透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

見張り台の床のタイプ分け

2024-09-16 | A 火の見櫓っておもしろい

 


 

 火の見櫓の構成要素である見張り台のタイプ分けを試みている。見張り台は床と手すりによって構成されているから、それぞれについてタイプ分けをして、その組合せによって見張り台をタイプ分けするのが適切だろう、と考えた。

まず床。火の見櫓の中分類で見張り台の平面形を扱っているので、小分類では平面形の違いは考慮しない。

床面を構成している線状部材(写真で分かる通り、その大半は平鋼。他に丸鋼がある)の敷きならべ方に着目する。床材の敷きならべ方には一方向に並べる方法と床面を複数に分割してそれぞれの方向に並べる方法がある。これはタイプ分けの視点として有効だと思う。で、前者を仮に1方向並べとし、後者を分割数に応じて3方向並べ、4方向並べとしたらどうだろう・・・。分割数は柱の本数と同じになっている(ただし例外はつきもの)。ネーミングがいまいちだから、更に考えよう。ということで見張り台のタイプ分け「考え中」。

床を鋼板やエキスパンドメタルにした見張り台もあることに留意したい。


 


249枚目 木工作家・金子裕一さん

2024-09-15 | C 名刺 今日の1枚

写真①

写真②

写真③

写真④

金子裕一個展『土に還る』

会期:9月14日(土) - 9月16日(月)
11:00 - 17:00
会場: BLUE HOUSE STUDIO
長野県東筑摩郡朝日村針尾1037-6


 木の持つ風合いの魅力、手づくりの魅力。衒いの無い造形の作品を観ているだけで心が安らぐ。加えて作品にぴったりの展示空間(写真①)。作品に塗る柿渋もベンガラ(写真④)も自分でつくるという金子さんのこだわりに拍手! 

在廊中の金子さんとあれこれ話しをした。その時渡したのは249枚目の名刺だった。


 


記憶と記録

2024-09-15 | A あれこれ


 今日(15日)書店へ注文していた本(*1)を受け取りにいったところ、早くも来年、2025年のダイアリーが並んでいたので買い求めた。

1978年から1980年までの3冊のダイアリーが実家で見つかったのは今年?  去年? 脳の記憶機能の劣化が進み、こんなことまで既に消去されていて思い出せない。

この年1978年から昨年2023年までのダイアリーを自室に保管している。1978年のダイアリーには前年1977年の11月6日から記録がつけられていることから、この日から今と同じように日々の出来事や読書記録などをつけ始めたものと思われる。


1978.10.11 ぼくは初恋の人と横浜でデートして観光船に乗ったことは覚えていたし、日付を書き込んだ台紙にチケットを貼って(写真)、スクラップした新聞記事などと一緒に保管していたけれど、この日どこで待ち合わせしたのか、どうしても思い出せなかった。この年のダイアリーの当該日の記録を見ると、「2PM 横浜みどりの窓口」となっている。そうか、あの日は横浜駅のみどりの窓口で待ち合わせしたんだ・・・。

別の日にはMさん(3年ぶり)という記録もある。このことは全く記憶にない。そうか、Mさんと再会していたのか・・・。

ダイアリーの最後には住所録があるが、そのリストを見ると今現在までつきあいが続いている友人が何人もいるし、顔が思い浮かばない人もいる。46年(*2)という時の流れ・・・。

記録することにどんな意味がある? 

北 杜夫は追憶の作家だ。『幽霊』などの作品を読むと感じるけれど、追憶する、来し方を振り返るって、時には必要だと思うけどな。記録はその助けになるよね。そう思うからぼくはダイアリーへの記録を続ける。2027年には50冊になる。


*1『奪還 日本人難民6万人を救った男』城内康伸(新潮社2024年)

*2 48年を訂正した。


33会の旅行の計画

2024-09-14 | A あれこれ

 33会は中学の時に同級生だった仲間の集まり。3年3組だったことに因んで、33会という名前がつけられた。33会で2006年に初めて旅行に行ったが、行先は京都だった。以来何回か旅行をしてきて、今年の1月に松山旅行をした。その際、これからは「毎年旅行に行きた~い」という声があがっていた。今までは1年おきに旅行をしていたので。そのような希望を受けて来年の1月に別府温泉と小倉・門司港へ2泊3日の旅行をすることになった。昨日(13日)毎回お世話になっている旅行会社に相談に行ってきた。

