技術的に今度のほうがすぐれているかもしれない。だけれど文学的には大江さんが以前『個人的な体験』で提出された主題が一歩も前進させられていないという印象を持った。**(71頁)

この発言を江藤さんは**技術的な進歩と文学的な足踏みというところに大江さんの現在の問題が集約されているように思う。**(72頁)と括っている。この発言に対し、当然大江さんは反論する。フェアではないが、その反論はここには載せない。このふたりに関心のある方には、この本をお薦めしたい。

**ぼくは、正直にいって何度もページを閉じながらある義務感からやっと読み通した。**(75頁)そうか、江藤さんもぼくと同じだったのか。江藤さんはこの発言に続けて**だからはっきりいえば、ぼくにとってあれは存在しなくてもいいような作品です。**(75頁)とまで言う。本人に向かってなんとも辛辣なことばだ。この対談で、ふたりは実に激しい論戦を繰り広げている。とにかく興味深く、そしておもしろい。ふたりとも決して逃げることなく、キッチリ論戦している。

**あなたの小説では呉鷹男とか蜜三郎とかいう奇妙な名前の人物が出てくるでしょう。この名前を認めるか認めないかがいわば読者に対する踏み絵になっているのです。**(80頁) ぼくは踏み絵とまでは思わないけれど、このような名前(鷹四、蜜三郎)に違和感というか、抵抗感をを覚えるというのは確かだ。

名前を認めた人間は大江さんの主観的な世界にコミットすることを強要されてしまう、と江藤さん。続けて**これは主観的・恣意的な世界をそれが本当に共用され得るかどうかという問題を回避して読者におしつけようとする一種の詐術です。**(80頁)

強要されるとまでは思わないけれど・・・、でもまあ、そういうことかもしれない。ぼくの理解力の無さを棚に上げていえば、難解な文章でがっちりガードして、それでも入り込んでくる読者に向けて書かれた小説ということではないのかな。これはぼくにとって都合の良い解釈か?

江藤さんの指摘に対して大江さんは**この小説を最後まで読んでこれを受けいれた人がいるということだと受けとっています。そしてそれは客観的に江藤さんが受けいれられないといわれる証言と少なくとも同じ重みを持つ証言じゃないでしょうか?**(82頁)と返す。

また、大江さんは次のようにも語る。**たしかにぼくは太郎や次郎から出発したわけじゃない、蜜三郎や鷹四から出発した。そうしてでき上った作品において、そういう名をもつ人物たちが普遍性を、いくらかなりとコミュニケートする力を読者に対して持てば、それは小説家として自分の作業が社会化したと考えることなんです。**(85頁)

**『万延元年』の最初の章であなたは非常に難解なイメージを出した。胡瓜を尻に突っこんで死んだ人を出したでしょう。あれは非常にわかりにくい鬼面人をおどろかす仕掛けです。いろいろな魂胆からあの小説を支持する人でも最後まで分からないといっているイメージ。**(115頁) (単行本を確認すると29頁にこのことが書かれていた。)江藤さんが指摘することをぼくも感じてしまう。

「現代をどう生きるか」で分かるのはふたりの文学観、文学の社会性についての考え方の相違だ。

江藤さんのことばを引用したい。**いまになって十年をふり返ってみると、あなたの客観世界との乖離というか外界の喪失という形でそれらをとらえるよりぼくにはとらえられない。**(83、4頁) この指摘がポイントだろう。

江藤さんは対談の成り行きもあって、大江さんに何のために小説を書くのかとまで問う。大江さんは**自分自身がどのように現実とかかわって生きているかということを小説に書くことによって確かめるために書いています。**(96頁)と答えている。正直なことばだと思うし、小説家として、当然の態度だと思う。読者に阿るようなことはするべきではない。

この対談を読んで、ぼくは思った。大江健三郎の内的世界、江藤 淳が指摘した外界を喪失した世界にぼくはついていけなかった、ということだろうな、と。どんどん難易度が上がる世界について行くことができないで、早々と脱落してしまったということだろう。


 


「ゴッホは星空に何を見たか」を読む C2

2025-01-26 | A 読書日記

 新潮新書の創刊時(2003年)のキャッチコピーは「現代を知りたい大人のために700円で充実の2時間」だった。2時間で読了できるのかどうかはともかく、手軽に読んで欲しいという願いが込められていたものと思われる。新書もいろいろ。かなり分厚くて内容も濃いとなると、読了するのに何時間もかかるものもあるが・・・。


