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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「槍ヶ岳開山」を読む

2009-05-31 | A 本が好き 

 
             △松本駅前の播隆像

 今日で5月も終わり。6月最初の本は新田次郎の『槍ヶ岳開山』文春文庫。

**百姓一揆にまきこまれ、過って妻のおはまを刺殺した岩松は、国を捨てて出家した。罪の償いに厳しい修行をみずから求めた彼を絶え間なく襲うのは、おはまへの未練と煩悩であった。妻殺しの呵責に苦しみつつ、未踏の岩峰・槍ヶ岳初登攀に成功した修行僧播隆の苛烈な生きざまを、雄渾に描く長篇伝記小説。** カバーの裏にこのように紹介されています。やはりプロの文章は上手いですね、簡潔で。

このところ仏像に関心が向いています。でもこの播隆上人について描かれた小説を読んでみようと思ったのは、別にそのためではありません、と言いきれるかどうか、あるいはそのためかもしれません。繰り返しの美学が思わぬところにまで関連してきたような気もします。

新田次郎。昔何冊か読みました。やはり新潮文庫で。

松本駅前に立つ播隆、いったいこの人はどんな人生を送ったのでしょう・・・。どうしてあの槍の頂上に立とうと思ったのでしょう・・・。


△常念の肩から槍の先が見えます。


 


伎芸天像に会いたい・・・

2009-05-31 | A 本が好き 



 本書に取り上げられている仏像は18体。それぞれの仏像のモノクロ写真(仏像の表情を捉えた美しい写真、アングルも絶妙です。)が中扉に載っているので、解説が理解しやすいです。それに各章には味わい深いタイトルが付けられています。例えば中宮寺の菩薩半跏像を紹介する章には「慈母の微笑に安らう」というタイトル、例の阿修羅像には「少年阿修羅に託す夢」、唐招提寺の鑑真座像には「瞼のうちに魂の輝きを秘める」というように。

興福寺の阿修羅像には光明皇后の密かな願いが込められていた、と著者は考えているようで、そのことについても説明がなされています。その内容は省略、悪しからず。

この阿修羅、今流行り(?)の草食系イケメンとかで女性に人気があるようですね。フィギュアも人気で、既に売り切れだとか。そういえば阿修羅展会場のミュージアムショップには売り切れの表示があったような気がします。

この本には、中年オジサンもファンになってしまいそうな仏像も紹介されています。「天平と鎌倉、時代を超えた仏師の合作」秋篠寺の伎芸天(ぎげいてん)立像です。

**伎芸天像は、腰を右に寄せて、ゆったりと立ち、顔を左に向けるとともに、わずかに傾けている。その表情は、たおやかな女性を思わせ、ファンも多い。**と著者は解説しています。写真で観るその物憂げな顔の表情は、私好み。上体しか写っておらず、像全体の様子が分からないのは残念です。

首を傾けた本像、鎌倉時代に行われた修理の際、首を接合する時に仏師の美的感性によって首が傾けられたということです。そのことで新たな魅力が生まれたんですね。そういうことがあるんですね。

巻末に奈良の寺院の地図が載っています。東大寺、薬師寺、興福寺、新薬師寺、唐招提寺、法華寺、そして秋篠寺。

伎芸天像に会いたい・・・。

『一度は拝したい奈良の仏像』山崎隆之/学研新書


青梅の民家

2009-05-30 | 建築・歴史的建造物・民家

民家 昔の記録 197810



今回は青梅市沢井、二俣尾(当時の地名)の民家

「建築士」という雑誌の今年の3月号に安藤邦廣さんが九州は日田の民家について書いている。

日田には杉皮葺きの屋根があるそうだ。茅葺の表面に杉皮を15cmほど重ねて葺くのだという。茅葺の優れた断熱性と杉皮の防水性と耐久性が兼ね合わさって、50年くらいの耐久性があるそうだ。この独特の屋根の葺き方は日田地方の他に奥多摩でも見ることができるという。

安藤さんの文章を読んで改めてこの写真を見た。上の立派な民家の屋根はどうも茅葺とは異なるような気がする(この写真では分からないが別のアップ写真を見た)。

下の写真の手前の屋根、これは明らかに茅葺ではない。樹種は不明だが、樹皮を葺いて竹で留めている。 あるいは珍しい構法なのかもしれない。

もっとよく観察しておくべきだった、と今回も後悔。

 


