透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2025.02

2025-02-28 | A ブックレビュー

480
 「少年老い易く学成り難し」この言葉を実感している。

2月の読了本は9冊。うち、7冊が単行本で新書が1冊もない。珍しい。

「お静かに!」の文化史 ミュージアムの声と沈黙をめぐって』今村信隆(文学通信2024年)
ひとり静かに対峙したい作品もあれば、同行者とあれこれ感想などを語りながら鑑賞したい作品もあるということになんとなく気がついてはいた。本書を読んで私なりにそのことがはっきりした。

諏訪の神 封印された縄文の血祭り』戸谷 学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)
諏訪は深い。それはなぜ? ドキュメンタリー映画「鹿の国」を見たことにより、「諏訪学」を勉強したくなり読んだ。

古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会 編(人間社文庫 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)
同上。

狛犬学事始』ねず てつや(ナカニシヤ出版1994年1月20日初版第1刷発行、2012年6月10日初版第7刷発行)
狛犬と括られる一対の獅子と狛犬。両聖獣の違いは口の開閉、角の有無、体の色。それから設置位置の左右、そのどちらか。参道狛犬の大半は石造で体に色は付けられていない(例外はあるだろう。岡谷で見た参道狛犬は木造で着色されていた。過去ログ)。設置位置は両者の相対的な関係だ。像の固有の違いに注目するなら、それは口の開閉か角の有無。

このふたつの特徴の違いのどちらかで獅子か狛犬かを見分ける場合、著者は角の有無に着目し、角が有れば狛犬、無ければ獅子だと判断するとしている。角は制作時、設置時、設置後のそれぞれのフェーズで欠損してしまうことがあり得るのに、なぜ、角の有無なのか、その理由を本書から読み解くことはできなかった(読み落としてないないと思うが)。

言うまでもなく、前提が違えば、その後の論考から導き出される結論も違ってしまう。狛犬に角が必須であるなら、頭頂部にほぞ穴をあけ、別のパーツにした角を穴に差し込むという方法もある。この方法を採れば前述のようなトラブルに対処することができる。

ぼくは獅子と狛犬それぞれの顔の造形で、口の開閉が異なるから、それで判断する方が蓋然性が高いと思う。

イモと日本人 民俗文化論の課題』坪井洋文(未来社1979年12月25日第1刷発行、1983年1月31日第8刷発行)
稲を選んだ日本人』坪井洋文(未来社1982年11月25日第1刷発行、1983年2月15日第4刷発行)
弥生は稲作社会という単一的な捉え方ではなく、稲作と畑作は等価値であって両者が互いに影響を及ぼしあっているとみなければならないという主張。

Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社2024年10月23日初版、2025年2月10日3刷)
Y字路に関することを、もれなく網羅的に、そして論理的に論じている。すばらしい!文章は硬くなく、楽しく読むことができた。

「戦後」を読み直す』有馬 学(中央公論新社 中公選書2024年)
内容をきちんと理解することができなかった・・・。専門用語が使われているわけでもないが。

青い壺』有吉佐和子(文春文庫2011年7月10日新装版第1刷、2025年2月15日第34刷)
帯に累計70万部突破!!とある。およそ50年前に発表された作品が今よく読まれている。人間模様の「あるある描写」故か・・・。
松本清張の短編推理小説にありそうなラスト。


積読解消に向けて、3月も読む。


積読状態解消せず

2025-02-28 | A 読書日記


2025.02.28

 3減3増。なかなか積読状態から抜け出せない。左が2月の読了本。右が未読本。4冊まで減ったが、2月25日に4冊増えて8冊になった。

諏訪についてもう少し勉強しようと買い求めた『諏訪学』。版元で品切れ。希少本とかで、ずいぶん高かった。太平洋戦争関連本を読むことにしているので買い求めた『日本軍兵士』と『続・日本軍兵士』。

昨年(2024年)は安部公房を読んだ。今年も一人の作家の作品を集中的に読もうと思っていたが、一人に絞り込むことができなかった。で、作家を決めないで「読まなきゃ本」を読むことにした。まず浮かんだのが三島由紀夫の『金閣寺』。三島由紀夫の作品について、2021年1月2日のブログに、**ぼくは『金閣寺』(過去ログ)だけでいいなぁ。** と書いている。『金閣寺』を読む前に読んでみようと思ったのが『金閣を焼かなければならぬ』。著者の内海 健氏は精神科医。

積読状態が長いのは『鋳物』。高校の同級生IT君に薦められていた『日米戦争と戦後日本』五百旗頭  真(大阪書籍1989年)を読み、他の著書も読みたいと買い求めた『日本の近代6 戦争・占領・講和』。それからやはり太平洋戦争関連本の『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』。もう1冊、上坂冬子氏の『生体解剖 九州大学医学部事件』。遠藤周作の『海と毒薬』でも取り上げられた事件。

当然だけど、早く読みたい本ばかり・・・。


 