『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明(光文社新書2024年)の大半を昨晩(25日)読み、今朝読み終えた。約180ページと、それ程厚くない上、図版が多く、文章が冗長でなく簡潔なので、読了するのにそれ程時間がかからなかった。3時間くらいだっただろうか。

著者の谷口義明さんは天文学者で光文社新書にも『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』、『宇宙を動かしているものは何か』、『宇宙・0・無限大』などの著書がある。

さて、『ゴッホは星空に何を見たか』。

谷口さんは本書で「星月夜」をはじめ、「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」「糸杉と星の見える道」など、星空が描かれている絵を取り上げ、そこに描かれている星座が何か、同定を試みている。本の帯の絵は「星月夜」。

ゴッホといえばひまわり、ひまわりといえばゴッホだけれど、上に挙げた絵も、どれも有名だ。谷口さんは天文学者、これらの絵に描かれている星空が気になっていたようだ。

帯の「星月夜」に描かれている星について、「はくちょう座」説が紹介されている。この絵の星座に関する論文もあることを知った。単なる趣味の世界ではなさそうだ。ただ、同定はできていないとのことだ。

本書を読んで知ったのは、ゴッホが星の色まで観ていた、ということ。このことが分かる手紙を弟や妹に宛てて書いている。本書ではその手紙が紹介されている。

ゴッホは星空に豊かな色彩を見出し、それに魅せられていたのだな。凄い画家だ。



『たゆたえども沈まず』原田マハ(幻冬舎文庫2022年11月25日12版)のカバーも「星月夜」だ。

この小説でで原田さんは画家のゴッホと弟の画商・テオ、それからやはり画商の林 忠正という3人の実在の人物に林の助手の重吉という架空の人物を加えて、リアルな物語を紡いだ。


今年から来年にかけて「大ゴッホ展」が開催されることを知った。神戸、福島、東京と巡回する展覧会。東京では上野の森美術館で2026年5月29日~8月12日の会期で開催される。 ゴッホの絵の力強いタッチを観たいなぁ。





「日本文化の多重構造」を読む

2025-01-25 | A 読書日記

360
『日本文化の多重構造 アジア的視野から日本文化を再考する』佐々木高明(小学館1997年)を読んだ。松本市内の古書店で目にし、タイトルに惹かれて即買いしていた。

巻末に載っているプロフィールによると、著者の佐々木氏は1929年生まれ。本書の出版が1997年だから、著者が67,8歳の時のことだ。本の帯に「日本文化論」総集成とある。正にそのような、充実の内容で密度が濃く、読むのに時間がかかった。佐々木氏の長年に亘る調査、研究の成果だろうが、これ程の研究を成し得たということに驚く。

論文はT字型構造と聞く。Tの上の横棒は総論を、縦の棒はその内のごく限られた対象を深く詳細に研究し論ずるという研究論文の構造。それに対し、本書で論じられている様は櫛型と表現すれば伝わるだろうか。全ての範囲を深く研究し、論じている。

本書の内容を簡潔に要約するのは難しい。例によって本書から引く。**長い歴史的過程の中で、日本列島にはアジア大陸の北方や南方から、それぞれ特色を異にする諸文化が伝来し、それらが列島内に堆積するとともに、その諸文化が相互に関係し合う中から、日本文化の特色が形成されてきたという事実である。**(319頁)

「照葉樹林文化」と「ナラ林文化」、南北二つの異なる文化の重層、複合。

「第六章 焼畑農耕とその文化の探求」の「第三節 狩祭りの伝承 ―― 豊猟と豊穣の祈り―― 」に興味深い記述があった。それは先日(22日)岡谷スカラ座で観た映画「鹿の国」で紹介されたことと重なる記述。

**インドや東南アジアあるいは東アジアの照葉樹林帯の、主に雑穀を栽培する焼畑民たちの間には、農耕の折り目折り目にムラの男たちが集団で狩猟を行い、それによって豊猟や豊作の予祝を行う慣行がある。**(190頁) このような儀礼的狩猟は日本でも焼畑を営んでいた山村でもかなり広く見られたという。

