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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

1246 松本市梓川倭の火の見櫓

2020-07-31 | A 火の見櫓っておもしろい


1246 松本市梓川倭 4脚〇〇型 撮影日2020.07.31

 今朝7時半過ぎにはこの火の見櫓を見ていた。中学生が火の見櫓の横を歩いて登校していく。

松本平では櫓の平面が3角形、即ち脚(柱)が3本のタイプが多く、およそ8割を占めるがこれは脚が4本のタイプ。背が高く、総高は14mくらいありそうだ(*1)。櫓の中間に踊り場があり、双盤を吊り下げてある。



屋根と見張り台の様子。屋根頂部には避雷針があり、かわいらしいという形容しかできそうにない飾りがついている。半鐘は屋根の中心あたりに吊り下げてある。踊り場は円形、直径は2m超と見る。





脚元 梯子の下端がずいぶん高いところにある。この位置だと昇り降りできない。おそらく火の見櫓を使わなくなってから安全のためにカットしたものと思われる。地面に梯子の下端を固定していたコンクリート基礎が残っている。

このアーチ状の部材は構造上どの程度有効なのだろうか・・・。脚部の下半分以上が山形鋼の単材であることは少なくとも視覚的にはあまり効果が期待できないのではないか、という印象を与える。


*1 消火ホースを干すためのフック付きハンガーと踊り場床面の位置に付けてあるハンガーを引き上げるための滑車などから、火の見櫓の高さを推測した。


「「縮み」志向の日本人」李 御寧

2020-07-30 | H ぼくはこんな本を読んできた

 日本ほど自国の文化論が書かれ、読まれている国は他にない、とよく指摘される。本書の解説(高階秀爾氏)によると、戦後に発表された「日本人論」は千点を超えるそうだ。私も日本人論、日本文化論が好きだ。



2007年(*1)に読んだ『「縮み」志向の日本人』李 御寧(講談社学術文庫2007年第1刷)は日本人の縮み志向、縮み好き
に注目した日本人論。豊富な例示、説得力のある論考。

団扇を扇子に、庭園を箱庭に縮めてしまった日本人。縮めたものは他にも茶室とその入口の躙り口、そして正座。それから盆栽、折詰弁当、和歌、俳句、ウォークマン・・・、などいくらでもある。

「中銀カプセルタワービル」は黒川紀章も縮み志向の日本人だからこそ発想できた建築なのかもしれない(こじつけかな。これは論理的な推論としては正しくない。日本人に縮み志向があるからといって全員に当てはまるわけではないから。まあ、日常雑記ということで厳密性は問わないことに)。日本のプロジェクトということもあったのかも。



*1 2006年にブログを始めたので2007年に読んだこの本についても書いている。


「沈黙の春」レイチェル・カーソン

2020-07-29 | H ぼくはこんな本を読んできた

 日々変化に乏しい生活が続くと書くことがない。だが、同じことを繰り返す日常が続くことこそ幸せなことなんだ、と改めて思う。

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そんな日のために設けたカテゴリー「ぼくはこんな本を読んできた」。今回は『沈黙の春 ―生と死の妙薬―』レイチェル・カーソン(新潮文庫1974年2刷)。改めてこの本の内容を記すまでもないだろう。化学薬品による環境破壊を警告した先駆的な1冊、とだけ記す。

20代で読んだことが水色のテープが貼ってあることからすぐ分かる。残った文庫本には水色のテープを貼ったものが多い。処分する時、このことを意識してたのかどうか。まあ、若いころ読んだ本は取り出すことができない記憶の基層に残っているのかもしれない。それは今でもものごとを考え、判断する際にあるいは有効に働いているのかもしれない・・・。


 


「パラサイト・イヴ」瀬名秀明

2020-07-27 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『パラサイト・イヴ』瀬名秀明(角川ホラー文庫1997年3版発行)

 映画が大ヒットした『ジュラシック・パーク』の原作者、マイクル・クライトンはハーバードで医学を修めた。クライトンは科学的な専門知識をベースに、サスペンスフルな長編小説を何作も残した。





『パラサイト・イヴ』には生化学に関する専門用語が多用されていて、巻末にはその解説が付いている。リストアップされている参考文献の大半は論文だ。カバー折り返しに載っている瀬名さんのプロフィールは次の通り。**一九六八年静岡県生まれ。九六年東北大学大学院薬学研究科(博士課程修了)。九五年、本作で第2回日本ホラー小説大賞を受賞。

以前松本清張の『火の路』について論文小説だと書いたが(過去ログ)、専門的な知識を駆使して書かれた小説はおもしろい。





「空海の風景」司馬遼太郎

2020-07-26 | H ぼくはこんな本を読んできた


『空海の風景 上下』司馬遼太郎(中公文庫2006年改版24刷(上)、2005年改版21刷(下))

