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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

講談社現代新書 2000点

2009-07-30 | A 本が好き 


 1962年創刊の中公新書が今年の5月に2,000点を越えた。その記念として『中公新書の森』が作成された。

1964年創刊の講談社現代新書も2,000点に到達した。記念すべき2,000点目は分子生物学者、福岡伸一さんの『世界は分けてもわからない』。この本を本日購入した。今週末読む予定。

講談社は2,000点記念企画を何かするのだろうか。できたら中公新書のように記念冊子を発行して欲しいと思うが、どうなんだろう。講談社現代新書は装丁が変ってからはあまり読まなくなったが、昔はよく読んだ。

自室の書棚を見ると新書では講談社現代新書が一番多い。中公新書は装丁が地味、講談社現代新書は派手、好対照を成している。

ところで中公新書の2000点目は『戦後世界経済史』という経済の本。経済の本を手にすることはまず無いがいつかこの本を読んでみようと思う。案外面白いかも知れない・・・。

路上観察 高山の蔵

2009-07-26 | 建築・歴史的建造物・民家


高山の蔵 20090723

 高山市郊外で見かけた蔵。存在感のある立派な蔵です。山里というロケーションがいいですね。壁の白と黒のコントラストも魅力的。すっきりとした妻壁がそれを強調しています。腰壁は板(樹種は不明です。)の縦張り。このあたりでよく目にする構法です。

高山地方では梁や母屋などの小口を白く塗ることが多いですが、この蔵の登り梁の小口もやはり同様です。赤い破風の下に付けられた白の妻垂(?)は意匠的にどうなんでしょう、あるいは無い方がいいかもしれません。でも、それだと平凡かな・・・。

土蔵は普通の住宅の4倍程度の坪単価で、大工工事と左官工事がほぼ同額になったそうです(「民家をつくった大工たち」吉野正治/学芸出版社 1986)。ピッタリと閉じることができる扉は大工と左官の最高の腕の見せ所。息の合ったコラボでいい蔵をつくってきたんですね。 

飛騨の工匠は平安の昔から都の造営でも活躍したそうですが、その優れた技術を継承してきた職人たちが残した建築文化財、このまま後世に残して欲しいと願うばかり、といつもと同じことを書いておきます。


 


雨降りだ、本を読もう

2009-07-25 | A 本が好き 



 休日のひと時、カフェ・シュトラッセで読書しながら過ごす。

屋根を打つ雨の音、水が張られた田んぼを渡ってくる涼風、店内に静かに流れるピアノ曲。
こんな時は川上弘美の小説がいいなあ、と思いつつ『屋根の日本史 職人が案内する古建築の魅力』原田多加司/中公新書を読む。

 ***

先日(0714)見たNHKのテレビ番組「爆笑問題のニッポンの教養」で味覚の研究をしている九州大学大学院教授の都甲潔さんと爆笑問題が語り合っていた。

都甲教授によるともともと生物は「甘み」を好み、「苦み」を嫌う味覚を持っているのだそうだ。甘みは栄養、苦みは毒。どうもそのように生物にはインプットされているらしい。番組では単細胞生物の粘菌を使った簡単な実験によってそのことを実証していた。そういえば、♪あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ とホタルを誘う童謡があったっけ。

ところが、人はいつの間にかこの苦みを好むようになった。コーヒーを好むのもその一例だ。

苦みは毒というデータが人にもインプットされているためだろうか、苦いコーヒーを飲むときほんの一瞬、ためらいが生じる。さあ飲むぞ、その時たぶん自分にそう言い聞かせるのだろう。理性による本能の説得だ。

ところが、である。カフェ・シュトラッセのコーヒーを飲むとき、この一瞬のためらいは生じていないのではないかと思う。実に素直にというか、スムーズに飲むことができる。深煎りのコーヒーがまろやかで、甘みさえ感じるのだ。

 ***

『屋根の日本史』原田多加司/中公新書

この本を読むと、古代から優れた建築技術が連綿と受け継がれ、磨かれてきたことが分かる。そしてそのような技術が今、廃れつつあることも。伝統的な建築文化を捨てたこの国の当然の帰結、悲しい・・・。

**近代以降のわが国の歴史は、有り体にいえば職人の矜持(きょうじ)をなし崩しにしていった過程であって、「近代化」や「画一化」という巨大なひき臼によって、ひき潰されていくという根の深い社会問題を孕んでいた。** 

著者は家業の桧皮葺師・柿葺師の10代目 原田真光を襲名し、国宝や重要文化財など指定建造物の修復を多数手掛けている職人。


 


車椅子は椅子か?

2009-07-25 | A あれこれ考える

 皆さんは車椅子を使う生活の経験、ありますか?

