東大和市狭山 撮影日181128 後方は1175の火の見櫓
◎ 東大和市のマンホール蓋には市の花・ツツジが蓋全面にデザインされている。色んなものを取り込んだ蓋もあるが、このようにモチーフを絞ったものも好い。
中心部に東大和市の市章を配したJIS蓋。
古いタイプのコンクリート蓋
雨水排水蓋には多摩湖(村山貯水池)の取水塔がデザインされている。
全国津々浦々のマンホール蓋は撮り尽くされているから、私は火の見櫓を背景にするという制約条件を付けて撮っている。
東大和市狭山 撮影日181128 後方は1175の火の見櫓
◎ 東大和市のマンホール蓋には市の花・ツツジが蓋全面にデザインされている。色んなものを取り込んだ蓋もあるが、このようにモチーフを絞ったものも好い。
中心部に東大和市の市章を配したJIS蓋。
古いタイプのコンクリート蓋
雨水排水蓋には多摩湖(村山貯水池)の取水塔がデザインされている。
全国津々浦々のマンホール蓋は撮り尽くされているから、私は火の見櫓を背景にするという制約条件を付けて撮っている。
1145 東京都東大和市清水 4脚8〇〇型 撮影日181128
■ この火の見櫓は西武多摩湖線の武蔵大和駅から徒歩で10分近くかかるところに立っている。脚間寸法が大きいというのが第一印象だった。コンベックスで測ると約4.2mあった。櫓は上方へ大きく逓減している。もう少し細身の方が個人的には好い。
屋根も見張り台も前稿の火の見櫓とは形や構成が違う。繰り返す、火の見櫓は十基十色だ。屋根頂部の避雷針に風向計が、軒先には蕨手が付いている。
脚を大きく広げているのは、櫓の下を防火水槽にしているから~(チコちゃんでもこのように答えるだろう)。
下から見上げて見るとこんな様子。
火の見櫓の近くに消防団詰め所があった。
詰所の横(正面から見て右側)に消火ホース乾燥塔があり、消火ホースを洗う槽が設けてあった。この槽に水を張り、消火ホースを浸して洗う。このような設備を見るのはたぶん初めて。
■ 所用で東京へ出かけた。松本を午前9時過ぎに出る特急あずさに乗れば集合時刻に間に合うが、6時51分発のスーパーあずさ4号に乗った。2時間余りの空き時間をつくり、火の見櫓を見に行くことにしたから。東京の郊外にはまだ火の見櫓が何基も立っている。
あずさを立川駅で降り、国分寺駅へ。同駅から西武多摩湖線に乗り換えて、武蔵大和駅(東村山市)で下車。駅から徒歩圏内にある東大和市内の火の見櫓を見てきた。この火の見櫓は武蔵大和駅から徒歩で5、6分のところにある。4角形の櫓に円形の屋根と見張り台、4角形の踊り場という構成で、大型の火の見櫓。
1144 東京都東大和市狭山 4脚〇〇4型 撮影日181128
平面が円形の屋根を見上げると、傘と同じような骨組みが見える。4本の柱の上端に横架材をクロスに渡して屋根を受けている。既に半鐘は無く、替わりにモーターサイレンを設置してある。見張り台の手すりはシンプルで飾りは無い。床は根太に相当する部材を省略し、すのこ状に幅広の鋼材を縦横2重に張っている。
床のつくり方が見張り台とは違う。櫓に社寺建築等で見られる火灯窓のような形の部材を用いて開口をつくっている。
櫓にはもう1カ所簡易な踊り場があり、外付け梯子を掛けてある。梯子には安全用のケージを設置してある。梯子の下端を地上からかなり上のところにしている。建設当初からこうのようにしてあったのかは分からないが、子どもが登らないようにするために採られた対策だろう。
下から見上げるアングル。せっかく遠くまで来たのだから、と普段あまり撮らないアングルでも撮った。
長野県内で普段見ている火の見櫓とは細部では違いがあるものの、全体的な形は似ている。
■ 明日(28日)所用で上京する。行き帰りの「あずさ」で読む本を買い求めなくては、と思っていたが、書店に寄る時間がなかった。で、自室の書棚から漱石の『草枕』を取り出した。
このカバーデザインが好きだ。