「青い壺」を読む

2025-02-27 | A 読書日記

 有吉佐和子の作品で、まず浮かぶのは『恍惚の人』と『複合汚染』。それから『華岡青洲の妻』。

280
毎日新聞(2025.02.22付)の書評面に載っていた文庫ベストセラーの3位は有吉佐和子の『青い壺』だった。先日、この作品を読んだ。有吉佐和子の作品を読むのは『非色』以来2年半ぶり。

ある陶芸家の焼いた青磁の壺が映し出す様々な人間模様を描く13編の連作短編集。売られ、盗まれ、スペインまで行った青い壺が再び日本に戻り、最後に作者の陶芸家が再び目にすることに・・・。

連作の最後は、巡り巡ってスペインに渡った壺を買い求め、日本に持ち帰った美術評論家の元を訪ねた陶芸家がその壺は十年余り前に自分が焼いたものであることに気がつく。しかし評論家は**「うむ。名品だよ。南宋浙江省の竜泉窯だね。十二世紀でも初頭の作品だろう。(後略)**(326頁)というストリー。 

松本清張が短編推理小説で書いていそうな展開だ。この陶芸家は骨董屋に請われるままに焼いた陶器に古色をつけ、江戸初期の骨董づくりに手を染めているというのだから、清張。

それにしても有吉佐和子は、人間模様を実にリアルに描くことができる作家だったと思う。この連作短編集然り。50年近く前に発表された作品だが、今また読まれているというのも、この辺りにその理由がありそうだ。

再読するなら『華岡青洲の妻』かな。


 


「「戦後」を読み直す」を読む

2025-02-26 | A 読書日記


『「戦後」を読み直す』有馬 学(中央公論新社 中公選書2024年)

 この本の書評を日本経済新聞(2024年11月16日付)の書評面で読み、買い求めて読んだ。今年(2025年)は太平洋戦争の関連本を読もうと思っているので。

読み終えたが、書かれている内容が理解できなかった。特に難しいことが書かれているわけではなかったが、意味が分からないことば、表現・・・。ぼくに内容を理解する知識、能力がないということだ。ということは、あまり関心がないテーマだったともいえる。やはり本は書店で内容を確認してから買い求めるべきだ。だが、残念ながら、新聞の書評面で取り上げられている本が書店にないことも少なくない。

360
いつも本を読んでいて、なるほど、と思う箇所には付箋を貼る。

それが、この本では以下の2か所だけだった・・・。

**後世の研究者に、その時代の日本社会を描くのならこれがいい史料になると教えたくなるような、そんな本に出くわすことがある。そのような本を読み直すことを通して、「戦後」を再考してみたい。**(6頁) これが本書の方法と意図。

**本書の仕掛けは、かつて私が読んだ本をかなりの時間を距てて再読することで、その間の時間的距離の測定を試み、それを通して私自身が生きた時代を歴史としてとらえ直すという、かなり面倒でひねくれたものだ。そう考えたときに取り上げるべき本は、書かれた時代として「戦後」のある時期が濃密に、あるいは特徴的に反映されており、なおかつそれは私が同時代人として生きた時間に重なっており、さらに刊行された時代に私が読んでなんらかの影響を(正負いずれにしても)受けたものである。**(231頁 文中の下線は私がひいた)

この文章の後段の意味は分かる。よく分からないのは前段。時間的距離の測定って、具体的にはどうすることなんだろう・・・。時間的距離という表現ははじめて目にしたのではないかな。測定ということはその対象が「もの」として存在する場合には明快だけれど、この場合は? 

繰り返す。ぼくにはこのような表現、内容を理解する知識、能力がない・・・。

日経新聞に掲載されたこの本の書評からはじめの部分を引く。**敗戦の年に生まれた歴史家が、同時代の定説に抱いた違和感の原因を探る。人生の折々に影響を受けた本を再読し、振り返ることで、戦後昭和を読み替える意欲作である。**

この文章の意味もよく分からない。では、なぜ書評を読んで、この本を読んでみようと思ったのだろう。





松本城太鼓門桝形

2025-02-25 | A あれこれ


太鼓門二の門(*1)(高麗門)


太鼓門桝形



太鼓門一の門(櫓門) 


玄蕃石と呼ばれる巨石 重量は約22.5トンとのこと。松本市の郊外、山辺で採れた山辺石、と聞く。


図中③は鵜首(うのくび)と示されている。この名称、知らなかった・・・。土橋の幅を絞っていることに今まで気がついていなかった。

やはり、太鼓門桝形を通って、二の丸にアプローチするのが好い。


*1 松本城では内側から外側へ一の門、二の門と、名前が付けられている。城によっては逆のこともあるようだ。


どうするY字路

2025-02-24 | A あれこれ


KYさん手づくりのチーズケーキ

適度な酸味があり、しっとりしていて、美味だった。このケーキを撮るとき、Y字路の▽敷地を意識してアングルを決めた。残余地を出さずに、建物をめいっぱい建てるとこんな感じになるかな。


