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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

学生時代に読んだ本

2014-02-28 | D 新聞を読んで


信濃毎日新聞 2月27日付朝刊第一社会面より

 昨日(27日)の朝刊にこの記事が載っていた。昨年の秋に全国大学生協連が行った調査によると大学生の40.5%が読書にあてる時間をゼロと答えたそうだ。1日の読書時間は平均26.9分。下宿生の書籍購入費は月1820円。全国30大学の学生8930人の回答結果だという。

学生の間でスマートフォンが普及。ゲームなどのアプリに比べて、読書の優先順位が後退したためではないか、との分析も紹介されている。大学の授業などで本を紹介されることだってあるだろうに・・・・。



学生時代に環境工学のK教授が世界一流の頭能はすごいと評し、フランス生まれの細菌学者ルネ・デュボスの『健康という幻想 医学の生物学的変化』紀伊國屋書店(初版1964年)を紹介してくださった。早速買い求めて読んだことを覚えている(20代で読んだ本には水色のテープが貼ってある)。初読がいつか記録にないが、1978年9月に再読した記録がある。

**本書は世界的な細菌学者たるデュボス博士が、豊かな生物的知識を基にし、過去と現代、文明と未開、人間と動物、気象と人間など多角的に人類が病気と闘ってきた歴史を反省しつつ、透徹した思想により、本当の健康とはどういうものであるかを設問する。現代人におくられた秀れた健康論、人生論として万人におくる一級の書である。** このようにカバー裏面に紹介されている。

ルネ・デュボスの著作については松岡正剛氏も「千夜千冊」で取り上げている。(→こちら

その中で松岡氏は本書について**ぼくが一番おもしろかったのは『健康という幻想』である。これは人類がどのように健康や長寿を求めたかという歴史を、ふつうなら病気の歴史にしてしまうところを、ひっくりかえして「健康幻想史」にしてみせたのだ。それを抗生物質の発明者が書くところが、デュボスのデュボスたるゆえんなのである**と書いている。

もう1冊『粗い石』フェルナン・プイヨン/大和書房(初版1973年)。やはり学生時代に確か英語の教授が「君たちは建築学科の学生だから」と薦めてくださった長編小説。

帯に**南仏トロネの僧院建設をめぐる純粋な信仰と赤裸な人間の罪とを抒情的瞑想のうちに描き切った傑作長編**とある。馴染みの無い世界を舞台にした小説で描かれている場面がリアルにイメージできず、読みにくかったことだけは今でも覚えている。

再読する機会はもう無いかもしれないが、共に残しておきたい500冊、いや200冊に入る本だ。


 


『道草』を読む

2014-02-26 | A 本が好き 



 漱石の作品で読んだことのあるものを挙げる、となれば、『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』を挙げる人がたぶん多いだろう。続く作品となると『こころ』や『三四郎』、『草枕』あたりか。

『道草』や『それから』、『門』、『行人』などの教科書に作品名が出てくるようなものは、知ってはいてもきちんと読んでいないという人が案外多いかもしれない。などと私的なというか、個人的な事情をもって一般化してはいけないか・・・。昔、漱石の作品はひと通り読んだ(つもり)だが、内容はあまり覚えていない。

自室の書棚から『道草』を取り出した。カバー裏面に**近代知識人の苦悩を描く自伝的小説。**とある。そうか・・・。内容をすっかり忘れているが、読むなら寒いこの時期が相応しい作品だろう。


 


映画「小さいおうち」を観た

2014-02-23 | E 週末には映画を観よう

 山田洋次監督によって映画化された中島京子の直木賞受賞作『小さいおうち』をようやく観ることができた。

私の関心は帯の柄のこと(→過去ログ)。松たか子演ずる奥さんが玩具会社に勤める夫の部下でデザイナーの板倉(吉岡秀隆)に惹かれて不倫関係になるが、そのことに女中のタキさん(黒木華)が、帯の柄で気がつくというくだり。

出かける時は右側にあった帯の一本独鈷の柄が板倉の下宿を訪ねて帰って来た時は左側にあったというのだ。それでタキさんは奥さんが板倉のところで帯を解いたことに気がつくというわけ。