昨日の新聞(信濃毎日新聞)のくらし欄に車いす(記事の表記に倣います)に関する記事が載っていました。**生活の場に応じて対応が可能です。** **車いすは生活の質にかかわるもの。** このような内容から、車いすを椅子としても使うことを前提として記事は書かれていることが分かります。記事のタイトルも「生活に応じ 楽な姿勢で」となっています。

車いすは椅子と同じなのでしょうか。確かに座面と背もたれがありますから、椅子と同じです。でも車いすの大きな車輪はどうも安定感に欠けます。椅子の脚のようにしっかりと床に据えられているという感じがしません。車輪が固定されていても、です。それとフットレストが気になります。フットレストは名前の通り、足を置くところですが、やはり床に足を置くのとは明らかに安定感、安心感が違います。フットレストを跳ね上げて床に足を置くこともできますが、フットレストが邪魔で足の位置が自由になりません。

このように車いすと椅子とは明らかに違う、と私は思うのです。ちなみにウィキ
ディアにも**車椅子は、身体の機能障害により歩行困難となった者が利用する移動手段、福祉用具である。**とあります。福祉用具ということばに椅子としての機能が含まれているのかどうかは分かりませんが・・・。

老人ホームにお邪魔すると、お年寄りが車いすでテーブルに向かって食事をしていたり、テレビに向かっているところをよく目にします。そこに私は違和感を覚えてしまいます。車いすは椅子ではないのですから・・・。

その一方で介護する方のことも考えるのです。日常生活の様々な場面で車いすから椅子にお年寄りが移乗するのをサポートする。一日に何回も。これは大変なことでしょう。介護員が腰痛に悩まされ、職を離れなくてはならなくなってしまうということもよく耳にします。車いすから椅子への移乗をなくせば、かなり楽なことは分かります。それで、車いすを椅子としても使う・・・。

1台29万8000円と記事に紹介されている車椅子(かなり高額ですね)には背もたれが倒れるリクライニング機能、ひじ掛けの高さが調節できる機能、背もたれと座面の角度を変えないで傾けられるチルト機能などが付いているそうです。でも、私はやはり普通の椅子がいいです。普通の椅子に座って食事がしたいです。

新聞記事を読みながら考えてしまいました。

「日常生活の質の確保か、介護の負担軽減か、それが問題だ」 


 


路上観察 高山の民家

2009-07-24 | 建築・歴史的建造物・民家

■ 所用で飛騨高山へ。帰路、国道158号線から少し外れて高山市郊外の集落内を走行、民家を路上観察した。



これを車内から見かけた時、一瞬「懸魚か?」と思った(懸魚←過去ログ参照)。

既に書いたことだが、懸魚は棟木の小口を塞いで雨水による腐朽を防ぐという機能を本来持っている。それが次第に飾りとして凝った意匠が施されるようになったもの(と私は解釈している)。過去ログには懸魚の原初的な、機能のみの形を載せた。

路上観察したこの民家、形が過去ログのものと似ていたので懸魚か、と思ったのだった。が、よく見ると懸魚が隠すべき棟木の小口は顔を覗かせている。

これは妻垂、壁を雨から守るために付けた垂れ壁、と解釈すべきかもしれない。通常妻垂は軒桁あたりから上部を全て覆うようにつくられているが、この場合はなぜかその範囲が狭い。これで、雨を防ぐという機能が発揮できるものかどうか・・・。

あるいは、単なる飾りなのかもしれない。こんなとき、家の方に訊いてみても、さあ、昔から付いているのでよく分かりません・・・、といった答えが返ってくることもある。

勝手な解釈を試みるのが楽しい。学術的な調査研究ではないのだから。


 


蔵の妻壁の保護

2009-07-24 | 建築・歴史的建造物・民家

 

 土蔵の壁を雨から守るために板で覆ったものを見かけることはよくある(左の写真 長野県池田町にて 撮影2009年7月)。が、右の写真のように樹皮で覆ったものはあまり見かけない。これは伊予大洲、愛媛県の大洲市で見かけた土蔵(撮影1980年3月)。妻壁を杉皮で覆って竹で留めている。

板で覆うとなるとちょっと大変、大工さんに頼まないとなかなかできないが、樹皮を留めるような施工なら、やろうと思えば素人でも出来る。古い民家ほど特別な技術を要せず、素人でも施工できるようになっている。隣近所で協力して造ってきた民家、その素朴さが魅力だ


 


「胎児の世界」

2009-07-24 | A 本が好き 



■ 胎児は生命の進化の過程を再演する。

**胎児たちは、あたかも生命の誕生とその進化の筋書きを諳んじているかのごとく、悠久のドラマを瞬時の〝パントマイム〟に凝縮させ、みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。**とこの本の著者、三木成夫氏はまえがきに書いている。