2025.02.22

■ 既に書いたが『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社2024年10月23日初版、2025年2月10日3刷)を読んでY字路に興味を持った。Y字路の鑑賞(重永さんは観察ではなく、鑑賞ということばを使っている)の視点は本書に網羅的に示されている。

中町通りを歩いて松本市美術館に向かう途中で脇道に入って、このY字路に遭遇した。右側の道路の奥はまつもと市民芸術館。ここから左の細い道を通って、美術館まで5,6分だった。

このY字路は隅切りされているので、建物もそれに合わせるように、トンガリ角を落として壁面をつくっている(和室の柱も同様で角を落とす。これを面取りという)。建物にもっとトンガリ感があれば好いのだが・・・。

あまり広くない残余地には石碑の他に空調機の屋外機や青色や黄色の平型のメッシュパレットなどが置かれている。それから電柱(右)と引込み柱(左)と松本市の案内看板。どうしても分析的な見方をしてしまう・・・。ぼくは、Y字路にできる三角地がどのように使われているのか、その使われ方に興味を持った。その内、建物のプランも気になってきるかもしれない。

でも、しばらく分析的な見方をしないで、ただ鑑賞することにしよう。


国土地理院/地理院地図Vectorを用いて作成


 


長野県辰野町の石神・石仏

2025-02-23 | B 石神・石仏


長野県上伊那郡辰野町横川 2025.02.18

 辰野町横川には火の見櫓を見に何回も出かけている。今回(02.18)は石神・石仏を見るために出かけた。辰野町立川島小学校の少し奥に進んだところに石神・石仏が十数基横並びに祀られている(写真①)。

② 
右端に祀られた甲子塔と庚申塔(写真②)。庚申塔はあちこちで見かけるが、甲子塔はいままで見たことがなかった。裏面には昭和五十九年と建立年が刻まれている(写真③)。調べると、この年の干支(十干十二支)は甲子。知らなかったが、甲子塔にはオオアナムジ(オオクニヌシ)が祀られているとのこと。なぜ?

『古事記』に答えがあった。


オオアナムジはオオヤビコにすすめられて根の堅州国(ねのかたすくに)へ行き、スセリ姫と出会う。ふたりとも恋に積極的。恋に落ちて、即、ふたりは夫婦になった。この本は少年少女向けの古典文学集の一冊だから、このような表現になっているのだろう。余談だが、ぼくが好きな北 杜夫の小説『木精』にも**「今宵、ノッコと夫婦になった」という表現がある(新潮文庫1978年 82頁)。オオアナムジは後のオオクニヌシ(大国主)で因幡の白うさぎで有名だが、行く先々で恋に落ち、子どもが何人もいたという神様。

スセリ姫は父親のスサノウの命(みこと)にオオアナムジを紹介する。ろくでもない若造と見た父親はオオアナムジに意地悪をする。蛇がうようよいる部屋で寝るように命じたり・・・。で、一面の草野原に放った矢を取りに行かせ、野原に火をつける。

万事休す! このとき、ねずみが大きな穴を教え、中に入って火をやり過ごせばいいとオオアナムジに教え、救ってくれたのだった(以上『古事記』写真④を参考にした)。

このことから甲子塔は、ねずみに因んでオオアナムジ、後のオオクニヌシ(大国主命)が祀られているとされた、ということだ。なるほど。 


 


繰り返しの美学なY-cat

2025-02-23 | B 繰り返しの美学

 建築の構成要素を直線的に、そして等間隔にいくつも配置すると、「あ、美しいな」とか、「整っていて気持ちがいいな」とか、そういった感情を抱く。シンプルなルールによって建築構成要素が秩序づけられた状態を脳が歓迎しているのだ。



対象を建築構成要素に限定せず、広げても同様。ものを直線状に等間隔に並べるとそこに秩序が生まれ、それを美しいと感じる。このことを「繰り返しの美学」と称して時々ブログで取り上げてきた。


映画監督の山崎 貴さんデザインのキャラクター、Y-catによる繰り返しの美学@松本市美術館2Fホール 2025.02.22

Y-catの姿かたちは同じでも色が違うから、繰り返し度は低下するけれど、その分、楽しさが増す。

いいなぁ 繰り返しの美学なY-cat ニャン 


 


スッキリ! 