でも柄が左右にずれる、そんなことがあり得るのだろうかと疑問だったが、どうやら帯の裏表が同じ柄でそうなったということのようだ。帰って来た奥さんが部屋で帯を解くシーンがあるが、そこでこのことが分かる。だが、このとき胴に巻いた帯の柄も上下にずれるのでは・・・。映画ではこのことを見逃して確認できなかった。

この映画ではいろんなことが説明的だった。奥さんが板倉に惹かれていることが観ていてすぐ分かるし、板倉もまた奥さんが好きなことも分かる。説明的な表現をしないと内容を理解してもらえないということなのかもしれないが、細かな描写で表現してもよかったのでは、と感じた。

昔観た映画では、何のことなのか、何を表現しているのかよく分からないことがあった。今の映画は総じて分かりやすくなったような気がする。

帯の柄のことは原作に忠実に描いているが、お太鼓の柄が上下に少しずれるということなら締め方であるだろうから、そのことに気がつくということにすればよかったのでは。帯を締めてからタキさんに見てもらっていたということにしていれば、柄の少しのズレにも気がつくだろうから。

原作でも映画でもなぜだろうと考えさせるのは、奥さんが板倉に渡すようにタキさんに託した手紙のことだ。「なぜタキさんは板倉に奥さんの手紙を渡さなかったのか」  タキさんも板倉のことが好きだったから、というのが私の見方だ。

戦争によって不本意な生き方を強いられた人たちの不幸を描いた映画、と解釈しておこう・・・。


 


成熟社会に相応しい施設

2014-02-23 | 建築・歴史的建造物・民家

■ 『建築ジャーナル』という月刊誌があるが、その2月号(最新号)と1月号に「新国立競技場案を考える」という特集が組まれた。

国際コンペの当選案、いや新国立競技場のプログラムそのものに問題ありと指摘する建築家・槇文彦氏の論考「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」に多くの人が関心を持ち、一般紙にも取り上げられた。論考の中で槇氏はオリンピック後の維持管理や収支見通しなどについても、広く説明する責任があるという指摘もしている。過去ログ→こちら

槇氏の論文が掲載された冊子→こちら


新国立競技場案に対する関心の高まりを受けて、『建築ジャーナル』で特集が組まれたのだろう。2月号に「後世に負の遺産を与えてはならない 新国立競技場は50年先を見越したプランになっているのか」と題する沖塩荘一郎氏の論考が掲載された。

FM(ファシリティマネジメント)に詳しい沖塩氏は新国立競技場の寿命について、地球環境を考えて100年以上は良好な状態を保ちたいとし、その上で施設のLCC(ライフサイクルコスト)を過去の事例を参考に実証的に検討している。それによるとLCCは50年で初期投資の4倍、100年で7~8倍は予想しておく必要があると考えられるそうだ。

当初予算が1300億円とされていた新競技場だが、実現には3000億円必要との試算が示された。その後規模の縮小などで約1700億円まで落とされたが、維持・更新費、運用費に50年でその4倍かかるなら6800億円、100年で1兆1900億円~1兆3600億円!となる。これが沖塩氏が危惧する負の遺産か・・・。

いけいけどんどんな経済成長期の発想ではダメ、あり得ないということだろう。

成熟社会に相応しい施設や省エネのあり方を世界に示すという絶好の機会を東京は、日本は放棄してしまったのか・・・。


 国際コンペの審査員を務めた建築家・内藤廣氏のコメントはこちら


当選案(当初案)

この中で内藤氏は**わたし自身は、どうせやるのなら、この建物に合わせて東京を都市改造する、くらいの臨み方がよいと思っています。**と書いている。ということは、東京をエイリアンのような都市に変貌させていこうということ・・・? 

いや、これは世界に示すべき環境配慮型の未来都市の姿なのかも。


 


― 「火の見櫓暮情」

2014-02-22 | A 火の見櫓っておもしろい



火の見櫓暮情』 (←クリック)/内藤昌康/春夏秋冬叢書(愛知県豊橋市)  

 この本は2010年の春に買い求めたが、訳あって、いや別に訳など無いが、ずっと手元になかった・・・。で、先日改めて買い求めた。

帯に**豊饒な物語の上に火の見櫓は立っていた。**とあるが、三河・遠州の火の見櫓の立つ土地に関するレポート。そう、火の見櫓そのものより、土地に力点を置いている。

火の見櫓のある風景のカラー写真が実に味わい深い。手元に置いておきたい一冊。



書籍のチラシ(出版社のHPからの転載)