本書には、愛知県東栄町の月というムラの次のような神事が写真付きで紹介されている。それは、杉葉でつくったシカに神官が矢を射込み、倒れたシカの杉葉を抜き、神前に供えて豊作を祈願するというもの。

諏訪では行われなくなった、これと同じような神事がやはり愛知県の野登瀬諏訪神社で行われているとのことで、「鹿の国」でこの鹿討ち神事が紹介された。この神社の神事では、実物大でつくられた雌雄2頭のシカに二人の青年が矢を射込む様子、その後シカの腹の中に入れてあるいくつもの餅を奪い合う様子が映された。

愛知県新城市のHPにこの神事が紹介されている(こちら)。HPに**農作物の豊作を祈願する儀礼としての「種取り」、「田つくり」の神事と、「しかうち」という狩猟儀礼とが複合した形で行われる全国的にも少ない特色ある予祝行事であります。**とある。

それからもう一つ、本書で紹介されている『播磨風土記』の次の記述。**生ける鹿を捕り臥せて、其の腹を割きて、其の血に稲種(いねま)きき。仍(よ)りて、一夜の間(ひとのほど)に、苗生(お)ひき。即ち取て植ゑしめたまいき**(195頁) この様子も「鹿の国」で映像化されていた。

このようなことについて、佐々木氏は**狩りの獲物の血や肉や内臓の中に豊作をもたらす呪力が存在するという信仰**(196頁)が背景にあり、**古代の習俗は、少なくとも弥生時代初期にまで遡ることが可能であり、その基層には、稲作以前の狩猟民たちによる豊猟を祈願する狩祭りの伝統があったことは間違いないと考えられるのである。**(196頁)と指摘している。諏訪の神事もその起源は一万年も前、ということになるのだろう・・・。凄い!

長くなり過ぎたのでこの辺で・・・。

『日本文化の多重構造』 読み応えのある本だった。


 


二八会の新年会

2025-01-25 | A あれこれ

 二八会は保育園の時から一緒の幼なじみの親睦会。昨年は2月に南房総へバス旅行、7月にカレー大作戦、それに安否確認!?として何回かの飲み会、とみんなで楽しんだ。今年(2025年)も気の置けない仲間とあれこれ楽しみたい。

昨日(24日)は新年会だった。会場は毎回FM君家(くんち)の多々美屋(趣味のそば打ちをするところだが、二八会のために造ってもらったようなもの)。参加者は8人。幸いなことに、よく言われる第二の人生の孤独とは無縁だ。


酒は充分ある。


とりあえずビールで乾杯。

夕方5時開始。持ち寄った日本酒の味比べ。共有する昔の想い出・・・。2時間経過。そば打ち有段者のFM君が打って、茹でたそばをいただく。


見事という他ない。


手際よくそばを茹でる。


打ちたて ゆでたて 絶品の味 

毎回、みんなと楽しく飲んで、締めにこの美味いそばが味わえるなんて幸せ。


 


「天保悪党伝」を読む

2025-01-24 | A 読書日記

 1冊減って2、3冊増えるという状況で、積読本が減らない。

あの本、この本。読みたいと思う本を読んできた。だが、この気持ちをセーブして、この先、太平洋戦争関連の本を読もうと思っている。系統的に、というわけでもないが・・・。

先日(18日)、松本の古書店 想雲堂で『生体解剖 九州大学医学部事件』上坂冬子(中公文庫1982年8月10日初版、1983年2月10日4版)を目にし、買い求めた。遠藤周作が『海と毒薬』でこの事件を取り上げている。

五百旗頭(いおきべ)真さんの『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍1989年)を読んだ(過去ログ)。内容は易しくはないけれど、論考の流れが分かりやすく、文章が読みやすかった。他の作品も読みたいと思った。偶々、新聞広告で『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫2023年)を目にして、買い求めた。書評欄に載っていた『「お静かに!」の文化史 ミュージアムの声と沈黙をめぐって』今村信隆(文学通信2024年)も。

*****

いつまでも続くと思うな我が人生。

もう、全く知らない作家の小説を読むことはあまりしないことにする。若い作家の作品は、よく分からない。既に何作品か読んでいる馴染みの作家に絞りたい。その分、上記したように、太平洋戦争関連本を読もうと思う。だが、これはいわば守りの姿勢。生き方としては好ましくないかもしれない。「チャレンジしなくて、どうする」という内なる声が聞こえる。


