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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

本が好き

2021-10-31 | A 本が好き 


 朝日村でこの2日間(30、31日)文化祭が行われ、写真展を開催している朝日美術館も会場になっていた。今日は10時ころ約束通り友人が写真展を見に来てくれた。その後、何人か村の人に来場していただいた。「目の付け所がいいね」「小屋と火の見櫓とどっちが先?」「説明文がおもしろい」などと感想や質問をいただいた。会場内の食堂・もりのこびとで食事したのは2時頃だった。4時間近く会場で説明していたことになる。

食事の後、村民提供の古本が無料の古本コーナーへ行き、2冊入手した。

『死に急ぐ鯨たち』安部公房(新潮社1986年)
安部公房の作品は昨春処分しなかったから、この評論集も文庫で手元にあるが、単行本も欲しいと思った。こうして本が再び増えていく・・・。

『床と床かざり』監修・千 宗室 文・井口海仙(淡交社1966年発行 1974年11版発行)
茶室の床や掛物、花入などを解説した本。茶道そのもに興味があるわけではないが、茶室や茶道具などには多少興味があるのでこの本も欲しいと思った。裏千家茶道教本 器物編(全6巻)の第1巻。


 


「あ、火の見櫓!」写真展

2021-10-31 | A 火の見櫓っておもしろい


大町市美麻にて

 朝日美術館で11月7日までの会期で開催している「あ、火の見櫓!」写真展、会場のふれあいギャラリーに66基の火の見櫓の写真(68点)を展示している。1番目の写真はぼくが最初に出会ったこの火の見櫓を写したもの(会場にはここに載せたものとは別の写真を1枚展示している)。

それぞれの写真の下に説明文を付けたが、この火の見櫓については**私を出口無き火の見櫓の世界に迷い込ませた1基です。大正15年に建てられました。防災のシンボルとして大切にされています。**と書いた。


火の見櫓の後方に写っているのは鹿島槍ヶ岳、特徴的な双耳峰。




この写真では分かりにくいが、木造の柱脚を固定する石造の添え束に「大正十五年四月」と建設年月が刻まれている。

注:2012年に移設された。


昨日(30日)は午前9時半ころ来場していただいたKさんや彼女の身内の方、友人の方に説明をした。66基全ての説明をすると、1基1分でも1時間以上かかってしまうので、何基かは省いた。拙書『あ、火の見櫓!』を持参された方から記載内容に関する質問も受けた。また、昨年豊科のカフェで行ったギャラリートーク(過去ログ)に参加したという方もふたり居られた。

その後、幼なじみで飲み仲間のY君や、やはり幼なじみのCちゃんが、知人と一緒に会場に来てくれた。来場時間がずれていたために、午前中3回説明することに。とても楽しい時間だった。



静岡県富士宮市北山にて(展示写真)

この火の見櫓の説明文には**富士には火の見櫓もよく似合いますよ、太宰さん。雲に覆われていた富士山頂が数分間だけ顔をのぞかせてくれました。遠出をしたご褒美だったと思います。**と書いた。


今日(31日)の10時ころ友人の来場予定あり。



ブックレビュー 2021.10

2021-10-30 | A ブックレビュー


 読書週間(10/27~11/9) 10月の読了本は5冊。

『本所おけら長屋』十七巻 畠山健二(PHP文芸文庫2021年)
この巻に収録されている短編4編もこだわりの「ひらがな4文字タイトル」。帯に**思いっきり笑えて、気持ちよく泣ける、人情時代小説の決定版!**とあるが、本当にその通り。巻末に掲載されている著者のプロフィールに、演芸の台本執筆も手掛け、ものかき塾の講師もしていることが紹介されているが、よくこれだけの物語を創作できるものだと思う。才能のある方なのだろう。何巻まで刊行されるのか分からないが、ずっと追っかけをしたい。