編集・デザインを手掛けた味岡伸太郎さんの紹介はこちら

いつか火の見櫓の本を書かなくては・・・。


 


― 落下防止カゴ

2014-02-20 | A 火の見櫓っておもしろい



 建設現場に設置されたセメントミルクをつくるミニプラント。円筒形のセメントサイロ壁面のタラップを囲むこのネットの名前は・・・。



大町市内の火の見櫓でときどき目にする梯子のケージと目的は同じ。だが工事現場で名前を訊いてもはっきりしない。で、結局「落下防止カゴ」ということに落ち着いた。調べると安全カゴという呼び方もあるが、これからは火の見櫓の梯子に設置されているケージを落下防止カゴと呼ぶことにする。



 


458 459 沼市の火の見櫓

2014-02-17 | A 火の見櫓っておもしろい

 
458

■ 先日栃木県に出かける機会があった同僚のY君とT君。ふたりが鹿沼市内の火の見櫓の写真を撮ってきてくれた。火の見櫓の全体像、見張り台から上の様子、そして脚元と、きちんと私が押さえておきたいポイントを撮っているところはさすが(トリミングするなど、少し手を加えたが)。

この火の見櫓は4角形の櫓に8角形の屋根、円形の見張り台(いずれも平面形)という構成。櫓の踊り場から上はサイズ(平面寸法)が変わらない(逓減していない)。見張り台直下までなだらかなカーブで次第に細くなる櫓とは印象が違う。



屋根の下り棟の先にくるりんちょな蕨手(わらびて)が無いので、なんとなく物足りない。屋根を支える骨組みは柱の先端にフレームを回しただけのあっさりしたもの。屋根に厚手の鋼板を用いているのだろうか。それにしては変形している・・・。

見張り台の床はスノコ状にはなっておらず、鋼板を張ってある。これは古い部類の火の見櫓か。

半鐘が屋根の外側にはみ出している。屋根の中心に吊るさないのは叩きやすさを優先した結果だろう。 半鐘を雨にさらすわけにはいかないと考えれば、この位置には吊るさない。床にサイレンが設置してあるから、今はこの半鐘を叩いていないかもしれない。



脚は初めて見るタイプ。高い櫓の割には心もとない。私好みの美脚からは「遠い」。

 
459

上の火の見櫓とは違ってカチっとした印象だ。屋根と見張り台が共に4角形のためだろう。



やはり叩きやすさ優先か、半鐘を屋根の端に吊るしてある。この見張り台のどこに消防団員は立つのだろう・・・。見張り台と踊り場のスノコ状の床にハッチが付いている。



脚部にもブレースが設置してあり、脚のデザインが施されていないのは残念。脚元はすっきり片付けておいて欲しいなぁ。


 


52 ヤグラーさんに会えた

2014-02-16 | C 名刺 今日の1枚

52枚目 南信在住のヤグラーさん

 

■ 昨年の11月に京都で51枚目の名刺を渡す機会があったが、その後今までなかった。今日(16日)、52枚目の名刺を南信(長野県は北信、中信、東信、南信と4つにエリア分けがなされる)在住のヤグラーさんにお渡しした(これ以上のことは秘さなくては)。

安曇野まちなかカレッジ 安曇野学講座で「火の見櫓っておもしろい」と題してお話させていただいた。記録的な大雪で中止かと思ったが、主催者に昨夕確認すると予定通り、とのことだった。ならば遅刻するわけにはいかぬ、と昼食後に出かける予定を変更、朝8時過ぎに家を出た。

幹線道路は既に路面が顔を出していたが(写真は会場近くの道路の様子。穂高消防署と火の見櫓もどきの消火ホース乾燥塔)、枝道は圧雪路面でデコボコ状態で幅も狭く、すれ違いに苦労することも何回かあった。

だが思いの外早く、10時過ぎには穂高の会場に到着した。遠回りでもできるだけ幹線道路を選んだことが幸いした。この道路状態では参加者も少なかろう・・・と思っていたが、意外にも定員30名を数名下回るだけだった。

名刺をお渡ししたヤグラーさんは、高速道路が不通だったためだろう、会場まで下道を来たそうだ。うれしいというより、びっくりした。かなりの広域、火の見櫓巡りをしておられ、ネット上では以前から知っている方だ。遠路はるばる来た甲斐があったと思っていただけたかどうか、気になるところ。

