透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

春 軽井沢点描

2013-04-28 | A あれこれ



 いつ行くか? 今でしょ! 確かに今でした。軽井沢は桜がちょうど満開でしたから。GW初日の昨日(27日)、遅残りの春の軽井沢に行ってきました。


■ 軽井沢千住博美術館


美術館の案内看板

軽井沢千住博美術館はユニークな平面形をしています。


林の中に建っている美術館の外観。うまく写真に納めることはできません。

この美術館の設計者・西沢立衛さんの関心は建築のフォルムにあるのではなく、シークエンス、つまり魅力的な場面・シーンの連続性にあるのではないかと思いました。


ミュージアムショップで買い求めたポストカード

敷地の傾斜そのままに、コンクリートの床はエントランスから次第に下がっています。連続する空間、水平でない床・・・。

自然と作品とが隣り合う「内部」空間。建築はこうあるべきだという既成概念には無い斬新な空間に新鮮な驚きを感じました。そして予想もしていなかった心地良さをも感じました。

この建築を私は雑誌では否定的というか、批判的に見ていましたが・・・。冬期(12月26日から2月末)は休館してしまうそうですが、内部空間に挿入された外部空間の緑が雪で白く抽象化される時、この空間を体験してみたいと思いました。

「ホワイトキューブ」、どちらかというと批判的なニュアンスで評されてきた幾何学的で抽象的な空間から成る現代建築ですが、その新たな方向性をこの美術館は示しているのではないか、そう思います。


キャワワワ・・・

美術館のカフェ(別棟)で食べたシャンピニオン(マッシュルーム、広義にはきのこの意)という名のフランスパン。

キノコ観察が趣味のHさん、こんなキノコパンがありましたよ。


■ 軽井沢の山荘/吉村順三


個人の別荘地に入ることはルール違反、前面道路から撮った写真です。

住宅設計においてこの建築家の右に出る人はいない。吉村順三さんはそういう評価を得ています。その吉村さんの山荘を観に行きました。

ユーティリティを打放しコンクリートの1階にコンパクトに収め、その上に床スラブを大きく広げてリビングやベッドルーム、キッチンなどを木造で構成しています。

林の中に浮かぶリビング。開け放した大きな開口のすぐ先には新緑の木々、紅葉の木々・・・。1962年の竣工後、この山荘の魅力的な空間は繰り返し、本や建築雑誌で紹介されてきました。過去ログ ←クリック


■ 軽井沢ショー記念礼拝堂(大正11年)







昭和61年に復元されたショウ(ショー)ハウス(軽井沢の最初の別荘)






■ ランチしたカフェ@軽井沢









旧軽銀座の桜の木の下に開設された臨時派出所


 夕方4時過ぎ、県境を越えて群馬県の北軽井沢にあるカフェへ。「Bird」という名前のカフェは建築家・前川國男設計の自邸をほぼそのまま再現しています。前川邸にほれ込んだオーナーが前川事務所の許可を得て北軽井沢の別荘地に建てたそうです。完成後、前川事務所の若い所員も訪ねてきたことがあったとか。

店内に流れるジャズを聴きながらコーヒーを飲み、リビングも見せていただきました。紅葉の季節にでも再訪できたらいいな~。


 ■ 中軽井沢図書館


最近オープンした町立図書館 

サッシの外側に付けられた化粧のマリオン、たぶん再生木。ファサードの表情が豊かになることを知りました。


軽井沢で過ごした春の一日の点描は以上です。


415 プリミティブな火の見櫓

2013-04-26 | A 火の見櫓っておもしろい

 
415




東筑摩郡筑北村の簡便なつくりの火の見櫓 撮影日 130426

梯子と控え柱を横架材で繋いだ櫓、プリミティブな火の見櫓。

梯子で見張り台に上って回れ右、そして半鐘を叩く・・・。床に木槌が置いてある。柱上端のフックは消火ホースを掛けるため。

筑北村で今でも半鐘を叩いているか訊くことを忘れた。確認する機会はあるだろう・・・。


 


