透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

岐阜県福地温泉の木造の火の見櫓

2022-10-31 | A 火の見櫓っておもしろい


 インスタグラムに岐阜県高山市は奥飛騨温泉郷、福地温泉の木造の火の見櫓が紹介されていた。

木造の火の見櫓はレア。この火の見櫓の所在地、福地温泉まで自宅からおよそ60km、車で1時間半。それほど遠くはない。今日(31日)見に行ってきた。「昔ばなしの里」の入口付近に立っているという情報だけを頼りに現地へ。

主要道路沿いの小さな建物の外壁に付けられた「昔ばなしの里」という看板はすぐ見つかったが、火の見櫓が見つからない・・・。平日のせいか閑散としている温泉地。道路を歩いてきた地元の人と思しき若い女性に声をかけて聞いたが、「分かりません」。せっかく来たのに見つからないなんて・・・。

脇道に入って朝市用だろうか、駐車場に車を停めた。火の見櫓は駐車場のすぐ近くに立っていたが、木に覆われていて見えなかった。高性能のやぐらセンサーが反応、見つけることができた。




1396 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地 3柱 前面梯子両側面交叉ブレース(木造)撮影日2022.10.31


木に囲まれていて、姿が分からないが、木造柱3本の櫓だ。正面が梯子で、残りの2面は交叉筋交い(木造だから筋交いとしたがブレースと同義)で構成されている。


逆光で櫓がシルエットとなって浮かび上がり、交叉筋交いが2段あることが分かる。


3本の柱のうち、1本を長く伸ばし、上端部に腕木を持ち出して乳付きの半鐘を吊り下げてある。柱上端には腐朽を防ぐためにキャップがしてある。梯子を組んだ左側の柱と半鐘を下げた柱に欠きこみがある。この位置に手すりが取り付けられていたと判断できる。屋根があれば最高なんだけどな。


脚元の様子。柱間距離およそ1.6m、そう柱脚部は1辺の長さがおよそ1.6mの三角形。柱根本の直径およそ22cm、梯子桟のピッチおよそ49cmと現場計測。


「昔ばなしの里」と「露天風呂」という看板を梯子桟に取り付けてある(写真に文字写らず)。

この工作物はもともと火の見櫓だったのか、温泉地の看板だったのか、どっち? という疑問。温泉地の看板だったとすれば設置場所が疑問、1枚目の写真に写っているような主要道路沿いに設置しなければ、目に入らず看板としての用を成さないし、看板にわざわざ半鐘を吊り下げることもないだろう。

設置場所周囲の様子や床を張った見張り台があることなどから、もともと火の見櫓だったと考えるのが妥当だろう。用済みとなって看板用の櫓に転用したのだろう。現地でヒアリングしたかった・・・。



火の見櫓の近くの街灯も柱が木造、渋い。


ブックレビュー 2022.10

2022-10-31 | A ブックレビュー



『源氏物語』(角田光代現代語訳)を読み終えているので、10月はその分、他の本を読んだ。

『非色』有吉佐和子(河出文庫2020年初版、2022年7刷)
終戦直後に黒人兵と結婚、幼い子我が子を連れてアメリカに渡った笑子。偏見、人種差別・・・。貧民街で家族と暮らす笑子は黒人として生きていくことを決意する。有吉佐和子の社会を見る目は常に厳しい。20代で読んだ小説の再読。

『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』井上章一・青木 淳(中公新書ラクレ2022年)

『時計遺伝子 からだの中の「時間」の正体』岡村 均(講談社ブルーバックス2022年)
長い長い進化の過程で地球の24時間サイクルに同調してきた生物たち。ヒトの24時間のリズムのメカニズムを詳説する本。どのように時計情報を全身の細胞に伝えているのかを知った。その精緻な仕組みにびっくり。

『本所おけら長屋 十九』畠山健二(PHP文芸文庫2022年)
シリーズ累計165万部突破の人気シリーズ。おけら長屋の住人たちの笑いあり涙ありの人情ばなし。このシリーズはずっと追っかけるつもり。

『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』三木那由他(光文社新書2022年)
漫画や小説の中の会話を題材に、日常会話という営みの徹底分析。会話でのマニピュレーション、なるほど、そうか・・・。

『一首のものがたり 短歌(うた)が生まれるとき』加古陽治(東京新聞2016年)
著者の講演を聴いて、買い求めた本。短歌の背景にある人生ドラマが著者の関係者への取材で明らかに。
音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日といふ字を  悲惨な戦争が詠ませた歌。