 司馬遼太郎の作品は何作か読んだが、大半を処分した。この作品を処分しないで残したことに積極的な意味があるわけではない。ただし空海について書かれた本は今までに何冊か読んできた(過去ログ)。

上下両巻の本書紹介文を引く。**平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。**

**大陸文明と日本文明の結びつきを達成した空海は、哲学宗教文学教育、医療施薬から土木潅漑建築まで、八面六腑の活躍を続ける。その死の謎をもふくめて描く完結篇。**昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞

空海の起伏あれど幸運で充実した生涯について書かれたものは何作もあるが、司馬遼太郎の文体が好きな人はこの作品によって、空海について知ることも良いかもしれない。

ぼくも再読したい、って、この先、そんなにあれこれ読めるかなぁ(と常々思っている)。


 


「かくれた次元」エドワード・ホール

2020-07-26 | A 本が好き 

 昨日(25日)読んだ『コロナ後の世界を生きる』村上陽一郎編(岩波新書2020年第1刷)にはコロナ後の社会はどうあるべきか、社会のあり様に関する24人の論考が収録されている。建築家の隈 研吾氏は「コロナ後の都市と建築」と題し、コロナ後の都市・建築はどうあるべきか論じているが、その中でエドワード・ホールの『かくれた次元』を距離をパラメーターにした人間関係論であるとして紹介している。

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『かくれた次元』は23日付信濃毎日新聞28面に掲載された国学院大学の石井研士教授の論文でも紹介されている。この論文は掲げられている3つの見出しによって次のように要約できるだろう。「新型コロナが強いる社会距離」が「人と人との関係そのものを破壊」してしまうようだ。将来に向け、「儀礼文化の再構築」が必要だ。

石井教授は人と人との関係が今後ますます希薄化し、関係性は更に形式的なものになるのではないかとの危惧を示している。

偶々、ふたりの論者が取り上げていた『かくれた次元』をぼくは1977年6月に読み、翌1978年3月に再読している。文化の違いが人と人との距離の取り方に、さらに空間の利用に及ぼす影響について論じた本書は当時、建築を学ぶ者にとって必読書であった。

最近、ソーシャルディスタンス(*1)ということばをよく耳にする。このことばを聞いて『かくれた次元』を思い出し、上記のようにふたりの論考でも紹介されていることから、また読み直してみようと思った次第。


*1 ホールが示したのは「密接距離(intimate distance)  」「個体距離(personal distance)」「社会距離(social distance)」「公衆距離(public distance)  」以上4つの距離帯。

『かくれた次元』エドワード・ホール(みすず書房1976年第11刷)


「コロナ後の世界を生きる」を読む

2020-07-25 | A 本が好き 

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 岩波新書の新刊『コロナ後の世界を生きる ―私たちの提言』村上陽一郎編(2020年7月17日 第1刷発行)を読み始める。
**新型コロナのパンデミックをうけて、私たちはどのような時代に突入するのか。私たちを待ち受けているのは、いかなる世界なのか。コロナ禍によって照らしだされた社会の現実、その深層にある課題など、いま何を考えるべきなのか。コロナ後の世界を生き抜くための指針を各界の第一人者二四名が提言する緊急出版。** カバー折り返しにある本書紹介文からの引用

24人の論者がそれぞれどのように論考を展開しているのか興味深い。本に書き込みをすることは稀。だが、この本ではサイドラインを引いたり、余白にメモ書きをしたりしながら読み進むことにする。


 


「「いき」の構造」九鬼周造

2020-07-24 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 ブログのカバーを火の見櫓のある風景のスケッチに替えた。夏だから寒色系の色が良いだろうと思った。カバーのすぐ下に来る写真もこの本のような同系色が合う。

さて、「ぼくはこんな本を読んできた」だが、今回は『「いき」の構造』九鬼周造(岩波文庫2011年第52刷発行)

『「いき」の構造』という本があるということは前々から知ってはいたが、なぜか読む機会がなかった。ぼくがこの本を読んだのは2011年10月。ただし岩波文庫ではなく、講談社学術文庫で。その時に書いたブログの記事を再掲する。



「いき」とは何か・・・。九鬼周造は深く思索し、周到に論考する。

**運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。(160頁)**

広い意味での文化論。芸術論として読むこともできるし、人生論として読むこともできる。恋愛論として読むこともできるだろう。それほどボリュームがあるわけではないから、読むのにそれ程時間を要しない。再読してみたい1冊。


メモ:第5章「いき」の芸術的表現 では建築についてもかなり具体的に論考している。

 


「どくとるマンボウ航海記」北 杜夫

2020-07-23 | H ぼくはこんな本を読んできた

 今日(23日)から4連休! 東京オリンピックの開会式の予定日であった7月24日に合わせて海の日とスポーツの日、このふたつの休日が変更された結果だ。海の日は7月の第3月曜日から今日に変更され、スポーツの日は10月の第2月曜日から明日に変更された。