胎児から新生児へ 驚きのシステム変更

2013-04-24 | A 読書日記



 写真の右下に写っている緑色のテープは30代に読んだ本に貼ってあります。既に書きましたが、20代の時は水色、40代の時には黄色のテープを貼っていました。で、50代では例えば青、60代では赤というように色を変えようと考えていたのです。書棚に本を並べると一目瞭然、これはいいだろうなと学生の頃に考えたのですが、松本市内でこのテープ(レトラライン)が入手できなくなってやめてしまいました。

さて本題、『新生児』山内逸郎/岩波新書を20数年ぶりに再読しました。

羊水に満ちた子宮内の胎児、肺にも羊水がいっぱい詰まっています。肺呼吸はもちろんしていません。それが、誕生の瞬間から急激に肺呼吸へとシステムの切り替えが行われるのです。同時に血液循環システムも急激に変化します。それは一体どのように???例えば肺胞の中の羊水はどこに、どのようにしていくのか?  胎児の生命維持装置ともいえる胎盤との決別はどのように行われるのか?

この新書にはシステム変更の実に巧みなメカニズムが説明図(胎児循環、新生児循環、成人循環)付きで分かりやすく説明されています。

第Ⅰ章 自立への適応 子宮外で生きる
   1 呼吸 肺が開いて始まる人生  
  2 循環 劇的に変わる血の流れ

とりあえずこの部分を読み直しました。 神様(造物主)の設計はすばらしい!


 


― 消えゆく火の見櫓

2013-04-23 | A 火の見櫓っておもしろい


撮影日 130423

 消えゆく火の見櫓。東筑摩郡山形村下竹田地区の火の見櫓と消防団の詰所の解体工事が行われていて、今週末には完了する予定だと聞きました。桜の老木も伐り倒されてしまい、切り株だけがまだ残っています。

この火の見櫓は姿・形が整っていましたし、桜を纏う姿はピカ一でした。残念ながら今年は観に行くことができませんでしたので、昨年撮った写真を載せます。
 
この世の中にあるものはいつかは無くなること、必定とはいえやはり寂しいものです・・・。


撮影日 120424


 


― こんな火の見もあり!?

2013-04-22 | A 火の見櫓っておもしろい



 北杜夫がドイツの作家トーマス・マンを敬愛していたことはよく知られている。北杜夫の代表作の長編『楡家の人びと』はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』の影響を強く受けているとされている。

北杜夫が学生時代に仙台の街を歩いていて「トマトソース」という広告を目にして「トーマス・マン」と誤認、ギクリとして立ち止ったというエピソードも北杜夫のファンには知られている。このエピソードはこの本にも載っている。



私は今日(0422)、線路沿いに立っているこの信号柱(という名称が正しいのかどうか、鉄ちゃんではないので分からないが)を視界の端に見て、ギクリとして立ち止った。火の見櫓に見えてしまったのだ。

コンクリート製の1本柱に梯子の火の見櫓(便宜的に火の見櫓としておくが、厳密には火の見櫓でも火の見梯子でもない)として、こんなデザインも大いにありだ。





カラマツの端材でつくる板塀

2013-04-21 | A あれこれ



 長野県産のカラマツの端材を使った板塀を友人が考案した(*1)。先日、松本市内の友人宅にその板塀を見に行ってきた。

平鋼(フラットバー)をH形に組み立てた柱(*2)を1間(1.8メートル)ピッチに建て、その間に約3センチの厚さのカラマツ板を落とし込んでつくっている。

板と板の間に竹を入れたりして表情に変化をつけたりすることもできる(写真の右側)。隙間を大きく取れば風も通る。端重ね(はがさね)にすれば違う表情の板塀にもなる(写真の左側)。上端を竹にすればネコも歩けないそうだ。

無機的な既製品よりも安価(たぶん)で落ち着いた表情になる。お隣さんにも好評だと聞いた。同一仕様の板塀がすぐ近くのお宅にあったが施工を依頼されたとのこと。

塗装には柿渋を使っているようだ。色が褪せたら塗り直すこともできるし、板を外して交換することも簡単にできる。

木材の有効活用にもってこいのアイディア。なかなかいい!