藤沢周平作品は何作も読んだが、この数年は全く読んでいなかった。いや、短編集『橋ものがたり』を2023年5月に再読している(過去ログ)。

天保悪党伝』 読み始めて思った。そうか、藤沢周平はこういう作品も書いていたのか、と。収録されている6作品は書名から分かるが、悪党を主人公にしている。好きな作品は「泣き虫小僧」。異色作の中で一番藤沢作品らしい。

料理人の丑松は、あちこち料理屋を手伝っては手間をもらっている。だが、賭場で大金を賭けて・・・、という暮らし。

丑松は紹介された花垣という料理屋で神妙に働く。喧嘩っ早い丑松だが、つまらない喧嘩で花垣から追い出されたくなかったので。なぜか。おかみさんに惹かれていたから。二十半ばを過ぎたころかと思われたおかみさんは三十二歳。色白で細おもての美人。

**おかみさんを見ていると、丑松は何かしら有難いようなもの、うやうやしいようなもの、それでいて何かひどく物がなしいものに出会ったというような気がしてならない。
だが、それがどういうことなのかはわからずに、丑松はまごまごしていた。しかしまごつきながら、十分に幸福だった**(180頁)

こういう描写は、藤沢周平だな。

客の一人に気になる男がいた。政次郎という名で、筋金入りのやくざ者と知れた。蝮の政と綽名されていた。時には花垣に泊まっていくことを丑松は知る。何年か前、花垣が潰れかけたとき、政次郎から金を借りていたのだった。利息がわりにおかみを抱いているということを知った丑松は・・・。


 


映画「鹿の国」を観た

2025-01-23 | A あれこれ


『諏訪の神さまが気になるの』北沢房子(信濃毎日新聞社2020年1月20日初版発行、2021年11月30日第6刷発行)

**ミシャグジが集中的に力を発揮する神事は、厳冬期に行われます。大祝(おおほうり)や神長(じんちょう)は旧暦12月から翌年の3月まで、前宮の下方にあった神殿(ごうどの)(大祝の屋敷)近くの御室(みむろ)と呼ばれる建物にこもって、神事を行いました。御室とは、冬ごもりのために大穴を掘ってその中に柱を立て、棟を高くして萱を葺いた、半地下の竪穴住居に似た建物です。**という記述が『諏訪の神さまが気になるの』にある(同書200頁)。

昨日(22日)岡谷市のスカラ座まで出かけて、ドキュメンタリー映画「鹿の国」を観た。

諏訪盆地と諏訪の湖(うみ)。廻る諏訪の四季。雪降る冬、春の桜、鹿の群れ。諏訪信仰。自然崇拝する諏訪の人びとの暮らし。豊穣の願い。稲作という人の営み。これらのシーンが静かに映し出される。


諏訪大明神本地仏 騎象普賢菩薩像(佛法紹隆寺にて 2022.11.24)

諏訪神仏プロジェクト(2022年)の一環として行われた、佛仏法紹隆寺の住職による神前読経のための経文「諏訪講之式」の復元作業も取り上げられていた。

この映画の見どころは上掲文中、太文字化した御室の中で行われていたという神事の再現。600年も前に途絶えたという神事を断片的な史料を読み解いて再現している。厳かなというイメージからは遠い、笑いの神事。

*****


同じ座席のチケットが2枚。なぜ? どういうこと?

買い求めたチケットをどこかにしまい忘れてしまい、再発行してもらったから。開映時刻が迫っていたので焦って、しっかり探さなかった・・・。

家に帰って、リックサックのポケットをキチンと探したら出てきた・・・。映画館でも探したけど。こんなことは初めて。数分前に買い求めたチケットをどこにしまったのか覚えていないなんて・・・。


 


岡谷市塚間町の火の見櫓

2025-01-23 | A 火の見櫓っておもしろい




1530 岡谷市塚間町 44〇型複合脚(正面ショートアーチ、他面リング付き丸鋼交叉ブレース)後面ブレース撤去

■ まだまだ見ていない火の見櫓が近場にもある。岡谷市とは塩尻峠で隔てられており、自宅から車で40分足らずであるのにもかかわらず、あまり行く機会がない。昨日(22日)「鹿の国」というドキュメンタリー映画を観るために岡谷まで出かけた。