8月の暑気払いで旅行の行先が決まったけれど、その時には門司港は行先には挙がっていなかった。相談にのってもらったTKさんの提案で小倉に門司港が加わった。

旅行の概要は次の通り

 1月8日(水) 塩尻(松本)→名古屋→小倉→別府 
地獄めぐり 和風ホテル泊(2食付、男女各1室、宴会もホテル内  2次会は男部屋ですることになるだろう)

   9日(木) 別府→小倉→門司港 
駅周辺で昼食、レトロな建物群めぐり 門司港駅近くのホテル(シングル)泊 宴会はホテル近くの適当な飲食店で予約をお願いしておきたい。

JR門司港駅は国の重要文化財に指定されている。他にも駅周辺には旧大阪商船門司支店や旧門司税関などの古い建物がある。門司港レトロ展望室(設計:黒川紀章)から夕景を見たい。

   10日(金) 門司港駅→小倉
小倉城、小倉城公園、松本清張記念館、八坂神社、旦過市場他
午後 買い物など 小倉→名古屋→塩尻(松本)

国の重要文化財に指定されているJR門司港駅、それから小倉城と松本清張記念館は前から行きたかったところ。その願いが叶う。 パンフレットの小倉エリアには森 鷗外の旧居も載っている。旦過市場をパスすれば行くことはできるだろうが、団体旅行だから、どうかな。





「日本列島はすごい」伊藤 孝

2024-09-13 | A あれこれ


『日本列島はすごい』伊藤  孝(中公新書2024年)を読み始めた。

この本の序章に産業技術総合研究所(産総研)の地質調査総合センターが運営する「地質図Navi」が紹介されていた(8頁)。ネットで検索してアクセスしてみた。地図情報に落とし込まれた様々な情報が公開されているすごいサイトだ。

読み進むとこの地質図Naviの海面上昇シミュレーションを使って海面を約プラス70mした時とマイナス123mした時の日本列島の姿が掲載されていた(29頁)。これは地球上のすべての氷床の氷が溶けたとき、海面が約70m上昇すると言われていることと、2万年前の最終氷期の最寒期には海面が123m低下していたとされることにより決められた数値。

この海面上昇シミュレーションを使って試してみた。現在より水位が25m上昇したら、どうなるだろう・・・。25mという数値に特に意味はない。ただなんとなく。海面が25m上昇すると、房総半島が切れて島になる。関東平野がかなり水没する。北海道も二つに分かれてしまう。佐渡も二つになる。


地質調査総合センターウェブサイトの「地質図Navi」の海面上昇シミュレーションによる試行図

この本に過去2万年間の海水準の変動グラフが載っている(27頁)。そのグラフから約2万年前から約7000年前にかけて、100m以上海水面が上昇したこと、それ以降はほとんど一定で非常に安定していることがわかる。もし、25m上昇すれば東京は海上都市となる。いや、これはSFの世界。でもその場合、交通、情報、エネルギー、上下水などのインフラはどうするんだろう・・・。技術的に解決することができるのだろうか。やはり首都機能移転かな、標高の高い松本に。


 


「水が消えた大河で」を読む

2024-09-12 | A 読書日記


 手元にあるリーフレットに**「信州しおじり  本の寺子屋」は、2012(平成24)年7月29日(日)に開講しました。**とある。これまでに何回か本の寺子屋の講演を聴いているが、今年度の講演会では、6月16日に作家・山本一力さんの「生き方雑記帳」、8月4日に東京大学教授・加藤陽子さんの「超長寿社会の平和と戦争を考えるために」と題された講演を聴き、更に9月8日に行われた朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんの「日本という国家の幻影を追って」を聴いた。

三浦さんは講演で開高 健ノンフィクション賞を受賞した『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』と新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した『太陽の子  日本がアフリカに置き去りにした秘密』に登場する人物などの写真をスクリーンに映しながら、日本という国家の素顔について熱く語った。他に『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』も触れていた。

おかしいことはおかしい。そのことをどこかに忖度することなくきちっと伝える姿勢に感動すら覚えた。講演会には遠く山形県からの参加者もいて、びっくりした。

フィクションは人生を変える力を持ち、ノンフィクションは社会を変える力を持っている。 

日中戦争の最中に満州国に設立された建国大学。1970,80年代にこの国がアフリカで行っていた資源開発が頓挫して、日本人とコンゴ人女性との間に生まれた子どもたちが現地に取り残された・・・。どちらのことも全く知らなかった。それからJR東日本が信濃川の中流域ににある宮中ダムで当初から改ざんプログラムを設置していて、長年不正に大量の水を抜き取っていた「事件」のことも知らなかった。信濃川にほとんど水が流れていない流域があったなんて・・・。信濃川は日本海に向かって滔々と流れているものと講演を聴くまで思っていた。