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今日は海の日だから、「ぼくはこんな本を読んできた」も海に関係する本にしようと思い『どくとるマンボウ航海記』北 杜夫(新潮文庫1974年23刷)にした。

既に何回も書いたが、5月に本をおよそ1,700冊処分した。1,400冊あった文庫本も大半を処分した結果、250冊になった。

夏目漱石と北 杜夫、安部公房の文庫本はほぼ全てのおよそ80冊を残した。この3人の作品が残した文庫本の3分の1を占めていることになる。いずれ、この3人の作品も減冊することになるだろう。

北 杜夫で残すのは『幽霊』『木精』『どくとるマンボウ青春記』。この3作品に『どくとるマンボウ航海記』を加えるかも。いや『黄いろい船』も『楡家の人びと』も『少年』も・・・。北 杜夫には好きな作品が多い。

例によってカバー裏面の本作品紹介文から引く。**水産庁の漁業調査船に船医として乗りこみ、五カ月間、世界を回遊した作者の興味あふれる航海記。(中略)独特の軽妙なユーモアと卓越な文明批評を織りこんで描く型破りの旅行記である。のびやかなスタイルと奔放な精神とで、笑いさざめく航跡のなかに、青春の純潔を浮彫りにしたさわやかな作品。**


 


北安曇郡白馬村の火の見櫓

2020-07-20 | A 火の見櫓っておもしろい


再 北安曇郡白馬村北城森上 3脚〇〇型 撮影日2020.07.20



 理由は分からないが、見張り台の手すりがやけに高い。1メートルくらいが一般的だと思うが、この手すりは1.5メートルくらいありそうだ。見張り台の床から屋根の軒までの高さは2メートルくらいが一般的、この値で見当をつけた。屋根の形が美しい。





ブレースの端部はガセットプレートの孔に引っ掛けてあるだけ。この不確実な接合方法に名前を付けるとすれば「引っ掛け接合」、かな・・・。


 


「火星無期懲役」S・J・モーデン

2020-07-19 | A 本が好き 

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いつもの席には先客が、で、円卓に着いた。

 日曜の朝、TSUTAYA 北松本店で『火星無期懲役』S・J・モーデン(ハヤカワ文庫2019年発行)を買い求め、スタバで朝カフェ読書。しばらく前、同店でこの分厚い文庫本を手にしたものの、読めないかも、と書棚に戻していた。

**「で、そこはどこなんだ? 七人の囚人を送りこんで刑務所を建てさせ、そこに死ぬまで閉じこめようっていう場所は?」
「火星だ」**(18、19頁)

さらにカバー裏面には**殺人を犯し、終身刑で服役中のフランクは、火星基地建設プロジェクトへの参加を持ちかけられる。刑務所で人生を終えるか、火星で生きるか―(中略)プロジェクトの参加者は7名。だが彼らは火星でひとりまたひとりと命を落としていく。(後略)**とある。これはもう読まないわけにはいかない。



『火星の人』を意識して、火星を舞台にした作品を、という出版社からの注文を受けて執筆されたという本作だが評価は高いという。楽しみ。


 


火の見櫓のある風景を描く

2020-07-19 | A 火の見櫓のある風景を描く


松本市笹賀上二子にて 2020.07.19

蔵のパース、妻面が少しおかしい。特に屋根は気になる。だが、一発勝負だから勾配屋根が不自然でも直すことができないから仕方ないか(などという弁解はダメ)。

蔵の屋根の着色も気になる。逆光だったことも無関係ではないとは思うが、屋根の下側がどうなっているのか、きちんと把握できていなかったことが影響しているのではないか。

腰のなまこ壁の白い目地をどう描くか、これは技術的な問題だが、解決しなくてはならない課題。全面的に瓦色に着色してから白い目地を引くという方法は採りたくない。丁寧に描いて目地を塗り残す、という方法で良いと思う。ただしあまり時間をかけすぎるのは好ましくない。その意味では「丁寧に」ではいけないのかもしれない。

いつも山の色、特に遠くの山の色で悩む。実際には逆光のせいもあるが、あまりはっきりしない色で、晩春の山のようにもっと青みを帯びていた。だが、これはこれで良いだろう。

実際には蔵の屋根の下には別の建物が見えていて火の見櫓は隠れてしまっているが、この方が自然。ありのまま描けばよいというものでもない。風景スケッチとはいえ、創作であることを忘れてはならない。もちろん色を変えても構わない。

現地では簡易な折りたたみ椅子に腰かけて描いているが、視点の高さが適切であったかどうか、疑問。特に蔵の屋根に関して。しんどいけれど立って描くか、少し引いた位置から描いた方が良かったかもしれない。

