透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブルームーン

2015-07-31 | A あれこれ

 月の満ち欠けの周期を28日と思っている人が案外多い。これは誤りで、約29.5日が正しい。

29.5日となるとひと月に2回満月になることは稀だが、今月は2日と今日、31日が満月。この月2回目の稀な満月をブルームーンという。ちなみに次回のブルームーンは2018年の1月だという。


ブルームーン 20150731 夜9時過ぎ

ブルームーンと聞くとカクテルが浮かぶ。ブルームーンには叶わぬ恋という意味があるそうだ。ネットで調べると女性が男性からの誘いを上品に断るときに注文するカクテルとしても知られているという記事があった。

この状況って、バーでふたりで飲んでいて、その先に進もうと誘って、それはお断りという意思表示としてブルームーンを注文するということになるのだろうか。なるほど、それで叶わぬ恋というわけか・・・。

ふたりともこのことを知らないとややこしいことになりそうだ。


 


長期休暇

2015-07-31 | A あれこれ

 私の肝臓はかなりお疲れモード。 今年はほぼ毎日働いてきたから。



先週末にはこんなビッグサイズのハイボールも飲んだから・・・。

で、今週の月曜日から休暇に入っている。長期休暇になるかどうかは私次第。

8月4日は平日なのに酒席を伴う会合がある。そこで連休ストップになるかな・・・。

今週は休肝と早寝早起きをしていて、体調はだいぶ良くなってきた。   


 


「平城京と木簡の世紀」

2015-07-29 | A 読書日記



 講談社の『日本の歴史』全26巻の第4巻「平城京と木簡の世紀」を読み始めた。

この時代になると史料が多くなるようで記述がかなり詳細になっている。書名の通り木簡も多数発見されているという。

律令国家としてのシステムが整っていく過程についても記述が詳しい。もともと日本史に関しては、ごく断片的な知識しかないので、なかなか理解が全域に及ばない。でも一読することに意義があると自分に言い聞かせて読むことにする。


 


万延二年の道祖神

2015-07-26 | B 石神・石仏


塩尻市洗馬小曽部にて 撮影日150726

仲睦まじい男神と女神の双体道祖神。お互い相手の肩に手を掛け、握手している。手が妙にリアル。碑の裏に萬延二酉二月と建立年が刻んである。

調べると万延(萬延)2年の2月19日に文久と改元している。だから万延2年の建立というのは珍しいだろう。


 


73、74枚目はミス松本に

2015-07-25 | C 名刺 今日の1枚

    

松本駅前で飲んでいて、Mさんがチンチロリンでピンゾロを出した。するとこんなビッグサイズが・・・。片手では持つことも出来ず・・・。出た目によってハイボールが半額かな?、になったり、サイズが倍になったりする。  これは普通サイズの4、5倍はありそう。



73 74

美女がふたり入ってきた。酔っぱらって、スケベおやじと化していて・・・、少し話をした。ミス松本のMさんと元ミス松本のYさんとのことだった。ふたりにプライベート名刺73、74枚目を渡した、ってただそれだけ・・・。

明らかに定量オーバーで、かなり酔っぱらってしまった。 イカンなぁ


わたしんちにやってきたフチ子さん


赤坂 氷川神社

2015-07-23 | C 狛犬

 赤坂の氷川神社には7対もの狛犬が棲んでいて狛犬マニアの聖地なんだとか。このことを知ってから、私もいつか行ってみたいと思っていました。今月16日に早くもここを訪ねる機会を得ましたが、訳あって気持ちの余裕がなくて、じっくり狛犬を観察することができませんでした。それからもうひとつ言い訳、小雨が降っていて傘をさしていましたから、メモを取ることもできませんでした・・・。加えて情けないことに最寄りの地下鉄駅から迷ってしまって(道に迷うということはあまり経験がありません)、なかなかこの神社に着くことができませんでした。 

今回は御朱印を入手して狛犬観察は次回と思いましたが、下見と割り切って写真を撮りました。再訪の機会を待ちたいと思います。


明治15年(1882年)

獅子山の上で威嚇的なポーズをとる狛犬。 狛犬にはデザイン上の制約などないですから、クライアント(制作依頼主)や石工の遊び心でユニークな姿の狛犬もあるわけですが、こんな個性的な狛犬を見るとうれしくなります。




なぜこんなことに・・・


昭和12年(1937年)

この一対は向かって右側が口を閉じた吽形、左側が口を開けた阿形ですが、一般的には逆です。敢えて逆に設置したことに何か意図があるのでしょうが、それがどんなことなのかは、分かりません。





大正4年(1915年)

目の上の渦巻きが目立っています。目をまわした狛犬の漫画チックな表現かと思ってしまいます。





この見るからに古そうな狛犬は江戸時代前期、延宝5年(1677年)の生まれです。ブタのようでもありカエルのようでもあるような・・・。


 



