透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

鳥の巣

2006-09-29 | A あれこれ

北京オリンピックのメインスタジアムの工事の様子が昨日の新聞(信濃毎日新聞)に載っていました。このスタジアムの計画は国際コンペで決定されました。他にもいろんな案が提示されました。

↓屋根が空中に浮かんでいますネ。
 http://news.searchina.ne.jp/2003/0328/national_0328_001.shtml

この浮かぶ屋根は残念ながら当選しませんでした。
プロジェクト×(バツ)となりました。斬新なアイデアだったのですが・・・
北京市建築設計研究院の提案だそうです。国際コンペ故の結論?、きちんとした審査の結果でしょう。

13の応募案が優秀3案に絞られ、最終的に当選したのはスイスと中国の設計チームの案でした。「鳥の巣」とあだ名される案です。鉄筋コンクリートで造られている外観は全く鳥の巣のようです(写真)。それにしても・・・、建築を構成する要素を秩序づけることが建築の条件だと考えている私には、もう理解不能な建築です。

コンペの審査は中国の専門家に加え黒川紀章ら、世界的な建築家の投票によったとか。さてどんな施設が出来るでしょう、完成がいまから楽しみです。


にょっ記

2006-09-28 | A 読書日記



■ 『にょっ記』穂村弘/文藝春秋をようやく見つけた。
普段まずチェックすることのない詩集コーナーに平積みされていた。見つからないわけだ。

ブックデザインがなかなかいい! 光沢のない紙質、グレーの表紙にオシャレなイラスト。りんごが(写真の右側参照)私の好きな色で描かれている。最近ではめずらしいケース(写真の左側)付き。ケースを縦にして上下に軽く振って本がスーっと出てくるのが理想的なのだと聞いたことがあるが、まさにそのように本がケースから出てくる。文庫では出せない味。

さて中身。日記の形式にまとめられた詩のようなエッセイ?、エッセイのような詩? どっちだろう。詩のようなエッセイってとこかな。
穂村さん独特の感性、独特の表現。昨晩と今朝(歳のせいか朝は早い)、なかなかユニークな文章に親しんだ。

例えばこんな具合。

**10月1日 真夜中の先生
  真夜中に、ベッドの上でぬいぐるみたちに通知表を配る。
  ぬいぐるみたちは、とってもどきどきしていた。
**


** 3月1日 牛乳
  カップに唇をつけたとたんに、牛乳が真っ黒になって驚く。
  反射的に時計をみると零時。
  賞味期限が切れたのだ。
**


詩集コーナーに置いたのは、書店ではエッセイのような詩を集めた詩集と判断したためだろうか、それとも著者が詩人だから? 


 


路上観察

2006-09-28 | A あれこれ


ねじれた関係

先日(0919)のブログに上の写真を載せました。「」でしょ、ということで。説明文もつけたんですが、「え~っ、なにがなのか、わかんな~い」という声をちらっと聞いたものですから・・・。

で、今回別の写真を追加しました。母屋と外壁の関係に注目。そう、妻壁が斜めなんです。でも上の写真だけでは下のようなことになっているなんてイメージ出来ませんよね。

先入観というか思い込みって取り除くのはなかなか難しいですが、ユニークな発想って、この困難を乗り越えて初めて可能になる、って思うのです。



敷地の形状に合わせた結果、こうなったのでしょう。


 


「人工の星」 北杜夫

2006-09-27 | A 読書日記



普段ブックオフを利用することはあまりないが、先日偶々『人工の星』集英社文庫(写真左)を見つけた。単行本も文庫本もすでに絶版になっているのではないか。単行本の発行は1981年で、文庫本はその3年後の1984年だ。この本が文庫になっていることは知っていたが、初めて手にした。

単行本の帯で分かるようにこの本は、北杜夫がまだ若かりしころ書いたSF小説を集めたものだ。あとがきに北さんは**私はSF作家ではないが、そのジャンルとしては先駆者の一人でもあるという気持ちはいくらかは抱いている。**と書いている。

この作品をベスト1に挙げるファンもいるくらいだし、確かにまだSF小説というジャンルがきちんと定まっていなかった時代のまさに先駆的作品という意味でも貴重だろう。知らなかったがこの作品は芥川賞候補にもなった、とあとがきに出てくる。