講演終了後に会場で『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社文庫2017年)を買い求めた。講演を聴いて、読みたいと思ったので。それから『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』(集英社文庫2019年)も読みたい、いや直ちに読まなくてはならないと思ったが会場には無かったので、ネット注文した(普段は書店で注文している)。一昨日(10日)届いたので早速読んだ。そこにはJR東日本によって行われていた信じられないような不正が詳細に綴られていた。加えて生態系への深刻な影響も。

信濃川の中流域には東京電力とJR東日本の取水ダムと発電所がそれぞれ別々にあって(東京電力:西大滝ダム 長野県飯山市 JR東日本:宮中ダム 新潟県十日町市)、ダムで取水された水は発電所までの間に落差をかせぐために延々と地下トンネルを流れる。そのため、その間、両者合わせて63.5kmは信濃川にはごく少量の水しか流れない。

**清流魚であるヤマメは二〇℃を超えるとエサを食べない。冷水性のカジカやアユは二五℃以上では生きていけない。**(31頁) 信濃川を流れる水量が上記の理由で極端に減り、流速も遅くなって水温が上昇、**魚が死に、流域周辺の井戸が枯れ、人びとが心の拠り所としてきた雄大な大河の風景が姿を消した。**(33頁)という。

このような事態を招いた東日本の不正を三浦さんは多くの関係者に取材をして厳しく追及していく・・・。

**「あなた方は毎秒三一七トンの水を抜いていおて、わずか毎秒七トンの放流ですよ。信濃川は石河原になって死んでいる。JR東日本の売り上げは二兆七二七〇億円。そんな独占的な優良企業が十日町の命の水をさらに不当に取っているなんて、まさしく屍に鞭を打つ、吸血鬼のような行為ですよ」**(175,6頁)
**「信濃川を涸らしておいてどこが地球に優しいんだ」**(176頁)

不正が明るみに出て、JR東日本が行なった信濃川中流域で暮らす人びとへの説明会で、次々と批判の声が上がる。

**謝罪をしている人間の面前でヤジと罵声を投げつけるという、見ていても胃が締め付けられるような苦々しい住人説明会は、終わってみれば、JR東日本にとって極めて都合のいい「セレモニー」だった。住民の前で幹部が謝罪こそしたものの、説明資料すら用意されず、補償も次の話し合いの場も提示されない説明会にあっては、彼らが口々に発する「誠意」という言葉も完全に宙に浮いていた。**(180頁)

三浦さんは状況を理性的に見据えて判断する。次に『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』を読みたいところだが、他にも読みたい本があるし、安部公房の作品を読むのはノルマだし・・・。



2024.09.11付信濃毎日新聞第二社会面

今度はJR貨物か・・・


 

 


「経済学者たちの日米開戦」を読む

2024-09-10 | A 読書日記

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 『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「まぼろしの報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)を読んだ。塩尻のえんぱーくで8月4日に行われた加藤陽子東大教授の講演「超長寿時代の平和と戦争を考えるために ―全ての世代の立場から―」で紹介された本。

**「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」について考察したい。**(6頁) 本書の魅力は課題(解き明かすべき謎)が明確に設定され、その課題(謎)を分かりやすい論理の展開によって解き明かしていくこと。そう、この本にはよく出来た推理小説のような謎解きの面白さがある。

謎解きの過程で著者は数多くの史料を丹念に読み込む。名探偵が解けない謎をさらりと解いてしまうのとは訳が違う。巻末に掲載されている史料のリストは実に26頁に及ぶ(ただし引用頁まで示しているため、複数回掲載されている同一史料もある)。

課題(謎)は第五章の「なぜ開戦の決定が行われたのか」において、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の経済学などの知見によって解き明かされる。

プロスペクト理論の説明で著者は次のような解りやすい例を示している。
(a)確実に3,000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4,000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。

このような場合には多くの人が(b)を選ぶという(ある調査では92%が(b)を選択したそうだ)。(b)の期待値は-3,200円で(a)の-3,000円より損失は大きいのに。このことについて、**人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動を取るのである。**と、著者。