2025-02-22 | A あれこれ

BEFORE


撮影日:2024.10.09

迷うことなく、天守に行くことができるような案内表示でなければいけないのに、この表示では戸惑う。伝えなくてはならない情報を整理して、できるだけシンプルに分かりやすく表示して欲しいなぁ。

2024年10月11日、このようにブログに書いた。昨日(02.21)松本城に行くと、案内看板は下のようになっていた。 

AFTER


スッキリ! 撮影日:2025.02.21

行先の天守に向けて案内看板を設置してるのは分かりやすく、好ましい。

看板については、分かりやすさと美観との兼ね合いも考慮してデザインを決すべきではないか。
・看板の大きさや仕様
・表示すべき内容やその表現方法(文字、サイン)
・文字の大きさやフォント、色など

大きく書かれている「天守入口」表示は天守が真正面に見えているのだから、➨ があれば無くてもよいのでは。

この案内看板で、何を伝えたいのか。日時指定チケットは左側、そうでないチケットは右側、ただそれだけでは。このことを分かりやすく、2つの看板に表示すれば足りる、と思う。チケットには紙チケットと日付指定ありの電子チケット、日付指定なしの電子チケットの3種類あるから、案内看板を3つ立て、チケットと1対1に対応させて、分かりやすくするという対応もあり、だと思う。

情報看板はシンプルに分かりやすく、そして美しく。





嬉しい記事が載った

2025-02-21 | A あれこれ

松本城の案内看板は分かり難い

以下の記事を2024年10月11日に書いた。


迷うことなく、天守に行くことができるような案内表示でなければいけないのに、この表示は戸惑う。伝えなくてはならない情報を整理して、できるだけシンプルに分かりやすく表示して欲しいなぁ。


徒然草第52段の「仁和寺にある法師」の教訓は松本城にもあてはまる。

次のような趣旨の記事を2025年2月6日に書いた。

松本城に行ったものの、太鼓門を通る本来の登城ルートの魅力的なシークエンスを味わうことなく、天守を観ただけで帰ってきてしまった・・・。海外からも大勢の観光客が松本城に来ているのに、「仁和寺にある法師」のようなことになってしまっている。松本市は太鼓門桝形から二の丸に入り、黒門桝形を通って本丸、天守に至る本来の登城ルートを観光客にきちんと伝え、自然に足がそのルートに向くようにすべきではないか。


太鼓門二の門(高麗門)


太鼓門一の門(櫓門)




松本城の案内看板と登城ルートについて常々思っていることをブログに書いたが、これに関連する記事が「松本城の案内看板 統一へ 来訪者の動線 見直しも」という見出しで2月18日付の市民タイムスに載った。

分かり難い案内看板については、**異なるデザインや大きさ、材質の案内看板が乱立し、統一性に欠いている現状を改善するため(後略)**と記事のリード文にある。多言語化や子どもにも分かりやすい案内看板の在り方も考えていく、という担当課長のコメントも載っている。

また、登城ルートに関して**動線の見直しでは、松本城天守への本来の登城路である太鼓門から史跡内に入る動線を正規ルートにできないか検討する。**と記事にある。

これは嬉しい記事だ。ぼくは外堀の南側の土橋(明治24,5年に造られた)も撤去すべきではないか、と考えている。元々無かった土橋も撤去しなくては、外堀を復元するという計画に整合しないから。だが、残念ながらこれは無理のようだ。緊急車両が二の丸へ入る進入路が他にないということ、二の丸が避難広場になっていることがその理由らしい。

太鼓門に至るルートの歩道も改修が必要だ。観光客が自然に足を向けるような魅力的な歩道に是非していただきたい。更に、市役所新庁舎の建設計画に伴い、空地となる現在の市役所本庁舎の敷地の利用計画についても、上記のことと関連付けて、整備計画を立てていただきたい。ぼくはデザインの力を信じている。


空地となる現在の市役所本庁舎の敷地の利用計画について、アイデアがあるので、記事にしたいと思っている。


「Y字路はなぜ生まれるのか?」を読む C6

2025-02-20 | A 読書日記


 「ヤバ! Y字路に沼るかも・・・」という記事を1月20日に書いた(過去ログ)。

Y字路に興味を持ったきっかけは、昨年末だったかと思うが、書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社)を目にして、掲載されていたY字路のカラー写真を何枚か見たことだった。それ以来、Y字路が気になるようになって・・・。先日、本書を買い求めて読んだ。


小説を読んでいても、登場人物の名前が覚えられない。それから、例えばブルーバックスのような自然科学系の本を読んでいても専門用語が頭に入らない。このように記憶力が低下して、メモを取りながら読むようにしている。速記に近いような書き方だから、後になると自分でも読めない文字がある(と断っておくことにしよう)。

著者の重永 瞬さんは、まずY字路の定義を示す。それは「Yのかたちをした交差点」というもの。このような純粋なY字路はそう多くはないとのことで、トやXのような鋭角な交差点も広義のY字路として取り上げる、としている。

次に重永さんが示すのはY字路鑑賞の3つの視点。それは路上の目、地図の目、表象の目。次のように視点ごとにそれぞれ章立てして、Y字路を鑑賞している。

一章  Y字路へのいざない
二章  Y字路のすがた  ――  路上の目 
三章  Y字路はなぜ生まれるのか  ――  地図の目
四章  Y字路が生むストーリー  ――  表象の目
五章  Y字路から都市を読む  ――  吉田・渋谷・宮崎
六章  Y字路とは何か  