文庫本には解説が付く。この文庫に解説を書いているのは、あの星新一だ。それだけでも興味深い。年数が経過しているわりには傷みが無い。何のためらいも無く買い求めた。たったの105円で。 早速再読した。どれも面白いが、特に「うつろの中」というかぐや姫を題材にした短篇が面白かった。かぐや姫は、地球人の住居に入りこむために異星人が姿を変えたものという設定。

彼らはこんな会話を交わす。
「(前略)あれは年老いた男女のミュウだ。やつらの住居に入りこむ方法がある」
「なに?うむ、そうか。よしそれでやってみよう」
「じゃ急げ、合体しろ。やつらの意識下にある願望の体型をとれ」**

ということで竹の中潜んでいた異星人が、じいさん、ばあさんお望みの女の赤ちゃんになったというわけ。

ところでカバー装画は文庫本がヒサクニヒコ、単行本が佐々木侃司。
北杜夫の作品ではおなじみのふたり。


書店の役割

2006-09-26 | A あれこれ

 

 昨晩のブログで今までに発表した「作品の自己解説」と表現した。布団にもぐり込んでからなんだか変な表現だな、と気になった。自己解説などという表現をなぜしたんだろう・・・。ネットで検索してみて、全く無いわけではないことに気づいたが、普通は「自作の解説」と表現するよな、と思って修正しておいた。ときには無知をさらけ出すことになるということを覚悟しておかないとブログなど書けるものではない。

一昨日(24日)の「週刊ブックレビュー」の後半のゲストは小川洋子さんだった。確か前にも触れたが『博士の愛した数式』新潮文庫の解説で数学者の藤原正彦氏は、取材のために研究室に現れた小川さんの印象を**化粧気のない、清楚な大学院生のような人だった。**と書いている。小川さんは1962年生まれだから44歳か。でもテレビに登場した小川さんは本当にそのような印象の人だった。

昨晩小川さんの作品を読んだのは彼女の人となりを知りたかったからだが、真面目そうな雰囲気が各エッセイに滲み出ていた。

ところでこの本に収録されている「書店の役割」というごく短いエッセイにこんなくだりがある。

**最近は、書評欄などで気に入った本をチェックし、インターネットで注文することが多くなった。三日もすれば宅配便で届けてくれるので、重い本を自ら運ぶ手間が省けるし、送料は書店まで出向く交通費だと思えば、気にならない。ただ、求める本が手に入っても、何とも言えない空しさは残る。やはり、書物の海を自分の身体でさまよい、予期せぬ発見によって手にした本ではないからだろうか。**

私は未だネットで本を注文したことがない。電脳環境にしっくり馴染めないことが一番の理由だが、やはり本は書店で書物の海かどうかは分からないが、書棚をいったり来たりして探すのが楽しいと思っているからだ。見つからない本は書店に注文する。時間がかかるが、忘れた頃手元に届くのも悪くはない、そう思っている。

長嶋有の本が見つからない、注文するしかないか・・・。


 


書店にて

2006-09-25 | A 読書日記

Ku:nel(クウネル)(マガジンハウス.)









■ 夕方、ウォーキングというか単なる街なか散歩の途中で書店に立ち寄った。

まず雑誌コーナーでクウネルを立ち読み。川上弘美へのインタビューが載っていた。仕事で使っている机や書庫の写真。今までに発表した自作の解説。大人の恋愛小説を描きたいとも。楽しみ。今月末には新刊が出るんじゃなかったかな。

続いて文庫本のコーナーへ。北杜夫の『木精』新潮文庫が平積みされていた。帯には**マンボウ先生、許されぬ恋・・・**とある。「幽霊」と「木精」を今秋再読したいと以前書いた。「木精」は今回改版されて活字が大きくなっていた。さて手元の細かな文字を追うか、大きな文字で読むか。

長嶋有を探したが見つからなかった。

新書のコーナー、岩波新書の『マンションの地震対策』を手にとって目次に目を通した。単行本のコーナーで『にょっ記』を探したが見つからなかった。結局小川洋子のエッセイ『犬のしっぽを撫でながら』集英社を購入した。