第Ⅱ章「胎児の世界」で著者は「比較発生学」の名でよばれる、学術的な知見によってこのことを実証的に示してみせる。

**胎児は、受胎の日から指折り数えて三〇日を過ぎてから僅か一週間で、あの一億年を費やした脊椎動物の上陸史を夢のごとくに再現する。**と紹介した上で、受胎32日、34日、36日、38日、40日の頭部顔面を真っ直ぐ正面から写生した図を示す。

32日の図は上陸と降海の二者択一を迫られた古代魚類の時期なんだそうだ。その後胎児の顔が劇的に変化していくことが図によって分かる。1億年分を1週間で再現するのだから劇的な変化は当然か。

第Ⅲ章「いのちの波」 それまでのいわゆる理系的な表現から変わり、詩的なというか、文学的な表現によって生命のリズムについて綴られている。

**こうして生物リズムを代表する食と性の波は、四大リズムを代表する太陽系のもろもろの波に乗って無理なく流れ、そこにはいわゆる生と無性の違いこそあれ、両者は完全に融け合って、一つの大きなハーモニーをかもし出す。まさに「宇宙交響」の名にふさわしいものであろう。** とまあこんな調子に。

ところで、学術的な研究は対象領域を狭く限定し、その中で深く掘り下げることで成果を挙げてきた、といっていいとは思う。でも、領域を狭くしてしまうことで見えなくなってしまう事柄も当然あるとよく指摘される。

木を見て森を見ず、木をどんなに詳細に観察してもそこから森の姿を知ることは出来ない・・・。病気に罹った臓器だけを詳細に診ても患者を診察したことにはならない・・・。

この本の著者の三木さんは、ただ木を見るだけでなく何歩も後退して森を見、さらに後退して海も見、同時に宇宙をも見た研究者だったと思う。そのような総合的な視点、というか、神の視点をもてたからこそ、生命の進化という悠久の流れを胎児の成長に見ることが出来たのだろう。

私が抱いているイメージの中公新書らしからぬ一冊、久しぶりにわくわくしながらの読書だった。



 


まちとしょ テラソ 2

2009-07-22 | 建築・歴史的建造物・民家



■ 外壁は同じ設計者による茅野市民館と同様、縦長の壁面とガラス面を交互に繰り返して構成している(前稿の写真参照)。

さて、再度特徴的な屋根についてだが、このような曲面を構成するのは難しい。鉄筋コンクリート造と鉄骨造、どちらも設計も大変だが、施工も大変だ。ちなみにこの図書館は鉄骨造。仕上げは金属板(材質は分からない)の一文字葺き。このもっこり屋根のてっぺんあたりは水仕舞が出来るんだろうか。用心深く下地の段階でもきちんと防水しているだろう。

ところで図書館は蔵書の全貌が一度に見渡せることが望ましい、と私は思う。「知の総体」に身を置きたいという欲求を満たしてくれる空間。そこで思い出すのが、アスプルンド設計のストックホルムの図書館だ(関心のある方は「アスプルンド」と「図書館」の2語で検索してみて下さい)。

調べてみると小布施のこの図書館は床面積が約1,000㎡、屋根の形そのままの天井を杉の角材で仕上げている。 樹をモチーフにしたと思われる何本かの「枝付き鋼管柱」が立っているだけで、内部を仕切る壁は無い。前述の意味でなかなか好ましい空間だ。

今回はちょっと立ち寄っただけ、次回は内部空間をじっくり体験したい。


 


まちとしょ テラソ

2009-07-22 | 建築・歴史的建造物・民家



■ 先日小布施町に新しい図書館「まちとしょ テラソ」が開館したことを新聞で知った。設計者はプロポーザルで選ばれた古谷誠章さん。二次選考には伊東豊雄さんや、隈研吾さんも残ったそうだ。公開で行われたというプレゼンテーション、見たかった・・・。

この図書館の外観の特徴は手のひらで水を受ける時の形、それを伏せたような屋根。里山をイメージしているのだとか。もう少し引いて遠くから写真を撮ればそのもっこリした屋根の様子がきちんと写ったかと思う、残念。

今回は以上で、続きは次回。


 


本のことも書かないと

2009-07-19 | A 本が好き 
 すでに梅雨は明けたとのことだが(関東甲信は明けた、「越」も明けたのかな)、このところ毎日のように雨が降る。それもかなり激しく。まあ、天候はデジタルに変化するわけではないから、梅雨明けの日を明確に示せるわけではないだろう。あとでまだ梅雨は明けていなかった、と訂正されるかもしれない。