『百年の手紙 ―日本人が遺したことば』梯 久美子(岩波新書2013年1刷、2018年4刷)
**激動の時代を生きぬいた有名無名の人びとの、素朴で熱い想いが凝縮された百通の手紙をめぐる、珠玉のエッセイ。**(カバー折り返しの本書紹介文から部分引用)

『国立代々木競技場と丹下健三 成長の時代の象徴から成熟の時代の象徴へ』豊川斎赫(TOTO建築叢書2021年)
全6章から成る本書、設計・施工のプロセスを詳細に説いた第4章「建築デザインから読み解く代々木競技場」が特に興味深かった。この優れた建築を凌ぐものは未だ出現していない、と私は思う。

『カラダで感じる源氏物語』大塚ひかり(ちくま文庫2002年)
再読。『源氏物語』を読み始めたころ読んだ。大塚さんの理解力、洞察力はすごい。大塚さんは当時の社会的、経済的背景を踏まえつつ源氏物語を自在に論じている。源氏関連本はこれからも読みたい。

10月の読了本は以上の9冊。久しぶりの多読。読書は好い。


 


「古田 晁と臼井吉見の55年6ヵ月」

2022-10-30 | A あれこれ

 今日(10月30日)は筑摩書房の創業者・古田 晁の命日。

昨日の午後「本の寺子屋」で太宰 治賞を受賞した作家・山家 望さんと臼井高瀬さんの講演会が開催された。臼井高瀬さんの父親は長編小説『安曇野』を世に残した臼井吉見。

古田 晁と臼井吉見は大正7年(1918年)旧制松本中学に入学し、その日に出会う。その後二人は共に松高、東大に進学している。臼井高瀬さんは「吉田 晁と臼井吉見の55年6ヵ月」と題した講演で古田 晁と父親の臼井吉見の交流をさまざまなエピソードを交えて話された。なお、山家 望さんの演題は「ものがたりと小説、そのあわい」。

古田 晁が創業した出版社の社名、筑摩書房は臼井吉見が提案したということはよく知られていて、私も知っていた。島崎藤村を意識したのか、千曲という表記案もあったそうだが「筑摩」を臼井吉見の奥さんが提案したということ(*1)。臼井吉見が提案した「現代日本文学全集」の出版が筑摩書房の経営危機を救うことになったということ。晩年、古田 晁は健康を損ない禁酒していたそうだが、臼井吉見から10年がかりで書いた『安曇野』の脱稿を聞き、飲酒。梯子して行きつけのバーで倒れ、自宅に送られる車内で亡くなったこと。駆け付けた臼井吉見が号泣、泣き声が家の外まで聞こえたこと。『安曇野』の刊行記念の祝賀会では臼井吉見の席の隣が空席で、そのことについて臼井吉見が挨拶で触れたこと。

加齢とともに涙もろくなった私は、講演の終盤、二人の友情話を涙ぐみながら聴いた。臼井高瀬さんは実に話の上手い方で、印象に残る講演をされた。


*1 このことについてネット検索した。福岡女子大学文学部紀要の「角川書店の『昭和文学全集』の変化」(田坂憲二氏)に次のような記述があった。**筑摩書房の社名は、当初は藤村の「千曲川旅情のうた」にあやかって、「千曲書房」と考えられていたのだが、臼井吉見の妻あやの、「センキョクと読まれるから、筑摩県の筑摩がいい。古田さんの故郷も、もとの筑摩県ですし」という言葉によって、現在の社名に落ち着いたという。** 和田芳恵『筑摩書房の三十年』(1970年12月)からこのことが引用されている。


「田中達也 見立ての世界」

2022-10-28 | A あれこれ


■ 「MINIATURE  LIFE展2 田中達也  見立ての世界」に行ってきた。






ただ単にスケールを大きくするというのではなく、全く別のものに見立てていることが上掲写真で分かると思う。




△おスシティー(2018年)

上田市立美術館(サントミューゼ)の会場には写真と立体作品がおよそ170点展示されているそうだが、僕が最も面白いなと思ったのがこの作品。回転ずしの店内を大都会の風景に見立てて、セッティングしている。皿を何枚も重ねて高層ビルに、すしを高架の道路を走る車に見立てている。暖簾はトンネルの入り口だろう。


△モロコシティー(2017年)

