透明タペストリー

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「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」を読む C5

2025-02-08 | A 読書日記


『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会  編(人間社文庫 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)を読んだ。

巻末に古部族研究会について、次のように紹介されている。**学生時代からの知り合いで、ともに藤森栄一の著作などから諏訪に関心を抱いていた田中 基と北村皆雄が新宿の喫茶店プリンスで意気投合し、野本三吉と合流して立ち上げた研究会。1974年7月に在地の研究者・今井野菊を訪ね、1週間泊まり込んで教えを乞うた伝説の糸萱合宿で本格的に始動。**(後略) 北村皆雄さんは話題のドキュメンタリー映画『鹿の国』のプロデューサー。

本書には古部族研究会の野本三吉、田中 基、北村皆雄、それから諏訪大社と関連する信仰の研究に邁進した今井野菊、藤森栄一に師事した考古学者の宮坂光昭、以上の5名が執筆した論考が収録されている。

以下、読んでいて付箋を貼った箇所からの引用。

**諏訪神社の文化というのは、洩矢民族を中心とした、いわば原始狩猟文化と、出雲系の建御名方命を中心とした、原始農耕文化の混合であり、その重層といえるのだが、そうであってもなお、山岳民族としての洩矢族の狩猟文化は、かなり色濃く、そして特異な形で現在まで続いているといっても過言ではないのである。**(「地母神信仰の村・序説」野本三吉 47頁)異文化の重層と混合。

**古代の諏訪の信仰も、〈石〉と〈木〉の崇拝でいろどられている。**(「「ミシャグジ祭政体」考」北村皆雄 72頁)
**〈木〉を伝って天降る精霊が〈石〉に宿り給うという古代観念は、山国諏訪も、海の彼方の南島においても共通しているようである。**(同上 78頁)
**人々は、大地にあらゆる力を凝集しようとしたのではないか。地面から直立する石棒、それに降りてきて宿る精霊、それによって大地が力を得て、新しい存在が生まれ出てくると信じていたのではないだろうか。**(同上 96頁)聖なる石棒と母なる大地との婚姻。

本書に収録されている宮坂光昭氏の「蛇体と石棒の信仰 ――諏訪御佐口神と原始信仰――」はなかなか興味深い論考だ。

この中で蛇が取り上げられ、日本原始信仰は、蛇の形から男根を、脱皮するその生態からは出産が連想されるために蛇を男女の祖先神(おやがみ)としたと思われるという説を紹介している。(138頁)そして、頭上にまむしを乗せた土偶の図を載せている。(139頁)

このくだりを読んで、縄文のビーナス(茅野市尖石縄文考古館)の頭部のうずまき(写真①)はとぐろを巻いた蛇ではないか、と思い至った。

縄文のビーナスを観た2015年6月27日に、このうずまきについて、次のように書いていた・・・。**頭の上部はなぜか平です。そこにうずまきがあります。このデザインの意図を作者に訊いてみたいです。なんとなく恣意的にこうしたのか、何か意味があるのか。意味があるとしたら、どんな? **




縄文中期(およそ5,000年前) 身長27cm 体重2.1kg 国宝(平成7年)


宮坂光昭氏は「蛇体と石棒の信仰」で次のように考察している。**蛇は生命力の強い、また繁殖力の旺盛な動物である。九月に穴に入り地中の暗い所で冬眠し、春には穴を出て活発に動きまわり、そして脱皮して成長してゆく。この姿を、古代の人々は、冬眠が理想的な物忌みの姿にみえ、春に穴から出た姿と見事な脱皮成長を、驚嘆すべき生命の更新現象とみたものに違いない。**(148頁)

宮坂氏は次のようにまとめている。**人間自身も蛇と同様な行為により、蛇と同じく物忌みと生命の更新ができると考えた、いわゆる類感呪術というものが諏訪神社の蛇体信仰になったものであろう。**(148頁)

映画『鹿の国』で再現された御室神事。なぜこの神事は冬に行わていたのか? 

御室神事はこの蛇の生態を模しているのか、それで冬なのか、なるほど!

