■『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会 編(人間社文庫 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)を読んだ。
巻末に古部族研究会について、次のように紹介されている。**学生時代からの知り合いで、ともに藤森栄一の著作などから諏訪に関心を抱いていた田中 基と北村皆雄が新宿の喫茶店プリンスで意気投合し、野本三吉と合流して立ち上げた研究会。1974年7月に在地の研究者・今井野菊を訪ね、1週間泊まり込んで教えを乞うた伝説の糸萱合宿で本格的に始動。**(後略) 北村皆雄さんは話題のドキュメンタリー映画『鹿の国』のプロデューサー。
本書には古部族研究会の野本三吉、田中 基、北村皆雄、それから諏訪大社と関連する信仰の研究に邁進した今井野菊、藤森栄一に師事した考古学者の宮坂光昭、以上の5名が執筆した論考が収録されている。
以下、読んでいて付箋を貼った箇所からの引用。
**諏訪神社の文化というのは、洩矢民族を中心とした、いわば原始狩猟文化と、出雲系の建御名方命を中心とした、原始農耕文化の混合であり、その重層といえるのだが、そうであってもなお、山岳民族としての洩矢族の狩猟文化は、かなり色濃く、そして特異な形で現在まで続いているといっても過言ではないのである。**(「地母神信仰の村・序説」野本三吉 47頁)異文化の重層と混合。
**古代の諏訪の信仰も、〈石〉と〈木〉の崇拝でいろどられている。**(「「ミシャグジ祭政体」考」北村皆雄 72頁)
**〈木〉を伝って天降る精霊が〈石〉に宿り給うという古代観念は、山国諏訪も、海の彼方の南島においても共通しているようである。**(同上 78頁)
**人々は、大地にあらゆる力を凝集しようとしたのではないか。地面から直立する石棒、それに降りてきて宿る精霊、それによって大地が力を得て、新しい存在が生まれ出てくると信じていたのではないだろうか。**(同上 96頁)聖なる石棒と母なる大地との婚姻。
本書に収録されている宮坂光昭氏の「蛇体と石棒の信仰 ――諏訪御佐口神と原始信仰――」はなかなか興味深い論考だ。
この中で蛇が取り上げられ、日本原始信仰は、蛇の形から男根を、脱皮するその生態からは出産が連想されるために蛇を男女の祖先神(おやがみ)としたと思われるという説を紹介している。(138頁)そして、頭上にまむしを乗せた土偶の図を載せている。(139頁)
このくだりを読んで、縄文のビーナス(茅野市尖石縄文考古館)の頭部のうずまき(写真①)はとぐろを巻いた蛇ではないか、と思い至った。
縄文のビーナスを観た2015年6月27日に、このうずまきについて、次のように書いていた・・・。**頭の上部はなぜか平です。そこにうずまきがあります。このデザインの意図を作者に訊いてみたいです。なんとなく恣意的にこうしたのか、何か意味があるのか。意味があるとしたら、どんな? **①
②
縄文中期(およそ5,000年前) 身長27cm 体重2.1kg 国宝(平成7年)
宮坂光昭氏は「蛇体と石棒の信仰」で次のように考察している。**蛇は生命力の強い、また繁殖力の旺盛な動物である。九月に穴に入り地中の暗い所で冬眠し、春には穴を出て活発に動きまわり、そして脱皮して成長してゆく。この姿を、古代の人々は、冬眠が理想的な物忌みの姿にみえ、春に穴から出た姿と見事な脱皮成長を、驚嘆すべき生命の更新現象とみたものに違いない。**(148頁)
宮坂氏は次のようにまとめている。**人間自身も蛇と同様な行為により、蛇と同じく物忌みと生命の更新ができると考えた、いわゆる類感呪術というものが諏訪神社の蛇体信仰になったものであろう。**(148頁)
映画『鹿の国』で再現された御室神事。なぜこの神事は冬に行わていたのか?
御室神事はこの蛇の生態を模しているのか、それで冬なのか、なるほど!
出雲系の侵入神である建御名方神と八坂刀売神。その下の厚い古層の自然崇拝、自然信仰。蛇体信仰・石棒信仰・ミシャグジ。
諏訪は深い。