実におもしろい内容。たとえば二章は、Y字路のすがたの路上観察について。本書のカバー写真のようなY字路の角地がどのように使われているのか、何か所も(*1)観察・分析している。この章の各節の見出しを挙げればその内容が分かるだろう。

1  Y字路の角には何がある?
2  表層 ―― 角はY字路の顔である
3  角オブジェ ―― 角地の役者たち
4  残余地利用 ―― 「余った」からこその空間利用
5  角地のマトリックス
6  Y字路の角度は何度が理想か?
7  角壁面の長さ
8  Y字路の調査票

三章の「 Y字路はなぜ生まれるのか」はY字路の形成要因に関する論考。重永さんは地理学を研究する京大の大学院生とのこと。本書は平易で柔らかな文章で書かれてはいるが、はじめにきちんとY字路の定義と本書の全体の構成が示されているし、論拠を示しながらなされる分析的な論考は論文のようだ。角地の使われ方は建築学を専攻する学生の研究テーマとしてもおもしろいだろう。


これからは、本書をテキストに、Y字路の角地、Yの上のVの部分がどのように使われているか、観察してみたい。


塩尻市大小屋 2025.02.18 
旧中山道(左)と国道153号(右)から成るY字路(五差路)

角はY字路の顔、ということで「角壁面」に看板が設置されている。「残余地」の「角オブジェ」は庚申塔や道祖神、蠶玉大神などの石仏・石神。


松本市城西 2025.02.16
木造の軸組構法(工法とは異なる概念)ではなかなか大変な仕事

**あくまで個人的感想だが、駐輪場や駐車場になっている角地は、あまりおもしろみを感じない。角地に建物がないと、Y字路特有のとんがり感は味わえない。私としては、建物が建て詰まったY字路のほうが嬉しい。**(67頁)と、重永さん。全く同感。このことについて、1月20日に次のような記事を書いた。

**単なる空地とか、花壇のような処理ではなくて、出来るだけ先っちょまで攻めて欲しいなあ。たい焼きだって、シッポの先まであんこが詰まっていたほうがうれしいじゃないか。これは、関係ないか。**


*1 何カ所、何箇所 何ヶ所 どれが一般的なんだろう。カとヶは、3カ所、3ヶ所のように算用数字に付ける時は使うかもしれないが、見た目が好きではないので、これからは「か」と「箇」を意識的に使いたい。


 


「稲を選んだ日本人」を読む

2025-02-18 | A 読書日記


『稲を選んだ日本人 民俗的思考の世界』 坪井洋文(未来社1982年11月25日第1刷発行、1983年2月15日第4刷発行)を読んだ。本書には『イモと日本人』以降の論文が収録されている。どちらか1冊を読んで済ませるという訳にはいかない。

稲作民的農耕文化(イネ文化)と畑作民的農耕文化(イモ文化)。イネ文化を中心的文化、イモ文化を周縁的文化と位置付けられることが一般的だ。イモ文化が価値的劣位に置かれている。坪井氏は両文化を等価値なものとして位置付けなければならない、と一貫して主張している。

弥生時代は両文化で綯(な)われた縄のような複合的文化なのだろう。ぼくはそのようなイメージを抱いた。

**少なくとも日本の農耕を基盤とした民俗文化には、稲作民的農耕文化と畑作民的農耕文化があり、その両極を挟んで、無数といってよいほどの人々による長い歴史を通しての、主体的選択と支配的強制とがあったこと、その事実の存在そのものが農耕を基盤とした民俗というものであったことを主張しなくてはならない。**(223頁)

坪井氏は次のようにも書いている。実に手厳しい指摘だ。

**おそらく多くの民俗研究者は、筆者が指摘している点に関して、すでに疑問を抱き続け苦悩してきたと考える。しかし研究者が組織化され、組織によって認定された公式がいったん定着してしまうと、よほどの勇気がある者でない限り、公式に対する批判なり反仮説を提唱することはむつかしい。学問の停滞と形骸化、腐敗はそこから生まれてくるのである。**(223,4頁)

天孫の瓊瓊杵尊が降臨した時、稲作が地上にもたらされた、と記紀神話にあるから、そこを源流とする稲作単一文化論の流れが観念としてできていて、民俗学は、その流れに乗ったということもあるのかもしれない。


このところ読書は二減二増、二減三増で、積読状態が解消しない。『イモと日本人』と『稲を選んだ日本人』を読み終えたが『Y字路はなぜ生まれるのか?』と有吉佐和子の『青い壺』(文春文庫)が増えた。


 


「イモと日本人」を読む

2025-02-15 | A 読書日記


 速読で事足りる流動食のような文章で書かれた本もある。よく噛まないと食べることができないような読み応えのある本もある。『イモと日本人 民俗文化論の課題』坪井洋文(未来社1979年12月25日第1刷発行、1983年1月第8刷発行)は後者。