出雲系の侵入神である建御名方神と八坂刀売神。その下の厚い古層の自然崇拝、自然信仰。蛇体信仰・石棒信仰・ミシャグジ。

諏訪は深い。


 


一向に減らない積読本

2025-02-07 | A 読書日記


2025.02.07


2025.01.29

■ リビングにちょこっと設えてある書斎コーナー。
その端っこに積読状態になっている本。
1月29日は6冊だったが(写真下)、2月7日現在9冊(写真上)。
一向に減らない積読本。


『狛犬学事始』ねずてつや(ナカニシヤ出版)を早く読みた~い。
『大江健三郎前小説全解説』尾崎真理子(講談社2020年 図書館本)も読まなきゃ。
うれしい悲鳴ってこんな時にも使うことができるのかな。


 


「諏訪の神」を読む C4

2025-02-07 | A 読書日記

360
『諏訪の神 封印された縄文の血祭り』戸矢  学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)を読み終えた。

論より証拠。さらに、証拠を以って論ぜよ。つまり、確たる証拠を示して、論考を展開していくこと。このようなことが本書が扱うようなテーマで、できるものだろうか、やはり無理なのだろうか・・・。

松本清張に『火の路』(文春文庫 2021年上下巻とも新装版第3刷)という長編小説がある。松本清張が飛鳥時代の謎の遺跡に関する自説を主人公、ある大学の史学科助手(助教)の若い女性に語らせる。酒船石や益田岩船、猿石など飛鳥の謎の石造物がペルシャ(古代イラン)に始まったゾロアスター教と大いに関係があるとする論考だが、大変おもしろく読んだ(初読は1978年7月)。

ぼくは、『諏訪の神』も『火の路』と同じように、ものがたりとして読んだ。本書の性急な結論出しも、ものがたりであれば気にはならない。大変おもしろかった。

原始農耕文化の弥生のモレヤ神と狩猟文化の縄文のミシャグジ。これが混合・重層していた諏訪。そこに入り込んできた建御名方神と八坂刀売神。諏訪信仰は縄文の古層にまでつながっている・・・。

やはり諏訪は深い。**弥生時代以降に成立した神道と、それ以前に縄文時代から連綿と続く土俗信仰が共存併存、あるいは融合混合して、なんとも不可思議な状態にある。**(1頁 )と著者の戸矢氏は諏訪についてまえがきに書いている。戸矢氏はこのような状態にある諏訪の縄文の神・精霊に迫る。

縄文人の自然を畏怖する心、自然を崇拝する心がミシャグジをいう精霊を生み、それを巨石や巨木に託した。本書を読んでぼくはこのように理解した。

戸矢氏はミシャグジはミサクチだろうとし、その意味を「境目」、「割く地」と解して、諏訪湖が巨大断層の真ん中にできた臍であることから、ミシャグジを地震の神であろうとしている(171頁)。

第五章の「「縄文」とは何か」では、「巨大断層を封じる諏訪の神」「「まつり」の本質は「祟り鎮め」」「神が宿るもの」などについて論じられる。この中では「巨大断層を封じる諏訪の神」がおもしろかった。

**断層の中心に鎮座して大地を押さえ込む大いなる力、あるいは二度と大災害が起こらないよう祈りを込めてここにいざなわれた強力な神・建御名方神。**(185,6頁)
**諏訪を中心に、とりわけミシャグジ信仰が目立つのは、その大地震によって出現した奇岩巨石への畏敬があったからだろう。**(186頁)

戸矢氏も本書で触れているが、諏訪は大きな断層が交叉しているところだ(過去ログ)。大きな地震が縄文人も弥生人も、その前も後もいつの時代の人たちも驚かせただろう。もちろん現代人も。自然への畏怖、地震に対する恐怖感。

建築工事や土木工事に着手する時に行われる「地鎮祭」。この神事を執り行う現代人のこころは古代の人たちのこころと同じなのだろう・・・。


280
『神と自然の景観論』野本寛一(講談社学術文庫2015年第7刷発行)