トウモロコシを近未来的なフォルムの超高層ビルに見立てている。この写真を見ていて、僕は建築家・菊竹清訓の海上都市のプロジェクトを思い出した。

ものに付けられた名前に囚われず、形だけに注目して、スケールを自由に操作することって難しいと思うけれど、それを難なくやってのけてみせている。

面白い作品展だった。



歩こう

2022-10-28 | D 新聞を読んで



 地方紙・信濃毎日新聞の昨日(27日)の朝刊のくらし面に**「1日2000歩増」で死亡リスク減**という見出しの記事が載っていた。

1日1万歩といわれるウォーキング。そこまで頑張らなくても2000歩増やすだけで死亡リスクが減少する。このことがデンマークやオーストラリアなどの研究機関が行った大規模な疫学研究で明らかになったと記事は伝えている。

死亡率だけでなく、心臓血管系の病気やがんの発症リスクも歩数が多いほど低いという結果も得られたそうだ。速く歩けば尚効果的とのこと。

歩こう!


 


火の見櫓のある秋の風景を描く

2022-10-27 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 スケッチ 長野県朝日村にて 描画日2022.10.27

 道路山水的構図。画面中央に奥行き方向に延びる道路を配し、その両側の民家や樹木を描き、遠近感のある風景の魅力を表現します。秋の風景には紅葉している樹々があり、色彩が増えるためにまとめるのが難しくなる、と思います。空気遠近法も意識して後方の山並みの彩色をしています。春の風景だと遠くの山は紫がかって見えるのですが、秋の山はどうも違うようで。

この風景をスケッチするのは4回目です。アイストップになっている高木の林、サグラダ・ファミリアのようです。ここの処理というか表現が難しいです。
 
山の稜線と火の見櫓の屋根の位置関係に注意しました。両者、このスケッチのような位置関係だと火の見櫓の存在がはっきりするかと思います。

風景スケッチは楽しいです。😃
 

フェイスブック

2022-10-25 | A 火の見櫓っておもしろい



 フェイスブックを始めたのは2019年の秋に自費出版した『あ、火の見櫓!』を宣伝しようという不純(?)な動機からでした。

現在は上掲した記事のように夫婦の会話形式で各地の火の見櫓を紹介しています。毎週土曜日の朝、記事をアップすることにしています。フェイスブックも閲覧していただければ幸いです。

火の見櫓広報担当(って何?)からのお願いです。


 


「国立代々木競技場と丹下健三」

2022-10-25 | A 読書日記


『国立代々木競技場と丹下健三』豊川斎赫(TOTO建築叢書2021年)

 サブタイトルに「成長の時代の象徴から、成熟の時代の象徴へ」とあるように、国立代々木競技場は完成後ずっと時代を象徴する建築であり続けている。

丹下健三の建築は遠景の建築だと思う。都市の中のシンボリックな存在として魅力があるのであり、間近で見るディテールに魅力があるわけではない。多くの丹下作品の中でも、この意味において国立代々木競技場は代表作だ。

先日(16日)、日帰り東京した際、丸善でこの本を見つけて迷うことなく買い求めた。建築関連書籍は総じて定価が高いが、この本は1,760円(税込み)と安い。

昨日(24日)朝カフェ(いつものスタバ)でこの本を読んだ。分かりやすいテーマ毎に章立てされていて読みやすかった。

第1章では、1964年に開催された前回の東京オリンピックの競技会場として設計・建設された「代々木競技場」がその後どのように使われてきたのか、朝日新聞の紙面から関連記事をピックアップして分類整理して、その移り変わりを示している。

第2章、丹下健三の代表作である広島平和記念公園計画(陳列館など)や旧東京都庁舎、香川県庁舎、東京カテドラル、山梨文化会館(以上全て見学した)などを取り上げて丹下建築について論じている。

第3章、代々木競技場の建設地の変遷を明治期から辿っている。


第4章、代々木競技場の設計・建設プロセスの紹介。本書で一番興味深く読んだ章。設計期間が短いのにも関わらず、未知の架構はじめ、新しい試みを続けた設計チームの奮闘に感動。当時はCADもなく、構造解析の基本的な手法は今と変わらないのかもしれないが、あの平面形状、屋根の曲面を思うと大変だったことだろう(過去ログ)。そして施工、これまた工期延長ができない状況で変更、変更、繰り返される設計変更に対応しながらの工事は大変だっただろう。

第5章、代々木競技場竣工後の維持管理について。地盤沈下、雨漏り、壁のクラック、アスベスト等々への対応、耐震補強にバリアフリー化。

代々木競技場を凌ぐ現代建築は未だ出現していない(というのが僕の見解)。


 