『門』夏目漱石(新潮文庫1948年発行、1994年100刷)
手元にある文庫は100刷、名作は読み継がれる。読書の秋に漱石の小説は相応しい。他の本を読む間、中断していた『虞美人草』を読み始めた。

『全国2974峠を歩く』中川健一(内外出版社2018年)
峠は歴史を感じさせるタイプカプセルだという著者が10年間で訪ねた約3,000カ所!の峠の歴史を紹介する。対象が何であれ、マニアの世界を紹介する本は面白い。

『ヴィジュアルを読みとく技術』吉岡友治(ちくま新書2021年)
どうやらこの本の内容を読みとく技術が私にはなかったようだ。

『魚にも自分がわかる』幸田正典(ちくま新書2021年)
魚もヒトと同じように鏡に映った魚を見て、それが自分だとわかるということを実証的に明かす研究。ホンソメワケベラという小さい熱帯魚を使った実験。寄生虫に似せた茶色の印を喉に付ける。喉は直接見ることが出来ないが鏡でなら見ることができる。ホンソメワケベは鏡を見て、寄生虫に似せた印を確認。砂底に降りて、喉を砂で擦ったという。まるで「あ、喉に寄生虫が付いている!」と確認したかのような行動。鏡に映った姿を見てそれが自分だと分からないと、このような行動はとらない。「鏡像自己認知」。さらに砂で喉を擦ったあと、また鏡をのぞき込む行動が見られたという、「寄生虫、とれたかな」と確認するかのように。

研究は「魚の自己意識」の確認へと進む。一体どうやって?と思いながら読み進むと、なるほど!な実験方法が紹介されている。2020年に東大で開催されたシンポジウムで鏡像自己認知について発表すると、この研究に関する論文に反論を書いていたドゥ・ヴァール教授(*1)から絶賛されたという。この件(くだり)を朝カフェで読書していて涙が出た。そう、新書で涙。


*1 鏡像認知ができるのは、ヒトや類人猿までだとする研究者も多い。底辺の魚類に自己認知ができるのなら、彼らが築いてきた価値観がひっくり返るし、彼らの常識からはあり得ないのだ。典型的な批判者は、チンパンジー研究の第一人者であるドゥ・ヴァール教授や、何度も名前が挙がっているギャラップ教授である。**(150頁)


 


難しいことを易しく説く

2021-10-27 | D 新聞を読んで


 今日(27日)の信濃毎日新聞朝刊の15面教育欄に上掲した見出しの記事が掲載された。著者は数学者の秋山 仁氏。秋山氏は記事の中で**「もし、あなたがその理論を単純で非専門的な言葉で説明できないのなら、あなたは本当に理解してはいないのだ」**というラザフォードのことばを挙げている。ラザフォード・・・、高校の物理の教科書に出てきたような気がする名前。同記事に原子核模型を研究した人だと紹介されている。ラザフォードのこの言葉は知らなかったが、本当にその通りだと思う。

秋山氏は分かりやすい説明について次のように書いている。**始めに自分の言いたい主張を明確に述べ、全貌を俯瞰し、その問題の本質を理解させた上で、平易な言葉で理路整然と相手の腑に落ちるように話を展開すること。** 


伊那市高遠町にて

なぜ末広がりのフォルムで脚がある火の見櫓は美しいのか? 

構造的に合理的な形だから(ここでは構造的に合理的な形が美しい形だということを前提としている)、と一言で済ませたいがそれでは理解してもらえない。「曲げモーメントのグラフに相似する形だから」などと説明するのはダメ。風や地震の力に無理なく抵抗できる形と説明してもピンと来ないと思う。

もっと直感的にこのような形が構造的に合理的であることを理解してもらうことはできないだろうか・・・。

脚を横に大きく開いて立ってみてください。もうひとりの人があなたをぐっと押します。真横から腰のあたりを横に押される場合と後ろから前に押される場合とで、踏ん張れるのはどちら?