昨日、知人は出かけていた名古屋からできれば参加したいと電話してきたが、無理だと今日伝えてきた。道路が通行止めで長野県内に戻ることができないのだから仕方ない。

*****

パワーポイントを使って話し続けること約100分、のどはカラカラに、疲れた。言い落とさないようにしたいことをメモしておけば良かったかな、と反省。

火の見櫓っておもしろい!と思っていただけたなら目的達成だ。


 


― 雪の造形

2014-02-15 | A 火の見櫓っておもしろい

 大雪です。我が家の庭で積雪量を測ったら110センチありました(15日9時半現在、8日の積雪分を含む)。長野県内各地で観測史上最多の積雪を観測しています。松本でも2月では過去最多の74センチ(11時現在)とのことです。



3角錐の屋根にさらさらした雪が積もってこんな美しい形になりました。 火の見櫓の屋根がこんな優雅な形だったらいいですね。やはり自然の造る形って美しいですね。 

屋根の形が円錐だったら、放物線の回転形に近い立体形でしょうか、いや懸垂線の回転体に近いのかもしれません。これは数学的に、いや物理学的にかな、示すことができる形なのかもしれません。


 


スクラップ

2014-02-08 | D 新聞を読んで

    

 建築史家の鈴木博之さんの逝去を7日の朝刊で知った。手元に1972年7月28日の毎日新聞に掲載された鈴木さんの論文のスクラップがある。「都市の未来と都市の中の「過去」」と題するこの論文に興味を覚え、スクラップしておいた。40年以上も前のことだから、そのときのことははっきとは覚えていない。あの頃は興味を引く記事をスクラップしていた。都市や建築、生物に関する記事が多い。

**歴史的地区だからといって、建物全体を保存することは、むずかしい。建物の内部には、都市活動の営みがあり、建物は営みに制約を与えるからである。都市の営みに対応しながら歴史的な面影を消滅させない方法を考えなければならない。**とこの論文中にある。そしてその方法論について論じている。

*****

7日の信濃毎日新聞の記事には鈴木さんの略歴に加え**JR東京駅の赤れんが駅舎復元や愛媛県八幡浜市の日土小学校の修復保存など、各地の近代建築の保存活動で大きな役割を果たした。**と業績が紹介されている。



私は鈴木さんの著書の熱心な読者ではない。が、例えば「日本の近代」全16巻の『都市へ』中央公論新社(発行1999年)などは再読し、日本の都市の近代化に関する知識としたい。


謹んで哀悼の意を表します。


Less is more

2014-02-05 | A あれこれ考える



■ 『地球家族 世界30か国のふつうの暮らし』 という本があります。初版発行が1994年のTOTO出版の本です。「申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい。」と世界30か国でお願いして撮った写真を載せています。

本の表紙(上の写真)はアフリカのマリの家族と家の中の持ち物のほとんど全てを写したものですが、物が驚くほど少ないですね。日本も取材対象の国のひとつで、取材を受けたのは平均的なサラリーマン家庭でしょうか、写真を見ると家の前に物が溢れています。

多くの物に埋もれて暮らすというライフスタイル(?)が物の大量生産、大量消費をベースにした右肩上がりの経済成長を支えてきた、ということなんでしょうか。それともその逆、「大量生産、大量消費、そして大量廃棄」という経済システムがそのような暮らしを強いたということでしょうか・・・。

30か国の家族の持ち物の写真を見比べ、暮らしぶりのレポートを読むと、豊かな暮らしというのは家の中に物が溢れているということとはあまり関係ないのではないか、と思えてきます。

いつ捨てても惜しくないような大量の物ではなくて、本当にかけがえのないもの、そう、例えばおばあさんが嫁入り道具で持ってきた箪笥、おじいさんが使っていた旅行鞄を大切に使う。壊れたら修理して使うというようなライフスタイルの方がずっと豊かではないかな、と思います。

建築家のミースは建築デザインについて Less is more という言葉を残しました。これはライフスタイルにも当て嵌まる美学かも知れません。


 


どんな本が残るのだろう・・・

2014-02-03 | A 本が好き 

■ 自宅にある数千冊の本を少しずつ減らしていこうと思い始めています。

今後5年で2,000冊くらいまでにすることができればいいなと。ただ、これからも読みたい本は買い求めるつもりですし、ブックオフに持ち込むつもりも今のところありませんから、どうなるか分かりませんが・・・。いや、別に「終活」などということを考え始めたわけではありません。まだそんな歳でもありませんし。でも、まあ、少しはあるかもしれません・・・。