木精─或る青年期と追想の物語─猛スピードで母はにょっ記犬のしっぽを撫でながら


 


安曇野ちひろ美術館

2006-09-22 | A あれこれ


安曇野ちひろ美術館 (0609)

 風景に応答する建築

安曇野ちひろ美術館は建築全体を切妻の屋根を架けたいくつかの棟に分節してスケールを落としている(写真)。地元の人が建設途中のこの建築を見て鶏舎のようだ、と評したと聞いたことがある。それは設計者内藤さんの意図するところでもあったのだろう。

既に書いたことを繰り返すが、この美術館は安曇野の風景に歓迎されている。右から二番目のガラスのエントランス棟を見ると、その後方の山の稜線の勾配と屋根の勾配とが一致していることが分かる。おそらくこれは偶然ではなくて内藤さんが意図的にそうしたものであろう。

『ぼくが、安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』講談社で館長の松本猛さんも **よく見ると美術館の屋根の形にぴったりの山の姿が見えます。(中略)周囲の豊かな自然を意識したところを、建物のあちこちに発見するのも美術館の楽しみ方のひとつです。** と指摘している

この美術館の外壁(写真ではかなり白っぽく見える)は珪藻土で仕上げられているが、地元(北安曇郡松川村)の土を混入して色調を周囲に同調させているという。

風景に応答するということは、勿論このようなことのみを指すわけではないが、内藤さんの意図するところがよくわかる。

■ 繰り返しの美学

写真に写っている屋根は切妻4つの繰り返しだが、更に左側に増築された屋根が続いている。「へ型」の屋根の繰り返しが美しい。松本さんも先の本で、この架構について次のように「繰り返しの美学」を指摘している。**高いところが六メートルに達する天井には、屋根をささえる木の構造が見えている。整然と配列された登り梁は、それがずっと続いているだけで美しい。** (アンダーライン:私)


 


「まち」のような建築

2006-09-21 | A あれこれ


左:金沢21世紀美術館の案内図(昨年撮った写真)
右:まち」的建築(月刊誌「新建築」06年9月号より)
  

■ 案内図は普通、簡略化されてグラフィックな表現がされるが、金沢21世紀美術館の場合は全くこのようなプランだ。さまざまな大きさの白い箱状の展示室が独立して配置されている。たまたま出来た展示室の間の空間が通路や休憩スペースなどになっている。コンセプトがそのまま抽象的に空間化された作品だ。

右のプランは小さな箱状の建築がいくつも配置されている。「まち」のように見えるが、実は全体が外皮に包まれた「ひとつの建築」だ。

金沢のレイアウトには設計者の意図が感じられるが、右の施設は四角い建築を恣意的にばらまいたようだ。その違いはあるものの二つの建築のプランニングには共通性がある。この頃よく見かける平面形(プラン)だ。いったいこのような、建築とまちのヒエラルキーが曖昧になるようなプランはいつ頃から採られるようになったのだろうか。

塩尻市の「市民交流センター」のプロポーザル、1次審査を通過した5作品が公開されたが、その内、4作品がこのようなプランだった。その特徴はずばり「まち」のような建築 なんだかみんな既に見たことがあるような印象の計画だ。

「市民が自由にアクセスできること」という私の想定した条件をクリアできそうな作品が選出された。最終的にどの作品が選ばれるのか興味深い。似たような作品だが、どういうことが決め手になるんだろう。審査員と提案者との間にはどんな質疑応答があるんだろう・・・。いまから公開審査が楽しみだ。


 


恋愛感情度 ○○%

2006-09-20 | A 読書日記



絲山秋子の芥川賞受賞作『沖で待つ』文藝春秋に登場する男女は住宅設備機器メーカーの同僚だった。ふたりとも相手に対して恋愛感情は抱いていなかった、たぶん。定量的に表現するなら男も女も恋愛感情度は0~5%だったといっていい。

文庫(文春文庫)になった『イッツ・オンリー・トーク』は彼女のデビュー作だが、この作品に登場する男女は多少恋愛感情度が違う。登場する男達の恋愛感情度はまちまちで、どうだろう 0はないか、10~6、70%といったところだろう。それに対して女、こちらは一人だが、0~5%、多く見積もっても10%どまりだ。