阿修羅、阿修羅

2009-05-29 | A 本が好き 

本の帯の阿修羅

■ 村上春樹の新刊が出ようが、今年は仏像だ。書店でも仏像関連本に目がいくようになった。

帯の写真の興福寺の阿修羅立像をはじめとして、飛鳥寺の釈迦如来像、法隆寺の釈迦三尊像、薬師寺の薬師三尊像、唐招提寺の鑑真坐像などなど奈良の有名な仏像たちの解説。モノクロの写真が芸術的。

阿修羅像は三つの顔と六本の腕を持つ異形なのに不自然さを感じさせないのは、なぜ? 少年の姿をしているのは、なぜ?

詳細な解説、踏み込んだ解説でなかなか興味深い。

『一度は拝したい奈良の仏像』山崎隆之 初めての学研新書

窪田空穂記念館

2009-05-25 | 建築・歴史的建造物・民家


歌人の窪田空穂記念館から本棟づくりの生家を見る。



窪田空穂の生家から記念館を見る。生家に呼応する切妻のデザイン。



■ 菱形の骨組み、木造でこれはないだろうという批判的なコメントを雑誌で読んだ記憶がある。主要部材は垂直と水平に使う、木造とはそういうものだという認識からすれば、確かにこれはない。が、別に常識にとらわれることもないだろう。自由な発想こそ創造の源ではないか。でも構造的に成立するんだろうか、と視覚的な不安を覚えることも事実。

窪田空穂記念館 設計/柳澤孝彦(東京都現代美術館、中川一政美術館などを設計)


 


間宮林蔵

2009-05-23 | A 本が好き 
世界地図に名前を残したたった一人の日本人

 今からちょうど200年前、当時半島なのか島なのか不明だった(樺太半島説が有力だった)樺太を二度探検して、半島ではなく島であることを確認した世界最初の人物、間宮林蔵。彼の生涯を描いた吉村昭の長編小説『間宮林蔵』/講談社文庫を読み終えた。



世界の果てともいわれていた樺太、間宮林蔵の調査の旅は困難を極めた。彼の人生の前半はこの奇跡の調査行によって役人からも街の人々からも畏敬の目でみられるが、幕府の隠密として生きた後半は、どうも芳しくないように思えた。シーボルト事件の密告者と噂され、転居を繰り返さなければならないほど世間の冷たい視線を浴びる。

悲しみを癒そうと久しぶりに訪れた生家、両親が亡くなって空家となっていた生家は朽ち果てていた・・・。人生の明暗、浮き沈み・・・。

久しぶりに読んだ吉村昭。新潮文庫に収録されている作品はほとんど読んだが、講談社文庫は初めて。間宮林蔵の晩年の孤独感を味わうには秋に読むのがいいかもしれない。

民家は面白い!

2009-05-23 | 建築・歴史的建造物・民家

■ 白馬岳は春になると代掻き馬の雪形が現れることに由来する名前。この代馬に白馬と漢字をあてた。白馬岳を「はくばだけ」と読む人がいるのは残念。地元の白馬村は「はくばむら」だが、白馬岳は「しろうまだけ」だ。

さて、今回はその白馬村で先日路上観察した蔵。



積雪荷重に耐えられるように柱で補強している。雪除けのために板をあてがうこともある(下は以前載せた写真)。貫(横材)を「はぜ」としても使い、藁束をかけている蔵も見かける。雪除けとしても有効だろう、あるいは実際そのためかもしれない。

今回は妻垂れに注目した。しばらく前、塩尻市内で見かけた蔵と同様、この蔵にも妻垂れが付いている。



雨や雪から蔵の外壁を保護するためにいろいろな対策を講じている。下の写真は高知県は安芸市内の蔵(民家 昔の記録)。多雨地域のため壁に水切庇をつけている。地方によってこれだけデザインが違う。だから民家は面白い!