2,000冊を減らして1,000冊、更に500冊にした時、一体どんな本が残るのか・・・。実行してみないと分かりません。もう一度いつか読みたいと思うような本が残りそうな気がしますが、どうなるのか・・・。

これはある意味自分探しです。200冊、いや100冊になったとき、そうか、こういう人だったのかと自分のことが分かるのかも・・・。まあ、こんな楽しみもあっていいでしょう。

その時までもしブログを書いていたら、その100冊をアップしてもいいかもって、今回はなんだか寂しい記事になりました。


 


ブックレビュー 1401

2014-02-02 | A ブックレビュー

 

 ここ何ヶ月読書時間が減って、いまや隙間時間でしか本を読まなくなってしまった。で、1月の読了本はこの3冊のみ。

『空海の風景 上』 司馬遼太郎/中公文庫 

昨年末に再読を始めた上巻を読み終えた。

上巻のカバー裏面の本書紹介文に**平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。**とある。遣唐使船で目的地より遥か南方に流れ着き、そこから長安に上る経緯は空海が天才を思わせるに十分な活躍で感動的だった。

司馬遼太郎が**空海という、ほんの一年か二年前までは山野を放浪する私度僧にすぎなかった者が、幕を跳ねあげるようにして歴史的空間という舞台に出てくるのは、この瞬間からである。**(264頁)と書いている箇所があるくらいだ。

帰国後の最澄と空海との生きざまの違い(再読でふたりの生きざまの比較に随分紙幅を割いていることに気が付いた)にも空海の天才ぶりが表れている。

今年11月、高野山に出かけることになっている。それまでに『般若心経講義』も読んでおきたい。

『成長から成熟へ』 天野祐吉/集英社新書

NHKラジオの早朝番組で天野さんの「隠居大学」を聴いていた。昨年の秋に亡くなった天野さんが日本人に遺したメッセージ。書名がこの国のこれからのありようを示している。右肩上がりの経済成長を前提とする社会なんてもうあり得ない・・・。

『小さいおうち』 中島京子/文春文庫

隙間時間ではなく、休日まとまった時間を割いて一気読みした。描かれている日常から「昭和」を感じる作品。山田監督がこの作品をどのような映画にしたのか観てみたい。



 


457 朝日村の古い火の見櫓

2014-02-02 | A 火の見櫓っておもしろい

 
457 「大正14年ガソリンポンプ購入放水披露」

 朝日村の開村100年を記念する冊子を入手した。明治22年に開村した朝日村の100年間の歩みをまとめた20年以上も前の冊子だ。掲載されている何枚かの写真の中にこの写真があった。丸太を組んだ火の見櫓が写っている。大正14年というと今から89年前になる。当時の村の様子を記憶している人は年齢的にごく少数だろう。

火の見櫓はてっぺんまでは写ってはいないが、様子から高さは16、7メートル程度か。丸太梯子に支えの丸太柱を組んだ簡素なつくりだ。横架材で3本の丸太柱を繋いでいることが分かる。

この火の見櫓はいつ建てられ、いつ解体されたのだろう・・・。

写真には妻面を向けた蔵とその両側に杮(こけら)葺き石置き屋根が写っている。当時の村役場の屋根も同じ構法だったことが冊子の別の写真で分かる。

この火の見櫓は役場の近くに立っていたのかもしれない。蔵が今でも残っていれば場所が特定できるのだが・・・。


 


「空」とは

2014-02-01 | A 本が好き 



 『般若心経講義』高神覚昇/角川ソフィア文庫 

本書の初版発行は昭和27年9月。長年読み継がれてきた本だ。この事実をもって名著としてもいかもしれない。「時」というフィルターは名著だけを残す(なんちゃって)。

**仏教の根本思想を一言でいえば「空」だといい、それはまた仏教の一種の謎だとする著者が、空を説いた『般若心経』を丹念に読み解いていく―。 (中略) 仏教思想ばかりでなく、日本人の精神文化へと、読者を誘ってくれる。味わい深い般若心経の入門として名高い書**  カバー裏面の紹介文より

じっくり読もう・・・。




類書も買い求めた。