この文庫本の奥付を見ると、平成六年七月二十日 百一刷となっている。やはり名作は何度でも読みたくなるものだ。初めて読んだのは高校生の時だった。その後、何回か読んでいる。
川端康成の『雪国』や島崎藤村の『夜明け前』の書き出しもよく知られているが、この小説の書き出しも有名だ。
**山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。**
明日は車内でこの小説を読む。
■ 塩尻のえんぱーくを会場に月1回以上のペースで行われている「本の寺子屋」は作家や評論家らを招いた講演会や対談などを行う企画で、今年で7年目。ナビゲーターの長田洋一さんは元「文藝」の編集長で、俵 万智のベストセラー歌集『サラダ記念日』を世に出した方。本好きにはうれしい企画だ。
斎藤美奈子、長野まゆみ、久間十義、金原瑞人・・・。私は興味のある回だけ参加してきた。
今年15回目の今日(25日)は、毎日新聞記者の中澤雄大さんの「新聞記者の読書」という演題の講演だった。配布された資料は毎日新聞の読書欄「今週の本棚」など、A3に縮小した両面コピー40枚、80頁。様々なジャンルの本が取り上げられ、関係者を紹介する記事も掲載されている。
「歴史認識を問い直す」東郷和彦/角川oneテーマ21 「官邸危機」松本健一/ちくま新書 「文士の遺言」半藤一利/講談社 「マレーシア航空機はなぜ消えた」杉江 弘/講談社 「東北朝市紀行」池 田進一/こぶし書房 「いのりの海へ 出会いと発見 大人の旅」渡辺憲司/婦人の友社・・・。
本の大海に溺れることなく、読みたい本を読む。
*****
渡された毎日新聞のコピーには三島由紀夫に関する記事も掲載されている。
1970年11月25日、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で衝撃的な自決を遂げた。そう、今日は三島由紀夫の命日「憂国忌」。しばらく前に『金閣寺』を再読したが、もう三島由紀夫の長編を再読する気力はないなぁ・・・。
「豊饒の海」 20代に読んだ本には水色のテープが貼ってある。
(再)金沢市東山 浅野川大橋詰火の見櫓 3脚無3型 撮影日181123
■ 本稿の写真は妻が友人と金沢旅行をした際、スマホで撮ったもの。以前、同僚のT君がやはりこの火の見櫓の写真を撮ってきてくれた(過去ログ)。残念ながら私はまだ直接見ていない。
この火の見櫓は1924年(大正13年)に建設された。その高さはなんと約23mで相当高い部類。1971年(昭和46年)に上部が切断・撤去され、下半分が残された。老朽化したことがその理由だったようだ。現在は建設当時の踊り場に半鐘が吊り下げられている。
このようにこの火の見櫓は建設当時の姿を留めてはいないが、2005年(平成17年)の11月10日に登録有形文化財に登録された。地元住民の熱意が伝わる事例だ。
火の見櫓の脚元に設置されている説明板。写真をトリミングした。
注目は**金沢城下に火の見櫓が設けられたのは明暦三年(一六五七)のことと伝えられ**の件(くだり)。
火の見櫓の歴史はこの明暦3年の冬に江戸で発生した明暦の大火の翌年に江戸幕府直轄の消防組織である定火消が設けられて、麹町・市ヶ谷・飯田橋・御茶ノ水の4ヵ所に火消屋敷が建設され、そこに火の見櫓も造られたことに始まるとされている。
浅野川大橋詰火の見櫓の説明文により、明暦3年に金沢にも火の見櫓が造られていたことが分かる。江戸のまちの大半を焼き尽くした明暦の大火に衝撃を受けたことが火の見櫓建設の契機となり、同年に建設されたのかもしれない。
**この櫓は藩政時代を引き継いで発展した伝統ある大都市の防災機能として長く市民の暮らしを見守ってきた。まさにわが国近代の歩みを語る遺産である。**
このような認識が広まれば、全国各地で火の見櫓を保存しようという機運が高まるかもしれない。
週末には映画を観よう
■「ドクター・ノオ」「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」「サンダーボール作戦」この3連休中に007シリーズを第1作から第4作まで観た。