横から押される時ですよね。このことはおそらく経験的に皆さん知っています。

「上の火の見櫓は脚が4本あって横(左右)方向にも前後方向にも開いて立っているので、前後左右に風の力で押されても、地震の力にも踏ん張っていることができるのです」と説明すれば、自分の経験と照らし合わせて分かってもらえるのでは。ただし末広がり、別の言い方をすれば上方に向かって徐々に逓減していることについては、説明できていない。

僕はまず電線のたわむ様(カテナリー曲線)について触れ、このような火の見櫓が美しいのは自然の求めに素直に応じた形だからと、説明することがあるけれど、この説明ってどうなのかなぁ。


 


「魚にも自分がわかる」

2021-10-26 | A 本が好き 


『魚にも自分がわかる 動物認知研究の最先端』幸田正典(ちくま新書2021年)

 久しぶりに知的好奇心を刺激されるおもしろい本と出会った。

魚類の脳の構造はヒトの脳の構造と同じと書いてある(22頁)。中学のときかな、単純な魚の脳に、次第に新たな脳が加わって哺乳類の複雑な脳ができたと教わったと思う。でも、そうではなくて、魚もカエルも鳥も同じ構造だというのだ。それが今世紀に入ってからの脳の捉え方だという。脳の構造が同じであれば機能も同じと考えるのが自然だろう、その性能には差があるだろうが。

魚も相手個体の顔を見て個体識別をしているとのこと(46頁)、そう、ヒトと同じように。え、そんなことをどうやって実証したのかな? 本書で著者はこの疑問に対して、なるほど!な実験方法と実験結果を紹介し、実験結果についても注意深く論考している。さらに魚も鏡像自己認知ができるということも紹介している。そう、鏡に映る魚が自分だと分かるというのだ。本書の第四章の章題は「魚類ではじめて成功した鏡像自己認知実験」。

本書はロジカルな展開で理解しやすい。ちょうど半分くらいまで読み進んだ。この本は年末に挙げる「今年の3冊」の1冊になると思う。


 


「あ、火の見櫓!」写真展の会場で

2021-10-24 | A 火の見櫓っておもしろい





 長野県朝日村の朝日美術館で開催中(10/16~11/7)の「あ、火の見櫓!」写真展。

昨日(23日)会場で、ある火の見櫓に関係するふたりの方、OさんとFさんの対面が叶った。

私とOさんとの出会い:信濃毎日新聞(2014年4月18日付朝刊29面)にわれら「火の見ヤグラー」という見出しの記事が掲載されたが、ある方がその記事を読まれ、その内容をOさんに伝えていただいたことがきっかけで知り合いになった。Oさんからは火の見櫓に関する貴重な資料をいただいた。

Fさんとの出会い:FM長野で平日の夕方に「ラジモ」という帯番組が放送されていた(番組は終了している)。2019年11月6日にこの番組の「ジモトーク」という地元のことを語る(地元トークからジモトーク)コーナー出演して(過去ログ)火の見櫓のこと、出版した『あ、火の見櫓!』のことを語った。偶々この放送を聞かれたFさんがそのことを地元自治体の広報紙に書かれた。Fさんは私が放送の中で紹介した火の見櫓が立っている自治体の関係者だった。広報誌に私のことを紹介していただいたことが縁で知り合いになった。


大町市美麻の火の見櫓(現在は移設されている)撮影日2010.05.04

全てはこの火の見櫓との出会いから始まった。昨日この写真の前で、おふたりにお話しした。
「もしこの火の見櫓と出会わなかったら、出口なき火の見櫓の世界に迷い込むことはなかったと思います」
「このような写真展の開催や、火の見櫓のある風景をスケッチすることも、本の出版もなかったです」  
「おふたりと知り合いになることもなかったでしょうね」
 過去ログ


 


「ヴィジュアルを読みとく技術」

2021-10-21 | A 本が好き 


『ヴィジュアルを読みとく技術』吉岡友治(ちくま新書2021年)