江戸時代後期 弘化3年(1846年)生まれの狛犬です。 この狛犬はきっちり彫り込んであって、なかなか魅力的です。時間をかけて観察したいところです。阿吽両狛犬とも子持ちですね。

以上で5対です。この時、他にまだ2対あるはずという意識にはならずじまいでした。

確かにここ赤坂氷川神社が狛犬マニアの聖地と呼ばれるのも頷けます。狛犬のデザインって多様ですね。だからおもしろいのですね。


 


「氷壁」

2015-07-22 | A 読書日記


上高地横尾より前穂高岳東壁を望む 撮影日150714



■ 井上靖の長編小説『氷壁』を再読した。切れないはずのザイルが岩壁登攀中に切れた、という「事件」。この小説の重要なモチーフはよく知られている。

『氷壁』を読んだのは確か高校生の時だったと思う。しばらく前、上高地の横尾から前穂高岳を望む機会があったが、その時にこの小説を思い出していた。

若きふたりの登山家が正月に前穂高岳の東壁を登攀中、ナイロンザイルが切れて、ひとりが墜落死してしまうのだった。小説のストーリーはなんとなく覚えてはいたが、どんな結末だったのか、すっかり忘れてしまっていた。

自室の書棚にこの文庫本を見つけることができなかったので、先日都内の書店で改めて買い求めた。その日(16日)は台風11号の影響でJR中央線も高速バスも運休していたので、 長野経由で夜遅くに帰松したが、その車中で読み、さらに週末にも読んで、昨晩(21日)読み終えた。

『氷壁』は山岳小説というイメージがあるかと思う(文庫本のカバー写真からもそんな印象を受ける)が、恋愛小説だ。

主要な登場人物は主人公魚津恭太と彼の親友小坂乙彦、ふたりが魅せられて恋する人妻八代美那子、小坂の妹かおる。それに魚津の上司常盤大作と美那子の夫教之助。

忘れてしまっていたラスト。魚津は小坂の妹かおると結婚の約束をしたものの、美那子への思慕の情は断ちがたく・・・。涸沢岳の西尾根の斜面で起きた落石、回避できたであろう落石の中を進み・・・。

**ガスの流れの中に魚津は立ちつくしていた。後方には美那子がいる。前方にはかおるがいる。そう魚津は思った。そう思うと、実際、そのように魚津には信じられて来た。
前へ進むべきだ。進まなければならぬと魚津は思った。自分はかおるのところへ行かなければならぬ。美那子の幻影を払いすてるために、自分はこの困難な危険の多い山行きを思い立ったのではないか。**(560頁)


ああ、なんと男は純なことか、そして愚かなことか・・・。 


久國神社の狛犬

2015-07-21 | C 狛犬



 偶々ここ(六本木2丁目です)を通りかかりました。16日の午前10時ころのことです。鳥居の前の狛犬に呼ばれたような気がしたのです、とかなんとか。



で、立ち寄ってみることにしました。この額の社名文字は勝海舟が書いたそうです。御祭神をネットで調べると倉稲魂命(うかのみたまのまこと)と出てきました。


狛犬ツーショット



石段を上り、鳥居をくぐると左側に遊具を設えた児童公園が、右側に拝殿がありました。





右側の狛犬(獅子)は口が大きいです。股間情報でオスだとわかります。






台座の刻字からこの狛犬は皇紀2600年(1940年、昭和15年)に発起され、1943年、昭和18年に竣工していることが分かりました。第二次大戦のさなかにできた、いや生まれたんですね。となると戦勝を祈念してこの狛犬が立案、制作され、奉納されたんでしょう。この国の命運をも負わされた狛犬ということになります。同様の狛犬が全国にいくつもあるのでしょう。

ところで、これだけ立体感のある鬣(たてがみ)を見ると、石を彫って仕上げてあるという感じがしません。左側の狛犬には立派な角があります。本来の姿ですね。なかなか精悍な顔つきです。

そつなくまとまった姿・形の狛犬だとは思いますが、標準的で少し個性に乏しいような気がします。でもこれはわたしに鑑賞眼が無いことに因るのかもしれません・・・。


 


鶴岡八幡宮

2015-07-20 | C 狛犬


正面に舞殿(下拝殿)、その後方に本宮(上宮)を望む。

■ 神奈川県立近代美術館の鎌倉館は鶴岡八幡宮の境内にある。15日(水曜日)、美術館を見学する前に鶴岡八幡宮を観光客気分でお参りした。美術館も八幡宮も初めてかもしれない・・・。