このようなことが太平洋戦争開戦前にも起きていたのだ・・・。

(A)開戦しない  2,3年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服(ジリ貧)
(B)  非常に高い確率で致命的な敗北を招く(ドカ貧) 非常に低い確率でイギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、日本にとって有利な講話に応じる。

上の例で(b)を選ぶように(B)  を選択した。で、この選択には.、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になるという集団意思決定の集団極化の理論が働いていたと著者は説く。

**つまりもともと個人の状態でもプロスペクト理論によってリスクの高い選択が行われやすい状態の中で、そうした人々が集団で意思決定をすれば、リスキーシフトが起きて極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択肢が選ばれてしまうのである。**(160頁)

謎解きの面白さがある、と紹介しておきながらその中身を具体的に書き過ぎた。

本書を近現代史に関心がある方にはもちろん、ない方にもおすすめしたい。


 


火の見櫓の見張り台のタイプ分け2

2024-09-08 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

 
②-1 ②-2

 火の見櫓の見張り台は床と手すりによって構成されている。従って見張り台は床と手すりのタイプを組み合わせることによって、タイプ分けすることができる。前回は床のタイプ分けについて考え、手がかりをつかむことができたかと思う。

今回は手すりについて少し考えてみたい。手すりは手すり(上端の手で掴む部分。階段の手すりは断面が円いのが一般的だが、掴むのに不向きな断面形状のものもある)と手すり子(手すりを支える部分)から成るが、タイプ分けには手すり子に注目するのが良さそうだ。

手すり子には①-1 ①-2のように飾りの無いものと、②-1 ②-2のように飾りのあるものがある。飾りの有無によって、大きく二つのタイプに分けることができるだろう。次は飾りのタイプ分け。

 
③-1 ③-2
 
 
④-1 ④-2

 
⑤-1 ⑤-2

これらの飾りを一体どのような視点でタイプ分けすればよいのだろう・・・。


 


火の見櫓の見張り台のタイプ分け1

2024-09-07 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

火の見櫓の中分類では櫓と屋根と見張り台の平面形に注目した。それで例えば①-1は444型(それぞれ平面形が4角形)、①-2は3〇〇型(櫓は3角形、屋根と見張り台は円形)というように分類する。

前の記事で示したように、脚もいくつかのタイプに分類した。それで次は見張り台の分類に臨みたい。あれこれ試行錯誤する様を載せて行こうと思う。 

  
②-1 ②-2

中分類で既に平面形に注目しているから、平面形に関係なく見張り台の分類に有効な観点(視点と観点の違いがよく分からない。このような場合には視点の方が良いのかもしれない)を探そうと思う。見張り台の構成要素は床と手すりだから、この2つの要素を分類してその組合せで捉えるのがよいと思う。オーソドックスな要素還元主義的な考え方だ。

まずは床。②-1と②-2とは何がどう違う? 床材の平鋼をすのこ状に並べているがその向きが違う。②-1は3方向に並べているが(*1)、②-2は1方向。分類の観点として床材の並べ方は有効かもしれない。床材は平鋼の他に丸鋼などもあるがすのこ状に並べるタイプとして材料の違いは問わなくてもよいかもしれない。ただし鋼板で床をつくっていたり、エキスパンドメタルでつくっているものもある。この違いは分類の観点として挙げた方が良さそうだ。となると、平鋼と丸鋼も別に扱うのがよいのかもしれない。床の下地材(建築の根太に相当する部材)に注目すると、②-1と②-2とでは掛け方が違う。これも分類の観点として有効かもしれない。

*1 開口部廻りは考慮していない。

 
③-1 ③-2

③-1の床材は丸鋼、③-2は平鋼。とりあえずこの違いは考慮しない。下地材の本数が違う。③-1は床面と3等分したそれぞれの部分で1本渡している。③-2は2本。

 
④-1 ④-2

④-1の床の構成は③-1と同じと見ることができる。④-2は床材の並べ方が②-2と同じで1方向。

分類の観点は少なくて有効なものを見つけたい・・・。その手がかりが見つかったような気がする。次は手すりについて考えてみたい。


 


火の見櫓のタイプの体系的分類

2024-09-07 | A 火の見櫓っておもしろい

  ①-1,①-2
 火の見櫓の研究のスタートとしてタイプの分類(タイポロジー)は欠かせない。研究対象が何であれ、分類は「基本のき」。それで研究対象の総体を明らかにし、その中に研究対象を位置付ける。この場合、なんとなくタイプが似たものをひとつのグループとしてまとめるのではなく、根拠に基づく体系的な分類をしなくてはならない。