 帯のことばに惹かれた。**センスで感じるのではなく、ロジックで解釈すると・・・ 感性と論理が一つになる。**

幾何学の問題を解くカギは有効な補助線を引くことができるかどうか。本書の著者・吉岡友治氏は近現代絵画を解釈する手立てとして社会学や政治学、哲学や人類学など、さまざまな補助線を引くことを挙げている(256頁)。

このことを「はじめに」でも次のように書いている。**見たものを語る技法は、別にアートや芸術学の語彙や話法の中に閉じ込められているわけではない。むしろ、アートやヴィジュアルは、そういう限定された話法を超えて、我々が生きる世界に直接つながる。それぞれが自分の語彙を利用して、あるときには哲学の、あるときには政治学の、またあるときは社会学の話法で語っても全然構わないはずだ。**(12頁)このことが要点ではないか。

理解力不足故、どうも話の展開、論理の流れがよく分からない。要するに自分なりのバックグラウンドで補助線を引き、自分なりに見て、自分なりに語ればよいということなのだろうか・・・。著者の言いたいことは、このようなことではないような気もする。


 


「あ、火の見櫓!」写真展

2021-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい


なんだか楽しい造形 飯山市蓮にて 

 朝日美術館で今月16日(土)に始まった「あ、火の見櫓!」写真展、今週は23日(土)の午後1時ころから3時半ころまで在廊します。数名の方からこの日に行きますという連絡をいただきました。30日に5人で行きますという連絡も。

火の見櫓は十基十色、姿形の多様性を見ていただき、おもしろいって思っていただけたら幸いです。


 


「全国2954峠を歩く」

2021-10-20 | A 本が好き 


『全国2954峠を歩く』中川健一(内外出版社2018年)

 この本のことは「石丸謙二郎の山カフェ」というNHKのラジオ番組で知った。毎週土曜日の朝8時5分から始まるこの番組を時々聴くことがあるが、9月4日放送のこの番組に著者の中川さんが出演されていて、峠の魅力を語っておられた。で、この本を読んでみたいと思ってしばらく前に注文していた。

この本の構成は以下の通り。
「峠っておもしろい!」
「峠の楽しみ方」
「効率良くまわるために乗り物に工夫を重ねた」
「厳選峠!33の物語」
「絶対行きたい峠120」
「僕がまわった峠リスト2801」

中川さんは2008年に峠めぐりを始めて10年間で全国2954の峠を制覇したという。このことにまずびっくり。多くは徒歩ではなくバイクや四駆の車でだけれどすごい数だ。

本には峠そのものに関する情報はあまり多くはなく、カバーに「歴史散歩を峠で楽しむ!」とあるように峠にまつわる歴史に関する記述の方が多い。それぞれの峠の地図が掲載されていないのは残念。だが、今は便利。ネットで検索すれば簡単に地図を見ることができる。こんなところにある峠か・・・、場所を確認してびっくりすることも。この本を索引にあちこちの峠をストリートビューで追体験というのか疑似体験というのか、もできる。時間があるとき、パソコンの画面で峠に行くのも楽しいだろうな。

**日本には3773の峠が存在するが**(5頁)とさらっと書いてあるが、どのように調べたのか紹介して欲しかった。それから巻末に「僕がまわった峠リスト2,801」が掲載されてるが、3,773すべての峠をリストアップして欲しかった。「僕が調べた日本の峠 リスト全3,773」という具合に。


道つながりではこんな趣味の本も。過去ログ

凡そ世の中にあるもので人の趣味の対象になっていないものはない。自然のものであれ人工のものであれ、必ず趣味にしている人がいるものだ。デープな世界を覗くのは楽しい。


 


十三夜

2021-10-18 | A あれこれ考える

 十三夜。陰暦の9月13日の夜の月。夜空に浮かぶ少し歪んだ月をしばらく見ていた。

整形の満月を愛でるという習慣は平安時代に中国から伝わったと何かで読んだ(読んだ書名は忘れてしまった)。少し歪(いびつ)な形の方を好むという心性が日本人にはあるようだ。都市計画然り。中国からシンメトリックな都の計画がこの国に伝わったが、いつの間にか、それがくずれてしまった。寺院の伽藍配置然り。