この4作品で最も印象に残るのはやはり「ロシアより愛をこめて」だ。この映画ではジェームス・ボンドとソ連の美人情報部員、タチアナ・ロマノヴァ(ダニエラ・ビアンキ)が新婚旅行中の夫婦に成りすまし、オリエント急行の個室に乗車する。やはり列車の旅は良い。この作品は単なるアクション映画ではない。007シリーズの中で最もしっとりとした雰囲気が感じられる作品かもしれない。
東西冷戦時代故、英国の紳士がソ連の美女の心を、体もか、きっちり奪ってしまうという設定にも意味がある。そして印象的なラストシーン。
全24作品をもう一度観て、心に残る作品ベスト3を決めたいと思う。
■ この映画の原作、森下典子のエッセイを読んで、映画が公開されたら是非観たいと思っていた(過去ログ)。 近くのシネコンで今日(23日)から公開されたので早速観てきた。
小説ではない原作をどのような映画に仕立て上げるのだろう。稽古を重ねるに連れて、例えば季節によって雨音が違うことや、水とお湯でも音が違うことに気がつく様をどのように描くのだろう・・・。説明的なナレーションに頼っていた部分が少なからずあったのは仕方がないことだろう。
お茶の武田先生役の樹木希林の所作は自然で、演じていると感じさせないのはさすが。主人公の典子を演じている黒木華はNHKの土曜時代ドラマ「みをつくし料理帖」で主人公の料理人・澪を好演していたが、やはり彼女の演技はすばらしい。典子のいとこ・美智子役の多部未華子はかわいい。 なかなか好い配役だ。
庭の木々の季節のうつろい、床の間の生け花、茶碗、和菓子、柄杓、茶さじ・・・。茶道は自然と共にある文化だと映像を通じて改めて思った。
『自慢できる茶室をつくるために』根岸照彦/淡交社
今から30年前の1988年5月に買い求め、何回も読んで茶室の基礎を学んだ本。中身は実用的で分かりやすく、充実している。
週末は映画を観よう
■ 007シリーズ2巡目は第1作から順番に観ることにする。22日(木曜日)に借りてきた「ドクター・ノオ」と「ロシアより愛をこめて」を観た。
「ロシアより愛をこめて」は第1作でボンドに殺されたドクター・ノオに対する復讐と、ソ連の暗号解読機・レクターを手に入れようようと画策する犯罪組織・スペクターに立ち向かうボンドの活躍を描いた作品。主要な舞台はイスタンブール、そしてべニス。
スペクターが仕向けたソ連の情報局職員のタチアナ・ロマノヴァ(ダニエラ・ビアンキ)がボンドガール。彼女は誰でも美人と思うような典型的な美人。知的で芯が強そうな女性。
このシリーズのラストの大半は、悪との死闘の末に一件落着となり、ボンドが美人のボンドガールととなるが、このロシアより愛をこめてのラスト、べニスの沖の船上でのは最も印象に残るラストシーン。テーマ曲も好い。
■ 多忙な日々、だが読書時間は確保したい。「CASA BRUTUS」をいつものスタバでを読んだ。建築雑誌を買い求めて読むのはずいぶん久しぶりだ。
藤森照信さんと伊東豊雄さんの対談が掲載されているが、その中で藤森さんは、新石器時代のイギリス、オランダ、日本の農家は微差はあるものの、皆同じ竪穴式住居だと指摘し、**新石器時代というのは建築的には実にインターナショナルだった。今、我々が生きているのは2度目の建築的インターナショナルということですね。最初のインターナショナルは土と草と木で建築をゼロから作り、2度目のインターナショナル・・・・・・すなわちモダニズムは、鉄とガラスとコンクリートで建築をゼロから作った。伊東さんは2度目のインターナショナルを一所懸命やっていて、私は1度目をやっているという感覚です。**と語っている。
以前、藤森さんは建築家を赤派と白派に分けてみせたことがあるが(過去ログ1、過去ログ2)、全体像をざっくりと捉えて説明するのが実にうまく、なるほど!と感心させられる。