以下は過去数回掲載した火の見櫓のタイプ分けに関する記事をまとめたもの。

①に電柱の写真を載せた。どちらも柱が2本の複柱で、柱の本数だけに注目して分類すれば両者は同じ分類肢に入る。だが、①-1と①-2では柱の役割が違う。①-1では主柱と控え柱とに役割を分担している。①-2では2本の柱が構造的役割を等しく分担している(積載荷重を等しく支えている)。このことにより、両者を区別して別の分類肢を設定する。この捉え方を火の見櫓の分類にも適用する。

 ②-1,②-2
電柱に対応させて火の見櫓を挙げた。どちらも柱3本だが、後方の柱の役割が電柱と同様に異なる。


1 火の見櫓の大分類 ― 柱の本数による分類

柱1本
・火の見柱 
・火の見柱梯子掛け
柱2本
・火の見梯子 
柱3本、4本
・火の見梯子控え柱付き(②-1 控え柱1本、2本)
・3柱または4柱1構面梯子(②-2:3柱1構面梯子)
・火の見櫓 (→2 中分類)
その他

柱の本数は火の見櫓の最も基本的で有効な分類の観点。それで3柱、4柱というように柱の本数に代表させて櫓の特徴を捉え、表現している。ブレースや火打ちなど櫓の他の要素の分類は今後の課題だが、梯子状に組まれた構面には注目して分類要素とする。


 ③-1,③-2
3柱1構面梯子 左:長野県茅野市 右:長野県塩尻市


柱6本の火の見櫓 茨城県小美玉市 撮影日2016.09.04 

茨城県小美玉市、結城市には柱6本の火の見櫓があったが共に撤去され現存しない。


2 火の見櫓の中分類 ― 火の見櫓の構成要素の平面形による分類

火の見櫓の構成要素の内、櫓と屋根、見張り台の平面形に注目すれば網羅的に分類することができる。

 ④-1,④-2
④-1 櫓3角形、屋根6角形、見張り台円形 ④-2 櫓4角形、屋根4角形、見張り台4角形

コードナンバー的に36〇、444という表記ができる。これは例えばサッカーではフォーメーションを4-4-2,4-2-3-1 のように表記することや野球ではポジションを数字で示し、643のダブルプレーというような表現することに倣ったものだ。具体的な表記でも一向に構わない。目的に応じた表記をすればよい。


3 火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その1  脚の分類


火の見櫓の構成要素とその名称

火の見櫓は⑤に示す構成要素から成る。これらすべての分類をする必要があるが、現時点で分類できているのは脚のみ。それ以外の構成要素の分類は今後の課題。

脚のタイプ分類 以下、過去ログの再掲。


① 開放 


   
② ブレース囲い 左:片掛けブレース 右:交叉ブレース


 


③ ショート三角脚



④ ロング三角脚



⑤ ショートアーチ脚



⑥ ロングアーチ脚



⑦ 束ね(たばね)脚  アーチ形の補強部材の両端を主材(柱材)と束ねて下端まで伸ばしている。


 
⑧ トラス脚 (右をトラスもどきと名付けるが、トラス脚に含める)

⑨ 複合脚 ①~⑧の組合せであることから、次の例の様に名付ける。

     
正面束ね脚 他ブレース囲い  正面トラス脚 他ブレース囲い


注:現時点では火の見櫓の形状のみに注目し、高さや材質を分類の観点にしていない。

※2023.02.09、2024.09.07 修正



ドンピシャ!

2024-09-05 | A あれこれ

 
朝9時6分過ぎに奈良井川橋梁を渡って松本駅に向かう上高地線の列車

 一昨日(3日)は途中で少し早すぎるかなと思いました。案の定30秒くらい早く奈良井川橋梁西側の踏切を私の車は通過してしまいました。踏切通過時刻の調整はごく僅かしかできませんよね。走行速度は後続車がいない場合には落とすことができますが、それにも限度があります。その逆、速度を上げることも無理です。

途中の道路事情で踏切通過時刻には数分のずれが生じますから、なかなかドンピシャにはならないんです。

それが昨日、4日の朝はドンピシャ! 踏切手前20mくらいだったかと思いますが、警報機が鳴り始めて、遮断機が下りました。9時6分(30秒過ぎくらいかと思います)、松本駅に向かう20100形(20101-20102号車)が通過していきました。ブルーのラインが印象的な車両です。

初代なぎさちゃんはこの秋引退します。その前に、ここで会いたいなぁ。