 
飛鳥寺の伽藍配置(左)と法隆寺西院の伽藍配置(右)「日本名建築写真選集4 法隆寺」新潮社より

寺院の伽藍配置における塔の位置の変化。塔が中心にあると伽藍全体の「バランス」が良くない、美しくない・・・。左右対称でかつ強い中心性を示す配置は日本人の美意識に合わなかった。浮かんできたのは非対称、塔を中心から外した伽藍配置。そのイメージに合わせて塔の位置を変えた・・・。


過去ログを再構成した。


1314 辰野町伊那富の火の見櫓

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1314 上伊那郡辰野町伊那富 3無36型 撮影日021.10.16

 遠くから上の写真を撮った時、屋根は6角形だと思った。だが、車で通過する時に屋根が3角形だと分かり、スルーするわけにはいかないと思って引き返してきた。


見張り台が6角形で屋根が3角形という組み合わせは記憶にない。柱3本の場合には3角形の屋根は支えやすく、構造的に合理的だが、覆うことができる面積が少ないために、もっと簡易な火の見櫓では見られる。ただし、その場合には見張り台も3角形(隅切りをしている場合が多いが)のことが多い。梯子に火の用心と書いた板を取り付けて、登れないようにしてある。


 


辰野町沢底日向の庚申碑

2021-10-17 | B 石神・石仏


上伊那郡辰野町沢底日向 石神・石仏 撮影日2021.10.16

 辰野町沢底日向で見た青面金剛像2体


光背型の石(高さ68cm、幅46cm)に一面六臂の青面金剛を納めている。像の上に日輪と月輪。
像の右手には上から宝輪、宝剣(体の前)、矢を持ち、左手には三叉槍(剣?)、人身(体の前)、弓を持っている(手元の本による俄か勉強で得た知識)。顔の怒りの表情がなかなか好い。脚の下に馴染みの三猿。 



細長い碑形(高さ100cm、幅38cm)の上部に日輪ふたつ、と思って調べると、月にも円形のもの(満月か)があるという(『庚申信仰』平野 実(角川選書1969年 57頁)。だからこれも日輪と月輪か。


四手。合掌している二手、他の二手に持っているものはよく分からないが右手は剣?(単なる棒ではないと思うが)、左手は蛇?(蛇を持つことはあるようだ。*1)顔はやはり憤怒の表情か。

刻字 像の両側に文字があるようだが読めなかった。碑の裏面は未確認。


*1 上掲書52頁 **右側三手が上からそれぞれ輪・矢・索を持ち、左手三手が上からそれぞれ矛・弓・棒を持っている。以上三例が比較的一般の型であるが、このほか持ち物には、鍵・斧・数珠・独鈷・三鈷・どう幡(どう:漢字変換できず)・日月輪・宝珠・卍・蛇など各種あり、なかには空手のものもある。**


辰野町沢底入村の道祖神

2021-10-17 | B 石神・石仏


上伊那郡辰野町沢底入村 双体道祖神 撮影日2021.10.16


 山の斜面に何基かの石仏と共に双体道祖神が祀られている。「日本最古の道祖神」という看板が設置されている。説明文は文字のペンキが剥落していて読み取れない。


櫛形に整えた石(高さ75cm、幅50cm)に双体道祖神が彫られている。男神が女神の着物(服装についてはよく分からない)の裾を男神が手で掴み、女神が手を添えて開いているように見える(*1)。となると、ちょっとエッチなしぐさということに(*2)。厄病神はアツアツのカップルには寄り付かないとのことだから、このしぐさも頷ける。集落の賽の神としての役割を負う神様のデザインに相応しいともいえるだろう。両神の姿形が整っていて、石との大きさのバランスも良い。