184枚目と185枚目

2022-10-23 | C 名刺 今日の1枚

 「名刺 今日の1枚」というカテゴリー名にしているから、今日(23日)渡した名刺のことは今日書かないと。

「本の寺子屋」で今年度予定されている講演会は17回。今日、13回目の講演会が開催され、「作家という生き方」という演題で校條(めんじょう)剛さんが講演された。校條さんは大卒後、新潮社に入社、月間雑誌「小説新潮」編集部に30年近く在籍され、9年間は編集長だった方。編集者は作者に伴走して、一緒に作品を創りあげていく。校條さんが担当した作家の・・・。

いや、本稿は「名刺 今日の1枚」だから、講演のことについてはこの辺で切り上げよう。今回も高校の同期生がふたり参加していた。講演会の後、会場のえんぱーく近くのカフェへ。そこでふたりに名刺を渡した。184枚目と185枚目の名刺。ふたりの名前は同じ、漢字表記は違うけれど。

今日の小さな幸せ。


 


早!

2022-10-23 | A あれこれ


 先んずれば他社を制す ということなんだろうか。9月下旬ころに早々と来年(2023年)のダイアリーが書店に平積みされだした。いくら何でもまだ早いだろうと思っていたが、先日買い求めた。

実家に1981年から1984年までの4冊が保管されていることがしばらく前にわかった。で、来年のダイアリーは1981年から数えて43冊目ということになる。2001年から博文館新社の「Business Planner」を使っている。


1981年(昭和56年)のダイアリー。映画館ほか諸施設の入場券などが貼ってあり、誰と一緒だったのかメモしてあるから分かる。このようなことは今も続けている。これも趣味なのかな・・・。続けることが全く苦にならない。


 


「百年の手紙」

2022-10-22 | A 読書日記

360
『百年の手紙 ― 日本人が遺したことば』梯 久美子(岩波新書2013年発行 2018年4刷)

 梯 久美子さんの著書では『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道』新潮文庫(過去ログ)を2008年の8月に初めて読んだ。先日、日帰り東京した際、オアゾの丸善でこの『百年の手紙』を見つけて買い求めた。

『百年の手紙』は「あとがき」によると2011年の7月から9月とその翌年の同期間に東京新聞と中日新聞に連載された同名の記事がもとになっているという。

本書の内容についてカバー折り返しの紹介文から引く。**激動の時代を生き抜いた有名無名の人びとの、素朴で熱い想いが凝縮された百通の手紙をめぐる、珠玉のエッセイ。** 

手紙を書くことがなくなった。電話やメールで要件を伝えて済ませてしまう。だが、家庭に固定電話しか無かった頃は今とは事情が違い、手紙を書いて送り、受け取った相手も手紙を書く、手紙のやりとりがごく普通に行われていた(過去ログ)。

本書には1901年(明治34年)、足尾銅山による鉱毒被害の惨状を訴え、銅山の操業停止を求める書状を天皇に直接渡そうと、帝国議会の開会式から帰る天皇の馬車に駆け寄った田中正造の直訴状から始まり、戦地から家族に宛てた手紙、恋人に宛てた手紙等々、100通の手紙が収録されている。


しばらく前に読んで感銘を受けた『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん(文春文庫2021年23刷、単行本1989年)の山本幡男の遺書も本書に取り上げられている。

印象に残ったのはある死刑囚が書き残した手紙。**「人間として極めて愚かな一生が明日の朝にはお詫びとして終る」**(235頁)獄中で短歌を学び、毎日新聞に投稿するようになったという死刑囚。投稿は7年間続いたという。多くの作品が選ばれて掲載され、歌集の発刊が決まって、死刑執行前夜にしたためた文章に上掲した件があったとのこと。

貧しい家庭で育ち、級友からも教師からも疎まれ、栄養失調で母親を亡くしたという死刑囚は**この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し**と詠んだ。

100通もの手紙が収録されているため、それぞれの手紙に割かれているのは2,3ページで、ちょっと物足りないと感じた。先日読んだ『一首のものがたり』加古陽治(東京新聞2016年)は本書の類書とも言えると思うが、収録されている短歌は27首で、それぞれ5,6ページ割いて和歌の詠み手の「人生」を書いている。『百年の手紙』もそれぞれの手紙の背景のものがたりをもう少し詳しく書いて欲しかった、手紙を50通に減らしても。新聞掲載でスペースが決まっていて文字数に制約があったのだと思うが・・・。