この本が『諏訪の神』の第五章の参考資料として巻末のリストに掲載されている。ぼくはこの本を2020年9月に読んだが、興味深い内容だった。

**日本人はどんなものに神聖感を感じ、いかなる景観のなかに神を見てきたのだろうか。(中略)古代人は神霊に対して鋭敏であり、聖なるものに対する反応は鋭かった。「神の風景」「神々の座」は、常にそうした古代的な心性によって直感的に選ばれ、守り続けられてきたのである。**(6頁)



『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)
『諏訪の神』を読んだだけでは、深い諏訪を理解することは到底できない。この類書を読むことにした。それから更に「諏訪」に入り込むかは未定。


 


松本城 本来の登城ルート

2025-02-06 | A あれこれ

徒然草第52段の「仁和寺にある法師」の教訓は松本城にもあてはまる。


 現在、松本城の二の丸にある旧松本市立博物館の解体工事が行われている。工事に伴い、外堀南側の土橋を成型鋼板で仕切って資材搬入・解体材搬出などのための通路が確保され、松本城を訪れる観光客用の通路がかなり狭くなっている(写真①)。このため、この通路を通らず、本来のルートへ迂回することをすすめる案内板が設置されている(写真②)。


本来の登城ルート 太鼓門を通ってみませんか?

外堀南側の土橋は元々無く、大名小路(現在の大名町通り)から外堀東側の土橋へ。太鼓門桝形を抜けて二の丸へ入るのが本来の登城ルートだった(写真③)。

現在、ほとんどすべての観光客は大名町通りを北端の交差点まで進み、からそのまま真っ直ぐ土橋(明治24,5年に造られた*1)を通って二の丸へ行く(写真①)。だが、写真③に赤いラインで示されている本来のアプローチをしないと空間構成がよく理解できないし、配置の意図、演出(*2)も分からない。




太鼓門二の門(高麗門)


太鼓門一の門(櫓門)


太鼓門桝形

外堀東側の土橋を通り、太鼓門桝形を構成する太鼓門二の門を潜り、太鼓門一の門(櫓門)へ。


太鼓門を通って、二の丸庭園に至る。これが本来の登城ルートだが、もともと無かった外堀南側の土橋がこのルートをショートカットしてしまっている。


土橋から黒門二の門(高麗門)を見る。門の奥、左側が券売所。


黒門一の門(櫓門)


観光客は本来の登城ルートの魅力的なシークエンス(視点の連続的な移動に伴って変化するシーン。回遊式庭園はその実例)を味わうことなく、内堀の土橋を通り、黒門一の門(写真⑧)、券売所から黒門櫓門(写真⑨)を抜けて本丸の天守(写真⑩)へと移動する。全く以て、残念というほかない。


撮影日:2017.04.17 左下の太鼓門を通るのが本来の登城ルート 右側後方に常念岳他、北アルプスの峰々が見えている

さて、徒然草第52段の「仁和寺にある法師」。

仁和寺のある僧が年取るまで岩清水八幡宮を参拝したことがないことを残念に思っていた。ある日、徒歩で出かけた。だが、山の麓の付属の寺・極楽寺とその隣の社・高良を参拝しただけで、山の上にある肝心の岩清水八幡宮を参拝することなく帰ってきてしまった・・・。

松本城に行ったものの、太鼓門を通る本来の登城ルートの魅力的なシークエンスを味わうことなく、天守を観ただけで帰ってきてしまった・・・。

松本市では大正8年に埋め立てられた(*1)外堀の南・西側の復元事業を進めている。外堀を元の姿に戻すために。ならば、元々無かった土橋も撤去すべきではないか。そうすれば、皆、本来の登城ルートで天守に向かうことになるから、上記のようなことは起きようがない。それが、観光客に対する配慮、ということになるだろう。


*1『松本城のすべて』「松本城を世界遺産に」推進実行委員会  記念出版編集会議(信濃毎日新聞社)による。
*2『松本景観ルネッサンス』(2014年)で、著者の溝上哲朗さんは天守へのアプローチ動線の計画で、内堀の土橋まで来て、初めて常念岳、北アルプスの景観を目にすることができるという演出をしているということを説いている。実に説得力のある論だ。


**その光景は本丸御殿にあと一歩までまでたどり着いたものへの最後のサプライズだったのである。**(16頁 写真①) 過去ログ


 