こうなれば他の作品も気になる。恋愛感情度という観点で評論してみたら面白いかもしれない。書店には単行本が何冊か並んでいる。いずれも短篇だから読了するのに時間はかからない。読んでみようかな・・・。
絲山秋子の小説に登場する男女の恋愛感情度に関する考察」いいじゃないか(なんちゃって)。
ここで休憩 

昨日、書店で『にょっ記』穂村弘/文藝春秋を探したが見つからなかった。しばらく前には平積みされていたのに・・・。で、『絲的メイソウ』を買ってきた。初のエッセイ集とのことだが、これがなかなか面白い。「男は外、飯は別」なんのこっちゃ、と思って読んでみると、女友達とルームシェアする時の約束事だと分かった。「タンスの大奥」 **いつの日か「絲山秋子記念館」なんてものができた日には、めがねや茶碗なんてつまらいものは置かずにドカンとFカップブラを展示してもらおう。遺言にも「Bを捨て、Fを展示のこと」と暗号めいたことを書いておくことにする。**
なんともさばけた性格の人のようだ。半年で25キロも痩せてF→Bになったとか。

ところで① この作家の関連サイトに(たぶん作風だと思うが)似ている作家として川上弘美と長嶋有が挙がっていた。長嶋有も読まねば・・・(ある方にも薦められたことだし)。

ところで② 『絲的メイソウ』のカバーデザイン、「繰り返しの美学」。



ブックレビュー

2006-09-19 | A ブックレビュー

 
 
 ○ 何回目かのブックレビュー

この写真、一瞬、あれ?本が浮いてるって見えませんか。
真っ先に目に入ることを正しいと認識してしまうと、そのことを前提に他の部分を見るから、「?」が生まれるんですよね。 左が下の縦フレ写真を寝かせました。

では右の写真は? 別に普通ジャン、と思われたら、母屋(屋根を支えている軒天井の部材)と出窓の「方向」に注目してみて下さい。 
これも、あれ?でしょ。ねじれた関係に気が付くと思います。
これは壁が正面を向いているとまず認識してしまうことによる「?」ですね。


建築的思考のゆくえ

2006-09-18 | A 読書日記


『建築的思考のゆくえ』王国社 には共感するところが多かった。
「新建築」などの雑誌に寄稿した小論文やエッセイをまとめたもの。

内藤さんは現代建築を、環境との関係を断ち切った宇宙船のようだと批判しているし、建てた瞬間がいちばん美しい建築をつくりたいとは思っていない、とも書いている。このことから、「建築には環境との応答関係が必要である」と「建築は時間の流れの中で育まれる」このふたつの章タイトルに現代建築を批判した内藤さんの建築観が明確に表れている、と理解できる。

「海の博物館」や「安曇野ちひろ美術館」は、内藤さんの建築観が体現された秀作だと思う。今、私がいちばん見学したいのは「牧野富太郎記念館」だ。高知県にあるこの記念館は魚の骨のような架構が美しい。事実この記念館の構想中にヒラメの骨が浮かんだという。

きれいに食べて頭と骨だけになった魚を美しいと思うかどうかは、個人の感性によるだろう。

『建築的思考のゆくえ』は松岡正剛氏の千夜千冊*1にも、とりあげられている(このサイトをご存知でない方は千夜千冊で検索してみてください)。

このサイトで松岡氏は川上弘美の『センセイの鞄』もとりあげている。^^v

*1 千冊(実際には千冊以上)の本の評論。松岡氏の博識ぶりには驚嘆する。

私は、おっかなババア

2006-09-18 | A 読書日記

 
派手な装丁、なんだか講談社文庫の雰囲気だけど文春文庫。 

このところケンチクモード全開。ずっと「建築」の話題を続けてきたな、とちょっと反省、って別にいいけど。読書の秋、そろそろブックモードに少し振らないと。ということで『夜のピクニック』に続いて今回はこれ。そう私が好きな室井滋のすっぴん魂。おっと、この表現は曖昧。好きなのはどっち?、ムロイ?すっぴん魂? どっちも好き。だから、好きな(ムロイ+すっぴん魂)。