*1 松本市深志3丁目1−23 碇屋漆器店
*2 H形鋼はサイズが大き過ぎて使えない。

 


山周。

2013-04-21 | A 読書日記

そうです、山本周五郎です。

 本稿のタイトルと書き出しはこちらのブログ(←)のパクリです。 ♪ 笑って 許して ちいさなことと  アッコ! じゃなかった、ユミさん!

私は今まで時代小説をあまり読んできませんでした。例外的に藤沢周平の作品を新潮文庫と文春文庫でたくさん読みましたが。

先日、勤め帰りのカフェ・バロで藤周もいいけれど山周もいいですよ~、とすすめられたのが『季節のない街』でした。聞いたようなタイトルだなと思ったんですが、泉谷しげるの「春夏秋冬」の出だしだと後になって気がつきました。

すすめられたのは現代ものの短編集です。私好みの「涙小説」とのことでしたので、早速書店で探しましたが、残念ながらありませんでした。

で、買い求めたのが『人情裏長屋』新潮文庫。山本周五郎の作品は全くの未読、いままで読んだことがありません。この文庫のカバー裏面に**周五郎文学の独壇場ともいうべき〝長屋もの〟を中心に11編を収録。**とあります。

この紹介文で読んでみようと思い、買い求めたという次第です。いきなり長編はしんどいかもと、短編集を探したのです。

今週は山周です。


 


繰り返しは美しい?

2013-04-21 | B 繰り返しの美学


松本市内にて 撮影日 130420

 繰り返しの美学とは凡庸なデザインであってもそれが繰り返し並べられていると、全体としては美しいと感じるということだ。でも、同じ外観の低層住宅が横一列に並ぶこの光景を見てもなぜか、そのような感情は湧いてこない。だから素直に繰り返しの美学!と言う気にはならない・・・。

この場合、デザイン・コードにある程度の幅を持たせて、どれも似てはいるけれど少しずつ形や色が違う、そう、ゆるやかに秩序付けられた様子、ゆるやかな統一感の方が好ましいと感じるだろう。

外構までも1棟ごとに同じ設えになっているが、例えば植栽をトータルに考えて、大きな桜の木を1本だけ植えるとか、何種類もの樹木を植えるなどしたら、ずいぶん魅力的になるだろうに・・・。

その場合にはこのような同じ外観の住宅の繰り返しがひきたち、繰り返しの美学!となるように思う・・・。


 


狛犬って何?

2013-04-20 | F 建築に棲む生き物たち





 狛犬についてウィキペディアしてみると、飛鳥時代に日本に伝わったとある。その時は左右対称の姿だったが、平安時代になると左右で姿・形が異なるようになったようだ。

ここで思うのはお寺の伽藍配置のこと。伽藍配置も左右対称で日本に伝わってきた。が、やがて左右非対称に変わっていった。

日本人には左右対称のような自然でないもの、不自然さを嫌う性向があるようだ。左右で形の異なる狛犬も伽藍配置と同様、このような日本人の非対称への志向の表れではないかと思う。

阿形、吽形といえば仁王像だが、狛犬にもそのデザインを採り込んで左右非対称にした・・・と、とりあえず我が珍(?)説を挙げておく。

狛犬という呼称については、神仏の守護神であることから拒魔犬(魔除け)だとする説、朝鮮半島経由で日本に伝わったことから高麗犬だとする説など諸説あるようだ。まあ、大半の文化が朝鮮半島経由で伝わってきていることを勘案すると、わざわざこの珍獣に限って高麗犬などと呼ぶことはないのでは・・・。拒魔犬のほうが、私としてはなるほど!と納得かな・・・。

ところで、のぶさんのコメントによると、ここ妙義山中之嶽神社には江戸中期の狛犬もある(いる)とのこと。確かにかなり損耗していて形がよく分からない狛犬を見かけた。でもしっかり観ることも、写真に撮ることもしなかった。やはり知らないもの、知識がないものは見てはいても脳が認識しないのだなあ・・・。それに美女ふたりの同行で気もそぞろだったかも・・・、いかんなあ~。


 


 


「くさる家に住む。」

2013-04-18 | A 読書日記

  
2層目にあるオープンテラス   7層もある住宅(設計事務所併用)