朝カフェ読書「諏訪の神」 C4

2025-02-04 | A 読書日記

 週2回くらいのペースでしている朝カフェ読書@スタバ笹部店。

朝の店内にはパソコンに向かう人、ぼくと同じように本を読む人がいる。同じようなことをする人たちが占めるスタバの空間。そこに、なんとなくみんな繋がっているというような仲間意識を感じる。店内のデザインがモダンですっきりしているところもぼくの好み。

読み始めたのは『諏訪の神』戸谷  学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)。今話題のドキュメンタリー映画「鹿の国」を観て、諏訪のことを知りたい、と。

御柱って何? 映画にも出てきたミシャクジって何? 御頭祭って? 御贄柱って? ・・・? 


映画「2001年宇宙の旅」にこんなアングルで撮った宇宙船がゆっくり進んでいくシーンがあったような気がする。宇宙船じゃなくて、モノリスだったかもしれない。


敢えて影を入れて撮った。これでコンパクトカメラをどう構えているのか分かる。 C形にした左手の人差し指と中指でカメラをがっちりホールド。右手で縦に構えたカメラの右下をホールド。両脇を絞めて手振れを防いで、右手の人差し指でシャターボタンを押す、って横道にそれちゃった。

*****

この本を読むだけでは、深い諏訪のことは分からないし、記述内容がどうなのかも判断できない。類書を何冊か読まなくては・・・。こうして「読まなきゃ本」が増えていく。


 


『「お静かに!」の文化史』を読む C3

2025-02-02 | A 読書日記


『「お静かに!」の文化史』今村信隆(文学通信2024年)を読み終えた。

「ミュージアムの声と沈黙をめぐって」というサブタイトルにあるように、本書で著者の今村氏は美術館で作品を鑑賞するときの相反する二つの欲求、「静かに鑑賞したい」、と「誰かと語りあいながら鑑賞したい」に関する論考を展開している。なるほど、こういうテーマも研究対象になるんだ、読み始めてまずそう思った。

今村さんはこのテーマに関する既存の論をいくつも示しながら、丁寧にじっくり議論を進めている。


本書の内容については横着をしてこの写真を載せるだけにする。

**熟視し、黙想し、芸術作品の深みへと沈潜していくこと。
  対話し、ときには笑い合い、隣にいる人たちとのコミュニケーションを含めて作品を楽しむこと。
  人は、その両方を求めてきたし、現在も求めているのではないか。芸術作品はこれまでその両方
  の求めに応じてきたし、現在も、そして未来も、応じ続けていく力を備えているのではないか。**
引用したこの部分は、はじめにで書かれ(7頁)、第7章  声と語らいの価値で繰り返されている(292頁)。本書で今村さんが主張したかったことだろう。


本書で今村さんは上掲した2冊の本、『古寺巡礼』(岩波文庫1979年)と『大和古寺風物誌』(新潮文庫1953年発行、2002年76刷)を取り上げ、ふたりの仏像の捉え方が違うことについて言及している。和辻哲郎は仏像を美術作品として鑑賞しようとし、亀井勝一郎はあくまでも仏像を礼拝するものとして接していると。

ふたりの間には仏像に対する基本的な態度の違いがあるけれど、どちらの場合でも、仏像には静粛の雰囲気が漂っていると、今村さんは指摘している。なるほど。

本書読了後に考えたのは、「静寂」か、それとも「語らい」か、ということについては、芸術作品が鑑賞者に求めるということもあるだろう、ということだった。

例えば黒田清輝の「湖畔」(東京国立近代美術館で開催された「重要文化財の秘密」展にて2023年4月)は鑑賞者に静寂のなかでじっくり対峙して鑑賞することを求めるだろう。同じ絵画でも、例えばジョアン・ミロの作品はそうではなく、語らいを歓迎するのではないか・・・(*1)。

例外はもちろんあるだろうが、インスタレーションも同行者がいれば、作品について語らいながら鑑賞することを歓迎するだろう。


*1 東京都美術館で3月1日からミロ展が開催される。ぜひ行きたい。ミロの作品がどう反応するのか確かめたい。