NHKの連続テレビ小説はみてないけれど、「菊次郎とさき」はよかったな、そう、たけしのおっかさんの役。ああいう雰囲気のシゲルさん、いいとおもうな。前にも書いたと思うけれど、ほんとに「すっぴん魂」な人だと思う。

『すっぴん魂』 週刊誌に連載中のエッセイを再構成したもの。ムロイさんの日常にはなぜか「事件」が頻繁に起こる。銀行でのトラブル、ゴミだしトラブル、旅行先でのハプニング、タクシーの中での出来事・・・。

巻末に佐野史郎さんとの文庫化記念対談が載っている、特別付録で。
この対談が面白い。
**(前略)まあ、ムロイともホント長いつきあいだよね。出会いは、オレが劇団やめて映画始めたばっかりの頃、若かりし竹中直人とムロイとオレと河合美智子と6、7人で芝居やろうって竹中から誘われたのが最初なんだよな**
ふたりのつきあいは、こういうことなのだそうだ。

**年をとるってことは奥深いね。捨てたもんじゃないね。周り見てても、個体差がすごく出て、それまでの生き方がぜんぶ表れて、ひた隠しに隠してたことも表に出てくるじゃない?だから、きっと今の生き方が大事なんだよね。**
いいこというね~、ムロイさん。


夜のピクニック

2006-09-17 | A 読書日記



■ 北校伝統の鍛錬歩行祭。全校生徒が夜を徹して80キロを歩き通すというイベント。
**みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。**(31頁)

こういう状況で**なんて言うんでしょう、青春の揺らぎというか、煌(きら)めきというか、若さの影、とでも言いましょうか。**(428貢)が描かれた小説。

恩田 陸の『夜のピクニック』のテーマを文中に探すとしたらこんなところだろうか。懐かしい思いに浸りながら読了した。

夜のピクニックというタイトルには少し違和感を覚えた、いくらなんでもピクニック気分ではないだろうと。元気な高校生はあるいはピクニック気分なのかもしれないが・・・。

夜を徹して歩く、この作家の出身校の水戸第一高校の伝統行事らしい。浦和高校でも同様の行事があって、それをモデルにしたとか。「夜行軍」という行事が私の母校にもあった。もっともこの小説のような、全校生徒が参加する大きなイベントではなかったが。

「全国縦断徒歩の旅」はとても無理だと思うけれど、「四国八十八カ所歩きへんろ」には憧れてしまう。 全行程1400キロ、 無理かな~。




伝統的なデザインを引き継ぐ

2006-09-17 | A あれこれ




○ 民家 昔の記録 高知 198003

既に昔訪ねた民家の記録を何回か載せたが、今回は高知県安芸市内の民家。漆喰の外壁には何段も瓦を並べた水切庇が付けられている。雨水が外壁を流れ落ちないようにする工夫。水切庇の付いた白壁がこの辺の民家の特徴だ(岡山辺りにも在るようだが)。

このデザインは現在に継承されていて、外壁に水切庇を付けた住宅を雑誌で見ることがある。但し瓦ではなくて鉄板でつくったものが多いが。モダンな住宅には瓦の庇は似つかわしくない、ということなのだろう。

何も伝統的なデザインをそのまま守ることだけが大切なのではない。デザインの意図、意味をよく理解してそれを継承すればよいのだ。

水切庇は雨水から壁面を保護し汚れを防ぐという点で、この辺でも採用していいと思う。材料はステンレス板や石など、外観のデザインに合わせて工夫できそうだ。


竹風堂の広告 

2006-09-17 | A あれこれ

○ 竹風堂の広告 (060917)

信濃毎日新聞に掲載された広告を対象に、優れた作品を表彰する企画がある。今回が35回目だそうだ。今朝の新聞に入賞作品が載っている。
竹風堂の広告が優秀賞と優秀コピー賞をダブル受賞している。今回は最優秀作品はなかったそうだ。竹風堂の広告については以前うまい文章だとブログに書いた。

講評でも**絶品といっていい文章の冴え。**と評価されている。
「あ、やっぱりな~っ」
他の入賞作品が全てカラーなのにこの作品だけがモノクロというのも、文章勝負というこの広告のねらいがわかる。

竹風堂さん、おめでとうございます。