本書は、松本市内の古書店・想雲堂で買い求めていた。しばらく積読状態だったが、ようやく読み終えた。本書の内容を帯の**単一文化論へのアンチテーゼ**というコピーが的確に表している。

「縄文時代と弥生時代はどんな時代だったか、簡潔に言うと?」 このような問いには、「狩猟採集の縄文、稲作の弥生」と答えるのでは。問うた人は「正解!」と発するだろう。著者の坪井氏はこの答えを否!として、そのことについて本書で論理的に、そして緻密に論考している。

稲作文化起源=日本文化起源論 再考

稲作文化を日本文化の起源と捉え、この単一文化が一元的に発展してきたという考え方に坪井氏は異を唱える。畑作農耕に注目し、水田稲作農耕と等価値があるものと捉えているのだ。

坪井氏は農耕の弥生時代起源論は『記紀』などを典拠とする神話を史実とする史観を肯定的に捉える側に力を与えてきたとし、それが学校教育によって補強されてきたことを指摘する。そして、更に次のように続ける。

**稲作を基盤とした単一文化の一元的発展という形で、単純に日本文化を稲作農耕文化と規定するばかりでなく、稲作にかかわる民俗諸現象の比較を通して、その原型をとらえるという志向を強め、変化の過程の追求に関する民俗的意味の認識が欠落しがちになり、文化の起源論や系統論といった、一義的目的と短絡する面を露呈することがあった。その結果、稲作農耕に先行する農耕技術の存在や文化要素の存在の可能性とか、複数の農耕文化を仮定する視点といった、文化の多様性を考える方向を、その方法自体のなかに持つことがなかったため、文化を構成する諸要素のなかに存在する、稲作農耕文化以外の要素は排除するか、最初から対象とはしなかったのである。**(204頁)

研究対象としてきちんと取り上げらて来なかった畑作文化、畑作儀礼。

坪井氏は稲の生産過程における多様な儀礼において、畑作儀礼的要素は特殊なもの、稲作儀礼の模倣、亜流として扱われた、と説く。「餅なし正月」、正月に餅を搗かなかったり、食べなかったりする行事に注目して、全国にこんなにもあると、数多くの事例を紹介する。餅が主役ではなく、主役はイモ。紹介されている事例やその理由(わけ)を読むと、なるほど、稲ではなく、イモもありなんだな、と納得する。

日本は稲の文化だけではない、イモの文化もある。それも稲と対等な文化として。稲作農耕文化と畑作農耕文化が相互に関係を持ちながら、日本文化を形成してきた、と。このような観点を持たないと日本の民俗文化の多様性を体系的に描き出すことはできない。

しばらく前に読んだ佐々木高明氏の『日本文化の多重構造』のテーマとも重なる論考。






口の開閉か、角の有無か

2025-02-13 | C 狛犬

■ 左右対称を好まない日本人の心性。左右対称形で伝わった寺院の伽藍配置をいつの間にか左右非対称に変えてしまった。長安の都市計画も左右対称だったが、それを手本にした平安京の左右対称の構成も次第にくずしてしまった。




日本最古の本格寺院といわれる飛鳥寺の伽藍配置(①)と法隆寺西院の伽藍配置(②)
「日本名建築写真選集4 法隆寺」新潮社より

やはり、日本人は左右非対称を好むようだ。日本人は月も元々満月ではなく、すこし歪な十三夜を愛でていたという。

狛犬も中国から伝わったが(仏教とともに伝わったということだから、6世紀中ごろ、飛鳥時代)、両方とも同じ姿の獅子だったということだ。その後の経緯をよく知らないが、左右違う姿になり、獅子と狛犬、別々の名前になった。左右対称、左右同じを好まない日本人の心性だろう、シンメトリーの中国からアンシンメトリーの日本へ、狛犬の姿かたちも変化した・・・。

先日読んだ『狛犬学事始』に、下のような一次元的な表が載っていた。宇治市内の22対(44体)の狛犬(獅子と狛犬をまとめて狛犬と呼ぶ)を調査して、頭の角の有無にによって獅子と狛犬に分類した表だ。

①阿・吽が、狛犬・狛犬 1例
②阿・吽が、狛犬・獅子 0例
③阿・吽が、獅子・狛犬  10例 
④阿・吽が、獅子・獅子  11例

上の表を下のように2次元的なマトリックス表にしてみた。断るまでもないが、表で口開は阿、吽は口閉は吽。


口の開閉と角の有無を縦軸と横軸にしてできる4マスに44体を振り分けた。狛犬の設置位置の左右も入れると3次元になるので、省略した。これには2体の位置関係という相対的な特徴より、個体そのものの特徴で判断しようという意図もある。