この雑誌に紹介されている若手建築家たちの作品は既成の概念に捉われない自由な発想から創出されている。田根 剛さんの提案した「新国立競技場」、石上純也さんの宇部のプロジェクト「ハウス&レストラン」、平田晃久さんの「太田市美術館・図書館」、藤本壮介さんのパリのプロジェクト「ミル・アンブル」。これらの作品はいずれも赤と白のミックスタイプだ。
アッタマ固い私、感性ニブイ私は、赤か白か、はっきりしている建築の方が好い。白なら幾何学的にきちんと秩序づけらた真っ白。でも機会があれば純白ではない白(複雑な形態で幾何学的な秩序が分かりにくい建築)に赤を載せた(屋上緑化してある建築)太田市美術館・図書館」(群馬県太田市)は観てみたい。
追記:「イソップの店を見れば旬の建築家がわかる!」という記事にオーストラリア生まれのスキンケアブランド、イソップの店舗デザインを統括するデニーズ・ネリさんの話しが出てくるが、その中の**素材との丁寧な向き合い方や実験的なデザイン**ということばが今のこの国の建築家のデザインを的確に捉えている。
■ 平均寿命は寿命そのものを表しているのに対し、健康寿命は日常的に医療や介護を必要とせずに自立した生活ができる期間を指す。
長野県は長寿県として知られている。ネット検索して、2017年の平均寿命は男性が滋賀県の81.78歳に次いで2位で81.75歳、女性が1位で87.67歳だと分かった。ところが健康寿命は2016年のデータだが、男性は72.11歳で20位、女性は74.72歳でなんと27位。ちなみにトップは男性が山梨県で73.21歳、女性が愛知県で76.32歳。トップとの差はそれ程ないが、残念なデータではある。
まあ、健康であっても無為に過ごす日々が長くてはダメ。いかに充実の日々を過すか、人生長短ではない、密度だ。
■ 「市民タイムス」というタブロイド版の地元紙にマンホールカードに関する記事が載っていた(18年11月14日)。地元松本のマンホールカードが昨年12月から今年10月末までの11ヵ月間で4483枚配布されたという。私のカード(上)もこの数字の中に入っている。
現在までに全国364自治体で418種類のマンホールカードが発行されているということも記事に紹介されていた。
マンホールカードを集めている人も少なくないだろう。何かを蒐集するというのは最も一般的な趣味だ。
都はるみのレコードを数枚持っているだけでは趣味とは言わない。でも全て持っているなら、それは立派な趣味(都はるみは一体どのくらいレコードを出したんだろう・・・)。
■ こうして並べてみると火の見櫓の全形や屋根、見張り台、脚の形が皆よく似ていることが分かる。製作した鉄工所が同じであればもちろん似ているだろう。たとえ鉄工所が違っても、前例に倣え、学べ、ということで同じように製作したのかもしれない。
だが、女子高生が同じ制服を着ていても、個性を出すべく色々工夫しているように(って、観察したことがあるわけではなく、伝聞に過ぎないが)、ここに挙げた火の見櫓にも細部には色々な違いがある。
上田市、東御市にて 撮影日181117
東御市田中の火の見櫓
1143 東御市田中 常田公民館 4脚4〇KP型 撮影日
■ 昨日、上田市と隣の東御市で見てきた火の見櫓は14基、その全てが4脚4〇型だった。統計学的なことは何も知らないが、この結果から東信にはこの型が多いと判断してよさそうだ。
火の見櫓を真正面から見ると櫓が徐々に細くなっていく(逓減していく)様子がよく分かる。櫓は細身であり、逓減は直線的だ。
半円形に張り出したKP
近くの消防用倉庫の外壁に掲示してあった「消防信号板」
以上の14基で昨日の火の見櫓巡りの記録終了。
1142 東御市田中 田中公民館 4脚4〇型 撮影日181117
これだけ大きな屋根がありながら、なぜ半鐘は外に下がっているのか?
半鐘くんは母屋をサイレンに取られて軒先に移動せざるを得なかった・・・。
脚元の4方が交叉ブレース、この状態では櫓の中に入りにくい。これでは配慮が足りないと言われても仕方がない・・・。
ミニマムな踊り場