像の右側に永正二年、左側に入澤底中と彫り込まれている。永正二年は室町時代で西暦1505年。建立年が彫り込まれた道祖神で最古と言われている。ただし真贋は定まってはいないようだ。像がそれほど損耗していないということも、後年同じように彫って建立し直したのではないかという理由のひとつに挙げられている(*3)。安曇野でよく見られる花崗岩の道祖神は損耗しやすいが、石質によっては経年に伴う損耗がそれ程ないこともある。仮に損耗してしまって像がはっきりしなくなったからと、建立し直すことが道祖神や青面金剛像などの石神・石仏で実際に行われていたのだろうか・・・。仮に行われた場合、再建立した年を刻まないということも不自然だと思うがどうだろう。作風についても指摘があるが、凡そ芸術表現というものはいつの世でも多様なものと捉えたい。入澤底中という刻字について。今は沢底入村だが、昔この地は入澤底村だったようだ。室町時代のことは不明。


*1 このような姿を「裾まくり像」と分類している文献もある。『双体道祖神』伊藤堅吉(緑生社 発行年不明)
*2 直接的な表現のものもある。
*3 上掲書にこの道祖神について次のような記述がある。**像碑の風化状態、作風などから、後年同所にあった古碑の口伝年代をこの碑を再建した時刻入した疑念がある。**(105頁)ただし双像記年刻銘代表碑表(107頁)には掲載されている。ちなみに同表で 2番目は大永2年(1522年)所在地はやはり長野県で北安曇郡松川村大泉寺となっている。


1313 辰野町沢底の火の見櫓4

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1313 上伊那郡辰野町沢底入村 入村ふれあいセンター 3無66型 撮影日2021.10.16

 沢底の一番奥の集落・入村、後方に山が迫っている。ここにも火の見櫓が立っていた。


長野県の南信地区には4角形の火の見櫓が多いが、昨日(16日)沢底で見た火の見櫓は4基とも3角形だった。なぜ、中信地区には3角形が多くて南信には4角形が多いのか、理由は全く分からない。

外付け梯子の段数と間隔(ピッチ)から見張り台の高さが約8.1メートルだと分かった。この高さを外付け梯子で昇り降りするのは怖いだろうな(といつも思う)。沢底公民館近くの火の見櫓(1311)はピカピカだったが、この火の見櫓はサビサビ。




柱で支えていない下り棟(稜線部)を両側の柱から持ち出した曲線部材によって支えていることがよく分かる。錆びていることもよく分かる。


手すり付きの外付け梯子。櫓の下部はやはり脚でないと。


「道祖神 200m」の看板が立っている。日本一古い道祖神となると、見に来る人が少なくないのだろう。




1312 辰野町沢底の火の見櫓3

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1312 上伊那郡辰野町沢底 沢底公民館の近く 3無66型 撮影日2021.10.16

 沢底川沿いに集落が点在する沢底地区を奥へと進む。最古と言われている道祖神がある入村地区はこの先だ。途中、沢底公民館のすぐ近く、アイストップのように火の見櫓が立っていた。




反りが強い6角錘(六角錐という表記が一般的)の屋根頂部に飾り付きの避雷針、下り棟下端に平鋼の蕨手。6角形の見張り台を大きく欠いて外付け梯子を取り付けている。手すりのデザインは蔓状、曲線のデザインが多く、このような直線で構成されたものは少ないという印象。6本の下り棟の内、3本を柱で支えているが、柱の無い残り3本の下り棟を支持材で突いている。錆止め塗装がされているのは好ましい。消防信号板も内側を向けてきちんと取り付けられている。


柱脚のコンクリート基礎が少し心もとない。


部材接合部 柱材の等辺山形鋼に溶接接合したガセットプレートに横架部材の等辺山形鋼(柱材よりメンバーは小さい)をボルト接合している。ブレースの丸鋼は曲げた端部を引掛けただけの引掛け接合(このような呼称はない。私の造語)。