寸評はこのくらいにしておこう。


 


「銀の匙」中 勘助

2020-07-19 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 名作は永く読み継がれる。中 勘助の『銀の匙』、岩波文庫では1935年(昭和10年)の発行、手元にあるのは2003年改版第5刷

カバー折り返しの本作紹介文を引く。**なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣(ひきだし)から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を、中 勘助が自伝風に綴ったこの作品には、子ども自身の感情世界が素直に描きだされている。**

解説を和辻哲郎が書いているが、それによると『銀の匙』の前篇は明治44年の夏、野尻湖畔において書かれたそうだ。そうだったのか、信州で書かれたなんて知らなかったなぁ。その時中 勘助は27歳だったとのことだ。それにしても少年時代のことを細かなところまでよく覚えていたものだ。

**(前略)描かれているのはなるほど子供の世界に過ぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。** 和辻は解説文をこのように結んでいる。

再読したい1冊。


 


「寺田寅彦随筆集 第一巻」

2020-07-18 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 「ぼくはこんな本を読んできた」 本稿からはパラフィン紙のカバーがついた文庫ほど古くはないものを載せていく。まずは『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編(岩波文庫1994年第76刷)

物理学者にして優れた随筆の書き手でもあった寺田寅彦。夏目漱石の門人で「吾輩は猫である」には寅彦がモデルと言われる人物(水島寒月)が登場する。

寺田寅彦随筆集は岩波文庫で第一巻から第五巻まで出ている。残念ながら手元にあるのは第一巻のみ。岩波はこの随筆集を絶版にはしないだろうから、今でも書店で入手できるだろう。

「科学者と芸術家」には次のようなくだりがある。**観察力が科学者芸術家に必要な事はもちろんであるが、これと同じように想像力も両者に必要なものである。(中略)一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には想像の力に待つ事ははなはだ多い。また科学者には直感が必要である。古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、多くは最初直感的にその結果を見透した後に、それに達する理論的の径路を組み立てたものである。**(91、92頁)

建築設計にもこのようなことが言えるだろう。直感的に見出した最終的な形に、後からそれに至る理路を導き出すというデザインプロセスを採るのだから。このことに関して僕は以前次のように書いている。

**なんとなくコーンが好きですから・・・などという説明では発注者はその採用を渋るかもしれません。採用するデザインにいかにもっともらしい理屈を後からつけるか、建築に限らず広くデザインにかかわる人たちに必要な能力、といってもいいでしょう。そう、はじめに理屈、理念、コンセプト(どの言葉でもいいですが)ありきではなく、それはあくまでも後から考えだすものなのです。結果(デザイン)から川を遡って源流の理念、コンセプトに到達するんです。**(2007.07.12)





「みんなの家。」を読んだ

2020-07-18 | A 本が好き 

 このところ、文庫は再読することが多かったから、買い求めて読むのは久しぶりだ。

私が読む文庫は大半が新潮文庫だが、ちくま文庫には建築関係のものが少なくないから、時々チェックする。昨日(17日)『増補 みんなの家。建築家一年生の初仕事と今に異なって思うこと』光嶋裕介(ちくま文庫2020年第1刷)を見つけ、早速買い求めて読んだ。初仕事を本にまとめることができたなんて、とてもすばらしい。

光嶋さんの建築家としての初仕事となった内田 樹(たつる)氏の道場兼住宅(凱風館)の設計から完成までの記録。文庫化にあたって今の思いを全26章に加筆したという。解説は鷲田清一氏。

発注者、構造設計者、工務店の担当者、様々な職種の腕の良い職人(大工、土のことは俺に任せろの左官職人、そして瓦職人はあの山田脩二さん、京都は美山町の杉・・・)。光嶋さんの積極的な行動が実にラッキーな出会いを生む。人と人のつながりって大切なんだなぁ、と改めて思う。

発注者である内田 樹氏には多くの著書があるが、この道場兼自邸・凱風館についても設計者の光嶋さんとの出会いから完成、暮らし始めてからのことなどをまとめた『ぼくの住まい論』(新潮社2012年)を出している。読み比べてみるとなかなかおもしろい。


メモ:書棚について両書から引用

**僕はひとの家に行くと、必ず書棚に見入る癖があります。(中略)書棚に並ぶ本は「自分はこうした本を読むような人間でありたい」というその人の意思表示だと思うからです。(中略)あたかもその人の脳のなかを覗いているようで、面白いものです。**「みんなの家。」(202頁)

**本棚はその人自身の「理想我」の表れだとぼくは思っているんです。(中略)本棚の整理というのは、自分がなにものであるのか、なにものでありたいのかを省察する好機なんです。(中略)書棚というのはつよい教化的な機能を持っている。(中略)その人が「どんな人だと思われたがっているか」を示すものです。**「ぼくの住まい論」(35、36頁)