このマトリックス表で、口開で角無の獅子は右上のピンク、口閉で角有の狛犬は左下のピンクのマスに入る。これは獅子・狛犬を分ける一般的な視点による分類。

『狛犬学事始』の扱いでは、角が無けれは緑色の縦2マスに入る。この場合、口の開閉を考慮しなければ44体のうち32体が獅子で、角有は狛犬で左側の縦2マスで12体。一方、口を開いていれば獅子と判断する場合は、水色の横2マスに入る。結果、44体のちょうど半分の22体が獅子で残り22体が狛犬。

さて、この結果をどう判断するか・・・。

先に、左右対称の長安をモデルにした平安京の都市計画が次第に左右非対称、アンシンメトリーに変化していったこと、寺院の伽藍配置も同様であったこと、更に月を愛でるのも中国は満月、日本は元々、歪んだ十三夜だったことを述べた。

左右対称を好まない日本人の心性は獅子・狛犬にも反映されていると考えたい。心性は個々人のものではなく、日本人の総体としてのものだから、時代とともに変わるというようなことはないだろう。

そうであれば、どの時代においても、狛犬は2体同じではなく、特徴を変えて、違う動物に造形されていると考えるのが妥当ではないだろうか。このことから、獅子・狛犬はほぼ同数になると推測される。

ほぼ同数になるような視点をこの結果から逆に探す、ということもできるのではないか。表③から、獅子か狛犬かを見極める、そのような視点は口の開閉ということになる。


茅野市宮川 酒室神社 2023.06.04
開口角有、向かって右側設置の「獅子」

補足として、前稿から次のくだりを引きたい(少し加筆した)。**参道狛犬の多くは石造だ。石造では角は折れやすい。制作時、あるいは運搬時、施工時と折れてしまう可能性はどのフェーズでもある。角が折れてしまった狛犬を発注者が受け取らないケースが結構あったのではないか。瑕疵だと指摘されれば、つくり直さざるを得ないのでは。それで、石工は角をつくらないことも少なくなかった、とは考えられないだろうか。** 
また、狛犬(獅子・狛犬一対、の狛犬)は想像上の動物であるため、姿かたちはきちんと定まらない。従って、角が必須ということでもなかったのではないか。狛犬の姿かたちが多様なのも、このことに由るだろう。

以上のことから、ぼくは、獅子か狛犬か判断する場合、角の有無ではなく、口の開閉に依拠したい。


※ 最後の一文の通り、本稿は自分自身の判断根拠を自省するために書いたものであることをお断りします。


「狛犬学事始」を読む(改稿)

2025-02-13 | A 読書日記


『狛犬学事始』ねずてつや(ナカニシヤ出版)

広く浅く総論 狭く深く各論 
狛犬学事始』という書名から、ぼくは狛犬(獅子・狛犬2体まとめた呼称 以下同じ)の世界の入門書として、その世界を総論的に説いた本だろうと思って、内容を確認することなくネットで買い求めた。本書の奥付に1994年1月20日 初版第1刷発行、2012年6月10日 初版第7刷発行と記されていることから、よく読まれていることが分かる。

本書で扱われているのは主として宇治市の狛犬を中心に京都府南部の狛犬だった。エリアを限定して詳細に調べたものを全国的に統合することで、全体像を明らかにしようとする大きな構想があって、その事始ということと解するのがよさそうだ。著者、ねずさんは『京都狛犬巡り』『大阪狛犬の謎』という本も出しておられる(本書の帯による)。

本を読んでいて、「なるほど!」と思うことがよくある。書かれている内容について、知らなかったときや納得した時など。本書を読んでいて、なぜ、どうして? と思うことが何回かあった。やはり、マニアックな世界は他人(ひと)の理解の及ばないところにあるのだ。

研究対象は参道狛犬 
**「神社等の参道をはさみ、その両側に設置された一対の狛犬」を研究対象とする。**(10頁) 「え、どうして?」
研究対象を参道狛犬に限定し、神殿狛犬を取り上げないのは、なぜ? 

狛犬は仏教とともに仏の守護獣として大陸から日本に伝わったというから6世紀中ごろ、飛鳥時代のことだ。この頃は獅子一対、左右同じ姿だったようだ。それが獅子・狛犬という日本独自の組合せになっていくのは平安時代だという。獅子・狛犬のことは清少納言も『枕草子』に書いている。だが、紫式部は『源氏物語』に獅子・狛犬のことは書いていない。ぼくが読んだ現代語訳の記憶(もうかなり薄れてきているが)をトレースしても狛犬は登場してこない。

冗長になった。はじめ神社の狛犬は神殿内に置かれていた。それが時代が下るに従って、神殿の縁に置かれ、やがて神殿から完全に屋外に出て、参道に設置されるようになる。神殿狛犬から参道狛犬へ。

ねずさんは、なぜ、このプロセスの前半の狛犬を取り上げなかったのだろう・・・。先に書いたことを繰り返すが、マニアな世界は他人(ひと)の理解を越えたところにあるから、これは愚問とするしかない。