 くさる家? 腐る家かと思った。それだけではないことが分かった。くさるに熟成や鏈るという意味も込めてのタイトルだ。

『くさる家に住む。』つなが~るズ/六耀社 には10軒の住まいと暮らしぶりが紹介されている。その内の1軒は私の友人、S君が自ら設計した自宅「白山通りのいえ」。

この住宅は東京の幅員が40mもある白山通りに面しているのにも拘らず、その通りに開いている(中の写真:何年か前に遊びに行ったときに撮影した)が、それは友人の社交的な人柄の反映だと私は思う。建築、ことに住宅の設計には設計者が意識していなくても人柄、性格が反映されるものなのだ。

本では「都市の中に自生する一本の木のような家」という見出しをつけてこの住宅を紹介している。「一本の木のような家」というのはこの家のコンセプト、特徴を的確に捉えていると思う。

支持層が深いために打設した24mの杭を利用して地中熱を取り出し、その熱を冷暖房に活用するというシステム、この杭は木の根っこそのもの。屋上に設置されている太陽熱温水器は木の葉っぱそのもの。そしてS君が好きな左官仕上げの外壁は樹皮だ、と言ったら、こじつけだと言われるだろうか・・・。

このように木の家というのはただ単に木と塔状住宅(右の写真:大きな開口のある3層目から上部)の形態上の類似性を指しているのではなく、機能上のそれをも指しているのだ。

内部は素材の持つ質感をストレートに表現していて、実に住み心地がよさそうな雰囲気。それが本の写真からも伝わってくる。

豊かな暮らしというのは時間がゆっくり流れていると感じることができるかどうか、という指標で測れるのではないか・・・。この本に紹介されている暮らしぶりを読み、写真を見て、ふとそう思った。


 


414 筑北村の火の見櫓

2013-04-18 | A 火の見櫓っておもしろい

 
414 東筑摩郡筑北村坂北の火の見櫓 撮影日 130415

平面形が三角の櫓、円形の屋根と同見張り台というオーソドックスなタイプ。梯子の段数はざっと数えて25段、1段を40センチメートルとみると見張り台までの高さは10メートル。見張り台の床面から屋根のてっぺんまで3メートルとみると、この火の見櫓の高さはおよそ13メートルということになる。櫓は緩やかなカーブで末広がりになっている。



ラッパ形というか、アサガオの花のような形の屋根の下に半鐘と照明器具を取り付けてある。床には半鐘の叩き方を記した信号表示板が置いてある。





柱脚のベースプレートを露出させているのは珍しい。コンクリート基礎に埋め込んであるのが一般的。柱材の等辺山形鋼の端部を補強していて、リブまで付けてあるが、アンカーボルトが1本というのは、心もとないような気もする。でもこれで何十年も風や地震に耐えているのだから、問題ないことが実証されていると見てもいいのかもしれない(などと曖昧な表現で逃げておく)。


 

 


狛犬

2013-04-17 | F 建築に棲む生き物たち


妙義山中之嶽神社の彩色狛犬

■ 前稿に載せた伊勢神宮を紹介する雑誌を同僚のN君(彼も御白石持行事に参加予定)に見せた。彼も買い求めていた。ただ、まだ読んでいないとのことだった。

N君に「U1さん、一般の神社にはあるのに、伊勢神宮にはないものってなんだか分かりますか?」と訊かれた。その答えは狛犬だった。では、なぜ伊勢神宮には狛犬がないのか? 

天照大御神が伊勢の地に鎮座したのは紀元前のこと、狛犬が日本に伝わってきたのは平安時代のことだという。そう、伊勢神宮ができたのは狛犬が伝わるはるか前のことだったからというのがその理由だとN君が説明してくれた。狛犬を後年設置した神社もあるだろうが、伊勢神宮はそうしなかったということだろう。

載せた狛犬は妙義山中之嶽神社もの。狛犬のルーツを辿るとどうやらスフィンクスにまで行きつく(?)ようだが、詳しいことは分からない。

これはレアものなんだろうか、それともよくあるタイプなんだろうか。狛犬好きなのぶさんにこの狛犬を鑑定してもらおう・・・。