繰り返しの美学@金沢21世紀美術館

2009-05-22 | B 繰り返しの美学



 建築家は椅子もデザインする。

金沢21世紀美術館のロビーに置かれている椅子「ラビット」。繰り返しの美学なセッティング。オブジェのようでもあってちょっと座るのをためらってしまう。というわけで座り心地の確認を忘れた、ような気がする・・・。覚えていない。

国立新美術館には有名な椅子がいくつもある。他の美術館にもあるはず、美術館では椅子にも注目だ。


感じて楽しむ仏像の世界

2009-05-21 | A 本が好き 


 前々稿で取り上げた『仏像の本』読了。

副題の「感じる・調べる・もっと近づく」は著者の仏像ガール(廣瀬郁実)さんがすすめる仏像へのアプローチのステップを示したもの。

仏像ナビゲーターとして活躍している廣瀬さんは大学で仏教美術を専攻した方。仏像に関する知識も当然豊富だと思う。だから書きたいこともたくさんあるだろうに、この本では仏像に関する基礎知識を簡潔にまとめて平易に書いている。文章のボリュームも少なく読みやすい。仏像の入門書として最適だと思う。

帯にあるように「これから好きになりたい人にも。前から大好きという人にも。」おすすめの一冊。

『仏像の本』仏像ガール(廣瀬郁実)/山と渓谷社

閉じている

2009-05-20 | 建築・歴史的建造物・民家



■ JIA会報の最新号の表紙に伊東豊雄さん設計の「座・高円寺」の外観写真が載った。「座・高円寺」(杉並区立杉並芸術館)はJR高円寺駅のすぐ近く、既に電車から2回見た。自閉的な建築という印象だ。機会があればカフェ体験くらいはしたいと思う。

この会報に伊東さんの「座・高円寺」を語るという講演記録が載っている。伊東さんは桜の木の下にまん幕1枚を張り巡らすことで、そこが日常と区別され、華やいだ場所になるとし、それこそが建築の原点だと語ったようだ。

先月NHKのテレビ番組「プロフェッショナル」に出演した際にも伊東さんはこのことをイラストを示して語っていた。まん幕の中で人は踊ったりねころんだり自由に振舞う・・・、この姿こそが伊東さんの理想の建築なんだとか。

しばらく前、桜の木の下も建築なんだ、と書いたが、さらに伊東さんが考えるようにまん幕を張り巡らして領域を明確に規定すれば、それはもう間違いなく「建築」だろう。

内でもあり外でもあるような、内外の区別が曖昧な「弱い秩序」の建築を伊東さんは創りたいそうだ。それにしては「座・高円寺」はキッチリ閉じている。


 


執念の作家 松本清張

2009-05-16 | A 本が好き 

 松本清張が芥川賞を受賞していると聞くと少し意外な感じがしないでもない。事実、受賞作の『或る「小倉日記」伝』ははじめ直木賞の候補作だったそうだ。それが、この作品には芥川賞がふさわしいということになったらしい。そのような指摘を誰がしたのかは、忘れてしまった。



今年は松本清張生誕100年にあたる年。ということで今日(16日)、NHKアーカイブスで松本清張の特集番組が放送された。30年以上も前に放送されたドラマ「依頼人」(主演:太地喜和子)と「或る「小倉日記」伝」のドキュメンタリー番組。

「依頼人」は何本かつくられた清張ドラマシリーズの作品のひとつ。当時このシリーズを見ていたという記憶がある。清張自身がこのシリーズに毎回台詞つきのチョイ役で出演していたことを思い出した。今日の放送でも清張の出演シーンが数例紹介された。

「或る「小倉日記」伝」は小倉在住時代の森鴎外の事跡を追求する青年の物語。小倉時代の鴎外の「小倉日記」の所在が当時不明だったのだ。

青年は実在の人物、田上耕作をモデルにしているが、母親と二人暮しにするなど事実とは異なる設定にしている。生年も清張と同じに変えている。分からないことを「執念」で追求する主人公の姿は清張の投影というか清張自身。

今日、この短編を再読してみた。田上は言葉と脚が不自由な青年。母親はわが子にひたすら愛情を注ぐ。

『砂の器』ではハンセン病に罹患した父親が子どもと共に故郷を追われ放浪の旅に出るが、この二組の親子の不幸をかかえながら、あるいは不幸故に強い絆で結ばれた関係がどこか似ているような気がした。

清張の短編小説はラストが印象的だが、この小説では所在不明だった「小倉日記」が主人公田上の死後、見つかるところで次のように終っている。**昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。(中略)田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。**