ねずさんは、神殿狛犬を研究対象としない理由を次のように書いている。**神殿の奥深くに眠っており、我々が簡単に接することができないのもその理由の一つだが、それ以上に「民衆の願い」を感じさせないのである。支配者か、それに近い人物の財力により、腕の立つ名人上手に造らせたものというイメージが強すぎるのである。**(17頁)

確かに神殿狛犬は簡単に接することはできない。近くで観察することもできない。ましてや寸法を測るなどということは到底無理。研究対象から外す一つの理由だと、ねずさん。

   
上の写真は、社殿の中をそっと覗いて、狛犬にズームインして撮った。これはマナー違反だろう。

角の有無 狛犬に角あり、獅子に角なし 
ねずさんは狛犬の角の有無について、**話を原点の戻し、単純化することにする。狛犬と獅子との違いを検討するから例外が出てくるのだ。**(102頁)ということで、**頭に角があるものを狛犬と言い、角がないものを獅子と言う(狭義)。**(103頁)としている。2体どちらにも角がなければ両方とも獅子ということだ。「でも、どうして?」


茅野市宮川の酒室神社 2023.06.04

角がどちらにも無くても、社殿に向かって右側に配置され、口を開けている阿形が獅子で、左側に配置され、閉じている吽形が狛犬だと一般的には言われている。でも、図③のように、そうでない場合があって、あれこれ考えるのが楽しいのに・・・。

図③の狛犬は向かって右側に設置され、阿形なのに、角がある。これを角があるから狛犬、とぼくは割り切れない。まあ、趣味の世界だから、人は人、自分は自分と割り切らなくてはいけないのだろう。人の世界をのぞき見て、自分との違いから、自省することはもちろん可。

角の有無だけで獅子か、狛犬かを判断するのなら、②は両方とも獅子なのだろうか。参道狛犬が対象であって、②のような神殿狛犬は対象外だから関係ないということなのだろうか? 

平安時代末期の成立と考えられている『類聚雑要抄』という書物がある。


国立国会図書館デジタルコレクションより

獅子・狛犬が図解され、簡潔に特徴が記されている。

左側(神殿に向かって右)獅子 色が黄色で口を開いている
右側(神殿に向かって左)狛犬 色が白く、口を閉じている 
図中には角について記されていない。


『諸職画鑑』北尾政美(鍬形蕙斎)1794年(寛政6年) 
 国立国会図書館デジタルコレクションより

江戸時代、寛政6年に刊行された『諸職画鑑』には③とは逆で、右の獅子に角があり、左の狛犬に角はない(代わりに宝珠がある)。このように判断するのは、獅子は向かって右で阿形、狛犬は左で吽形だということを前提にしているから。で、④の図では右の獅子に角あり、左の狛犬に角なし、となる。

角なしが獅子、角ありが狛犬と判断すると、右が狛犬、左が獅子で、阿形、吽形で判断するのとは逆になる。

ぼくは『類聚雑要抄』の図の獅子と狛犬の特徴の記述に注目したい。角の有無より、口の開閉で判断するのが妥当ではないか、と思う。

右か左かは混乱しやすい。社殿を背にして見るか、社殿に向かってみるかで左右逆になるので。だから、右か左かは必ず(社殿に)向かってというように注記する必要がある。本来は『類聚雑要抄』の図のように社殿から見た左右。 

参道狛犬の多くは石造だ。石造では角は折れやすい。制作時、あるいは運搬時、施工時と折れてしまう可能性はどのフェーズでもある。角が折れてしまった狛犬を発注者が受け取らないケースが結構あったのではないか。瑕疵だと指摘されれば、つくり直さざるをえないのでは。それで、石工は角をつくらなくなった、とは考えられないだろうか。だから、角の有無を獅子か狛犬かの判断根拠にするのは妥当ではないのではないか、とぼくは思う。このことについて、稿を改めて書きたい。

繰り返すが、右が獅子、いや獅子は左じゃないか、とあれこれ考えるのが楽しいのだ。

角の長さの計測 
ねずさんは狛犬の角の長さを測るという。『狛犬学事始』にそのベスト5を載せている。そう、この辺りがマニアなところ。ぼくは角の長さを測ろうとは思わない。そこまで関心が向かない。角の長さを把握してからの展開がイメージできない。第一、台座に登らないと角の長さが測れない場合が少なくない。これをするのは躊躇われる。脚立を持参されているのかも? さげ振りも持参されているとのことだから調査が本格的だ。他にも狛犬の全長とともに台座の寸法を測ったり、と、なんともマニアな調査。ぼくの場合は、まず、お参りして、狛犬をあちこち観察して写真を撮って、おしまい。

歯の観察から食生活を知る 
もっとマニアックなのは狛犬の歯を観察して、その形などから食生活を調べていること。これは凄いとしか言いようがない。

本書を読んで、さぼっていた狛犬めぐりを再開しようと思った。本書に詳述されていた尻尾をぼくもこれからはもっときちんと観察しよう。