この映画を上映しているスカラ座という映画館には初めていった。映画館の場所は分かっていたけれど、行き時はカーナビのお世話になった。途中、あれ、遠回りするなぁと思いつつ、素直に従った。すると、火の見櫓が立っているではないか。まだ見ていない火の見櫓だ。映画館までとりあえず行き、車を停めて徒歩で戻ってきて観察した。火の見櫓の末広がる姿は実に美しい。見張り台より大きい踊り場は、南信方面の火の見櫓に多いような気がする。


見張り台廻りにスピーカーがない。スッキリしていて好ましい。見張り台の手すりにもブレースと同じデザインを採っている。4本の柱に方杖を2本ずつ取り付け、見張り台の床を支持している。




踊り場は見張り台と同じ構成にしている。半鐘を設置してある。2か所に設置した半鐘の使い分けをしていたのだろうか、それとも専ら踊り場の半鐘を叩いていたのだろうか・・・。




脚部を観る。道路から見て、後ろ側から梯子に昇り降りするようになっている。で、脚部はショートアーチとし、他の3面は交叉ブレースにしている。ただし手前側のブレースは撤去されている。コンクリート面をよく見ると、もともとブレースがあったことを示す丸鋼の断面が見えていた。


 


木造の参道狛犬

2025-01-23 | C 狛犬

 
 神殿狛犬は風雨にさらされて傷むことがないので木造が多い。一方、参道に鎮座する参道狛犬は青銅や陶器で造られたものもあるが、大半が石造だ。前稿に書いたように、昨日(22日)岡谷のスカラ座へ「鹿の国」を観に行った。その途中で、偶々この狛犬を見かけた。岡谷市の今井十五社神社の参道狛犬、木造だ。はじめて見た。

大きな木の彫刻。後ろ側に設置されている銘板により、地元今井区民、総代会が平成26年(2014年)により奉献されたものと分かった。なぜ、石造ではなく、敢えて木造の狛犬にしたのだろう・・・。

 
一対の霊獣を狛犬と括っているけれど、元々別で、向かって右が獅子、左が狛犬。神殿狛犬の場合、獅子の毛髪は緑青色、狛犬の毛髪は群青色とされている(下掲の日光陽明門の狛犬参照)。この神社の狛犬はこの色を台柱にも塗っている。
  
 
シッポの毛 くるりんちょな獅子、ストレートな狛犬、と変えている。


諏訪地域では小さな祠にも御柱が建てられている。この神社にも建てられていた。
拝殿の左隣、境内社津島社本殿 ここにも御柱。お賽銭箱に諏訪大社の神紋がある。調べてみた。この神社には建御名方神、八坂刀売神はじめ、神社名の通り、15社のご祭神が祀られている。


 
日光陽明門の裏側にいる狛犬には一般参詣者は注目しないかもしれない。(2023.04.14)


「お地蔵さまのことば」を読む

2025-01-21 | A 読書日記


 『お地蔵さまのことば』吉田さらさ(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2014年 図書館本)を読んだ。読んだというより、見たかな。

タイトルはお地蔵さまのことばとなっているけれど、観音さまや阿弥陀さま、そしてうれしいことに狛犬のことばも載っている。黙して語らぬ石仏だけれど、著者の吉田さらささんが耳を澄ましてみると、お言葉が聞こえてくるそうで、この本には58のお言葉が載っている。

こころに染みるそれらのお言葉も好いけれど、吉田さんが撮影した石仏の写真がとても魅力的。見開きワンセットで写真とお言葉が載っていて、カラー写真が左のページの全て、中には両ページに大きく載せているものもある。石仏の全形写真もあれば、顔だけのアップ写真や周辺の様子まで写し込んだ写真もある。載っている写真はどれも石仏の魅力をきちんと写している。

カバー折り返しに吉田さんのプロフィールが載っていて、寺と神社の旅研究家、早稲田大学第一文学部美術史学科卒と紹介されている。なるほど、鑑賞眼がきっちり磨かれているのだろう。だから石仏の魅力を的確に捉えることができるのだ。