番組では松本清張へのインタビューも放送された。執念という言葉を繰り返す清張は**最後まで挑戦する気持ちが一番大事じゃないかと思う。**とコメントを結んだ。

『或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一)』新潮文庫


京都の空間の魅力を読み解く

2009-05-16 | A 本が好き 



 京都の神社、寺院、庭園の魅力を建築家の著者が「分けて繋ぐ」「見立てる」「奥へ」「くずす、ずらす」「透ける」「墨絵の世界」など、12のキーワードによって読み解く。

「くずす」**中国のシンメトリーの空間のかたちも日本に入ると寝殿造りのように「くずす」ようになることが見られる。**

「シンメトリー、左右対称は繰り返しのパターンのひとつだが、それが日本では繰り返さないという美学に転化される」ということ。

「墨絵の世界」**街はバラバラに集合していても、何か、「地」になるような共通要素を持っていると美しく見えるように思う。**

これも繰り返しの美学、「ゆるやかに秩序づけられた街並みは美しい」という指摘だと自分の視点に沿って理解する。

空間の魅力は「構成要素の繰り返し」というひとつの視点だけではもちろん捉えきれるものではない。その魅力はもっと多様なものだ。著者が設定した12のキーワードのうち「透ける」と「生けどる」は似たような概念ではないかと思う。

「生けどる」は具体的には「借景」という手法に代表される概念。遠くの景色を生けどる借景。それを可能にするのが「透かす」という手法。屋根の下に構成されている壁のない柱だけの空間が「透かす」を可能にする。木造だからこそ可能な「透かす」。外壁をガラスにするだけでは成立しない、日本的な空間構成。

著者は学生時代にこの「透かす」という言葉を西沢文隆さんの文章の中に見つけたという。

これからは「透かす」という視点を意識して空間観察をしてみよう。なにか面白いものが見えてくるかもしれない・・・。

『京都の空間意匠 12のキーワードで体験する』清水泰博/光文社新書


「安部公房全集」完結

2009-05-16 | A 本が好き 

 1997年に刊行が始まった「安部公房全集」新潮社がようやく完結したと先日新聞で知った。この全集、全30巻そろえると18万円以上になる。とてもまとめて購入できない。このような全集こそ図書館でそろえて欲しい。

すぐにブックオフ行きとなるような本まで図書館でそろえる必要があるのかどうか。図書館にはまともな本をきちんとそろえ、保存する使命(といえば大袈裟か)があると思う。



安部公房は高校生の頃、人気があった。『砂の女』や『箱男』などを最近再読した。

**アイデンティティーの喪失や都会の孤独を描いた作品は、混沌とした二十一世紀にふさわしい「現代文学」として再び注目を集めそうだ。**と新聞記事にある。

『第四間氷期』については**万能コンピューターが過酷な未来を予測する。**とある。はるか昔に読んだ本で内容は全く覚えていない。読みかけの本を一通り読み終えたら、再読してみようかな。


平出遺跡の倉

2009-05-14 | 建築・歴史的建造物・民家





■ 塩尻の平出遺跡は日本三大遺跡のひとつに数えられる。この遺跡に倉が復元された(元の形が正確には分かっていないから復元ということなのかどうか)。栗やくるみなど木の実を保存したのか、穀類を保存したのかは知らない。

掘建て柱の途中につけられた刀の「つば」のようなものは何?

これはねずみ返し。ねずみは柱を伝って登ろうにもこのつばを越えて上に行くことはできない・・・。なかなか賢い工夫だ。

屋根棟の納め方は今の茅葺の民家と変わらない。建築の基本的な形って縄文の昔からあまり変わらないのか・・・。


妻垂れ

2009-05-12 | 建築・歴史的建造物・民家



■ 先日塩尻市内を車で走行中、この蔵を見かけた。引き返して路上観察。

この頃は金属サイディングなどに改修されてしまった「妻垂れ」もよく見かける。しかしこれは木製、従来の姿を留めている。

先日塀の腰壁を雨から保護するために木製パネルを架ける例を取り上げたが、妻垂れも同様、壁面保護のために設置されている。漆喰は雨に弱いから。

妻垂れは長野県内では諏訪地方でよく見かけるが、以前、三重県や高知県、さらに韓国はソウル市外でも見かけた(写真)。



蔵のデザインにも地域性があって面白い。