本宮前の大石段の登り口に一対の狛犬がいた。狛犬観察が目的でもなく、なんとなく狛犬にカメラを向けて漫然と撮っただけ・・・。

後日調べるとこの狛犬は1668年(寛文8年)の建立とみられているようだ。これが正しければかなり古い部類の参道狛犬ということになるのでは。



本宮に向かって右側、阿形の狛犬(獅子) ウルトラマンのような、というか卵のような大きな目が印象的だ。鬣(たてがみ)の量は少ない。



向かって左側、吽形の狛犬 体の細部はもともと表現されていなかったのか、永年の風雨で摩耗したのか・・・。



阿形狛犬(獅子)の後ろ姿を大石段から見下ろす。カールヘア、巻き毛。大きなしっぽ。



吽形狛犬 ストレートヘア めだつしっぽ。



大石段を登りきって振り返ると・・・、ビスタな眺望。

 
  鶴岡八幡宮                     赤坂氷川神社

神社の御朱印は赤坂氷川神社のようにあっさりしているものが多いように思うが(という印象を語るほどたくさん集めたわけではないが・・・)、ここ鶴岡八幡宮ではきっちり大きく書いていただいた。


 


渋谷の豊栄稲荷神社の庚申塔

2015-07-19 | B 石神・石仏



 渋谷の豊栄稲荷神社はJR渋谷駅のすぐ近くにあり、駅から徒歩で5、6分。鳥居の下に百度石があって、その先は朱色の鳥居がいくつも連なる繰り返しの美学な光景。



社殿  御祭神:宇迦之御魂命



立ち並ぶ庚申塔 





















左端の庚申塔の写真はぶれていて×だった。

この神社には13基の庚申塔があるそうだが、上の全景写真には11基しか写っていない。あと2基はどこに祀られているんだろう・・・。

いつかこの神社を再訪してさがしてみよう。



 


561 麻績村日西之久保の火の見櫓2

2015-07-19 | A 火の見櫓っておもしろい


651  撮影日150718

この火の見櫓はかなり丁寧にきちんと造られていることが見て取れる。




屋根のカーブが実になめらかで美しい。 アサガオの花を伏せたかのよう。見張り台の手すりに施された繊細な飾り



脚部の柱材もなめらかなカーブを描いている。 すばらしいのひと言。火の見櫓はデザインも千差万別だが、造り方というか、技術力にもかなりばらつきがあるように思う。


 


560 麻績村日野田沢の火の見櫓

2015-07-19 | A 火の見櫓っておもしろい


560 撮影日150718



軒出の無い円錐型の小さな屋根が載っている。半鐘にも雨がかかる。櫓外付けの梯子には落下防止カゴが設置してある。



ピンボケだが仕方ない・・・。落ち着いて撮らないとろくなことはない。

脚部は柱材のみというなんとも簡素なつくり。もう少し丁寧につくって欲しかった・・・。

火の見櫓は千差万別。


 


559 樹々に囲まれた火の見櫓

2015-07-19 | A 火の見櫓っておもしろい


559 長野市大岡にて 撮影日150718

前稿の火の見櫓(590)のすぐ近くで見つけた火の見櫓。 建設した時はこれほど周辺の樹木が大きくなかったのだろう。集落を見下ろすことができたのだろう。時の流れを感じる。

撤去されることなく立っているのは、存在を忘れられてしまっているから?


 


558 小川村高府の火の見櫓

2015-07-19 | A 火の見櫓っておもしろい


558   撮影日150718

■ 上水内郡小川村の高府上町地区に立っている火の見櫓。梯子ではなく、階段が設置されている火の見櫓を初めて見た。外側には手すりが付いている。これなら、消防団員が上り下りするのは楽だ。そうか、櫓 の外側にまき付くようにすれば階段を設置することができるわけか・・・。

この火の見櫓のように梯子ではなく階段を設置することがごく一般的な方法であったなら、火の見櫓の昇降に対する団員の評価の違っていて、今でもごく普通に使われていたかもしれない。




形が複雑なのは消火ホース乾燥塔を火の見櫓にくっつけているから。建設当初からこうだったのか、後からくっつけたのか、じっくり観察すれば分かったと思う。たぶん後付けだと思うが・・・。




火の見櫓と隣接して村の案内看板が設置されているので脚元がごちゃごちゃしているが、櫓の脚部は至ってシンプル。

火の見櫓にはまだまだ観たことがない姿・形のものがありそうだ。

火の見櫓観察はまだまだ続く・・・。


追記 191225 後になって長野飛行場の管制塔だったことが分かった。


「鎌倉近美」

2015-07-18 | A あれこれ



 今月(7月)の15日に神奈川県立近代美術館 鎌倉館を訪ねた。鶴岡八幡宮の境内にあるこの美術館は1951年(昭和26年)に開館した。設計者は坂倉準三。 残念ながら来年の3月の閉館が決定している。近代建築の傑作として保存を望む声も多い。美術館が解体撤去処分されることになるのかどうか分からない。

この美術館を見たという記憶がない。解体されてしまうかもしれないので、その前に観ておこうと訪ねた次第。



加筆するかもしれない・・・