さて、このところ蔵モードにどっぷり。本のことも少し書いておかないと。今積読中の本はこの2冊。



『旅はゲストルーム』浦 一也/光文社知恵の森文庫 

「TOTO通信」という企業誌に連載中の「旅のバスルーム」というシリーズをまとめた文庫。先日東京は乃木坂のギャラリー間で購入。積読中。読了後、備忘録しよう。

『屋根の日本史』原田多加司/中公新書

日本の建築の屋根の通史。建築に関する基礎的な知識として押えておきたい内容。紀伊國屋書店 新宿南店で購入。やはり積読中。

『胎児の世界 人類の生命記憶』三木成夫/中公新書

現在読書中。この本に関しては**解剖学という自然科学の知識を背景にしながらも、晩年は一種の自然哲学としか言いようのない独自の世界を切り開いていた三木。この本は、その三木の世界の真髄を易しく一般向けに書き直したもの。**という金森 修氏の紹介文が『中公新書の森』に載っている。

最近は福岡伸一さんの生物に関する本が、分かりやすくて面白いと評判だが、この本も負けず劣らず面白い。

蔵の庇 

2009-07-16 | 建築・歴史的建造物・民家


松本市梓川 撮影日090711 


松本市内 撮影日090712  
 
■ どーも蔵モードから抜け出せない。

今月11日の朝、松本市梓川で蔵の瓦葺きの庇を路上観察した。私のそれほど多くない蔵観察の印象から瓦葺の庇は珍しいのではないか、と書いた。が、この見解が妥当かどうかは分からない。あるいは別に珍しくないのかもしれない。下の蔵の湾曲している庇は銅板葺き。この庇ならよく見かけるような気がする。

瓦葺きの庇と銅板などの金属葺きの庇、全国的な分布にはどのような傾向があるだろう・・・。気になる。


 


「劔岳 点の記」を観た

2009-07-13 | E 週末には映画を観よう

明治40年7月13日 

そう、いまから102年前の今日、陸軍参謀本部陸地測量隊が剣岳登頂に成功した(登頂日についてはいくつか説があるようだが)。

日露戦争後、国防のために日本地図の完成を急ぐ陸軍。地図に残された空白域を埋めるために剣岳登頂と測量に挑んだ男たちの記録。

創設間もない日本山岳会も海外から取り寄せた最新の装備で剣岳初登頂をめざしていた・・・。

「陸軍の威信にかけて剣岳の初登頂を果たせ」「山岳会に負けてはならぬ」という厳命。

木村大作監督は「これは撮影ではない。〝行〟である」とスタッフに告げたという。陸軍の陸地測量隊の剣岳登頂を100年ぶりに再現するというプロジェクト、その登山隊のメンバーがたまたま俳優だった、と言っていいかもしれない。実際登頂シーンの撮影は7月13日に試みられたというから、徹底している。ただしこの日は頂上付近がガスって数日後に撮影されたそうだ。

映画では深い人間ドラマが展開されるわけではない。主役は測量手たちや案内人ではなく立山連峰だ、と思った。映像の全てが実写、CG無しだという。空撮も無し。

エンド・クレジットが印象的だった。ただ<仲間たち>とだけ紹介されて、立山連峰の美しい映像をバックにゆっくり流れるのは氏名のみだった。監督、照明、録音、ヘアメイクといった職種の紹介は一切無し。唯一例外は新田次郎で原作者と紹介された。

広大な自然の中では人間なんてちっぽけな存在だ。でも使命を果たすべく懸命に奮闘する・・・。

原作も読まなくては。


 


文字書き道祖神

2009-07-11 | B 石神・石仏




路上観察 松本市梓川の道祖神 090711

 ここ松本平では古くからの集落は山際に在ることが多い。集落内には蔵があり、道祖神がある。

前稿の蔵を路上観察しての帰路、この道祖神を見かけた。大胆な文字、前衛的! 三角の石、碑面いっぱいに勢いのある文字が彫りこまれている。文字の一部がかくれてしまっているのは残念。

文字書き道祖神はいままで取り上げなかった。像を彫ったものと比べると平凡という認識だから。だが、これはなかなかいい。


 


蔵いろいろ 松本市梓川

2009-07-11 | 建築・歴史的建造物・民家


路上観察 梓川の蔵 090711

 数日前、たまたま車で通りかかった松本市梓川(旧梓川村)で見かけた蔵。「あ、瓦葺の庇だ!」先日南木曽町で見かけた蔵と同様に瓦葺の庇があった。



今朝、改めて路上観察してきた。窓周りの漆喰細工。そのデザインは装飾過多でもなく簡素でもなく、程よい。丁寧につくられている。このままの状態でずっと保存して欲しい。今このような細工ができるのかどうか。仮にできるとしても相当費用がかかるだろう。

下の蔵も梓川で見かけた。下屋付きの蔵の場合、妻側のデザインをまとめるのが難しい。

妻壁の中心線を少し左に外した窓。太い窓上のまぐさと窓下の台座(窓台)。シンプルな鉢巻き。下屋はなまこ壁の見切りを一段下げている。そこに付けられた横長の小窓、その四隅にも細工が施されている。壁の白さが清々しい。存在感のある蔵だ。



蔵はいろいろ。面白い。