上掲の表紙の写真は長崎市の清水寺の地蔵菩薩。赤い毛糸の帽子がお地蔵さまの童顔によく似合っていている。元々の顔が破損したため、新しい顔にすげ替えられたとのこと。

で、このお地蔵さまのお言葉は・・・。

**変わらないのが一番のご利益** 全58のお言葉で一番共感したのはこのお言葉。この言葉の通りだなぁ、と思うようになったのは歳を取ったから?

**僕、困ってるんです。
ご利益はまだかとせかす人が多すぎて。
でも、もっと困るのは、ご利益に気づかない人。
健康で家があって仕事があって。
みんなのそういう「普通」を支えているのが
実は僕たちだって、知ってましたか?**(006頁)


 


ヤバ! Y字路に沼るかも・・・

2025-01-20 | A あれこれ

 去年の年末かな、書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永  瞬(晶文社)をパラパラと立ち読みして、Y字路がぼくの脳にインプットされてしまったようだ。

33会の旅行で九州に出かけた時、小倉の旦過市場の近くでY字路に遭遇して、写真を撮った(左)。この時は気がつくと同行者がかなり先を歩いて、急いで追いかけた。これはもう、Y字路を意識している証拠だ。

そして・・・、昨日(19日)善光寺から長野駅に歩いて戻る時、Y字路に遭遇して、写真を撮った(右 北石堂町)。Yという文字の上半分のV、この角度によって、くさび形の敷地の尖端部分の処理の仕方が違うということは容易に想像がつく。

このような敷地に建物を計画する場合、敷地をできるだけ有効に利用することと、建物を構造的に、そして平面計画的にも成立させるということとがせめぎ合う・・・。単なる空地とか、花壇のような処理ではなくて、出来るだけ先っちょまで攻めて欲しいなあ。たい焼きだって、シッポの先まであんこが詰まっていたほうがうれしいじゃないか。これは、関係ないか。

360
東筑摩郡山形村 撮影日:2010.06.12

Y字路に火の見櫓が立っていることもあるが、前述したことの意味は後ろの建物をもっと先まで攻めて、火の見櫓を建てるスペースが無いようにして欲しいということだ。

街歩きをすれば、Y字路に遭遇することも多いだろう。そこを観察すれば、おもしろいだろうな。火の見櫓は地図では探せないけれど、Y字路は探すことができる。道路は地図の最も基本的な情報だから。

これは、沼りそう。既に沼ったかも。まずは何か所か観察することから始めよう。それから『Y字路はなぜ生まれるのか?』を読まなきゃ。

 
小倉の旦過市場の近くのY字路 2025.01.10(左)と長野の北石堂町のY字路 2025.01.19(右)


 


善光寺界隈で繰り返しの美学

2025-01-20 | B 繰り返しの美学

 以前はたびたび取り上げていた「繰り返しの美学」。このところその頻度はぐっと落ちて、今回は2023年12月以来、およそ1年ぶり。

建築の構成要素そのもののデザインには特にこれといった特徴が無くても、それを直線的に、そして等間隔にいくつも配置すると、「あ、美しいな」とか、「整っていて気持ちがいいな」とか、そういった感情を抱く。このような経験は私だけの個人的なものではないだろう。シンプルなルールによって、ものが秩序づけられた状態・様子を脳が歓迎しているのだ。

建築構成要素を直線状に等間隔に並べるとそこに秩序が生まれ、それを美しいと感じる。これを私は「繰り返しの美学」と称している。と、ここで繰り返しの美学の復習をしたところで、善光寺界隈で出会った繰り返しの美学の紹介。







繰り返しの美学的外観 


 


読書@善光寺仲見世通りのスタバ

2025-01-20 | A 読書日記

 
 建物の全形を入れようと広角で撮ると、歪む。そうか、こんな時はスマホで撮ってあおりの操作をすればいいんだ。今ごろ気がついた。これからはそうしよう。

19日の善光寺参りではよく歩いた。スマホのデータによると11,856歩。朝、篠ノ井でも歩いたから。お参りしてから、仲見世通りのスタバで休憩。和の空間でなかなか居心地が良かった。


一人で出かけるときは必ず本を持っていく。善光寺参りには藤沢周平の連作長編『天保悪党伝』(新潮文庫2001年11月1日発行、2022年6月10日34刷)を持って行った。スタバで小一時間読んだ。行き帰りの電車でも読んだから、6編のうち、4編を読み終えた。

藤沢作品は好きでよく読んだが、この作品は読んでいなかった。積読状態が解消されたら、また藤沢作品を読むのも好いかも・・・。